「ん・・・」

 朝日が射し込むと同時に起きるのは何度目だろうか、と思いつつ彼女は目を覚ました。別に夜型の生活でも問題は無いのだが、どうも学生時代の癖が未だに抜けないらしく未だに早起きが日課である事は間違いない上、寝る時間がかなり遅い事を考えると精神的に年を取っていると言う事かもしれない。

 昨日も夜遅くまで資料整理に追われ、殆ど一日をそれで潰したと言っても過言ではなく隣の部屋にある資料の山は当分見たくないと言うのが彼女の見解。

「器用貧乏かぁ・・・」

 双眸を開け、天井を見ながら呟く言葉はある意味絶望的な未来を暗示しているのかもしれない。だが、マイナス思考ばかりを考えている事も虚しいので起きて玄関へと新聞を取りに行く。

にゃう〜

「おはよ。ご飯はもうちょっと待ってね」

 今の所、仕事以外のプライベートで唯一心が許せるのは足下にすり寄ってきている黒猫、性別はメスのポチだけだ。何故ポチなのかと言うと、本当は犬が飼いたかったらしいのだが、仕事の時間都合の関係で猫にしたと言う事。最も、路地裏の段ボールの中で蹲って寒さに震えていた時に助けて以来、朝と夕、夜以外は何処で何をしているのか分からないと言う意外とドライな関係。

「あんた今日も予定あるの?」

にゃう

「毎日私よりも忙しいんじゃない? 実は」

にゃふ

 昨日買ってきたファーストフードの残りモノであるハンバーガーに食らいつきながら満足そうに頷くポチ。多分、会話が成立しているのは気のせいだろうと言うのは拾ってきて以来ずっと感じている事。そしてもし会話が成立するのなら、名前にポチと言う犬、そして一般的に考えて雄の名前を使った事を抗議されるのは明白。

「さてと・・・世界情勢は」

 新聞を広げ、一面記事を踊る文字はここ何年か代わり映えしないモノ。確かに何度か珍しい記事もあったのだが、今の彼女から言わせれば予測しうる事が起きたに過ぎず、予測不可能な事など何一つ起きていないと言うモノ。所詮人間のする事などたかが知れていると言った所か。

「・・・これじゃ世捨て人ね、私」

 顰めっ面になりながら新聞をテーブルに置き、ポットに水を入れコンロに火を灯す。

 洗面所に行き、一人暮らしが長いせいか、独り言が多くなって仕方がないと思いつつ見る鏡に映った自分の顔は昔とさして変わっていない物。三十路手前なので多少十代の頃と比べれば違うかもしれないが、昔からよく言えば大人びていた、悪く言えば老けていたと言った所か。同級生が見れば一目瞭然な年の取り方ではある。

 部分的な所を除いては。

「はぁ・・・。流石に昔に比べれば肌艶も落ちたなぁ」

 少々一般的ではない仕事柄、安全面で気を付けては居るのだがそれでも傷つくことが多く身体には無数の切り傷や銃創がある。 だが、その一つ一つが忘れられない何かになり、今の彼女を作っているのも現実。少々複雑なのだ。

 そして前の開いたブラウスだから見える肩から腹に掛けて伸びる傷はその中で最も大きい傷であり、この傷のおかげで何度か付き合っていた男性との最後の時に逃げられた事すらあるのだ。それ故、少々男性関係が奥手に成りつつあるのは仕方ないことなのだろうか。

「ホント、見る目ないわね。私」

 鏡の中で苦笑している自分を見て、良い気分ではないのが正直な所。それを洗い流すようにして顔を洗う。

「さて、今日も一日頑張りますか」

 頬をぱんぱんと二回叩き、気合いを入れてから着替える。寝るときのブラウスとブラにパンツ一枚の格好とはうって変わり、仕事着はズボンを履いてベストを羽織るだけと言った素っ気のないモノ。だが、これが一番動きやすくそつなく纏められると言うのが彼女自身の行き着いた答え。何しろ形は流行の服とはかけ離れているモノの、材質だけは一級品なのだから。

