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製作期間:2004年8月〜2005年6月
2007年8月〜2007年9月

キット : スクラッチビルト
縮尺 : 1/100(全長:480mm、全高:310mm、全幅:260mm)
図面 : スクラッチビルトなので自分で作りました。「ベネチアのガレー船の設計図」に示します。進行状況に応じて追加する方法で進めています。
参考文献:
1) Joseph Wheatley and Stephen Howarth:Historic Sail (The Glory of the Sailing Ship from the 13th to the 19th Century) (2000) Greenhill Books and Stackpole Books
2) John Francis Guilmartin, Jr.:Gunpowder & Galleys (2003) Conway Maritime Press
3) アンドレ・ジスペール/ルネ・ビュレル著 深沢克己監修 遠藤ゆかり/塩見明子翻訳:地中海の覇者ガレー船 地の再発見双書88 (1999)創元社
4) Lillian Ray Martin: The Art and Archaeology of Venetian Ships and Boats (2001) Texas A & M University Press
5) ジャン・マルテーユ著 木崎喜代治訳:ガレー船徒刑囚の回想 (1996) 岩波文庫
6) 塩野七生:レパントの海戦 (1987) 新潮社
7) John Francis Guilmartin, Jr.:Galleons and Galleys (2002) Cassell & Co
8) Brian Lavery:The Arming and Fitting of English Ships of War 1600-1815 (2000) Conway Maritime Press
9) Angus Konstam, illustrated by Tony Bryan:Renaissance War Galley 1470-1590, New Vangard 62 (2002) Osprey Publishing Ltd.
10) Jack Beeching:The Galleys at Lepanto (1983) Charles Scribner's Sons
11) Robert Gardiner (Editor): The Age of the Galley (2004) Conway Maritime Press

船歴
1571年10月7日、史上最大にして最後のガレー船同士の海戦が行われた。場所はギリシャ本土とペロポンネソス半島に囲まれたパトラス湾の出口。かの有名なレパントの海戦である。キリスト教神聖同盟軍の艦隊とトルコ艦隊両軍合わせて500隻以上のガレー船が戦ったが、キリスト教艦隊が圧勝した2)
この海戦で使われたキリスト教艦隊のガレー船の約半数はベネチア共和国国営造船所で建造されており、この船はその一隻である。 建造は1570年。レパントの海戦では、ベネチア共和国海軍参謀長アゴスティーノ・バルバリーゴ(Agostin Barbarigo)指揮する左翼に属し、奮戦するも焼失沈没した。----ということにしておきます。

2007年9月16日
改良
Venetian_war_galley

製作経緯

ガレー船を一度作ってみたくて、いろいろ資料を集めていたが、なかなかはっきりした事がわからない。
ガレー船の歴史は非常に古く、紀元前から使われていたにしては、寸法の不正確な絵画や彫刻だけで模型の基礎に出来るようなものがほとんどない。
最初は、ローマ帝国のガレー船を考えていたのだが、資料がまったく入手できないので、時代を下ってレパントの海戦当時のベネチアの船にすることにした。

2004年8月初旬建造開始。初めてスクラッチビルトで作ることにした。

8月下旬、早くも船体外板張りを終了した。一重張りにしたことと船体が小さいため進行は非常に早い。
参考文献2のp87にある記述によれば、先端のいわゆる「衝角」は、本当は衝突して敵船を沈めるものではなく、体当たりして敵船に乗り込むための橋の役割を果たすものだとのこと。

9月中旬、中央通路の製作と甲板張りを完了した。さらに、24組の漕座を作り、舵も取り付けた。

10月、アポスティを取り付けた。それから、アポスティに沿うギャングウエイを製作した。

11月から12月にかけて、アポスティに沿う盾と船尾楼甲板を覆う格子状の覆いを作った。盾は朱色にペイントし金色の模様を描いた。
ついでに、主砲後座量の検討で記したように、後座量1mを可能にするために中央通路の先端を5mm削って、スライドできる長さを拡大し、大砲を配置した。 その上に、船首に戦闘用プラットフォームを取り付けた。

