岩門城址

名称 岩門城址・岩戸城址・竜神城址・安徳城址
所在地 福岡県筑紫郡那珂川町安徳 高津神社上方
築城時期 永暦〜治承年間
築城者 原田種直
主な城主 少弐景資(弘安年間1278〜1288))
現存する遺構 本丸等各曲輪・堀切・出丸(高津神社)
三号的評価 未調査

説明 

  岩門城は戦国時代、大内氏が攻略するまで少弐一族が守っていた城で原田氏が統治した記録は残されていない。しかし、築城者が中興の祖である原田種直で、筑前を拠点として初めて築いた城であるので、あえて紹介させて頂きたい。平治の乱で戦功のあった原田種直は従五位下太宰少弐に任じられ大宰府を守る事となる。平清盛は当時、博多を拠点に日宋貿易を行い n、その財力で実権を掴んでいった過程からも、原田種直をかなり重用していたと考えられる。原田種直は大宰府や博多から近い岩戸に館を築き、その際に築城したものと考えられる。その後、平家は壇ノ浦で殲滅し、平家方だった原田種直は文治元年(1185年)に岩戸の領地を没収され、建久八年(1197年)に伊都の高祖へ移ることとなる。その後、太宰少弐に任ぜられた武藤氏が少弐と名を改め、筑前の守護職を歴任していく。

  元寇(文永・弘安の役)で活躍した少弐景資は、従軍もせず幕府に重用される兄・少弐経資と不和となり、さらに鎌倉幕府に対して不満を募らせる。その行為を謀反の兆しと受け取った幕府は、少弐経資に少弐景資の討伐を命じる。弘安八年(1285年)11月に岩門城は包囲され、少弐景資は自害して果てる。永正年間(1504年〜1521年)に大内氏により攻略された後は一時廃城となる。

  天正七年(1579年)に早良安楽平城が落城した後に、一度だけ岩門城を攻めた岩戸合戦(1582年)では立花家に破れているが、やはり先祖の土地を取り返そうとの思いがあったのではないだろうか。