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ベネチアのガレー船製作経緯
着工から

日付 状態 備考
2004/8/15
2004.08.15キールとフレーム
ガレー船を一度作ってみたくて、いろいろ資料を集めていたが、なかなかはっきりした事がわからない。
ガレー船の歴史は非常に古く、紀元前から使われていたにしては、寸法の不正確な絵画や彫刻だけで模型の基礎に出来るようなものがほとんどない。
最初は、あの「からす」を搭載したローマ帝国のガレー船を考えていたのだが、資料がまったく入手できないので、時代を下ってレパントの海戦当時のベネチアの船にすることにした。
当時のベネチアの軍船には非常に大型のガレアス船、指令官用の朱色に塗られたやや大型のガレー船、通常の戦闘用の細身のガレー船の三種類があった6)。この朱色のガレー船にバルバリーゴが乗船していたのだけれど、この船は塩野七生氏の本では三本のマストを持つと書かれている。ところが、デュカーレ宮殿にあるアンドレア・ミケーリ(アンドレア・ビセンチノとも呼ばれるが、生きていたのは1538年から1617年までで、完全に同時代の人)の絵3),6)には一本のマストしか描かれていない。どっちが正しいのか分からないので、これはやめにして一本マストの戦闘用ガレー船を作ることにした。

初めてのスクラッチビルトなので、どうなるか先行きが心配である。
2004/8/26
2004.08.26船体外板張り
早くも船体外板張りを終了した。一重張りにしたことと船体が小さいため進行は非常に早い。
参考文献2のp87にある記述によれば、先端のいわゆる「衝角」3)は、本当は衝突して敵船を沈めるものではなく、体当たりして敵船に乗り込むための橋(要するに、ローマのガレー船の「からす」と同じ)の役割を果たすものだとのこと。それが証拠に、水面より上にあるから、確かにこれで敵船に穴を開けて沈めることは出来ない。
(ギリシャのガレー船は本当の衝角で水面下にある。)
2004/9/16
2004.09.16中央通路と甲板
中央通路の製作と甲板張りを完了した。右舷中央にある穴は台所用の穴。 後で、John Francis Guilmartin, Jr.教授に問い合わせて判明したのだがこの穴の位置は本来左舷にある。そのいきさつはメモ3に記した。
2004/9/20
2004.09.20プープデッキ
プープデッキを完成した。
この甲板は傾斜しておりその高さは中央通路と同じである(参考文献7 p113)。さらに、先に作った厨房用の穴が本来は左舷にあることが判明したため、位置を修正した。

この段階で甲板に厨房用の穴を開けてしまったのだが、どうも厨房は甲板上(ひょっとすると漕座の上)に作られていたようで、どうも穴を開けるのは正しくないらしいことが暫くしてから分かった。
2004/10/01
2004.10.01漕座
漕座を完成した。
24組の漕座を作り、舵も取り付けた。なお、右舷中央部の漕座のない所は小型のボート(skiff)が搭載されるスペースである。
2004/10/29
2004.10.29通路
アポスティに沿うギャングウエイを製作した。

兵士の約半数(50人程度)はこの通路上のオールの隙間に座り込む形で乗る。オールが一座席あたり一本のa scaloccioならスペースは何とか取れるが3本のalla sensileでは最大50cm程度となりかなり狭苦しくなると思われる。本当に通路がここにあったのかどうか、はなはだ疑問である。これを解決する方法はオールを覆うようにもう一段上にギャングウエイを作る方法が考えられるが、ここではFincatiの模型を尊重してアポスティの高さに作った。
2004/11/23
2004.11.23側面の盾とプープデッキ上の格子状の覆い
アポスティに沿う盾の部分(まだ、枠だけ)と船尾楼甲板を覆う格子状の覆いを作った。
この部分は1mm角の真鍮の棒を使った。

