「お、浩志。こんな早くどうした?」
「いやいや、変なおねーちゃんに声かけられちゃってね」
「美人か?」
「いや、確かに美人でしたけどね」
そして彼、長瀬浩志(ながせこうじ)は苦笑し控え室へと消えた。
ここはバー「ゲノム」。店の主人とは知り合って三ヶ月も経ち、今では良い上司ではなく友達兼同僚なのだ。
それが彼がここを続けられる理由でもあり、もし働けなかったとしてもここには何度も足を運ぶほど気に入っている場所。
それ故、例えまだ開店時間でなくとも着替えも仕事の準備も楽しくて仕方ないのだろう。
制服に着替える間、彼は終始笑顔である。

FILE TYPE 2nd 001 [ 会 : 厄 ]
街の一角にあるこの店は、店内もそれ程大きい訳でもなくそれ程流行っている訳でもないが常連客も常に居、繁盛している方だと言える。
こなれた手つきでカクテルを作る浩志はそんな事を表には出さず、無言で客へと酒を出すバーテンダーだ。
ただ、彼の変わっている所と言えば他人の話に耳を傾けると言う事だろうか。
ここのマスターである人物、レオン伊藤(れおんいとう)にそれを言えば間違いなく怒られるに決まっている故に彼はそれを他人に話した事はない。
昔からの夢である、シンガーソングライターを目指すために、様々な人物の話を聞きたいのだ。
例えどんな場所でもそれが出来るのだろうが、彼はあえてここを選んだ。
その理由は客層と何よりもここのマスターが好きだからだった。
しかし今日は珍しく女性客も多く、内心の所、浩志もレオンも喜んでいたのだろう。常連客である数人の老人も色々な話をしながら賑わっている。
その時のここの雰囲気はバーと言うよりも酒場と言っても過言ではない場所へと変わってしまうのだ。
だがそれでも、ゆるりとした時間の流れるここの色が消える事は無く、彼は今日も無事、仕事を終える事が出来た。
「お疲れさん。じゃ、明日も頼むぜ」
「分かってますって。それじゃ、お疲れさまでしたー」
たった二人だけの従業員。ただ、それだけで満足出来る職場だ。彼はそれを噛み締め、夜の街へと脚を踏み入れる。
「さて、と・・・」
ポケットを探り、煙草が切れている事に気付き自動販売機のある場所へと歩く。荷物はギターケースだけで他には何もない身軽な格好。
その代わりと言ってはなんだが、財布の中身も給料日までそう潤う事は無いだろう。
ガコン・・・
「フ〜・・・」
大きく紫煙を吸い込み、身体にニコチンを行き渡らせる。それだけで一日の疲れが吹き飛んでしまう訳でもなく、身体に悪いモノだとも分かっている。
孤児院に居た時に何度もそう言われたが、まだ子供な自分が居るのだろう。彼は煙草だけは止められなかった。
それが彼の何も変わらない日常。不満な所など何も無く、少し気になる事と言えば孤児院に居る血の繋がらない兄弟達の事だけだ。
最近逢っていないとは言え、連絡する手段である携帯電話もあり、何も電話してこないと言う事は何事もないのだろうと安心しているのは間違いない。
だが、逢っていないと言う事実だけが心残りであり、次の給料日当たりに言ってみようとも思っている。
『思えば遠くに来たもんさね・・・』
彼は生まれた場所を知らない。だが、育った場所があるならばそこは故郷なのだろう。そこを思いだし、今居る街を見れば全く違う風景にしか見えない場所がある。
そんな事を考えながら、彼はいつもの様に帰路に就いていた。何ら変哲の無い、道行く人々にも壁の隙間から逃げ走る野良猫の姿もなんら変わりはなかった。
だが、夜の公園を横切った所で彼は立ち止まり、そちらを見やる。しかし、心の片隅ではそちらの方を見るなとも言っていた様な気がするのは幻ではない。
『止めとけって・・・』
頭の言葉と身体の行動が一致しない事を分かりながらも、浩志は公園の中へと足を踏み入れる。だがその瞬間、やはり止めた方が良いと思ったのか。
その場に立ち止まりもう一度辺りを見回した。
「・・・・・?」
眉を顰め、耳を澄ましてみても、そこは静かな物だった。
いや、静かすぎると言った方が正しいだろう。あまりにもこの場所は街の中に、それも日本一盛んな歓楽街の中にある公園にしては静かすぎた。
