放浪日記
南アの空港でブラジル行きの飛行機に搭乗する際
久しぶりに人種差別を受けた。現在ブラジルでは急増する中国人
韓国人の不法労働を厳しく取り締まっている。(ブラジルは唯一南米でヴィザが必要)
飛行機に乗る際 東洋人のすべてのパスポ−トを写真に写している。それがまた時間がかかり
東洋人以外はすいすい飛行機にのれるのに
東洋人一団は
出発ぎりぎりまでその作業に参加させられた。
日本人の自分はパスポ−トを見せるだけで終わったけど
いやな感じ。
その中国人の団体の半分は機内のトイレを中からロックしない。
自分の席はけっこうトイレに近かったから
見ていて興味深かった。
中国の人は世界的にみて
トイレを閉めない珍しい風習をもつ民族で(今はだいぶん改善されたと思っていたがそうではなかった)
その風習を機内で遂行しているのか
単にトイレの扱いが初めてだからわからないのか
その辺は聞かなかったので わからない。
さすがに自動的に閉まるので
開けっ放しでする人はいなかった。
中国の人がはいってるのに
トイレのドアを開ける人 続出。 さすがに
中国のひとが開けると なかに人が入っていても
ああ してるのか という感じで
ドアの前で待ってるけど 白人が開けて
女性のしている姿を見た人はさすがに あわてて
Sorry と 言って どぎまぎしている。
なかには席に帰った紳士もいた。
やっぱりあれは ロックしないほうが 悪いのに
開けた人は
だいたい自分が悪いことをしたみたいに
誤っている。
ドアを開けても
中から押し返す人もいるし(ドアは内側に開く)
トイレの機能を知らない人は無理矢理あけようとするし
ドアの開け方を知らない人は
あっちこっち押したり まわしたり
側の灰皿をあけたり閉めたりしたり かなり上にあるトイレのネジを背伸びして
まわしたりして 見ていて ちょっと
おもしろかった。
教えてあげるほど席が近くではなかった。
たぶんトイレのすぐそばだと
たぶんその人たち各人にトイレ講習をしていたと思う。
今はパラグアイの首都アスンシオンにいる。
毎朝7時から9時までスペイン語のクラスに通い
その他の時間も すべてスペイン語の勉強中。
これだけ勉強するのは大学受験以来。
アスンシオンはウガンダのカンパラに似ているかと思いきや
大違い。
Localな 話で恐縮だが ショップライト や
Garden City みたいなものが
普通に存在している。 OMO が 売っていてちょっと安心したけど。
ソネットのMail が 開かれないので
アドレスを Hotmail に 変更しました。
新しいのは、nanbeimosukida4@hotmail.com です。 今まで
なんか送っていただいた人 ごめんなさい。
パラグアイに着いて もうすぐ1ヶ月。
どんなところで 何を食べて 何をしてるのかと
等の 問い合わせは 普通にありますが
本当は何をして 何を食べて どこに行って
何が素晴らしかった とかの ことは
あんまし書くつもりは なかったけど
ちょこっとだけ 日常の報告もします。
先週 イグアスの滝を見に行ってきた。
サイトで調べたら世界最大の滝と書いてあった。
違うものには世界最大の水量とあったし
何が基準かよくわからん。 まあ
すごかったけどアフリカの
ビクトリアフォールズのほうが すごかった気がする(これは個人的主観
本当はどっちがでかいか知りません)
アスンシオンから350km 、バスで行った。
5時間かかった。 近くの国境の町で2泊した。
滝よりも観光客の多さに驚いた。
滝までの列車もあり 歩道も川の上に
張り巡らされ 自然さより 人工的なものに
驚いた。 まあ これは世界的な傾向ではあるが。
この滝の場所は
アルゼンチンとブラジルの国境にある。
ブラジルに行くには原則としてヴィザがいるけど
知らん顔して 国境を通ってやった。
アルゼンチンでは
強制的にパスポートにスタンプを押されたけど。
アスンシオンもちょっと惰性になってきた。
どっか違う国でスペイン語続けようと思う。
べつにどこでしても同じだし。
簡単な文章なら読めて書けるようになったけど
それを早口で言われるとほとんど
聞き取れない。 まだ だめだ。
次の国はアルゼンチンに行こうとしてたけど
