2009年7月2日

昨年の8月に ヒストリーチャンネルのポスト人類を紹介したけど その続きだよん。

そのとき 書いたのは以下

「人類が突然いなくなったとしたら、この地球はどう変わるのか。 今年1月、科学者たちの予測をもとに、米国のテレビ局、ヒストリー・チャンネルが「ポスト人類」の世界を描いた。 人類消滅から6カ月後、都市近郊にオオカミの仲間や山猫が入り込み、我がもの顔で歩き廻る。 5年後には都市部の大半がツタや樹木で覆われる。 200年後にはニューヨークの摩天楼もパリのエッフェル塔も崩れ去る。 千年後には近代都市は跡形をとどめず、 原始のような美しい森と小川が戻る」

今回 アンコールワット周辺で その自然の凄まじさを 垣間見た気がする。

アンコールワット、 アンコールトム およびその周辺の遺跡が建設されたのは約は九百〜八百年前。 その後の王朝の人為的破壊とそれに勝る自然崩壊が起こったが 5百年前に一度 ときの王朝に大規模修復される。 しかし その後のアンコール王朝の衰退とともに 再び遺跡は自然崩壊の一途をたどり ジャングルに埋没していった。 だが、 140年前、 あるフランス人により再発見され そのおぼろげなる姿が歴史に再び現れた。 現在は 世界中からの援助で修復が続けられているが、 遺跡が数多くあるので 人工修復が 自然崩壊に追いついていない。 

写真はその一部。

ながーい年月の間の風雨、地震 による崩壊もあるだろうが、 積極的に(?)に 地球を浄化しようとしているのは樹木である。 木々が遺跡の割れ目に入り込み そこで成長を続け 隙間を広げ 崩れ落とす。 人類は それに対抗して 成長した巨木を切り倒し、 これ以上の崩壊を食い止めようする。 切断されただけでは木々は死なない。 根がある限り ほんと根こそぎ 人工物を消滅させようとする。

このまま 人類が手を加えないでいると 二、三百年後には この世界遺産は形跡をとどめず 再び森林のなかに埋没する。 そして 原始の美しい大地が蘇る。
 

あんな昔にあんなものを創造する人間もすごい。 それを壊して元に戻そうとする自然もすごい。
 

コスタリカ パナマ タイ カンボジア あたりより 日本に戻ってきました。 今回は しばらく 滞在することになりそうなので 時間ある人、 飯でもビールでも 声かけてちょうだい。


ところで 去年の今日 50歳の誕生日を迎えて 自分の目標がどこまで 出来ているのか考えて まだまだだと 言って じゃー この一年 どうだったか また考えて やっぱり 寛大になれてないなあ と 思ってしまって ほんなら 今日から また 一年 やってやろうと思って でも どうすれば できるのか と 考えてみると 最悪の状況に自分を陥れるしかないと 結論が出してしまったぜ。

最悪は言い過ぎかもしれんけど 逆に 今の自分を取り巻く環境が いまより良くなると 絶対にそれは 達成できないのだ。 同じでは 自分の成長は望めない。 人間は弱い生き物だから すぐ 環境に甘えてしまう。 より悪い環境に身を置くと そこから戻ってきたとき いまの環境がバラ色にみえる。 と なると 成功。 この環境に なにも文句はなくなり 愚痴もなくなり 寛大になれる。 かな? 