この時間ならばたまに公園でいちゃつくカップルが居ないのは納得出来る。
それはたまにある事であり、公園に入ったからと言って必ずそう言ったカップルが居る訳ではない。
だが、小鳥のさえずりさえ聞こえないのはおかしかった。風の音も、街から聞こえてくる車や雑踏の音さえも聞こえて来ないのだ。
あまりにも静かすぎるそこはまるで浩志一人しか居ないと言う錯覚にさえ陥りそうになり、一つの考えが彼の頭の中に思い浮かぶ。
「やばい、かな・・・」
経験上、犯罪者の立場として語れる彼だからこそ、それは分かる事なのかもしれない。
人は行動を起こすとき、誰かに見られている物なのだ。背中に視線を感じ、振り返りながらも何かをする。
犯罪者もそれは同じであり、誰かに見られていればわざわざそんな事はしないのである。それ故、誰にも見られていない、と言う感覚を覚える必要があるのだが、
最近ちまたを騒がす犯罪者は成人していようが未成年だろうがその辺りを知らないのだろう。本音の部分で「馬鹿な事してるよ」と浩志は考えながらも、
自分なら上手く出来ると思っても居た。
それが今、感じている感覚に似ているそれだった。
人と言うのは行動する際、どうしても人の眼のある場所で何かをやってしまうと言う習性があるのだ。団体行動を幼少の頃から染みつかせて来られた
日本人ならばそれが分かると言う訳ではないが、際立ってそうだと浩志は考えている。だからその間を縫えば、その一瞬を狙えば犯罪など簡単なのだ。
それは流れを読むと言う事であり、浩志がそれを学んだのはやはり組事務所等と潰す際だろう。だが、結局頭の中でそれを言葉と出来たのは最後にそれを
止めようと思った時。そして分かったからと言って繰り返すつもりもなかった。
だが、この場所にある雰囲気は一瞬どころか永遠にも似た感覚があった。何せ何も聞こえない街の中にある公園など存在しない筈なのだ。
人の声が聞こえない位、車の音が聞こえない位、鳥のさえずりが聞こえなくなっても風のそよぐ音が聞こえなくなってもそのどれかが無くなる事はある。
だが、その「どれも」が無くなる事など有り得ないのだ。
しかしここにはその有り得ない物があり、場所を形成し、彼はここに立ち止まっている。
「絶対やばいな。帰ろ帰ろ」
そして彼は後ろへと一歩下がった所で、何かにぶつかり蹌踉け、後ろを見た。だが、そこにあったのは何も無い、ただの道。
「?」
そしてもう一度、今度は前を向いて、進むべき道を見て足を踏み出すだ、何かに遮られる様、そう、
壁に脚を付ける様にしてそこから先に進めなくなってしまっているのだ。
「じょ、冗談だろおい!?」
日常から一気に非日常へと無理矢理引きずり込まれたと言う感覚が
加えていた煙草を地面へと落とし彼の中に絶望を生むが、それは一瞬にして消え去る。
それが彼の長所なのだ。
「落ち着いて考えろ・・・。こんな非常識な事は俺も出来るじゃないか」
苦笑しながら、辺りを見回し、誰も見ていない事を確認してから煙草をもう一本取りだし少しだけ力を使いそれに火を付ける。
だが、そこでまた彼は驚く事になる。ただし、先ほどの「閉じこめられた」と言う絶望とは違う物。
「おいおい冗談も程々にしてくれよ・・・。ファンタジーの世界にいらっしゃーいってかぁ?」
浩志は加えた煙草を今度は落とさないようにして、自分の現状を理解する為に言葉に出して気を紛らわす。
だが、それは気休め程度にもならず、自分のこの今置かれている状況を変える訳でもなく、驚く理由になった手のひらの上にある物も消えはしなかった。
彼は自分が不可視の力を扱える事は知っていた。それは身が染みる程と言うより、ごく自然に、息をするように使えるのだから知っていて当たり前の事。
だが、それが不可視の力である事には違いない。つまり、見えない力だったのだ。しかし浩志の手のひらにあるそれは不可視ではなく、ハッキリと見える力。
青い炎を灯しているそれは、間違いなく具現化した不可視の全貌なのだろう。
「俺は手品師じゃねぇぞ全く・・・」