やめて他の国にする。 パラグアイ人に聞いたら
どうもアルゼンチンの評判よろしからず。 まあ
そんな意見に左右されず アルゼンチンにも
そのうち 行くけど。
パラグアイは
アフリカから行ったせいかもしれんけど
まるでヨーロッパです。
南米の首都や町が全部こんなんならがっくりです。
(まだ 行ってないからわからんけど) 人も
メスティソと言って
スペイン人とインディへナの混血がほとんどらしいが
スペイン人の血が強いのか まるで
ヨーロッパ人(モンゴロイドやネグロイドと比較すると
はるかにコーカソイドに近い)です。
たまにインディへナ(インディオという言葉は差別用語で使ってはだめらしい)を見かけるが
街の中でゴザをひいて 民芸品とか 売っている。
人生で初めてお目にかかれたが
アメリカインディアンと 同じ顔してる。 そう
自分と同じ顔です。 相手も 見つめているので
たぶん
どこの国の人間か判断に迷ってたと思う。
1500年代 スペイン人が侵略を開始するまで
この顔の人たちが インカ帝国などを築き上げ
この大陸に住んでいた。
今はどこの国もメスティソが国を牛耳っているし
チリなんかインディへナは2%しかいないらしい。
アルゼンチンはもうほとんど絶滅している。
メスティソの顔を見る限り
混血して消えていった というより 殺戮されて
減ってしまった というのが 第一印象。
近い将来か 遠い将来か
インディへナは消えてしまう。
この広大な大陸を有史から支配してきた民族が。
消えゆく種族として
なんらかの感慨はあるのだろうか?
アンデスの山中にはまだ 彼らは多数住んでいる。
行って かれらに会いたい。
男にとっての究極の美学が
そこに存在しているのだろうか?
やっぱり アンデスに行こう。
チリのサンティアゴに 明日 行くことにします。
今は チリの首都 サンティアゴ。
驚くべき大都会。
人口も面積も大阪よりでかい。 そんなことより
先進国以外で これほど都市部の人々が豊かなのは初めて。物質的にも精神的にも。
一般的にいう悪い人が少ない。 接するひとに恵まれているのかどうかわからないけど
ひとりも 悪い人
だまそうとする人がいない。こんな経験
アフリカでもアジアでもなかったような気がする。
先週の深夜 一般的に言われている危ない地域の
バーに 入った。 やばそうなバーで、
ビールを飲んでいたら 店のおんなが なんか
おごってと 寄ってきた。 15分ほど
スペイン語会話の練習をしたところで
退散しようと思ったら 請求額1万円相当。
この国は ビール1本 100円ぐらい。
ホテルでも300円。
入る段階で予想していた事なので
驚きはしないが ここで 店との交渉が始まる。
女の飲んだものがかなり高いものだったらしい。
それでも なだめたり脅したりしたら
800円ぐらいになった。 大阪の
ぼったくりバーで
もめて殴られた事はあるけど、 それ以上のことをこのバーのやつに言っても
なんとなく 納得してくれるのだ。 以上は
いかにこの国の人が いい人であるかの象徴である。
今回の旅はかなり贅沢である。
ビールなんか毎食 飲んでる。
昔だったら考えられない事である。
日本食も食べるし ワインもほとんど毎日
飲む。(チリワインはうまいし安いからこれは当然として)
移動もせずにひとところに落ち着いているし。(これも
スペイン語の学校行ってるから仕方ないのだけど)
年齢とともに行動力は落ちていってるし
その行動力の源である
ものごとに対する感動も薄れていっている。
これはイグアスの滝で痛感した。 それらすべては
老化につながっている。 今回は
老化との戦いでもある。 今は
負けている。しかし 勝てるものではないので
無駄な努力はしない。 となると
今の自分を肯定してしまうので
おもしろくない。
ところで ここにも
仕事とあまりにもプライベートなことは書かない予定です。
購入可能な程度の農場、 牧場はいくつか見たけど
買うかどうかは決めていません。
決めてもここでは言いませんが。
今はコロンビアの国内をさすらっている。
チリに続いてコロンビアなので
次はコスタリカに 行くのではと思う人がいるかもしれないが
それは誤解。 チリ コロンビアは単なる偶然。
コロンビアはさすが 南米で危険度