ついでに、主砲後座量の検討で記したように、後座量1mを可能にするために中央通路の先端を5mm削って、スライドできる長さを拡大した。
2004/12/05
2004.12.16大砲
盾の板を貼り、塗装し、さらに大砲を配置した。
大砲の配置に関する検討結果はメモ4に記した。
2004/12/16
2004.12.16戦闘用プラットフォーム
船首に戦闘用プラットフォームを取り付けた。
ガレー船の大砲の上には兵士が乗る戦闘用プラットフォームがある。ただし、参考資料2のp223の記述によると、当時のベネチアのガレー船の戦闘用プラットフォームは、他国のものとは違って、作り付けではなく、いわば組み立て式のようなものであったらしい。すなわち、肩の高さの柱の上に船体方向に伸びる4本の梁が載せられ、その上に梁と直角になるように板が敷かれていた。この梁は後方が前方よりやや高くなっているため、プラットフォームは前傾した形となっていた。さらに、主砲の上には板は敷かれておらず、砲手が砲煙に悩まされるようなことがないようになっていた。---とのことである。
実際にこの記述にしたがって作成してみたのだが、前方に傾斜した形は実用的かもしれないがあまり格好の良いものではない。
2004/12/26
2004.12.26ボート
2004年最後の作業として、ボートを作った。
作り方は、メモ5に示した。
2005/1/25
2005.1.25マスト
2005年に入ってマストの製作を始めたのだが、このシュラウドの固定方法が良く分からない。ここではアポスティに固定することにした。
また、参考文献4にシュラウドの本数が非常に多かった(片側13から14本に達する場合もあった)という記述があるのだが、そんなにたくさんのシュラウドを使った絵はないので片側6本とした。なお、ラティーンセイル用のマストのシュラウドは帆の向きを変えるときに緩めたり取り外したりする4)ので、横帆船の場合とは少々構造が異なる。
2005/2/12
2005.2.12大砲配置のやり直し
2月になって重要な点に間違いがあることが分かった。錨の置き場所がどこなのか良く分からないまま作っていたのだが、イタリアのMarco Brancaleon氏から、「大砲とアポスティの間のスペースに置く」という情報をもらった。私の手持ちの資料では、錨が描かれているのは参考文献7の180-181ページにあるHendrik Vroomが描いた1596年のCadizの戦闘を描いた絵と見返しにあるレパントの海戦を描いた絵だけだのだが、それらにも同じような場所に置かれている。
どうしようかかなり迷ったが、やむなく、せっかく作った戦闘用プラットフォームを取り外し、メモ4に記したごとく、大砲を中央に集めなおしてスペースを作ることにした。
2005/2/26
2005.2.26錨
錨を作って大砲の横に載せた。なお、当時のガレー船を描いた絵画にはキャットヘッドはほとんど描かれていないので、この船にも装備しないことにした。
2005/3/27
2005.3.27ヤード
3月になってヤードを完成した。
ヤードをシュラウドの内側にするか外側にするかでかなり迷った。当時の絵にも両方の状態があるが、レパントの海戦で戦闘状態にある船は内側にあるものがほとんどである。しかし、帆走している時は外側にあるだろうし、戦闘が始まって畳んだとしても、シュラウドをはずしてわざわざヤードを内側に移動する暇などないと考えて、外側にすることにした。
リギングに関する情報は非常に少ないので、かなりの部分は想像に拠っている。
2005/4/21
2005.4.21オール39本
その後、オールの製作を始めたが、全部で144本もあるので完了までにはかなり時間がかかりそうである。4月21日現在、取り付けたのはやっと39本である。
漕座ごとに3本のオールが装備されているが、それぞれの長さが異なり、一番外側に座っている漕ぎ手が使うオールが一番短い。帆を張らない形にしたからにはオールが水中にあって漕いでいる形にしないとおかしい。その場合、一番短いオールは一番水中に深く入るはずなので、オールの先端の高さを変えて固定するための治具を作った。
2005/5/8
2005.5.8オール完了
やっと144本すべてのオールが完成した。
出来上がってみるとまるで百足のようである。
2005/6/3
2005.6.3帆と旗
6月初め、帆をとりつけた。
材料には紅茶で薄く染めたワイシャツの布を使った。
旗は紙製であるが、複雑なライオンの図柄は"Flag of the World"の図をコピーして左右反転し、インクジェットプリンターで両面に印刷して作った。
2005/6/19
2005.6.19完成
6月下旬、ヤードの先端にレパントの海戦時左翼に位置したベネチア軍の識別符号である黄色のペナント10)を取り付けてついに完成した。