しかし、やはり一度驚けば何が来ても大丈夫なのか。彼は文句を言いながらもそれで煙草に火を付け、思いっきり肺へとそれを送り込み吐き出した。
紫煙が立ち上り、霞となって消えて行く。
そんな状況の中で、彼は自分の今居るべき状況を反芻する。
だが、幾ら考えようとも解決策は全く見付かる訳でもなく、ただただ、疑問が残るだけなのだ。
その中で一番大きい物と言えばここから何故、出られないかと言う事だろう。多少非常識な事は慣れているが故に、彼は落ち着いて考えられる事が出来るが、
やはり非常識なのは変わりはしない。何せ何も無い場所に突如として見えない壁が現れたのだ。
しかし、それが不可視である、と言う事に彼は頭に浮かんだ言葉をそのまま吐き出す。
「俺と同じ・・・能力を使える奴が居るって事か?」
今まで、それを何度考えた事だろうか。
別に自分一人だけの力とは思えなかったが、何処かに誰か一人くらいは同じ奴が居ても良いと思っていた。
そして時が流れるに連れて彼は探す事を止め、今に至っているのだが、まさかこんな場所で出逢うとは思わなかったのだ。
しかしまた、考えの中で不安な方向へと向かってゆくのは自然な事なのか。苦笑しながらも、まさかと想いながらも彼はそれを口にする。
「同じだから、邪魔になって殺すとかそう言うオチは勘弁してくれよぉ〜」
我ながら情けない声だと想いながらも、浩志はそう言い嘆息する、が、その瞬間彼の身体を突き抜けるようにしてその気配を表したのは
自分の先に居る存在。異形と呼ぶに相応しいそれを見て浩志の驚きはとことん不満の色を持っていた。
「ファンタジーの次はSFかい・・・」
視線の先に居たそれは、黒いエイリアンと言うか、黒い虫と言うか、とにかくそう言った風貌をした者だった。
生きている事には違いないのだが、サイズが小さければ少しは落ち着けたかもしれない。しかし、人間大、いや、それ以上だろう。
見た目から言って身長二メートル強は越しているかと思われる程それは大きいのだ。
そして黒い甲殻を纏ったそれは間違いなく、浩志を見据えていた。
『こういうのが本物の殺気って事か・・・?』
何度か人間の、自分と同じ姿をした者のそれは感じた事があったが、それとは比較にならない程目の前のそれが放つ雰囲気、いや、
殺気と断言できる物は大きかった。それを踏まえた上で、相手の次の行動を想像するのは容易な物。
ただし、どうやって此方へと向かってくるかは、形から見ても想像は難しい。
『攻められる前に逃げたいー・・・けど、逃げられない状況なんだよな』
確認する為、後ろ手で見えない壁の辺りを触る。そこには脆くもうち砕かれる希望と裏腹にしっかりと冷たい壁の感触があるだけ。
神に祈れば助けてやると言われれば、正直助けて貰いたい気分でもある。しかし、その反面で彼は漸く自分の力の使い道が見付かった様な気がした。
何せ相手は自分に殺気を叩き付ける異形の物。どういう理由があるにしろ、いきなり敵意を剥き出しにされても慈悲を投げかけられるほど浩志は自分が
優しくないと分かっている。その上で自分には力があり、この場所では見えない力が見えるのだ。
扱いにくかった、と言えば、それは見えなかったと言う事が理由の一つではある。何せ不可視の力、それも人外の力なのかもしれない。
それを扱う術など誰かが教えてくれる訳ではなく、自分で学ぶしかなかったのだ。その反面でそう言った行動をして、成功する者が少ない事も分かっていた。
だが、その少ない存在である事も知っているのだ。浩志は。
『本気で放って・・・大丈夫かな?』
現代漫画や小説で、いきなり扱えていた筈の力を全力で解放し気を失う主人公や登場人物の事を思い浮かべる。
だが、それは必ず助かると言う設定があるからこそ、登場人物になれるのだ。作者によっては死んでしまう人物も居たが。
しかし、現実でこういった力を持ちそれと出会い抗わずに死を選べと問われれば、浩志は間違いなく抗う事を選ぶだろう。
それが例え、選択肢の中に無くてもだ。
『とにかく・・・やるっきゃ無いでしょ』
そして決意を固めた彼の瞳に宿る物をまだ彼は見た事がない。