1、2位を争うところ。
普通のサラリーマンが週末にゲリラになり
バスとかを襲っている。
だからこの国は週末には移動できないのだ。
わずか 150kmぐらいを移動するだけで
軍の検問が5、6ヶ所あり 軍と
麻薬組織(マフィア)とかゲリラとの戦いが繰り広げられている。
先日の夜中も
田舎町のクラブで飲んでいたら、マシンガンを携えた戦闘服の男が10人ばかり
進入してきた。 やられたー と 思ったけど
正規の軍人だった。 店の音楽が止められ
そのクラブに居た 10数人の男の客が(自分も含めて)
一ヶ所に集められ
身体検査と所持品の検査が行われた。
今まで路上では されたことがあるが こんなところで
されたのは初めてだった。 ホテルの近くでも
拳銃をもった物取りを よく見かけるし、
やっぱり ほかの国より 恐い国だ。
コロンビアでは 夜間は外出しないことって
世界中のガイドブックに書いてある。
しかし その国 街の雰囲気を知るためには
昼間は 一番でかい市場、
夜はもっともにぎやかなクラブあたりに出かけないと
わからないのだ。 (おかげさまで
コロンビアはよく わかりました)
幸い自分は
金のないインディヘナに見えるらしく(色も黒くなってきたし
髪の毛も伸びてきた、 服装も似せているし)
誰も襲ってこない。 ここの人たちにも
外国人に全然見えないと太鼓判を押された。
でも 喋るとばれるので 絶対に口を開くなと。
前回 贅沢と老化の話をしたが
ぴったりの話題ができた。
この国のとある街で
近視矯正手術をしてしまった。
世界で今のところ一番安いらしい。 両目で検査
手術 付属品の購入 アフターケア ぶっこみで
6万円相当。 日本ではまだ
4、50万円するらしいけど。 自分の眼は
いつのころから悪くなり
特に左目の網膜(眼球の奥にあり 映像を写す膜)がなにかの衝撃で傷ついており
今は ほとんど右目だけで ものを見ている。
まず 眼の麻酔、 注射とかじゃなくて
何かの液体を大量に眼に注がれる。
10分ぐらいしたら 手術開始。 麻酔が効いてるのかよく分からない。
まず まばたきしないように
輪っかのようなものを 眼の周りを はめられる。
まず これが痛かった。 次にメスのようなもので
角膜(眼球を覆っている膜)をはがされる。
恐くて眼をつぶりたいけど そうはできない。
ぺろんと はがしたあと 眼球のレンズを
レザーで 切る。 どのくらい削るのかは
その人の 近視度しだい。
レンズの焼こげるにおいがする。レンズを
けずった後 また角膜を貼り付ける。
これを両目で約10分。 けっこう痛かった。
涙がだいぶ出たと思うけど
常に眼球になにかを注がれていたので
わからない。 眼の手術だけに
目の前で行われているので よく観察できた。
終わった後 眼にカバーを付けられて 帰される。
でも ぼやっとだけど 見える。
その晩は痛かったけど 眠れた。 次の日
成功しているか 検査を受ける。
左目は相変わらず見えにくいが(網膜の傷は今の医学では治せないと言われた)
右目は2.0 あった。 手術翌日で
それだけ見えれば 時間が経てば
もっと見えるようになると 言われて、ひえ−−−−。
もう普通にパソコンをしていいし
ビールも飲んでいいと言われた。
実は手術した日はビールを控えた。
南米に来て初めての禁酒日だった。
今日は 術後5日目 よく遠くが見える。 2. 5か
3.0ぐらいになってるかも。 そのおかげで
近くのものが見えにくくなった。
近視を治しても遠視になってしまえば
同じ事ではないかと思ってしまった。 まあ
自業自得だけど。 もっと若いころに していれば
こういうことは 起こり得ないのである。
ところで コロンビアから
アンデスに登ろうと思ったけど この辺は
インディヘナの方々が住んでおられないらしい。
エクアドルぐらいまで 南下しようと 思う。
今は エクアドルに居る。 コロンビアの田舎町から 3日間 3000m級の山々を くねくねバスで移動して 国境も越えて エクアドルの首都 キト(標高2800M)に着いたときは さすがに疲れた。 生まれて初めて 高山病にもなった。 ただし 症状が 吐き気 頭痛など バス酔いと同じであるので 単に車と山道に酔ったという可能性もあり。 しかし 高山病のほうが聞こえがいいので そういうことにしている。
