”正しく踏んでゆく道は広い世界に続く道”。これは今から40年も前に自分の通った東京の区立小学校の校歌である。
日本で生まれ育った自分が、28歳の時にカナダ移住を決め、ほんのわずかなお金を持って羽田空港を飛び立った時は、カナダでの生活に大きな希望を秘めていた事は確かだが、その時は、自分の志した指圧の道がまさかこんなにも遠くまで自分を歩ませ続けるものとは想像すら出来なかった。
17歳の時に痛めた背中を、ある骨接ぎの老先生によって治していただいたのが手技療法(手によって治療を行なう)に魅せられたそもそものきっかけである。受験進学都立高校の3年生であった自分は、入学以来学業は二の次で陸上班の長距離走の練習に明け暮れていたのだが、結果、3年時の学力テストの席次はほぼ学年どん尻という精神的なストレスを抱え込む事になった。その矢先、体育の授業でプールに飛び込んだ時に背中を痛めたのである。当時の東京の街は毎日が機動隊と学生との衝突に明け暮れ催涙弾が飛び交うなど騒然とした明日のゆくえが定まらぬ社会情勢で、若者たちにはその進路に言い知れぬ不安感が付きまとっていた。そんな時に自分が出会ったこの老先生の治療は背中の痛みを癒しただけでなく、自分の内にあった様々な精神的なプレッシャーの緩和に、大変な効果をもたらした。卒業時まで部活動を続けられ、1年間の浪人生活中には、集中力が増し、翌春には志望の慶応義塾大学に合格することが出来た。自分を、陥っていたスランプから脱出させスポーツにおいても学業においても飛躍させた手技療法の受療体験から、今でいうボディとマインドのコネクションの存在と、こういった治療を有効に生かせば健康を得られるだけでなく、メンタル面での強化、しいては個々人の能力開発に役立てられるであろう事に気づき、大学在学中に指圧の創始者、浪越徳治郎先生の日本指圧学校の指圧教室に通ってその指圧技術の手ほどきを受けた。体育会レスリング部員として練習中に右足くるぶし骨折の怪我をしたときも、習い立ての指圧を自己応用したせいか回復は早かった。
大学卒業後は一時サラリーマン生活を送った。やがて会社勤めを辞めいつしか”意あれば道あり”で、17歳の時に初めて治療を受けて以来、興味深く心の片隅に常に存続していた、人に施して喜ばれ、個々人の才能の開発を手助けする手技療法の実践を世界で試してみたいという気持ちが、指圧学校の本科に入学なさしめた。在学中に卒業後のカナダ移住の手続きを開始したが、当時SHIATSUはカナダでは皆無に等しかったので、指圧師としてはカナダ移住ビザは取得できなかったので、移住の手段として調理師免許をとって日本をあとにした。
運がよかった。善い人々とめぐり合え、渡加する前にいつの日かはと心に描いていたオリンピック選手や大リーガー、ハリウッドスターやビッグビジネスのエグゼクティブへの指圧といった夢や、家だとか車だとかいった若者の持つマティアリスティックな願望は瞬く間にかなえられた。北米のホームドクターを訪れる患者の7割がストレス関連の症状であるという。人類の生命、その元となる空気と水、それが汚染され、毎日の食べ物、飲み物から否応なく化学物質が体内に侵入してくる今の時代に、なにをさらに薬物処方し患者の体内に化学物質を入れ肝機能を弱め、しいてはその生命力を弱める必要性があるのか?自然な物理的な理にかなった治療法こそ、プライマリーケアーとして、ストレス関連の症状には用いられるべきである。病める社会は本能的にそれを求めている。日本の指圧の中から生まれた浪越徳治朗先生の”おせば生命の泉湧く”、この言葉は不変の真理である。。世界にSHIATSUを広める事に情熱を注いでおられた浪越徹先生の海外セミナーのお手伝いをしている内に、丹念に一圧し一圧しを大切にする地道な指圧、”人に喜びを与え 自分も喜び生きる”指圧道を歩む事が次第に自分の生き方と成り、そしてそのSHIATSUを伝える事が使命感と成っていった。
薬物ではなく人間の持つ生命力を直接賦活するSHIATSU療法をトロントを本拠地として人々に広めていった。トレーナーとして手をかけた新体操選手や水泳選手が国内選手権で優勝しオリンピック代表選手に選ばれ、2度のオリンピック参加も指圧トレーナーとして、決勝進出した選手と至福の時を共有する事ができた。体調の調整にSHIATSUを受けてた俳優たちがブロードウエイの舞台に立ちその演技を評価されトニー賞ベストアクターとして選ばれたり、出演映画作がカンヌ映画祭に出品された時などは彼らと共に多くの感激、感動も分かち合えた。
指圧の素晴らしさは生きている人間が証明してくれる。自分の主宰するSHIATSU学校”指圧アカデミー”のクリニックで生徒達や卒業生からSHIATSUを受けた人たちが、その治療により、失っていた健康を回復し元気になって喜んでいるのを目撃するのは何にもまして嬉しい。ヨーロッパ、南米、東欧を指圧普及のセミナーで訪れ、チェコ共和国では大統領ご夫妻が3日連続でSHIATSUを御所望され、その不定愁訴症候の改善にお役に立てたことは浪越徳治郎、徹両先生が導き引き入れてくださった“指圧道”の、世界へのゆるぎない証であるような気がする。
今年は故浪越徳治郎、徹両先生がアメリカのパーマーカイロプラクティクス学校の招待を受け渡米してから50年、いわば指圧の海外普及半世紀の節目の年にあたる。また我が母つぎ子が結核そして癌という死にいたる大病を克服し、卒寿90歳を迎えた。この意義ある年にこの本を出版できる事が出来たのは、昨年の夏、指圧についてもっと知りたいというミシサガのカソリック高校のロス・オウクス先生の求めに応じて、埃にまみれた未完成原稿をお見せしたところ、オウクス先生が読後強く出版を勧めて下さったからである。それは数年前に地元の新聞トロントスター紙のマウィニー記者が小生をインタビューして作成してあった未完成のものであったが、その後、さらに新しい原稿の付け足しあるいは削除、校正、タイプ打ちなどに多くの時間と人力を費やした。一人一人の御名前はここに挙げませんが、お手伝いいただいた皆様の御協力と励ましに改めてここに感謝の意を表する次第です。
2003年7月
齋藤 健泉