 ズボンとブラウスは薄地に見えるのだが形状記憶合金が使われ、滅多にないのだが、刀剣類による切り傷を完全に遮断してくれると言う代物。日本の文化である忍者の装備品である、鎖帷子(くさりかたびら)の現代版と言った所。ベストは完全に防弾出来る超合金製の繊維で出来ている為、確かに普通のベストよりも重いのだが、普通の防弾チョッキよりもかなり軽く作られてあるのだ。そしてそのどれもが同じ会社、普通ならばNASAや他の有名ブランドの名前が挙がるのだが、これだけは日本の彼女が勤めている「有限会社SONIC ROAR」のモノであり大量生産を強いられない為、かなりの資金が掛かっている事は違いない。

 最も、下着まで用意してくれると言うのには、多少なり戸惑いを覚え低調にお断りしたモノだが。

 そして同居人であるポチの頭を撫で、あらかた必要な物の入っているリュックを背負い彼女、三上千尋(みかみちひろ)はいつもの様に仕事場へと向かった。



















 起きたての街は五月蠅い程の人工的な音に支配され、拭っても拭いきれない厚く安穏とした雲に覆われた空はそれを反射している様にさえ思え、どことなく自分の居場所が分からなくなるような時がたまにある。生きているのか死んでいるのか分からない瞳をした人々の歩く道を横目に見ながら、千尋はそんな事を考えていた。

 通勤、と言う程遠い距離ではないが、昔からの趣味であるバイク通勤は朝の気分を晴れやかにするモノであり、自ずとスピードはどうしても出てしまうが、この間警邏中のパトカーに追われ減点を喰らっているのでいつもよりはスピードは抑えめではある。と言っても、前回捕まった時は50キロオーバー。そして今は80キロの道路を100キロで走っている故に捕まるとかなりやばい事になるのは違いない。

『事故も起こさず走ってんだからそのくらい見逃して欲しいけどなぁ』

 750ccの大型バイクで車の間を駆け抜けながらそんな事を考え、瞬くまに仕事場へ着く。

 仕事場、と言っても、そこいらにあるオフィス街でバイクを乗り回しているのは彼女だけ。それ故、周りのサラリーマンやOL達も慣れているのか、あまり気にした風ではなく、たまに新人や出張で来ているサラリーマン等が彼女に眼を配り見ているだけ。今日はそんな視線を感じず、一見この辺りでは一番くたびれた感じのビルへと入る。

 中に入っている会社は彼女が勤めているSONIC RORAの一つであり、テナントの入っていない階はたまに同僚が寝ているので見つかれた怒られるのは必死だろう。だが今日はその人物の姿もなく、最上階へと駆け上がりドアを開け放った。

「おはよっ」

「あいよー、おはようさん」

「あれ? 社長はまだ?」

「今日は朝早くから出かけてて居ないぜ。ま、どうせ昼の依頼の引き受けは俺が担当だし問題ないっしょ」

 少し広めのオフィスには机が一応社員分である六つ用意されているのだが、それも個性が出ていると言うか。そしてその中で最もモノが多く、他の机まで浸食している机に付いている男が今彼女に返事をした高瀬大介(たかせだいすけ)である。