(注 ここでの標高は携帯のGPSではかっているので 誤差は8mの正確さ。 また自分の地球上の位置までその誤差でわかるのですごく便利。 今までは いったん入ったホテルがわからなくなり 迷って帰れず人に聞くこともあったが 今は主な場所は最初にその場所をGPSに記憶させるので迷子になることはなくなった。 また アンデス山中でも アマゾンの密林でも 迷うことはないでしょう。 手のひらにすっぽり収まるすぐれものです)
キトで 初めて催涙弾の経験もした。 最初 異臭をかいだときは なんやこれ と 思っただけ、 そのうち 眼が痛くなり 鼻の中 口の中が痛くなり 怖くなった。 通りを歩いてる人は 鼻にハンカチを当て 建物の中に避難しだした。 てっきり そのへんの工場から 毒ガスあたりが噴出して この辺いったいに居る人が 死んでしまうのかと 感じた。 南米じゃ ありうる話だと 失礼ながら思った。 でも 避難した店の人の話では 近くで ポリスが暴動に対して 催涙弾を使ったと聞いて 安心した。 暴動がよくあるのでここの人たちは催涙弾に慣れてるみたい。 エクアドルは南米の中でも一番安全な国ときいていたのに さすがである。 その後また こんどはより大きな暴動に直面してしまった。 そのときはもう催涙弾の風上に廻れるほど余裕があった。
学生の頃 スーダンで暴動に参加して 軍に追われた経験を思い出した。 ウガンダをでて 2ヶ月以上たち だいぶ 昔の忘れ去りし 感覚が コロンビアから 戻ってきたような気がする。 本能的な 自分の身を守る野生の感覚が。
今は キトからバスで3時間ぐらいのアンデスの山奥で 現地の人の家にお世話になっている。 (たまにキトまで降りてくるけど) 標高3300mのところにあるので朝晩はめちゃ寒い。 昼間は赤道直下だけにそうでもない。 いろいろ こちらの話を聞かせてもらい また 3食とも食べさせてもらっている。 しかし食事が質素すぎて閉口気味。 朝と夜は パンがひとつ 牛乳一杯、 昼がスープ パサパサ米に豆。 最初の頃は おなかがすきすぎて我慢できず 内緒で近くの山小屋で ビールを飲んだり食事をしたりしていた。 しかし 今はそれをやめている。 おなかのすきすぎも なれるものである。 これもはじめての経験。 おかげで体もだいぶ締まってきた(前からあんまり贅肉はなかったけど) 毎日 4,5時間は山を歩いているし。
それと タバコも高山病以来 本数が減り 今は完全にゼロ。 吸いたいとも思わなくなってしまった。 最初は確かに その家で吸うことに遠慮があったのは確か。 しかし今は ビールもタバコも完全なる場違いに思え、 別世界の異次元のように見える。 (しかし ビールはたまに山小屋で飲む)
体とともに精神も浄化されてるかも。 アンデスの神々が 近いからか?
神々に近づいたという瞬間はたしかに増えてきた。 陶酔できる時間と空間がここには ふんだんにある。 神に近づくには 彼らの次元に行かなければならない。 近づいたと感じえる陶酔状態を 創出せねばならない。
話が飛ぶが アフリカでは 神とのつながり役は 太古では てんかんもちが多かった。 てんかんが起こるとき 卒倒して 泡を吹き 自然的な陶酔状態が起こり 異次元に行ってるかのように見える。 日本でも テレビでたまにやっているが 霊媒師が死者と話すとき 意識的に意識を失ったかのように陶酔状態をつくりだしている。 (日本の霊媒師はやらせで 信じてないが)
日本の居酒屋で酒を飲むとき 飲む仲間とその店の雰囲気で 気分よく酔えるときがある。 これは 酒と周りの雰囲気で陶酔状態がすこしだが できるのである。
このアンデスの山々の雰囲気は そんな日本のものより数万倍 強いちからを持っている。 描写は難しいが 山道を歩く。 誰もいない。 見えるもの山と木々だけ。 聞こえるものは風の声だけ。 真っ白な雲が自分のすぐそばを ゆっくり流れていく。 ときおり雲が体に当たる。 その瞬間 体中に水滴が ほとばしる。 冷たい。
