クルーエル・インテンションズ / Cruel Intentions
IMDb "Cruel Intentions " / Yahoo Movies / MSN Entertainment
これはメチャクチャ好きな映画だなあ。しかも文句なしの傑作だと思う。それなのにあまり映画ファンに言及されないのはまったく解せない。コメディ・タッチだから? ティーンズ映画だから?

言わせてもらえば、コメディは最も芸術的センスが必要なものだし、こういった「笑わせてくれる映画」は、スカしたアート系や高邁な思想を持った説教型政治映画、深淵な哲学を孕んだ睡眠学習映画と比べても、全然引けを取らないと思う。

いやあ本当に面白い。何しろ原作はラクロの『危険な関係』。フランス貴族の意地の悪い性的ゲームを、NYの高校生たちのライフスタイルに置き換え、ご機嫌なラブ・コメに仕立てている。あのロココの精神的遊戯性を現代に甦らせるならば、やっぱり舞台は高層ビルの立ち並ぶマンハッタン、そしてスポーツ・カーを乗り回し、アメフトに興じ、ネットで遊び、デザイナーズ・ブランドの服を身に纏ったクールなハイスクールボーイズ&ガールズが適役でしょう。

グレン・クローズら名優たちの豪奢なコスプレが目を引くスティーブン・フリアーズ版『危険な関係』も、言うまでもなく素晴らしいが、僕は『クルーエル・インテンションズ』の方が断然好きだ。
その一番の理由は何と言ってもそのコメディのセンスに痺れたからだ。僕は悲劇よりも喜劇に「カタルシス」を感じてしまう。

で、他の理由と言えば、もちろんライアン・フィリップの憎らしいまでの色男ぶり。フリアーズの方では主役はグレン・クローズであるが、こちらではライアンにフォーカスが当たっている。もちろん脱ぐ(いい体してるぜ、このヤロー♪)。そして設定が現代アメリカなので、黒人やゲイ(IMDb のプロット・キーワードにはgay-football-player なんてのもある。ま、gay-slur もあるが)も登場する。

それにしても心憎いのは、電話はもちろんインターネットやEメールまでが登場するにもかかわらず、重要な場面では「手紙」が使用されることだ。これは原作の「書簡小説」への敬意でなくてなんであろう。実際、あのシチュエーションでありながら──「ファック」や「アス・ホール」という言葉が乱舞する──驚くくらい原作に忠実な展開になっている。

DVDのメイキング篇で誰かが言っていたように、この映画はまさに、美しいセット、美しい若者たち、しかしストーリーは醜い──だからこそ素晴らしく面白いのだ。

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レクイエム・フォー・ドリーム / Requiem for a Dream
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『Requiem for a Dream』という「文字」を最初に見つけたのはCDショップの現代音楽コーナー。クロノス・クァルテットの新譜ということだった。早速聴いてみて、おっ、今度はテクノとのドッキングか、とリズミックで意外にメロディアスな音楽を楽しんだ。
なので、DVDのメイキング篇に収録されているクロノス・クァルテットの録音風景はとても興味深かった──それをモサモサとした言葉で律儀に解説する監督ダーレン・アロノフスキー(笑)。

映画は、人間ここまで堕ちてしまうのか、と思うくらい容赦のない悲惨さを画面に叩きつけ、とても迫力があった──4人の登場人物たちの「夢」が完全に潰え、胎児のようにベッドに蹲る彼らへ「死者のための鎮魂歌」が無残にも鳴らされる……春が欠けた4季、強烈な弦楽4重奏曲──不穏な数字4。

最初は、分割画面やドラッグを使用するシーンの映像なんかがちょっと小賢しいな、と気楽に、余裕を持って観ていたのだが、登場人物たちの「中毒」がもはや再帰不能なところまで行ってしまい、転落へのスピードが加速されたあたりから、のめり込むように画面に食い入ってしまった──観ているこちらまで、その映像に、アディクトされてしまった。