しかし身体に起こる変化、身体中の血が全身を駆けめぐり頭はさえ渡りそして見えない物さえ見えてくる感覚は久々の事。
それを感じながら目の前の異形の者、敵を見据え彼は熱くならず冷静に次の行動を判断する。
『右か、左か・・・』
相手の姿を見据え、あらゆる方向からの攻撃を想定しそこに喰らわせる攻撃方法を頭の中に編み出して行く。
そして浩志はさしずめコンピューターの様でもあり、相手を殺すためだけのマシンとでも呼べる存在になりつつあった。
いつまで続くのか分からない、一瞬の間が住まう永遠の場所。そこで相手と向かい合いながら、彼の中にはある物が生まれつつあった。
それは昔から感じ取っている存在であり、何時になろうとも慣れない新鮮で、そして嫌な感覚。
殺の一文字のみを胸に抱かせ、それだけで自分を全て染めて行くのだ。嫌な感覚に決まっているだろう。
そしていつまで経っても浩志が攻めてこない事に苛つきを覚えたのか。異形の化け物はその場から跳躍し、浩志へと迫る。
「正面・・!!」
一番予想し易く、そして選ぶのが最も難しい攻め方。もし、相手が百戦錬磨の強者ならばの話しだったが。
それでも異形の者の速さは浩志の予想していた者よりも数段上。それ故攻撃するよりも避ける事を選んだのは本能で危険を察知したからだろうか。
だが、相手は浩志の向こう側にある壁の事は分からなかったのだろう。それに激突し、浩志が背後から拳に宿した炎を叩き込もうと思った瞬間、それは起こった。
バリバリバリバリバリィッ!!!
「!?」
決して人工的には作り出せない、究極まで高めた高音と輝きが辺りを支配した。
浩志はその瞬間、天から雷でも落ちたのかと思う程驚き、尻餅を付きそれを見ているしかない。
そして雷の変わりに空から降り立った存在があった。
暗闇の空にそれは真っ白いチャイナ服であろうか。雷のみを模した絵が描かれた柄は見たこともない輝きを放ち、それを纏っているのは女性。
黒髪を靡かせている筈なのにその黒曜石の様な色には灰色が掛かり、微妙な霞を思わせる。そしてその顔は浩志の見覚えのある物だった。
「あ、あんたは・・・・夕方の」
閃光は一瞬だけの事だったのだろうか。まだ眼の中がに光がある様な錯覚の中、浩志はその女性の事を思い出す。
しかしそこに居た女性の表情は初めてであった時の物とは全く違う、そう、まるで自分が殺意のみに自分自身を塗りつぶした時の様な顔をしているのだ。
そんな表情を自分ではなく他人の物で拝める日が来るとは想いもしなかった故に、浩志は立ち上がることも忘れそれに見入っていた。
女性はそんな浩志の事を一度見ただけで、後は雷の壁から漸く解放され煙を身体から上げている化け物の方に向き直り、やはり殺意の籠もった眼でそれを見据える。
ただ、それだけの行為の筈なのに辺りは一瞬にして温度が下がった様な雰囲気になり、風すら冷たく感じるのだ。
そして彼女は足を開き少しだけ腰をかがめてから、引き絞った拳を前へと突き出し一言だけ言う。
「楔・・・」
カシュンッ・・・・
浩志にはそれがただ、正拳突きの様な物を放ったようにしか見えなかった。
それも、相手には届いていない筈の距離。その女性の腕が伸びた様にも見えない。
だが変わりに見えた物は一筋の線。光り輝く物ではなく、くすんだ色をしたそれはまるで中空に一本の道筋を描き出した様に見える。
ただ、それだけの行為だった筈だ。もしかしたらその線すらも幻だったのかも知れないと、浩志は頭の中で思い返す。
だが、その暇も与えられる事無く、異形の者の身体は一瞬にして音もなく飛び散り、落ちたそれは土となってコンクリートの地面へと落ちた。
「な・・・・???」
人生で初めて、浩志は唖然とした、と言う言葉を実感する事になった。
まさに何が起こったのか等皆目検討が突かない。
落ち着けと言われればそうするだろうが、自分でそれを落ち着くには情報が少なすぎる。
その上、空から人が降りてきたのだ。知り合いとまでは行かない物の、知ってる顔ではある人物が。
そんな様々な欠如した断片の情報だけが寄り集まっているこの場所で、それを理解すると言う事自体が無理な事。