「少しは整理したら? 昨日非番で家の資料整理やってたけど、早くやっとかないと後で後悔するわよ」

「別に良いだろ。両隣のお二人さんはここ使う必要ないだろうし、前の半蔵にゃちゃーんと許可貰ってるし」

「そう言う問題じゃないと思うんだけど・・・」

 にひひと笑う白い顔の大介を後目に、千尋はリュックを自分の机に置いて給湯室へと向かう。

「あ、湯は沸いてると思うし、俺もコーヒー頂戴」

「狙ってたでしょ、私が来る時間」

「流石千尋の姉御、分かってらっしゃる」

「はいはい、ブラックで良いのね。あと、そのおでこの虫さされ?」

「あ? ああ、そんなもんだな」

 仕方なさそうに笑うのもいつもの光景。小間使いされている様な気分にならないのは、それだけ大介の仕事が大変だと分かっての事。千尋なりの気遣い方と言った所だ。

 そして計った様に彼女がコンロの前に立つとポットの「ピィー」と言うけたたましい音が鳴り、それと同時に出入り口のドアが開く。

「・・・・・」

「よっ、半蔵」

「ん・・・」

 入ってきたのは先の件の半蔵と言う男性。と、言うよりも、まだあどけなさが抜けない17歳ではある。しかしその反面、この会社で一番冷静沈着と言うのは一回りも違う千尋にとっては頭が上がらなくもない存在だ。背格好は大介とあまり変わらないのだが、その顔は正反対であるかの様に陰と陽に分けられる。

 仕事以外の時間を全てナンパに費やす大介はそう言う性格上、服装は仕事着と普段着ではがらりと変わり、今着ている中流の背広とは違い、ナンパの時は必ず一流の服を着て行くと言うめかし込み様で、そのアルビノ独特の白い綺麗な顔の笑顔が耐えた所など千尋は見た事もない。相反する半蔵はいつも黒いジーパンと真っ白いTシャツを着ている上、毎日趣味の釣りに興じている為か。日焼けした肌は健康的ではある。しかし、それもそのお世辞にも明るいと言えない表情で少々悪人と言うよりもジャンキーか精神異常者にさえ見える節があり、その美少年と誉めても可笑しくはない顔が台無しで、常に携帯している少々太めの釣り竿が尚のこと怪しさを倍増させている。

「南雲君もコーヒー?」

「お湯で良い」

 素っ気ない返事で返す半蔵はそのまま自分の机の一番下の引き出しから取り出した湯飲みを持ち、わざわざ千尋の所まで来てお湯を貰う所は彼なりの千尋に対する気遣いと言った所か。初めの頃は詰め寄りぶっきらぼうな半蔵を問いただしもしたが、その無表情の理由を知った今では微妙な感情の起伏も見逃す筈もないのだ。

「ごめんね。今日中にお茶買ってくるから」

「・・・・・」

 感情の起伏があると言っても、一般の人々とは違い彼の生い立ちからの問題なのでそう言った気遣いを理解出来ないのが半蔵の性格。だが、少しだけ両目を閉じて頭を下げる様は、逆立ちしても大介には真似できないだろう。それだけの精一杯の誠意が籠もっていると言う事。

「はい、コーヒー」

「サンキュ」

 自分の席に戻り、ゆっくりとコーヒーと白湯を飲む三人。飲み方も三者三様であり、大介は躊躇いもなく一口ずつ飲み、千尋は猫舌故冷ましながら飲む。そして半蔵だけは何処か落ち着いた物腰で両手で湯飲みを持ち、朝ののほほんとした雰囲気を満喫している様だった。そして毎朝大介はその光景を見ると言ってしまうのだ。

「やっぱ半蔵、お前じじくせぇぞそれ」

「・・・・・」

 一見無視した様に取れる半蔵の表情だが、この会社で既に11年勤めている大介には入り立てだった13の半蔵も知っている為、何を言っているのかも分かっている。 要するに「ほっといてくれ」と言っているのだと、多分、思う、と言うのが彼の話。微妙な眉の動きや口元の動きだけでそれを察する辺り、大介のナンパは仕事の為、交渉術の鍛錬だと言っているのも少しは頷けると言った所か。だが未だに千尋は半蔵が無視している説を押しているが、二人とも確かめた事は無いので定かではない。

 ちなみにこの三人、年齢で並べれば三十路一歩手前の千尋、今年で25になる大介、そして現在多分永久就職のつもりで働いている気長な17歳の半蔵と言う変わったメンツなのだが、勤務年数で言えば一番軽薄そうな大介が11年、そして半蔵が4年、千尋が3年と少し千尋に取っては納得できない節もある。とは言っても、半蔵とは同じ情報収集と言う職務故に結構仲が良く、大介はそう言う性格をしている割に文句の付け所のない仕事を取ってくる故に納得せざるを得ない言った所か。既に三年、されどたった三年と言う、どちらを取るべきか。それが最近の千尋の疑問でもあった。