山小屋に辿り着き ひとりビールを飲む。 ほろ酔い気分で また 山道を歩きだす。 雲が当たり ほてった体を冷やしてくれるとき その瞬間 強烈な陶酔状態が起こる。 全身の毛が逆立つような、 なんかエネルギーがあふれ出てきて 自分自身 他の次元に足を踏み入れていく 感覚。
過去のジーザスクライストもモハメッドも釈迦も たぶん 強烈な陶酔者であり 強烈過ぎて その力がほかの人まで及んだ結果であると思う。 近代ではヒットラーがそうであったかもしれないが もう近代では その力が拡散できないほどに社会が進化している。
言うまでもなく 神の次元も 異次元も すべて こころの中で起こす現象。 (反論もあるけど)
神に近づくことはできても 会うことはできない。
神に会えなくてもいいのである。 近づくだけで十分。 近づいて感じることができればいい。 アンデスの伝説でも そう語られている と ここの人たちは言っている。
今はペルーの首都リマに滞在中。
雲の上の生活は3週間ほどで飽きてしまった。
今は その反動か、 俗世間で 飽食をして
落ちた肉と脂肪を
復活させている。エクアドルから のんびり
アンデスのふもとをペルーまで南下してきた。
寒かった気候から 太陽の真下の海で
光をも謳歌中。 けど
フンボルト海流の影響で海水はすこぶる冷たい。
近くのガラパゴス諸島ではペンギンさんも暮らせるほど。
リマに到着した日に警官と知り合い
今はその家に泊めてもらっている。(別に逮
捕されたわけでもないし 道を尋ねたわけでもない)
おやじは元議員で ある程度の金持ちみたい。
ねえさんは ここの日系ペルー人の奥さんで その警官は日本語に興味をもっており
泊めてもらってるかわりに
日本語を教えている。(スペイン語の勉強にもなるし)
その家族の年齢を聞いてびっくり。
(むこうもこっちの年を聞いて負けずにびっくりしてたけど)
初老と思っていたご両親は 46歳と47歳 。
その警官は 30代後半と思っていたけど28歳
完全にオバタリアン(失礼だけど)の彼の奥さんも28歳、
中年太りの弟は 23歳、
すでに赤ん坊がいる妹(完全にレディー)は15歳。
みんな そろって早熟。
3ヶ月の赤ちゃんなんかもうピアスしてるし。
みんな10代で 第一子を産んでいるので
30代で もう孫が出来ている。
(警官とその奥さんとの間には11才と7才の子どもがいるが
これは 年相応に見える)
この家族がペルーの標準かわからないが(その家族は
それが普通だと言っている) 見渡した感じ
完全に日本より サイクルが早そうである。
警官の家族もみんないい人たちだし、この国でしばらく
のんびりしようと思う。 なんか 今までの国より
居心地よさそう。 けど
パスポートの更新でここの日本大使館に行ったけど
警戒厳重で 物々しそうだった。
数年前大使公邸で 人質事件があったので
仕方ないと思うけど。そういえばちょうどこの時期だったような気がする。
最近 この国では首閉め強盗が
はやっているらしい。
数人に囲まれ、首を絞められ、 気絶してる間に
身につけている金品を奪われる。
ここに来て間もないがすでに被害に遭った日本人、数人に会った。
大使館でも気をつけるように言われた。年末は特に物騒だから気をつけるように
警官の家族にも悟されている。
クリスマス前に事件が多発するのはウガンダでも同じだよん。
今は 中米のコスタリカにいる。 何回か前にコスタリカには行かないと書いた気がするが 来てしまった。 べつにここが目的じゃなく 中米も全部 廻ってやろうと思い立ったので その一環としてだけど。 先週 ペルーから 飛行機でパナマまで飛んできた。 これからコスタリカ ホンジュラス ニカラグア エルサルバドル グアテマラ を廻る予定。ついでに メキシコまで行くかも。 その後 また南米に戻る。
ペルーには 約1ヶ月半 いた。 いままでの国の中では最長。 けっこう暮らしやすい国だった。 クリスマスも警官の家で迎えた。 さすが 本場のクリスマスは おもしろかった。 この国ではクリスマスツリーは メジャーではなく キリストの生家(農家の馬小屋) を模型でつくり (生家の模型は店先に売っている 大きいものから 小さいものまで) 家畜も人もその模型の内外にならべて 飾り付けをして クリスマスツリーより ずっと趣があり きれいだった。