アディクト。何しろジェニファー・コネリーが、ここまで綺麗で、ここまでセクシーだったのかと、ちょっと微妙な気分になったからだ。主役のはずのジャレッド・レトが、そのハンサムなルックスにもかからわず、中途半端に伸びた髪と野暮ったい服のため、それほど魅力的に見えなかったというのも原因があるかもしれない。飛び込んでくるマーロン・ウェイアンズのヌードも、さほどタイプではないためか、ジェニファーの魅力に抗しきれない。

そう、ジャニファーがとても魅力的だったのだ。顔に掛る長い髪、細身であるが手足の長さが際立つ均整の取れた身体、そしてだんだんと「O嬢」的になっていくメイクとその表情。不安になるくらいジェニファー・コネリーが美しく思えてきた。不安……もしかしてジェニファーに感じてる? オレ。

最初は「小賢しい」と楽観していた独特の映像(そして音楽)にいつのまにか「アディクト」され、セクシュアリティを撹乱させられてしまった感じ。その不穏さが病み付きになりそうだ。ヒューバート・セルビー・ジュニアの原作も読んでみたい、

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フォロウィング / Following
IMDb "Following" / Yahoo Movies / MSN Entertainment
面白かった。スリリングだった。エキサイティングだった、確かに『メメント』より映像的に地味だけど、僕はこっちのほうに惹かれる。何より「推理小説的」に素晴らしい。イヤリングやハンマーといった小道具が十分に生かされている。張り巡らされた伏線も見事。最後の最後まで手を抜かない「ひねり」が推理小説ファンの心を捉える。そしてモノクロームの映像がフィルム・ノワール的なクールさを醸し出す。

ストーリーはパトリシア・ハイスミス的男と男の心理戦といえるだろう。ある売れない青年作家ビルは、何となしに意味もなく誰構わずに、「尾行」という孤独な「ゲーム」に勤しんでいた。
ところがある一人の男の「尾行」に失敗した──つまり「尾行」がバレてしまったのだ。しかしその男はビルに自分の「仲間」になることを提案する。コッブと名乗るその男は実は空き巣/泥棒だったのだ。といっても金が目当てではない。快楽のために空き巣を行っていたのだ。エレガントにスーツを着こんだ犯罪者コッブは、哲学的とも言える犯罪美学を持っており、空き巣/盗みは忍び込んだ家の住民が心理的な不安と疑心暗鬼に陥ることを目的とした「ゲーム」だった。そんなビルのゲームとコッブのゲームがクロスしたとき、一人の女が現われ、やがて張り巡らされた「罠」に「誰かが」絡め取られていく……。

まあこんなストーリーであるが、そうはいってもこの作品も『メメント』と同様、時系列がバラされ、何が起こっているのかが最後の方まで見当がつかない。その綱渡り的な展開が強烈なサスペンスを生む。

あまり書くとネタバレになってしまうので一つだけ印象的だったシーンを。ビルがコッブの「ゲーム」に参加し、二人で取るに足らない物を盗んでくるようになる/コッブの助言に従い、ビルはイメージチェンジを図る/すなわち長髪だった髪を切り、コッブのような上質なスーツを着る/そして他人の家から盗んできた物を並べる/ビルは不思議な表情を浮かべる/そこにノルタルジックなピアノの音楽が響き渡る……そのシークエンスが何とも言えない詩的な雰囲気を漂わせていた。それはアイデンティティの混乱に晒された不安だろうか、それとも生まれ変わった喜びだろうか。なんだかトム・リプリーがディッキーの服を着て鏡を見ているシーンを思い出した。