ということで また違う世界に 入っていくのだ。

と 自分が また どっかの国に ふらふら 行ってしまうことを 正当化 しだした。

いいよ、 正当化して。 清貧なら許そう。 OK。  いよいよ なるよ。 次回を おたのしみに。
 

 

2009年10月24日

先日まで、東アフリカを バイトで、ぶらぶらしていました。

ある夕暮れ、 ケニアの田舎町のホテルのバー、 電気はあるが薄暗い。 5人座ればいっぱいのカウンターで ひとりビールを飲んでいた。 まだ 早い時間なのか 客は自分だけ。 カウンターの中には バーテンひとり。

1時間ぐらいしたころか、 老紳士が入ってきて 隣の隣のカウンター席に座る。 お互い目が会い 眼でほほ笑む。 老紳士、 ウイスキーのオーダーをする。 バーテン にっこり頷き、 そのウイスキーを棚から 取ろうとするが、 その瓶は 棚の上の方。 

バーテンダー 今、気づいたが 背が低い、 背伸びをして 何回か、 取ろうとするが 届かない。 バーテン 老紳士の方を 振り向き、 スワヒリ語で なにやら 言った。

その時、老紳士 かなりあわてた様子で カウンターの中に入り、 気付かずに申し訳なかったと 恐縮した感じで、 自分でそのウイスキーを取って バーテンに手渡した。   

バーテンダー、 一言も発せず ウイスキーをグラスに注ぎ、 老紳士に差し出す。

ただ これだけの光景。 いいなあ と 思った。 


客と対等の立場、 というより 人として なんの隔たりもない。


日本では 神様であるお客に こんなことは させないだろう。 客も 金を払うなら サービスを受けるのが 当然と凝り固まっているだろう。

世界では 客は 神じゃないよ。 その 文化を持って出ると 海外では 腹を立てることが 多くなるよ。  実際 ホテルでも レストランでも ここは サービスが なってないとか、 従業員の態度が でかいとか ご立腹の日本の方 よくみかけるし。

いや、 日本国内でも そういう 大人は みかけるか。


 
今 まだ 次の職を求めながら 世界をバイト中。 来週からは 地球の歩き方の取材で 台湾に 約一か月ほどいます。 誰か そのころ 来る人いるかなあ。
 

 

2010年1月13日

昨年から パナマにいます。 台湾から 日本経由流れてきました。
日本は寒いので 中米諸国を廻りつつ 春になってから 戻るつもりです。

この国では 自分は必ずフィリピーナと間違われます。

なぜか、 この国はパナマ運河があって すごい数の船がやってきます。 そして やっぱし 船員は 昔も今も フィリピン人が 多いのです。 だから 彼らの仲間と思われています。

なぜに フィリピン人とそっくりさんなのでしょう。
自分は ホントは 太古の昔(数万年前)からの生粋の日本人(縄文人)なのに、 最近(二千数百年前)朝鮮半島から渡ってきた中国大陸の人たちに 席巻され 日本のはしっこに 追いやれてしまいました。

合田姓は先祖代々 高知です、 四国のはしっこに追いやられました。 北の端まで追われたのが 今のアイヌ人たちで 南の端まで追いつめられたのは琉球人です。 仲間の縄文人たちは それまで日本列島で狩猟採集生活しており縄文式文化を育て上げていたけど 大陸からの弥生人は稲作という武器をもって 日本列島を乗っ取り、弥生式文化を築きあげました。 

まあ それから 混血がすすんで 今の日本人が出来上がったんだけど もと縄文人は 概して色が黒く ちょっと顔の彫が深いです。(アイヌとか沖縄の人を見てもわかるように) そして最大の特徴は 耳垢が湿っています。 東南アジアの人々もそうなので、 縄文人ははるか昔 黒潮にのって海から 日本列島にやってきたのです。

わたしの耳垢は 濡れています。 弥生人は コロコロ 乾いています。 

美白ブーム(古い?)で 今や白くなってる人たちも 湿っていれば 縄文人でしょう。 みなさんは どっちなんでしょうか? 