経験もなく体験した事も無い事ばかりが目の前にあり、幻ではなく現実として現れているのだ。
だが、驚きに打ちひしがれ唖然としている浩志の頭の中とは関係なく時間は進み、先ほどの音が聞こえたのだろう。
野次馬が集まってきた。
それを良しとしないのか。いや、それは当たり前の事なのだが。白いチャイナ服を来た女性は空を見上げ、何かを待っている様だったのだが、
それも一瞬の事。ざわめきが聞こえ気が付けば公園の周りには様々な種類の人間が自分たちを見ている。
そして騒ぎになりつつあるこの場を退却しようと考えたのだろう。
女性は少しだけ前に進み考える様に首を傾げてから、元居た場所ではなく浩志の尻餅を着いているその場まで行き言った。
「一緒に来なさい。でないと警察に捕まるわよ」
「わ、分かった」
警察に捕まるかどうかはよく分からなかったが、騒ぎの中心人物にされるのは浩志もまっぴら御免だった。
それ故誘いに乗り、危険とは想いながらも女性に着いて行く。
「お、おい。どうするんだよ」
しかし、どう考えても既に集まってしまった野次馬を掻き分けて行くのは不可能と考えたのか。女性は提案する様に言う。
「身体能力上げられるわね。それとも出来ない?」
何処か小馬鹿にした笑みを浮かべているが、女性の挑発よりも浩志は既に状況を把握しつつあった。
とは言ってもこの場にずっと居て得となるか損となるかではあったが。それ故直ぐに頷き、身体全体ではなく、脚を重点的に強化し、中空を舞った。
「あ!」
誰かの声を感じた時には、既に野次馬の群は後方に位置している。先ほど放てなかった力もそのまま能力強化に使った為か、思いの外効果があった様である。
しかし多分幅跳びの世界新記録を出したと考えながら、走る女性の後を追う浩志も我ながら落ち着きすぎだとも思っているのだろう。
既に先ほどの異形の者の事は忘れつつもあった。
しかし、忘れさせてくれない様子。車よりも早い速さで街を疾走する浩志だったが、辺りに様々な、それで居て同質の気配を感じ眉を顰める。
それに女性も気付いていたのだろう。ぐん、と走る速さを上げたかと思えば上へと舞い上がる。しかし
「俺にもやれってかおい・・・・」
目の前に現れたのは巨大なビル。いつの間にかビル街にまで来ていたらしく、女性はそれを難なく飛び上がり多分屋上辺りに降り立ったのだろう。
しかし見上げただけでその高さは身震いする程の物。ハッキリ言って人間をベースとして身体能力を強化したとしても、
飛び越えると言うとんでもない芸当をやって退けられる事ではない。
その上、姿は見えない物の、先ほどと同じ様な殺気を込めた視線と気配がどんどん近づきつつあるのだ。
「どうしようも無いってか? 勘弁してくれよ」
それ故、浩志は半ば自棄になり、全力で身体能力を強化しようと集中した。
しかし、そこではたと気付く。何も身体能力を強化しなくとも出来るのではないか、と。
「何だったっけか・・・・。力場を造り出す、だったかな?」
それは何かの本で読んだことのある、鳥の様に翼があるのだが、比率の問題で飛べる筈のない存在が空を飛べる原理の事。
しかし、所詮現実の話を書いた物ではなく物語の中での話し。今直面している問題を解決してくれるとは思えない。
だが、浩志は思い言った。
「俺自身が既に現実とかけ離れてんだ。やってみる価値はあるよな」
半分自己暗示をかけるようにして言い終えた浩志は空を飛ぶイメージを造り出し、それを身体へと行き渡らせ空を昇った。
それは以外に簡単な事ではあった。だが、上手くイメージ出来なかった部分が幾つかあり、ハッキリ言って不安定極まりない飛び方ではある。
それ故、一気に加速するイメージを具現化しビルの屋上まで一気に昇り切った。
「遅い」
「初対面でんな事言うか普通?」
何もかもが初体験な今日この頃。浩志は様々な体験の中で以外と自分が力を扱えているのではないかと思いつつも、やはり攻撃の際の力と今使った、
補助用とでも呼べるそれとは何処か違う様な気がしてならない。そして隣りに居る女性の不満顔を見た時、何処か可笑しくも思えて仕方なかった。
「俺は長瀬浩志ってんだ。あんたは?」