2004年最後の作業として、ボートを作った。作り方は、メモ5に示した。

2005年に入ってマストの製作を始めたのだが、2月になって重要な点に間違いがあることが分かった。錨の置き場所がどこなのか良く分からないまま作っていたのだが、イタリアのMarcoから、「大砲とアポスティの間のスペースに置く」という情報をもらった。私の手持ちの資料では、錨が描かれているのは参考文献7の180-181ページにあるHendrik Vroomが描いた1596年のCadizの戦闘を描いた絵と見返しにあるレパントの海戦を描いた絵だけだのだが、それらにも同じような場所に置かれている。
どうしようかかなり迷ったが、やむなく、せっかく作った戦闘用プラットフォームを取り外し、メモ4に記したように大砲を中央に集めなおしてスペースを作ることにした。

3月になってヤードを完成した。リギングに関する情報は非常に少ないので、かなりの部分は想像に拠っている。

その後、オールの製作を始めた。本数が多いので手間取ったが5月になってやっと144本のオールの装着を完了した。
出来上がってみるとまるで百足のようである。

6月初め、帆をとりつけた。材料には紅茶で薄く染めたワイシャツの布を使った。旗は紙製であるが、複雑なライオンの図柄は"Flag of the World"の図をコピーして左右反転し、インクジェットプリンターで両面に印刷して作った。
そして、6月下旬、ヤードの先端にレパントの海戦時左翼に位置したベネチア軍の識別符号である黄色のペナント10)を取り付けてついに完成した。

2007年9月、あまりに小さいので省略していた8門のスイベルガンを作成し船尾楼甲板とその付近に取り付けた。ついでに、帆や天蓋、ペナントを布で作り直した。


メモ

1) rudder

イタリア海軍少将Luigi Fincatiが1881年に作らせ、現在、ベニスのMuseo Strico Naveleに展示されているという模型1),2)を一番頼りにしているのだが、この舵の取り付け方がおかしい。右図に示すように、舵は2個のヒンジAとBで船体に固定されているのだが、その回転軸のaとbが一直線上にない。これでは舵は動かない。
だから、これは完全なミスだと信じていたのだがイタリアのMarco Brancaleon氏から、これが正しいのだと指摘された。
彼とかなり議論した結果、当時のヒンジの結合部は非常にゆるく作られており、軸がずれていても動くようになっていたこと、それだと舵が外れて落ちる可能性があるが、その防止のためか、下側のヒンジの軸(シャフト)がかなり長く作られていたことが分かった。
したがって、この当時このような不思議なヒンジのつけ方が本当にされていたと結論することになった。
私の模型も下に示すようにFincatiのモデルと同じ形に改造した。

my rudder ところが、その後困ったことが分かった。参考資料4のp162-166に「このように船尾の形状に沿って曲がった舵は壊れやすいため15世紀にしか使われておらず、16世紀以降は直線的な舵が使われていた。」と言う記述があり、 参考資料11のp151には「直線的な舵(alla ponentina)は17世紀から導入された。」という記述があるのを見つけた。
といったわけなので、今のところ、16世紀後半にこのような曲がった舵が使われていたのかどうか良く分からないというのが結論である。

2) La Battaglia di Lepanto

ガレー船はオールを使う。このオールの数がどうなっていたかは重要な問題である。
Andrea Michelli (別名Andrea Vicentino)の描く "La Battaglia di Lepanto"の中央に朱色のガレー船が描かれている3),6)。右にその部分を示すが、この船の旗はベネチアのライオンであり船尾にいる人物の顔は紛れもなくベネチア海軍司令官のSebastian Venierである3)。したがって、この船はベネチアの指揮官用大型ガレー船のはずなのだが、オールの数は数えてみると片舷27本である。
当時のtriremeは1つの座席に3人が座り、それぞれ1本ずつのオールを使うalla sensile方式が採用されていたが、この方式は3人が完全に同調して漕ぐ必要があり、技術的に難しい。特に奴隷や捕虜を漕ぎ手に使う場合は この方式では問題があった。そこで、16世紀中ごろから一本のオールを3人で漕ぐa scaloccio(alla scaloccio)という方式が採用されるようになった。ただ、a scaloccioは操作は簡単になったが、ダッシュスピードは遅くなった。 そこで、ベネチアだけは漕ぎ手が自由民であったため十分な訓練が出来たから、alla sensile方式のままであったとされている2)
さらに、当時の地中海におけるガレー船の座席数は通常片舷24であったそうだから、片舷で72本のオールが使われていたはずである。
指揮官用はやや大型だったそうだから27座席であるのはそんなに不思議ではないがa scaloccioになっているのは不思議である。
これをどう考えたらよいのだろうか?