この国でアバターを3回見ました。 あのような光景が、武器は違いますが、 当時の日本では 起こったのでしょう。 縄文人は かなり殺戮されたという説もありますから。

最近のボランティア生活はずっと少数民族のインディオ(中南米の先住民) に かかわっているので あの映画は涙なしには 見れないなあ。 英語で見たときナヴィ族は クラン(CLAN)って言ったけど スペイン語で見たとき まさに インディヘナ(INDIJENA) って言ってた。 日本語では なんて翻訳してるんだろう。

あけましておめでとうございます。 ことしも よろしくおねがいします。

 

2010年4月7日


先月末 日本に帰ってきました。 だけどなー、 やっぱり寒いし、 来週末にはタイ・カンボジアに行くことにしました。 

いつものことながら 短い日本滞在で 老若男女を問わず あちらこちらで人に会ってます。 初対面のマイミクさんたちもね。

一生 青い鳥を追い続けている自分の旅に悔いはなし、 なんて いいかっこができるわけでなく、 あのとき こうしておけば とか こう 考えておれば なんてことは 人生の中でよくあったのだ。  そんな自分が道しるべになれば若い旅人にとって いいかなあ と 思いながら会ってる。

で、今回 自分が話した中で 自分で はっ とするものがあった。

途上国で物乞いの子供たちに おかねをねだられたときに ごうださんは どうしますか? って 聞かれたとき。

日本人は自分をも含めて 概してこういうときの対処がへたなので それがうまい外人さんのまねをしたよ、 最初は。

でも いまは 小銭があれば あげるようにしている。 昔は あげたり あげなかったり。 

あげても 解決にならないとか、 みんなが 集まってくるとか、 面倒とか、 などなどが あげなかった理由。

たとえば大勢、子供たちがいて ひとりにあげるとみんな集まってきて 収拾つかなくなって 体中 あちこち ひっぱられて 大声で なんか要求されたり こっちが悲鳴をあげそうになり その場から逃げるのに必死なんてことも よくあったし。

でも 最近は そんな状態になっても 余裕をもって楽しんでる。

むかしは そうなりたいって意識的に努力していたなって。 でも 知らないうちに できてた。

はっ と した。 できるように なってたって。

別にこの件が いいたいのじゃなくて、 

自分でこうあるべきとか こうありたいと 思い 努力するものは、 いつか それが 自然にそうなれるんだと。

みんな そうだと 思うよ、 高望みでも なんでも こうありたい と 意識してちょうだい。 

最初は簡単にできないかもしれないけど その理想の自分を演じてください。 

それが いつか 自然と ほんとの自分になってるから。

 

2010年7月18日

タイに来て3か月経過、
その間 ラオスとカンボジアに1か月くらい 行ったけどね。

で、 タイの治安は 大丈夫ですかって メールが来ます。

来た頃はバンコクでデモ隊が騒いでいたけど、 今は解散して平和になってるよ。 ほんとは 騒いでいたころも平和だった。 バンコクのごく一部で騒いでいただけ。 平和の主観がそれぞれ人によって違うので 細かい議論は避ける。

今 タイのチェンマイでタイ式マッサージの学校に通ってます。

で、 いつも自由で、やりたいことして うらやましいとかの メールも来ます。

でも 「あなたも やりたいこと すれば いいじゃん」 って 簡単には返事はしないよ。

今 やれないこと 知ってるからさ。

本当に やりたいことをするには できる時期があると思う。

たとえば よくある話で どっかの国に行きたい でも 時間がない、お金がない って 理由で行けない。 また 途上国なら あぶないから 行けないとか 自分で行こうと思っても まわりから危ないから といって 止められるなど。

でも それって 本当に行きたいのか?  

極端な話 時間がないなら 会社を辞めるとか 大学を休学すれば 時間はできるんだよ。 お金なんかも 親に借金するとか がむしゃらに働くとか 無理すれば お金はできるかも。 危ない国に行くなら それに対処できる自分を つくりあげれば 済むことかも。