その上、我ながら何が迫っているのかよく分からない、それでも危機と分かる状況でさえ冷静になれる自分も可笑しくて仕方ないのか。
浩志は嬉しそうな顔をして彼女の顔も見ずに聞く。
「ファンよ。唐突で悪いけど三匹ほどお願いするわ」
そして答えと共にそれは姿を現す。
ビルの下から空を昇ってその身を現したのは合計七匹。全員が全員、黒い羽のある甲殻虫であり、エイリアンと言っても良いだろう。
大口を開け威嚇しながら中空を羽音と共に浮いているが、ハッキリ言って気持ちが悪いと言うしかない。
何せその身体を覆っている甲殻の上には滑りでもあるのか。ぬらぬらと不気味に光るそこからは悪臭が漂ってきている。
そして七匹の黒い悪魔は一斉に二人へと襲いかかる。
しかし、予想と違ったのはそこから。黒い悪魔は浩志の方には目もくれずファンだけを狙い襲いかかったのだ。
恐ろしく早いスピードで襲いかかるそれを浩志は一瞬見失い、風と共に姿を現したその七匹に囲まれるファンを見た時正直「やばい」と思った。
だが、次の瞬間鳴り響いたのは凄まじい雷鳴。ファンを中心として発生したそれは黒髪の色を吸い上げる様にして灰色へと変わり、
完全にその色で統一された時、彼女の瞳には岩肌を剥き出しにした様な山の色が宿っている。
「頭部を吹っ飛ばして!」
そして声が聞こえた時、浩志は自分でも分からないが反射的に前へと飛び込んでいた。
その先にあるのは異形の者。どう攻撃すれば良いのかはまだ分からない。
しかし、右手の中に何かを感じた浩志はそれをそのまま前へと突き出す。
ゴガァアッ!!!
「おわっ!?」
それが分からない存在のまま、前へと突き出した為だろう。思いの外威力があったそれは相手に当たった瞬間、ファンの言った通り頭部を吹っ飛ばし
一番最初にあった黒い悪魔と同じく土へと変える。だが、反動の事まで考えていなかった浩志は自分へと帰ってきた衝撃波に後方へと飛ばされる。
「落ちるって!!」
コンクリートの床と平行に飛ぶ様を直ぐに確認できたのは何故か分からない。そして真後ろに妙な感覚を感じた時、浩志は右手を攻撃した時の様に
コンクリートへと突き刺す。
ガガガガッ!!!
それは少しだけ屋上を削り浩志を止める。後ろを見れば後30センチ足らずで真っ逆様の場所だ。だが、それよりも浩志が驚いたのは右手の中にあった物。
それは青い長柄の槍だった。
「二匹行ったわよ!」
「おえ!?」
しかしそれを凝視している時間は無い様子で、前を少し見れば黒い悪魔が迫り来るのが見える。
それを確認した時、浩志は無意識に槍を床から抜き、構えそれを振るう。
ゴウッ!!!
ただ、それだけの行為だった筈なのに、それが生み出した物は風ではなく青く輝く光のベール。
空間に投影される様にして現れたそれはたったその一振りだけで二匹の黒い悪魔を土へと変える。
「なかなかやるじゃん、俺」
自分を誉めつつ次の目標に視線をやるが、既に終わってしまった後なのだろう。風が吹き荒むビルの上故に、土となった黒い悪魔達は屋上から流されて行った。
事が終わり、その場に漸く静寂が訪れる。だが、片膝を着いている女性を見た時、浩志は言葉を失った。
そこに居たのは先ほどの雄々しいまでの女性とはかけ離れ、儚げで何時消えてもおかしくない程の存在感しか無いのだ。
身体から立ち上る白煙はまるで命その物を削り燃やしている様にも思えて仕方がない。そして極めつけはその顔色。
死人と見間違う程の色をしたそれは明らかに生気を失っている用にしか見えない。
「大丈夫・・・・なの、か?」
我に返り女性へと近づき、浩志はそう言ったがどう考えても普通ではない状態なのだ。大丈夫ではない事位分かっている。
だが、女性はふらつく脚で立ち上がり苦笑しながら言ってみせる。
「一週間ほど寝てないの。何処かで休ませてくれない・・・」
そう言い終え、女性は身勝手に浩志の胸へと倒れ込み寝息を立て始める。
「厄日かな・・・今日は」
そして浩志は頭を掻きながら、どうやってここを降りようかと迷っていた。
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