 時間はゆるりと流れ、仕事が始まると言った風ではなくどう考えてもかなり早めの中休み。そんな様子に業を煮やすのは毎回大介と決まっていた。

「社長も来ないし、どうせまた雲隠れだろ。今日の仕事はどうなってる?」

 一応立場だけで言えば大介は二人の上司である副社長兼昼の依頼交渉と実行班を担当している故に、社長代行でもあるから言う事は聞かなければならない。

「私は武器の手入れぐらいでなーんにも無いわよ。貴方の仕事待ち」

「俺も同じく、だ」

「かー・・・。今日も平和だなをい。くだらん・・・」

「あんまり私たちの仕事無い方が良いに決まってるんだし、良いんじゃないの?」

「確かにそうだがなぁ・・・。半蔵、お前もつまらんよなぁ、退屈してる毎日」

「別に・・・・・」

 会社の仕事内容は基本的に裏社会での何でも屋と言った所か。その為重なって事件がある時は死ぬ程辛いが、暇な時はとことん暇と言う有り様でもある。主に入ってくる依頼は警察の手伝いかその真逆である殺人依頼。平然とそれをやって退けられるのは大介が依頼を取ってくる際に、殺しては駄目な人、殺すべき奴、殺す価値無しの三段階に分け依頼を取ってくる故に、罪悪感などは全く感じられない上、たまに警察からもそう言った危ない依頼があるので千尋の意見も最もである。

 ちなみに千尋の武器はスナイパーライフルと言うかなり危ない代物であり、ある時期に目覚めた異常視覚を役立てた武器であるが、手入れと言ってもこのビルの地下にある射撃場で試し打ちをする程度で整備は全て装備係である人物に任せっきりなのだ。半蔵も似た様な物で、実家が忍びの末裔と言った少々変わった生まれ故にその鉄の様な心が出来上がり、華奢な風に見える身体でも超人的な能力を有しオリンピックにでも出れば全ての競技で世界一を取れる程の異常さ。大介は大介で鋼糸(こうし)と言う、これまたこの会社の装備係が開発した特殊なワイヤーで戦うと言った変なモノを使っている為、装備の仕方を知っていても整備の仕方など全く無関心。ちなみに一般人的体力を持っているのは大介だけと言った所か。その代わり大介にはかなり巧みな話術がある故に、それも武器と換算して良いだろう。

 そして世の中、太平が何よりも良い、と言うのが千尋の考えである。

 しかし何時の世もそう言った太平を壊す輩が居るのは確かな事。そしてこの会社には二人、そう言った人物が居た。

「おはよーさーん」

 そう言ってドアから顔を出したのは年齢を感じさせない妙齢の女性であり、何故か何処へ行くにも白衣を着ている相川雅美(あいかわまさみ)である。社内での担当は医療兼料理と言った少々変わった物。料理が全く駄目な男性陣と、栄養バランスと味のバランスの絶妙さは年の近い千尋も賞賛しているのだ。そしていつもの如く元気であるが、彼女が登場した途端、たった一人の様子に変化が見られる。

「おはよ、ハンゾー」

 その声にびくりと震える辺り、初めて見た千尋はこれ以上ない程驚いたモノだ。何せ感情の起伏がほぼ皆無と言って良いほどの半蔵が唯一苦手とする人物がこの相川雅美その人なのだ。昔その理由がどうしても知りたくて聞いた所「薬の匂いが嫌なだけだ」と眉を珍しく寄せながら話してくれた時は笑ったモノである。だが、現時点でも尚、雅美が嫌がる半蔵を後ろから羽交い締めにして猫かわいがりする様子はなかなかの見物ではある。