でも そこまでして、行きたいか? って ことになると そうじゃない自分に気付く。

行きたいのに 行けないストレス。 でも 行くためにその障害を乗り越える ストレス。

どっちのストレスが 大きい?  行かないのは やっぱり 障害を克服するストレスが大きいと 自分で無意識のうちに 感じているから。

上記はただの一例です。

人は皆 なんやかや 言いながら 無意識にストレスの少ない方に いくもの。

やりたいことをするために、克服すべき事項が多ければ やれないんだよ。

で、 最初に戻る、 やりたいことが できるには 時期がある。

自分もそうだったけど そういう時期が来るまで やりたいことは やれなかったよ。

やりたいことを するために 克服すべき障害を乗り越えられる時期が 必ず来るんだよ。

その やりたいことの気持ちが でかければ でかいほど その障害を克服すべき ストレスは必然的に 小さくなります。 当然だよなあ、 やりたいことのほうが それを妨げる障害より 相対的にでかくなるんだから。

そうなんです、 やりたいことは ずっと 温めて 大きく 育てていきましょう。

それを妨げるものは どんどん小さくなってくるよ。 
 

 

2010年8月26日

この夏、日本にいったん戻ろうかと思ってたけど、 諸事情あり 来週、タイから西アフリカに行くことにしました。 仕事半分 プライベート半分です。 夏に帰りまーす とか 言ってた人には ごめんなさい。

「地球の歩き方」に西アフリカ編は 今はないのです。 かなり以前に刊行したらしいが 今は絶版。 行く人も少ないし 採算が合わないらしいので 仕方ないらしい。 でも 少数ながら 西アフリカへの旅人は いるのである。 だから 調査に行って 出版できたらなあと思ってる。 今回は事務所からは 経費も給与も出ないだろうけど ボランティア精神で行ってくる。 いくらぐらい かかるのかなあ、 それも調査のうち。 これがおしごと。

廻ろうと思ってるのは 以下の国々、 数か月かかると思う。

モーリタニア セネガル、シェラレオーネ、 ガンビア、コートジボアール、マリ、ブルキナファソ、ガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア、ニジェール・・・・

どこが現在 紛争地帯なのか、 そこに旅人が入れるのか、 どんな病気が蔓延してるのか そこにはどんな予防接種が必要か 砂漠での国境越えに 道や国境線はあるのか、 そこに入管事務所とかあるのか 道がなければ ラクダで移動か? ラクダの値段は? 等々 

ほかの地域では 味わえない旅の醍醐味とスリルがありそう。 今回はちゃんと帰ってくるつもりです。 自己紹介で サハラ砂漠横断が人生の最終章みたいに 書いてるけど それは もうすこし後です。 まだ やりたいことは 山ほどあるし。 と いいながら下見はします。 これがプライベート。 (すこしぐらいラクダでの移動も試みるけどね!!)

話は跳ぶ。 

自分は長らくこの世に出てきたのは偶然のたまものと思ってた。 生物学的に気の遠くなるような数のなかのたった一つの精子が また数ある卵子のひとつと受精して 自分は 産まれてきたんだけど これは自分の意志とは関係のないものと思っていた。 

違ったな。 

自分の意識はものごころついてから 始まるので そこからしか 覚えてないけど その前から 赤ん坊のころも 生きんとする意志の塊であったことが最近になって 思い出してきた。 そのころから 必死に生きようとしてた。 

いや、 それ以前の 精子の段階から 数億のライバルを蹴散らして この世にでたいという強い意識と これまた その精子を選んだ卵子の自らの意識も 併せて すべて この世に出たいという自分の強烈な意志があったのだ。
  

なので そんな簡単には死ねないよ。 天文学的な数のライバルを蹴散らして 誕生してきたんだから。

この世に生を受けたのではなく 自分の意志で出てきたんだよ、 

強烈な意志を持って。  

ただ、 覚えてないだけなのさ。


神温湯隆のサハラに死す を ちょうど10年前に書いてた。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/africadaisukida/0008.htm 
 

 

2010年11月26日

西アフリカから アラブ タイ と東に流されてきて 今は台湾。
さらに 東、 日本には 12月中旬ごろ 流れ着く予定。

西アフリカでの出来事

モーリタニアという国で 砂漠の道を オンボロ車(乗合タクシー)で マリとの国境を目指していた。 国境まで あと200kmぐらいのところから やたら 検問のポリスに 止められるようになった。 止められては パスポートを提示させられた。 もう30分おきぐらい。 いかげんにいやになってくる。

