マルタの鷹
それが、本物の鷹であったか、あるいは昔の映画にあったように金無垢の
鷹であったのか、私は知らない。
とにかく、ヨハネ騎士団の生き残りが、年に「一羽の鷹」を条件に、マルタ
島移住を許されたのが1530年のこと。
ヨハネ騎士団は当初聖地エルサレムの巡礼者の保護と医療を目的に結成さ
れた(ホスピタル騎士団)が、次第に武器を持って砦を守る役割も負わされ
た。1291年,最後のキリスト教徒の砦アッコンが陥落した後、キプロスか
らロードス島へと移ったが、1522年、ここでもまた、10万のオスマン
トルコ軍の侵攻によってあえなく陥落しシチリアに撤退した。
その後生き残った騎士団は、どういう事情だったのか、8年の放浪ののち、
やっとのことで神聖ローマ皇帝カール五世(スペイン王カルロス一世)に
よりマルタ居住を許された。
いま眼にするマルタには、森もなければ川もない。薄い蜂蜜色の石(マル
タストーン)を積み上げた家並みと、数百艘の船団も寄港できる良港をもつ
だけである。山とも言えぬような低い禿げ山に、かって本物の鷹が棲息して
いたとはとても思えない。
ヨーロッパ各地から、貴族の次男坊三男坊が持参金付きで入団したものら
しく、首都バレッタにある聖ヨハネ大聖堂の内部は、金銀で過剰なまでに飾
られていて、騎士団の資力が可成りのものだったことを伺わせるものでした。
聖エルモ砦
地中海のど真ん中、イタリア半島の下にゴミのように浮かぶ小さな島であ
っても、海路をとって西欧世界征服を目指すならば、ここは絶好の寄港地と
なる筈である。1565年、やはり5万のオスマントルコ軍が押し寄せた。
防衛側はというと、塩野七生著「ローマ亡き後の地中海世界」によると、
騎士501人、イタリアからの志願兵4000人、マルタ島民5000人で
一万に満たなかった。1ヶ月の激闘ののちエルモ砦は陥落したが、シチリア
から6000人の援軍があって、撃退出来たと云うことです。
「マルタの鷹」は本物の鷹でもなく金無垢の鷹でもなく、騎士団そのもの
だったように思いました。
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