かなり長いこと疑問に思っていたのだが、2005年3月に参考文献9を入手して疑問が解けた。その17ページに「ベネチアでも指揮官用の大型のガレー船は1550年から1560年に掛けてa scaloccioに換わっていた」と書かれている。

3)

fogonガレー船には厨房fogonが漕座の間にある。参考文献2のp160とp161の間にある2枚の写真ではいずれも右舷にある。最初これが正しいと考えて右舷の甲板に穴を開けたが、参考文献7を入手して読んでみると、左舷だと書いてある。同じ著者の本が逆の位置を示しているので、本人(オハイオ州立大学の歴史学の教授 John Francis Guilmartin, Jr.博士)に問い合わせしてみたところ「やはり左舷が正しい。写真は出版時に裏焼きされたと思われる。」という返事が来た。
また、参考文献3のp109にある図も左舷になっている。
そこで、やむなくせっかくあけた穴をふさいで左舷に作り直した。
ただし、甲板に穴を開けるのは正しくないようで、本当は漕座に吊るされたような形になっていたらしい。そこで、穴をふさぎ写真のような形に作り直した。

4)

my_gun_arrangement レパントの海戦当時のベネチアのガレー船では、船首部に大砲5門を集中している。中央に重さ5,500ポンドの52-55 pdr cannone、その両側に2門の12 pdr aspidiがありその重さは合わせて1,200ポンドである。さらに、その両側には5-6 pdr falconettiが配置されており、その重さは合わせて900ポンドである。したがって、その総重量は7,600ポンド(約3.4トン)になる。この重量によるトリムの変化についてはトリム変化の計算に示した。

ところで、cannoneの長さは約4.2m、aspidiは2m2)、falconettiは1.6m8)である。
これらの砲がすべて船首甲板上に並んだら、きわめて窮屈な状態になることが予想される。
そこで、2004年10月、cannoneを除く4門の砲は写真のようにアポスティまで延びる甲板を作ってそこに載せることにした。

modified_gun_arrangementところが、2005年2月になって、この配置では錨の置き場所がないことに気がついた。そのため、せっかく作った戦闘用プラットフォームを取り外し、大砲の配置を下の写真のように修正するはめになった。
両側に置かれた錨は真鍮線と紙で作り、黒色塗装した。

なお、錨は普通の帆船ではキャットヘッドに吊るされており、ガレー船でもおよそ百年ぐらい後になるとキャットヘッドに吊るされていたらしい。しかし、レパントの海戦当時の一本マストのガレー船にキャットヘッドが有ったと考えるのは疑問である。
当時のガレー船を描いた絵には殆どキャットヘッドは描かれていない。私が知る限り唯一の例外は参考文献7の見返しにあるレパントの海戦を描いたと言われる絵で、これには少なくとも2隻のガレー船にキャットヘッドの様な突起物がある。ところが、これらの船の錨も、いずれも大砲の横に置かれておりキャットヘッドらしき物には繋がれていない。これがキャットヘッドだとすると理屈に合わない。どうも間違いのように思われるので、この模型にはキャットヘッドは装備しないことにした。

5)

skiff ボートの長さはわずか2.5cmしかない。とても木材では作れそうもないので板に名刺を短冊状に切ったものを使った。
最初、ビクトリーのボートと同じように、写真の左側に示すプラグを作りこれに貼り付けて船体を作ってからプラグを抜き取るという方法を考えたのだが、この小ささだとこの方法でも無理だった。そこで結局、手で形を整えながら外板を張って船体を作り、、その後、内側にリブを貼って完成した。塗装にはプラモデル用のアクリル塗料を使った。


過去の状況:

過去の状況を少し詳しく別のページに示してあります。下のボタンをクリックしてご覧ください。
着工から前回更新分まで

拡大写真 :

各部分の拡大写真を別のページにまとめました。下のボタンをクリックしてご覧ください。

油絵:

この模型を使ってベネチア艦隊出撃の図を作ってみました。下のボタンをクリックしてご覧ください。

挿絵:

この模型の写真が、ケンブリッジ大学の Roger W. Schmenner 教授が書いた本「Getting and Staying Productive」に、挿絵として使われました。下のボタンをクリックしてご覧ください。