「今日も綺麗っすよ、雅美さん」

「あら、大介くんも綺麗よ。けどおでこのキスマークは頂けないわね〜」

「たはは・・・」

 両人ともお世辞と言う訳ではない辺り、付き合いの長さを感じさせるが、ただの年齢の差なのかもしれない。

 何せこの中では一番年上の32歳。30代と言う風に感じさせないのは彼女曰く、適度な食事と適度な運動、だ、そうである。だが、この会社に居る限り、適度と言ってもかなりの体力を有する事は違いなく、雅美の趣味である楽器演奏を日がな一日ぶっ続けてやるのを簡単にやってしまうような体力なのであまり当てにはならない。

「ハンゾー。今日は釣れた?」

「・・・・三匹釣った」

「今度また料理してあげるから、鯛をリクエストして良いかな?」

「・・・・・」

 ちなみに半蔵がいつも釣りに言っているのは郊外にある港なのでそんなモノが釣れる筈もなく、純粋に釣る事が目的なので何が釣れようと全てリリースしているのだ。が、以前冗談で雅美が鮫(さめ)をリクエストした所、丸ごとここに持ってきたのを見てからあまり大きいモノをリクエストしなくなった。それが彼女なりの遠慮の仕方だと思うのだが、千尋も大介ももう少し釣りやすい魚にしてやれと言うのが同じ意見。だが、半蔵の事である。例え季節外れの鯛であろうが、良い鯛を釣ってくるのだろう。ちなみに鮫は郊外からここまで一晩中歩いて持ってきたと言う根性の持ち主であり、一途と言うか、その馬鹿さがあれば可能だと言うのも同じ意見だった。

「で、今日の仕事は?」

 そして落ち着いた、と言っても、既に諦めた半蔵を羽交い締めにしたままの雅美は大介にそう尋ねるが、肩を竦めただけで大介の反応は終わる。

「そう。ま、たまには良いんじゃない? こういう日も」

「たまにじゃなくてここ二週間ほどずっとですよ」

「そうだったかしら?」

 大介の冷たいツッコミも雅美は簡単に受け流し、そして大介だけが溜息と共に一人呟く。

「あー・・・仕事仕事仕事仕事」

 その大介の様子は構って欲しいと言う合図なのだろう。

 だからかもしれない。

「大介・・・」

「んあ?」

「額にバンソコ張って置け」

「・・・やかましい」

 大介だけに向く、半蔵の毒舌が炸裂したのは。

 そして有限会社SONIC RORAの今日は、平和な時が流れそうだった。







 昼が過ぎ、雅美お手製の料理で昼食を済ませた辺りでそれぞれの暇な勤務時間の過ごし方は変わって来る。

 まず大介は仕事時間内であろうと暇ならば煙草を吸いながらこまめに女の子に電話を掛け会話を楽しんでいる辺り、あまり暇とも言えないのかもしれない。ちなみに暇なので誰も文句を言わないのはそれだけ大介が信用されていると言う事。営業に行く訳にも行かないこの仕事は基本的に一本の電話から仕事が始まるのである。

 千尋と大介は某ゲーム会社の音ゲーと言う種類のダンスゲームに興じ、方や半蔵は肩慣らしと行った具合に最難度の譜面を難なくクリアし、その隣りの千尋は最難度でも一番簡単なのでもなく、普通のレベルで身体を動かしていると言った所か。決して千尋が運動神経が悪いと言う訳ではないのだが、隣りで半蔵がプレイしているのと比べれば下手に見えるのは致し方ない事。そして雅美は自分の領域である地下の医務室で趣味の音楽鑑賞である。少し耳を澄ませばその音楽が聞こえてくる辺り、かなりの大音響で聞いている事は間違いない。防音室でもある故、たまに怪我をした時に半蔵が医務室に行き、帰ってきた時の方がやつれて見える理由はその辺にあるのだろうと予測するのも一興か。そして大介の電話が切れた所で、ドアが開いた。