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オールモスト・ブルー / Almost Blue
IMDb "Almost Blue " / MSN Entertainment
イタリア、ボローニャが舞台のシリアル・キラーもの。特異な家庭環境に育った若い男が、自分と同じくらいの大学生を殺害し、全裸にし、被害者のアイデンティティを盗む──つまり被害者そっくりになる。
一方、その犯人を追うのが女性というハンディ(同僚の男性捜査官にナメられ、高卒なので昇進にも限度がある)を持った捜査官。そこにやはり盲目というハンディを背負ったパソコンマニアの青年が捜査に協力し、二人の間にロマンティックな交流が芽生える、というまるで一頃流行ったサイコ・スリラーの見本のような作品。題名はエルヴィス・コステロの曲からきており、その音楽が何度も流される。

女性捜査官が活躍するサイコ・スリラーというとパトリシア・コーンウェルの『検死官』、デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』、フィリップ・カー『殺人探求』等の小説が思い浮かぶが、それらと比べてこの映画にはどうしてもストーリーに「甘さ」を感じてしまう。犯人もやたらとテンションが高いわりには、「なぜ?」という「理屈」が弱い。少なくとも中高生向き書籍(マンガとか)の解説にもデリダがどうのラカンがどうのと言うのが流行ってる日本では、この程度の俗流精神分析は「マジメなものとして」通用しないだろう。
ましてや、交通渋滞により犯人の魔の手が被害者に迫るのをヒロインが阻止できなかったり、そのヒロインが一人で犯人が潜んでいる家に向かうところなんか、あざとさを通し越して失笑してしまう。

しかし見逃せないことが一点ある。それは監督もインタビューで触れているように、この映画はフランシス・ベイコンの絵画に触発されたということだ。犯人が狙っているのは全て男性で、その死に様は顔や身体が捻じ切られたように「肉」が露出している。もちろん辺りは血の海だ。そしてアイデンティティをコピー=盗むということは、どこかで被害者と犯人が「融合」しているわけで、例えばベイコンの『レスリングをする二人の男』に見られるように、殺す者と殺される者の間には濃密な交合の「瞬間」があるはずだ。
また、いちおう公式には自殺となっている犯人の兄は、多分最初の被害者であり、注射針が無数に刺された死体は、聖セバスチャンの映像と「あざとく」重なる──つまり同性愛的パッション(受苦/情熱)を匂わせている。
ストーリー展開には多少不満があるものの、映像的には印象的なところがある映画だ。



[ALMOST BLUE 公式サイト(イタリア語。なんかとてもハデ)]
http://www.almostblue.it

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イグジステンズ / eXistenZ
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滝本誠氏によるポピー・Z・ブライト『絢爛たる屍』(文春文庫)の解説を読んで奮い立った、ブライトに負けてらんないなと。

というわけで、デイヴィッド・クローネンバーグ監督『イグジステンズ』のレビュー。
ゲイ・ポルノでは、アヌスを舐めること──つまり"Lick"することを、"Ass Eating"もしくは"Rimming"と言う。"eat""rim"という単語からその生々しさと濃厚さ、意味合いが伝わるだろう。さらに「ポート」と「ロッド」の二つの「器官」を持ち合わせた男性ならば、理論的に、何人とでも同時に「性的なネットワーク」を「構築」できる。

映画『イグジステンズ』を観ながら考えていたのはそんなことばかりだった。だってバイオ・ポートって、まともに肛門でしょう。そこに臍の緒みたいなロッドを挿入して「プレイ」するのだが、そのとき「ポート」に唾をつけて舐め、指でほぐし、さらにKYゼリーのようなジェルも塗っている。アナル・セックス経験者なら誰だってその「プロトコル」に笑い出すんじゃないかと思う。しかもジュード・ロウが最初にバイオ・ポートを貫通させたときの痛がりようといい、腰砕けの状態といい他にどう解釈したらよいのだろう。