12月25日の零時に イエスの赤ん坊人形をその模型の中のゆりかご入れる。(その時間までは ゆりかごのなかは からっぽ) それで みんな ご馳走を食べだし 花火をばんばん 鳴らして祝う。 もうリマの町中 その時間すごくにぎやかだった。 零時までは みんな 食べないで待っている。 でも飲むのは許されるので 零時までには酔っ払っている。 日ごろお世話になってるのでビールワインシャンパンを大量に差し入れした。
年末年始 アンデス山中の 湖 や 渓谷にいた。 雄大なる景色のなかで コンドルは飛んでいた。
今週末から ジャングルに入る。 手付かずのジャングルが残ってるらしい。 それとは別に 観光施設も整っている地域もあるらしい。 そこには 樹間 50m 上空に 橋がめぐり渡され また 滑車での 移動も自在にできるらしい。 ウガンダの森林にそれを造ろうと思ってるので よく観察するつもり。
前人未到の ジャングルも限りなく魅力あり。
コスタリカのジャングルは
予想とぜんぜん違った。
日本語では熱帯雲霧林(うんむりん)と
呼ぶらしい。 とにかく標高が高くて
雲の中にまで森が続いてる感じ。 そこでは
頭のはるか上空の木々から しずく と 言おうか
雨が 降っている。 地面はじめじめしているし
それに 寒い。 しばらく
その森林こもってみるつもりだったけど
無理だった。
それでも森の近くにある安宿で4泊 森の中にある避難所で
2泊して その森林をさまよい歩いた。
一度はさんざんな目に会った。
周辺の山々に活火山があって
それに登ろうとした。
その山の頂上は下から見ても黒雲が渦巻いていて
頂上が見えない。 中腹の最終の山小屋で
頂上まで登ると言ったら 今の季節は風が強いので無理だと言われた。
そう言われると よけいに登りたくなって ぜひと
懇願したら 風があって 危険だと感じたらそれ以上は登らないでくださいと
言われた。 了承した。
2時間くらい森林を登っていくと
生態系が変わって 木々が潅木に変わる。
それまで 頭の上から降ってきたしずくが
風とともに 横から なぐるように
吹き付けてくる。 また しばらく登ると
潅木もまばらになり 岩山と崖だけになる。
がけには 登れるように 一本
ロープが垂らしてある。 しかし
それに捕まって登ろうとするけど 風が強くて
ぶらんこみたいに 揺れて うまく登れない。
それでも なんとか 登りきる。
普段着で登ってるので
もうパンツまでびしょぬれ。
ビニール袋につつんだパスポートとかお金ももう
ぐちょぐちょになってる。( お金とかは
ホテルに預けても 自分の部屋においていても
盗まれるので 自分で持っているのが一番安全)
がけを登り切ると 雨風が いっそう強くなる。
その雨風は本当は雲の中で起こってる事象である。
雲の中がこんなに激しく 荒れ狂ってるとは
知らなかった。 これまでに南米と中米で何回か
雲の中にたたずんだ経験があるが 今回が一番
激しい。 やさしいときは 雲に吹かれても
水滴もつかないし 冷たくもないし ただ
体の中を雲が通り過ぎているだけだった。 でも
今考えるとそれは霧だったかも。
下界から見ると
霧も嵐も雲に見えるらしい。 ただし雲の色は違うけど。
頂上に近いのか のぼりが緩やかになる。
雲で10m先ぐらいしか見えないので
頂上なんて見えるわけもない。 もうこの辺で
引き返すか どうか 迷ってくる。
先が見えないのは 限りなく不安。 見えるのは
岩と石。 帰り道を見失うと
たぶん死んでしまうので 10mおきに
石を積み上げていく。 一応
コースというものがあるらしい。 標識らしい 杭がところどころに
ある。 もう その辺は 勘で進んでいく。
雲の中にいるけど
その雲に濃い薄いのがあるのがわかる。
薄いところは20mぐらい先まで見える。 濃いところは
ほとんど水のかたまり。 その水の大軍が
下から風とともに
吹き上がってくるのが見える。 来た来たと
身構えて 背中を向けると
バケツで水をぶっかけられた感じ。
まともに正面を向いていられないし
立っていると 飛ばされるから しゃがむ。
それでも 進むと決めた以上
這ってでも登っていく。 しばらく行くと
両側がすりばち状に 下に落ちていってる。
たぶん両側が火口と思う。