この国は当初から 道路に検問が多く外国人を よかれとは思っていない印象を受けている。

やっとのことで 国境近くの町に着いた。 しかし そこで 兵士が自分を待ち受けていて 兵舎に連行された。 そこで 説明を受けた(フランス語で)。 つたない理解力を総動員して わかったことは、 

その1) いままでの検問は すべて 自分を追跡調査されていたらしい。(このあたりは 外国人なんか まるっきり 通らないところなので 簡単にできるでしょう)しっかし いまどき コミュニストの国じゃあるまいし 一国の軍が 一旅人を 追跡するか!?!

その2) それと この町から国境まで わざわざ 送ってくれるらしい。(ラッキー!!)

その3) 2日前に ここの国境付近で アルカイダがフランス人 3人を誘拐したらしい、 それに 3か月前に 誘拐した外国人を射殺したらしい。(ゲゲ!!) よって モーリタニア軍とマリ軍の共同部隊が 国境付近に潜むアルカイダと現在 交戦しているらしい。(アルカイダの一部が 西アフリカに潜伏しているのは 知っていたけど)

なるほど、  なぜか 全員 ピリピリしているはずだ。

そこで 一瞬 考える、  通過するか、 引き返すか。

5秒後に あえて 通過しようと 決める。 

交戦してる場所は ドンパチ うるさいので離れていてもすぐわかるので 近づかなければ それでよし。 それ以外の場所で もし、拉致されて 身代金を払えと要求されたときは 関係者に迷惑になるので 必死で 逃げだせば いいやと 考える、 失敗しても 撃たれるだけだとか。 でも まあ それ以前に 簡単には つかまらないだろうと 楽観したり。 それらが 頭をよぎったのが 5秒。

その後 飛ぶように、 逃げるように、 隠れるように、 民間の車を乗り継ぎ、 国境を越え マリの首都を目指した。 

24時間後、 マリの首都 バマコに無事 到着。

そこで ネットで事実関係を調べたら ちょっと ちがうじゃん。

たしかに 2日前に誘拐されたのは 事実だったけど フランス人 3人じゃなく 5人じゃん。

それに 場所は マリとニジェールの国境付近でのことで マリとモーリタニアとの国境とは かなり はなれてるじゃん。


自分は ラッキー(偶然)だったのか、 拉致された人々は それが運命(必然)だったのか?

しばし、 考える。  

運命とはあるのか?  

運命(未来でもいい)は 変えられるのか?

未来も運命も 自分の力で いくらでも 変えられるのである。 

そんなことは みんな わかっているけど、 じゃー 過去は? 

過ぎ去ったことを 変えるのは 無理。

と 思うだろう?  実は 過去も 変えることが できるのだ。


今の自分を 変えていくと 過去も 変わっていくのだ。


ある人の体験 大学の時 彼女との間に にがいにがい思い出すのも いやなぐらいの 思い出が あった。 人間不信に陥って 3日ほど 食事がのどを通らなかった。 

でも、 いろいろな経験をして、いろんな決断もしたりしてると 人間、心臓に毛も生えてくるし、 なにものかに感謝する心も 芽生えてくる。 そして 考え方も変わってきて 昔 あのとき 抱いた感情は 本当に そうだったのか と、 改めて 考えだすものである。

相手のことも もっと考えていくと あの感情は 自分本位の ものでなかったとか? とか 原因も自分にあったのではないか? とか いろんなことに気付くのだ。


そして はっとする。  彼女の ほんとうの 気持ちを。 若い時にわからなったことが。


やがて 苦い失恋は うつくしい(????)想い出に 変わっていく。

過去は 変わったと 言えないか?  

未来と同じよう 自分の力によって 過去も変えることができる と 思わないか?