「おう、おはようさん」

「シャチョー。今日も暇、仕事の依頼一件も無しですー」

「ま、それも良いんじゃないの?」

 のほほんとした雰囲気で中に入ってきたのはこの会社の社長である黒崎龍哉、44歳。189cmと言う長身で背広を着れば外人にも見間違う程なのだが、何も無い所で転けたりするのはご愛敬かそれともただ間抜けなのか。顔にもそれが現れ、とても非常識な仕事をこなす会社の社長には見えない。この時間にわざわざ帰ってくる辺り、しっかりこの時間まで依頼が来ないと予測を踏んでの事は流石社長と言った所である。

 が、社長業と言っても変わった物で、基本的に経理雑用と、大介と交代で夜の依頼交渉が彼の仕事である。しかしだからこそ仕事の波と言うか、入ってくるタイミングを見計らえると言うのも一つの見方であろう。

「そんなぁ・・・。今月キビシイんすよ俺」

「女に手を出しすぎだ大介は」

「南雲の言う通りだと思うけどな、俺も」

「ぐはぁ・・・」

「けど南雲、それ疲れないのか?」

「・・・・鍛えてますから」

「若いってイイねー」

「突っ込んでくださいよ、少しは」

 そんな遣り取りを聞いている千尋はなかなかこの三人のコンビもイイ味を出しているのだなと再確認する。

 だが、今日は朝からいつもの顔である最後の一人が見えない事を不思議にも思うのだった。

「社長?」

 半蔵とのゲームを切り上げ、きびきびとした口調で言う千尋。

「なんだい? 三上君」

 だが、何処か龍哉が上の空なのはたまに雲隠れした後の事なので気にはならない。

「六道さん知りません? 今日なんか下に居ない見たいなんですけど」

「真悟さんか? さぁ、またゲームセンターかカラオケかライブハウスのどれかじゃないのかい?」

「そのどれに電話掛けても居ない見たいなんです」

「何か用事かね?」

「一応武器の試射と弾薬の確認をして置きたいんですが」

「なら俺が開けるよ」

「すみません」

「良いよ。でも、やっぱり三上君には教えても良いんじゃないかなぁ・・・」

 最後の台詞は独り言なのでやはり千尋は気にしないで置くが、正直そうして貰いたいと言う気持ちもあった。

 何せ有限会社SONIC RORAの最後の社員である、六道真悟(りくどうしんご)と言う男性は用心深く地下の武器庫に自前でロックを作り、その厳重な作りは銀行の金庫かと思われる程なのだ。いつもそうであるが、どこからそんな材料を仕入れ地下に入れるのかは全くの不明。どう考えても物理的に縮めたとしか思えないモノを地下の研究室に置いてあるモノはガラクタなのかはたまた高価なのか分からないモノばかり。だが、それを認めるだけの技術は持ち合わせ、彼女の今着ている服やその他、諸々の装備を作ったのも彼一人だと言うのだから驚きではある。

「南雲君も行く?」

「・・・」

 既にゲームを切り上げ、行く気満々なのであろう。表情からそれを読みとる事は難しいが、少し早く行きたいと思っているのか。最も、彼がどんな武器を使っているのかは千尋も未だに知らない謎の一つである。

『ホント、謎の多い会社ねここは』

 しかし龍哉がドアを開け直した途端、その向こう側に立っている人物は件の六道真悟。

「あ、良いところに帰ってきた」

「? 一応俺の方は揃って貰って丁度良いと思ったんだが」

 身長は高くもなく低くもなくと言った所か。龍哉や千尋と比べればかなり低いのだが、一般的に見てそんなに低い方では無いだろう。身体も無駄なく引き締まり、とても不規則極まりない生活をしているようには見えない。そして研究者独特の顔、と言うよりはそこいらに居る大学生とさして変わらないそれには常にサングラスがしてあるのだった。そして彼の一番の謎はそれでる。