硫黄のにおいが強烈にする。 晴れていたら煙とか火を吹いた溶岩がみえるらしい。
そこに落ちたら 焼け死ぬので
これまた気をつける。 下が見えないのも不安。
だんだんアドレナリンの分泌が盛んになってくる。
思わず自然に対して叫んでいる。
無我夢中で進んでいくと急に行き止まりになる。
前方も下に落ちていってる。
そこに大きな杭が立っている。 たぶんそこが最終ポイントだ。
そういう標識は
たぶん誰かが記念に担いで持って帰ったのであろう。
まったくの白の世界。 記念にそこで ポケットに入れてあった非常用食料トマト1個を食べる。
水中で食べているようなものだから
トマトといっしょに雲の水も喉に流れていく。
そこから引き返す。 くだりだから楽だけど、
来た道を見つけていくのが大変。 一度
道を見失った。 こんなところで迷子になると凍え死ぬので必死である。
携帯GPSを使うが 雲の層が厚くて
衛生まで電波が届かない。 立っている地点から
円を描いて進む。
その円をだんだん大きくしていく。
10周ぐらい廻って
やっと積み上げた石を見つける。 そのころには
もう体が冷えきって がたがた震えている。
そこから 駆け下りる。 がけなどは
滑り降りる。 どろだらけになるけど
すぐに雲の洪水が洗い流してくれる。
とにかく走っていなければ 寒すぎる。
木々のあるところまで たどり着き また
そこから 駆け下りる。 1時間ぐらい走り降りたところで
やっと雲から抜け出る。 太陽が見えたが
森が深いので
地面まで光が差し込んでこない。まだ木々からしずくがかなり落ちてくる。
とにかく 木漏れ日のあるところまで たどり着き
しずくが落ちてこなくなったのを確認して
着ているものをすべて脱ぎ捨て
体に日光を当てる。
森林浴と日光浴を同時にしている。
着ていたものすべてしぼり 木にかけ 乾かす。
日の光が気持ちいい。 パスポートもお金も一枚々々乾かす。
パスポートは悲惨。 全ページぶよぶよで
顔写真のページなんか はがれている。 なんとか
乾いたけど 偽造パスポートよりひどい状態。
これで機械読み取りができるんだろうか?
それから2時間 素っ裸でいたので あぶとか
ぶよに さされまくる。 鳥とか ヘビも現れる。
みんなめずらしそう。 パンツとT−シャツは
なんとか着れるぐらいまでかわいたので
また下り出す。 1時間後に
山小屋にたどり着いたときは 体温でGパンも
ほぼ乾いていた。
山小屋で 最終まで行ったといったら
びっくりされる。 こっちも
おまえらこんな気候で行く許可なんか
出すなよと 言い返す。 おまえが 行くと
言い張ったんやろと 言い返される。 以上は
スペイン語の日本語訳。
今でも 体中 虫に刺されたあと まだ かゆいし
腫れている。 抗生物質をのんだけど
改善しないのでやめた。 どこで
住み着かれたのか ダニもいたので 下の毛
全部剃った。 一回
看護婦さんにそられたことがあるけど 自分でしたのは
初めて。
現在は ホンジュラス カリブ海に浮かぶ小さな島。 海が限りなく透明で魚がたくさん泳いでいるのが見える。 こんなに群れを成している魚たちを実物でみるのは 初めて。 ニカラグアはほぼ素通りした。 問題のパスポートは 国境を2回越えたが なんにも言われなかった。 もっともへんぴな国境で 機械読み取りではなく 手書きだったけど。
ウガンダを出て半年。 文明人を捨て 日本人を捨てていて
けっこう楽である。
昔はそれほど意識はしなかったし
それが普通だったと思う。 少年時代か青年時代ぐらいか。 それが社会人になり 多かれ少なかれ 秩序に縛られ 守られ それを尊重して 社会の一員となり この感覚は忘れていた。
今は あきらかに違う。 たとえば 食事をする というのは 程遠い。 食べるとも違う。 食うともちょっと違う気がする。 喰らうが適切だ。 それなりのレストラン ホテルでは 食べてるけど 屋台 場末の食堂では(それがほとんど) あきらかに 手でめしを喰らっている。
着てるものも よれよれで 破れて 洗濯もあんまりせず においを発してると思う。 自分ではわからない。 洗濯なんか シャワーを浴びるときに シャツをタオルがわりにして 体を洗い また バスタオルがわりに 体をふいてるので それなりに シャツもきれいになってると思う。 ようするに 1石3鳥ぐらいの 役割をしてる。
