2009年7月2日
2009年10月24日
2010年1月13日
昨年から パナマにいます。 台湾から 日本経由流れてきました。
日本は寒いので 中米諸国を廻りつつ 春になってから 戻るつもりです。
この国では 自分は必ずフィリピーナと間違われます。
なぜか、 この国はパナマ運河があって すごい数の船がやってきます。 そして やっぱし 船員は 昔も今も フィリピン人が 多いのです。 だから 彼らの仲間と思われています。
なぜに フィリピン人とそっくりさんなのでしょう。
自分は ホントは 太古の昔(数万年前)からの生粋の日本人(縄文人)なのに、 最近(二千数百年前)朝鮮半島から渡ってきた中国大陸の人たちに 席巻され 日本のはしっこに 追いやれてしまいました。
合田姓は先祖代々 高知です、 四国のはしっこに追いやられました。 北の端まで追われたのが 今のアイヌ人たちで 南の端まで追いつめられたのは琉球人です。 仲間の縄文人たちは それまで日本列島で狩猟採集生活しており縄文式文化を育て上げていたけど 大陸からの弥生人は稲作という武器をもって 日本列島を乗っ取り、弥生式文化を築きあげました。
まあ それから 混血がすすんで 今の日本人が出来上がったんだけど もと縄文人は 概して色が黒く ちょっと顔の彫が深いです。(アイヌとか沖縄の人を見てもわかるように) そして最大の特徴は 耳垢が湿っています。 東南アジアの人々もそうなので、 縄文人ははるか昔 黒潮にのって海から 日本列島にやってきたのです。
わたしの耳垢は 濡れています。 弥生人は コロコロ 乾いています。
美白ブーム(古い?)で 今や白くなってる人たちも 湿っていれば 縄文人でしょう。 みなさんは どっちなんでしょうか?
この国でアバターを3回見ました。 あのような光景が、武器は違いますが、 当時の日本では 起こったのでしょう。 縄文人は かなり殺戮されたという説もありますから。
最近のボランティア生活はずっと少数民族のインディオ(中南米の先住民) に かかわっているので あの映画は涙なしには 見れないなあ。 英語で見たときナヴィ族は クラン(CLAN)って言ったけど スペイン語で見たとき まさに インディヘナ(INDIJENA) って言ってた。 日本語では なんて翻訳してるんだろう。
あけましておめでとうございます。 ことしも よろしくおねがいします。
2010年4月7日
先月末 日本に帰ってきました。 だけどなー、 やっぱり寒いし、 来週末にはタイ・カンボジアに行くことにしました。
いつものことながら 短い日本滞在で 老若男女を問わず あちらこちらで人に会ってます。 初対面のマイミクさんたちもね。
一生 青い鳥を追い続けている自分の旅に悔いはなし、 なんて いいかっこができるわけでなく、 あのとき こうしておけば とか こう 考えておれば なんてことは 人生の中でよくあったのだ。 そんな自分が道しるべになれば若い旅人にとって いいかなあ と 思いながら会ってる。
で、今回 自分が話した中で 自分で はっ とするものがあった。
途上国で物乞いの子供たちに おかねをねだられたときに ごうださんは どうしますか? って 聞かれたとき。
日本人は自分をも含めて 概してこういうときの対処がへたなので それがうまい外人さんのまねをしたよ、 最初は。
でも いまは 小銭があれば あげるようにしている。 昔は あげたり あげなかったり。
あげても 解決にならないとか、 みんなが 集まってくるとか、 面倒とか、 などなどが あげなかった理由。
たとえば大勢、子供たちがいて ひとりにあげるとみんな集まってきて 収拾つかなくなって 体中 あちこち ひっぱられて 大声で なんか要求されたり こっちが悲鳴をあげそうになり その場から逃げるのに必死なんてことも よくあったし。
でも 最近は そんな状態になっても 余裕をもって楽しんでる。
むかしは そうなりたいって意識的に努力していたなって。 でも 知らないうちに できてた。
はっ と した。 できるように なってたって。
別にこの件が いいたいのじゃなくて、
自分でこうあるべきとか こうありたいと 思い 努力するものは、 いつか それが 自然にそうなれるんだと。
みんな そうだと 思うよ、 高望みでも なんでも こうありたい と 意識してちょうだい。
最初は簡単にできないかもしれないけど その理想の自分を演じてください。
それが いつか 自然と ほんとの自分になってるから。
2010年7月18日
2010年8月26日
2010年11月26日