つまり「eXistenZ」というゲームは、近未来のゲームでもなんでもなく、「すでに存在(実存)」している快楽の「ポート」気付いた人間たちのプレイ、そして『イグジステンズ』という映画は彼らの「法悦の詩」をいつもの悪趣味な小道具で幻想的に描いた、と言えるだろう。
ただ、『ビデオドローム』ほどの衝撃が走らないのは、実際僕が似たような「ゲーム」を散々「プレイ」してしまったからかもしれない。

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スリーサム / Threesome
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三人は大学の同じ寮に住んでいる。女好きの男スチュワート(スティーブン・ボールドウィン)は、アレックスという女(ララ・フリン・ボイル)が好き。でもアレックスは男好きの男エディ(ジョシュ・チャールズ)が好き。で、エディはスチュワートが好き。三人はとても仲良しなので、誰も傷つけたくない。だからこのちょっと変わった三角関係を維持すべく「共生」を計る。彼らは二人のアダムと一人のイヴ。そこは楽園だった、禁断の果実(セックス)を知るまでは……。

三角関係を扱っていながら、爽やかで、清々しく、後味の良い青春ラヴ・コメディ。語り手は確かにゲイの青年であるが、ストレートな「ゲイ映画」っていう感じではなく──実際のゲイ・セックスは巧妙に避けられている──青春ドラマ仕立ての「セクシュアリティ入門」という感じだろうか(セリフなどに「教育的配慮」が感じられる。「ストレート向けゲイ映画」というのがあるとすれば、こんな作品が選ばれるだろう)。

まあ、日本の小説やマンガにもありそうな「ストーリー」なのだが、ただ、かなり「文学」が引用されるのは、ゲイの青年が文学好き(&映画好き)というだけでなく、さりげない「意味」がありそうだ。
例えば、スチュワートのことを「ホールデン」(もちろんサリンジャーだ)と呼び、アレックスがエディに媚態を晒すところで、エディが読んでいるのがホーソン(当然『緋文字』だろう)。

またエディはフランス映画のクラスを取っているのだが、それはこの映画がトリュフォーの同じ三角関係を扱った『突然炎のごとく』のパロディになっていることを「堂々」と示しているのかもしれない。そういった意味でこの映画、やたらと「記号」が目に付く(寮の壁にはキース・ヘリングの絵が画かれてあった)。ただあくまでも「コメディ」が前面に出ており、そのセンスも良いので、文学や映画の「オタク的知識」が煩わしくなることはない(もちろん意地悪い見方をすれば、ゲイが主演である以上、それに合わせて、文学や(フランス)映画の話題が必須という「ステレオタイプ」が必要だったのかもしれない)。

印象的だったシーンは、クライマックスとも言える三人でセックスをするところで、エディがスチュワートに触れるのを躊躇しているときに、スチュワートが手を握り、体を触らせてやるところ。スチュワートはなんて良いやつなんだ、と思った。

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アメリカン・サイコ / American Psycho
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シェーンベルクの『ナポレオン・ボナパルトへの頌歌』を聴きながら、このレビューを書いている──BGMはとても重要だ。演奏はもちろんピエール・ブーレーズ&アンサンブル・アンテルコンタンポラン。ブーレーズには新旧二つの録音があるが、僕の好みは1998年録音のDG盤ではなくて、1980年のSONY盤。SONY盤のほうが、皮肉めいたピアノの「ため」とボーカルの「あてこすり」がより辛辣に聞えるからだ。

で、映画『アメリカン・サイコ』であるが、とても面白かった。主人公バトリック・ベイトマンは異性愛者の青年でハーバード・ビジネススクール出身のエリート。NYの高級マンションに住み、高価なブランド物を身につけ、立派なオフィスに勤めているのだが、彼の主な「戦場」は仲間たちとのパワー・ランチやディナーの場。
ヘテロ・セクシュアルらしいナルシズム全開──エクササイズに励み、そのご自慢の肉体をこだわりの化粧品で磨く──のベイトマンは、仲間と「名刺」の質を競い合う。この「名刺」の競い合いは、いかにもヘテロ・セクシュアルっぽくて笑ってしまう。まるで子供の頃にやった小便の飛ばしっこやベニスの大きさを競い合い、一喜一憂しているみたいだ。