目つきも鋭くなってるかも。 あきらかに異国人をからかったり 狙うやからには にらみつけたるし そうすると相手もびびってしまうのがわかる。 そのうち殺されてしまう可能性もありだけど。
社会にでてからは 多かれ少なかれ しがらみに振り回されてきた。 ウガンダを出るころなんか 日本人会会長なんかになっていて 大使の相手なんかする時 スーツなんか着て よくやってたぜ。 今は 昔の感覚。 でも これがまた 文明社会に戻り その一員となると その感覚に戻ってしまうから不思議。 やっぱり 人間は すごい。
と 言おうか 人間は 今現在の自分を肯定するようにできている。 口では なんやかや あれをしたい これを買いたい とか 言ってるけど それができない自分に対して あれをするためには また これを買うためには それなりの代償が 必要となってくるので その代償が 個人差もあっておもしろいが なかなか 払えずに あきらめてしまい 肯定までいってしまう。
ようするに いまの自分を
自分で否定できるほど 強くはない とも 言える。
今は南米のペルー。 2ヶ月の中米の旅から
戻ってきた。 南米最南端まで
これから南下予定。
今は ブラジル サンパウロ。 ここからアフリカに帰るので 最後の国。 贅沢のようだけど ここ1ヶ月はなんか惰性で廻ってるような気がしている。 もうアフリカに帰るのだとか アフリカに近づいているとか。 そんなにアフリカが恋しくなったとも言えるかも。 でも またアフリカに戻ると どっか行きたくなるのは わかってる。 結局その 繰り返し。
この国の前は ウルグアイと アルゼンチン。 タンゴの国。 タンゴなんかぜんぜん興味もなかったし 見る気もなかったから 見ていない。 でも ウルグアイの広場で週末 お年寄りが集まって みんなで タンゴを踊ってる姿をみて 先入観と言おうか概念が根こそぎ 変わってしまった。 実に見事な風景。 この世界で お年寄りが 主役になっているのは そうそう あることではない。 自然に。
それまでは 観光客目当てのストリートダンサー とか 豪華なレストラン クラブなどで踊ってる プロのダンサーは 目に入っていた。 お年寄りのタンゴはそれとはぜんぜん違う。 見せるものではなく 自分で楽しむものが 伝わってくる。 広場の一角に レコード店がある。 その店が スピーカーを広場に出して サービスでタンゴの曲を流している。 それに答えるかのように 熟年の方々 背中がまがっている人も お迎えが近い人 も 大勢 舞っている。
それを見ているお年寄り 若者が これまた 大勢取り囲む。 若者は やっぱり現代的にみて タンゴ離れをしており 見事に踊れる人はいないみたい。 お年寄りが 見ているだけの若者を誘い出し 教えるように 踊っていく。 プレイボーイ的じいさんが 取り囲む ばあさんを ナンパして 踊りだす。 プレイボーイも もう立たない年なので 下心なし。 ばあさんも それがわかっているのか 気軽に誘いにのっていく。 見事な風景。
話がかわる。 この旅の目的は仕事を求めて というのはあったけど それだけではない。 歩くのが好きだから 歩く風景を求めて 旅をするとも 言えるかな と そのとき思った。 中南米の景色は たしかにアフリカと違い 感ずるところあり。 有名な観光地も 廻ったけど どこも風景が同じと思った。 雄大なる景色を背景に 観光客が いっぱい。 それらを連れてくる車両がいっぱい 観光客目当てのみやげ物屋がいっぱい。 違うのは景色だけ。
景色と風景と違いは わからない。 景色は平面的なもの、 風景は立体的なもの という気がする。 風景の違いを求めるなら 自分は観光が できない という気もする。 でも 雄大なる景色もすてがたい。 あわよくば その景色に人間は自分ひとりであってほしい と いう 贅沢がつきまとう。 それが無理なら 景色が雄大でなくとも 風景がいいほうを 優先したい。
ウルグアイの広場での光景は 自然ではないけど 雄大なる風景だった。 人間も自然の一部だから 自然であるとも いえないことはない。
そんな 風景を追い続けて 旅は もうすぐ おわる。