本年最終の供養会

 

 新年号「令和」も五ヶ月に入りました。この二年程前から騒然とした上皇御発言を経て、全く静かになり、秋に行われる大嘗祭の後は全てが平成を引き継いだ令和の世になります。思えば、秋の新嘗祭は毎年行われますが、大嘗祭は天皇即位後一代一回のみ、この行事が二千年も続いて来た事を思いますと、その歴史と関わって来た人達の並々ならぬ努力と想いに改めて感動致し驚きを覚えます。

歴史家をはじめとして多くの方が、その歴史の経緯や信憑性を語ります。然し、一般のどの家庭でも様々の紆余曲折があり、そして家系が繋がっている物であります。私共は国を守る神を祀り、一日も欠かす事なく祈られる皇室云々を申す前に、自らのすべき事をきちんと致し、神々、また御先祖に護って戴いている人生に恥じない日々を重ねて行きたいと思います。

 今月九月二十三日は本年最後の各家御先祖代々諸霊の御供養を謹んで執り行います。島津家はもとより、永年御供養を承っている方々、また当日お集りの方や御遠方の真摯な想いの方々の為に有縁・無縁も全て本年最後の特別な御供養を奉上致します。この二・三年の落ち着かなかった日々、天災地災の多かった年、全てに深い想いを込めて御供養を申し上げ、祈りあげましょう。

 春、盆、秋の御供養、また特別に御供養を致します場合、私は弟子達の助法と共に理趣経を以て献経申し上げます。既に私共に御縁を得られた方は御存知の様に、その昔、比叡山の開祖最澄は弘法大師空海に理趣経の貸与を願いました。然し、空海は断固としてそれを拒否し、秘伝としたのであります。真言宗には幾つかの派がありますが、理趣経に関しましては各派毎に伝え方も詠み方も節も微妙に異なります。御存知の様に私は生来鋭過ぎる特殊体質に悩まされる事も多く、成人に達する頃から何とかせねばと方法を探し、道を求めて修行の道に入りました。大学での西洋的な学問で身体と云うものを知り、名刹での読経や山籠もり、瀧修行、古人の書等々、今考えますと狂気じみた修行を連日長年行いましたが、その結果得られたのは、求めたのとは違い更に能力が高まった事とその使い方でした。そして現在の仕事をさせて戴く事に繋がりました。ただ、様々の行は私を強靭にし、心を広くしてくれ、常に冷静さを保つ事を身につける事が出来ました。そのお陰で諸々の判断を冷静に予断なく行える様になったと考えています。修行過程で出会ったのが真言宗智山派の理趣経でありました。加えて、自分が得て来た力を心を籠めて諸霊をお呼びし、共に伝える人達と祈らせて戴きます。

 数十年前、両親と共に訪れたグアム・サイパン・パラオで過した夜、夜中に「ザ・ザ・ザ」と聞こえる軍靴の音がありました。日本兵達の行進の時の音です。翌朝、海辺に線香を立て祈った思い出は今でも残っています。本年の旧盆供養会に於て、数年前から行っていますが、神道による英霊の御魂の慰霊を行い、続けて理趣経により御供養しました。戦地に散った方々の御魂が沢山応えてくれ御供養を受けてくれました。感覚のある人は、御魂の感謝を伝え、感涙にむせび泣いた者もおります。内弟子達の心身共の修行も進み、耐え得る度量と力量を身につけた事が、慰霊や御供養の助けにもなりました。

 今年の秋彼岸供養会、同じく理趣経を以て御供養申し上げます。御一緒に心を籠めてお参り下さい。

普段から申し上げています様に、日々、その日その日を精一杯、明るく楽しく過す事が人生を幸せにして行きます。神や仏、御先祖に対する祈りで心と身体を鎮め、日常は積極的に楽しく過す事を心がけて下さい。

今月は九月ですから、以前から何度も申し上げておりますが、この時期に新しい事を始めると云うのは避けて戴くのが良いと思います。事業でも結婚でも、九月を避けて戴くのが最善です。折角念願の新居を建てられたのに、病気がちになったり、一日も住む事なく急逝なさったと云う例もあります。順調に行く筈だった事業が、突然取引先の不振に巻き込まれて不渡りを出して仕舞って倒産した、等々、九月スタートは様々なネガティブな事に繋がる可能性が非常に高いです。どうしても、九月でなければならないと云う場合は、禊や祓いを念入りに行い、氏神はじめ、神仏の祈りを持って対処するしかありませんが、普段から氏神に対する拝礼等を行っていないと意味がありません。氏神はその土地を守り管理する神でありますから、その土地に住う者や仕事する者を守ります。普段から礼節を以て接していれば、それだけ守護もして戴けます。人としての古来から伝わる儀礼、礼儀として、御先祖と共に氏神に対しても礼節を以て拝礼されるのが大切です。