しかしその他愛もない「遊戯」に負けた鬱憤を、ベイトマンは、殺人で昇華する。そう、彼のもう一つの顔は稀代の殺人鬼だったのだ。もちろんベイトマンは異性愛者なので、その殺人も快活というか、罪悪感のカケラもなく、ほとんどエクササイズのノリ。行き当たりばったりの殺人であるが、例えば同性愛者のトム・リプリーなんかと比べて「暗さ」はほとんど感じられない。女性を完全に「モノ」扱いするのもヘテロ・セクシュアルの面目躍如だろう。ベイトマンの態度には、異性愛者としてのふてぶてしいまでの自信に溢れている。

そういったストーリーの中で、特筆すべきは虚栄に満ちた「80年代」の再現。風俗、とくに音楽のチョイスは、ストレートのベイトマンのイヤミなほどの薀蓄と相俟って、皮相ながらも、どこかワクワクさせるところがあり、狂騒のあの時代のノスタルジーを掻き立てる。

確かにストーリー的にはヘテロ・セクシュアル特有の「おぞましさ」がこれでもかと披露されるが──もっとも、ゲイの僕がこんなことを書くと、ストレートのベイトマンに「None of your Business !」と中指立てられそうだが──、ブレッド・イーストン・エリスの原作ほど露悪的ではない。「確信的な」皮肉が利いていてコメディ・タッチの風俗映画としても楽しめる。

なかなか興味をそそる映画で(個人的には傑作だと思う。クリスチャン・ベールの演技と体は最高)、もっといろいろと書きたいこともあるのだが、ビデオ(DVD)を返しに行かなくてはならないので。

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ズーランダー / Zoolander
IMDb "Zoolander"
このチープさ、このバカバカしさ、このくだらなさ……まさに感動的だ。この映画が好きな「あなた」、ぜひ友達になりましょう!

と、思わず叫んでしまいたいくらい、まったく僕のツボな映画。愛すべき、本当に愛すべきB級コメディ、マジで「ズーランダー・ファンクラブ」を結成したいくらいだ。

ストーリーは、「左に回れない」ベン・スティラー演じる「男性スーパーモデル」がファッション業界の陰謀に巻きこまれる、というもの。これが素晴らしく良く出来ている、というか、ここまでギョーカイをパロっておちょくっているというのが凄い。もちろん、ただのパロディではない。だって本物のファッション・デザイナー、例えばトム・フォードやトミー・ヒルフィガーがゲスト出演しているし、雑誌などでよく見かける本物のモデルも多数画面に登場する。

いや、ゲストだったらもっと凄い。ウィノナ・ライダーやクリスチャン・スレイター、そしてそしてデヴィッド・ボウイまでが「自分自身の役として」出演しているのだ──こういったバカバカしい映画に出演するセレブたちって本当に粋だね、たとえ「物語」を「侵食」してしまっても。
(こういうのって「リアル」と「非リアル」のせめぎあいなんだろうか。なんだかこのバカバカしさにこそ「ポストモダン魂」を感じさせる──つうか、「バカバカしさ」を無理やり「分析」すると必然的に「ポストモダン」が「要請」されてしまう……「メタ」、「引用/パロディ」、「強度=当人たちの自虐ネタ」……。そもそも「ファッション・モデル」という「マリオネット」の「(左に回れない)主体」こそがこの映画において「問題」なのだ……なんつって)

なかでも最高に笑えたのはマイケル・ジャクソンの『ビート・イット』のパロディ部分。男性ファッションモデル同士のバカバカしい「戦いぶり」がお見事だった。
そうそう、この映画も「80年代」のオマージュで彩られていた。なにしろ「サブリミナル・シーン」で使用されるのが、フランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッドの『リラックス』なんだから。

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