「俺、じゃないけど三上君と南雲は武器庫に用があってね。どうせなら開けてあげてくれないかな?」

「それは分かった。俺の用は黒崎、お前を呼びに行けと雅美に言われてな。さっさと行ってくれよ? でないとまたどつかれる」

「はいはい。相変わらず雅美君と仲がイイねぇ。羨ましいよ」

「何処見てそれ言ってんだボンクラ。あんなのじゃじゃ馬で十分だ。ほら、千尋と半蔵、行くぞ」

 そう言う姿は長年ここに勤めた雰囲気を持っている様な気もする。のだが、実を言うとまだ彼はここに勤めて3年。千尋よりも後輩なのだ。そして容姿から察するに年齢は二十代なのだろうかと思われるのだが、その反面持っている技術レベルやどう考えても年上に見える龍哉にタメ口で話をし、時々出てくる変な知識は学生風の男が知っている内容ではないのである。

 技術的なレベルの面ではIQが高い、と言えばそれで終わりな様な気もするのだがとてもそう見えず、龍哉とタメ口で話をするのは昔からの知り合いで礼儀正しくないと言う説明で十分な気もする。変な知識は本でも読みあさったのだろうと言えばそれで終わり、と言うのが千尋の見解なのだが、半蔵や大介はそうではない様子で、見た目よりもかなり高齢だと言うのが予想であり、珍しく半蔵&大介対千尋で賭けて居るのも事実だった。

 そんなくだらない事を思い出しながら三人は武器庫へと着き、物々しい大きな金庫を開け千尋と半蔵は中に入る。

「鍵は掛けないで良いからそのままにしとけ。あと、半蔵は実行班用の装備も最終チェックして置けよ」

「何故、です?」

「多分、仕事だ。で、千尋はそれの確認が済んだら医務室まで来い、分かったか?」

「は、はぁ」

 そしてそのまま真悟はそそくさと出ていった。

 無論、何がなんだか分からない二人だったが、それぞれの装備の状態確認をし、使う武器一つしかない千尋の方が早く終わるのも当たり前の事。

「じゃ、私は先行くわ」

「ん・・・」

 そして千尋は呼ばれた通り、医務室へと行く。とは言っても、真悟の研究室と雅美の医務室は廊下を挟んで反対側なのだ。それ故、ドアを開け直ぐ目の前にあるドアを開ければ良いだけの事。だが、何故かそこでは真悟が立って待っている。

「どうしたん、ですか?」

「締め出し喰らっただけだ。お前は中」

「はぁ・・・」

 相変わらず自己中心的な物言いだったが、彼の性格のそう言う所はある意味仕事でも活かせて居るのだ。どれだけがさつに見えてもそれだけの理由がありそうしている事は分かっているので文句を言わずドアノブに手を掛ける。が、その時。

「要らぬ事を言うんじゃねぇぞ」

「?」

 いきなり肩を掴まれその台詞故に、千尋は驚いた顔をしていたが、直ぐに頷きドアノブを回した。

 そして真悟の言っていた意味がどう言ったモノかは直ぐに理解出来る。

 診察台の隣りにある机の横の椅子に座っているのは雅美。相変わらずの白衣姿はここでこそ似合っていると言えるだろう。そしてドアの直ぐ側に立っているのは龍哉。この人の場合何処に居ようと似合う気がするのは気のせいか。だが、それは影のように自分の存在を溶け込ませると言った意味なのであまり良いとは言えない。そしてもう一人、彼女の見知らぬ少女が診察台の上に座り俯いて居た。

「お呼びでしょうか」

 足音を消して去って行く真悟の気配の動きだけが分かる中、千尋は漸くその言葉を絞り出した。何せその見知らぬ少女の雰囲気が昔の自分と酷似していたから。

「ああ、えっと・・・」

 緊張しているのだろう。ただし、少女の目の前で話すべき事ではないのかと言う、迷いからくる声質は龍哉の精一杯の気遣いなのだろう。どう考えてもこういった事は男性は苦手なのだから。

「彼女は鬼頭遙(きとうはるか)クンと言って、今回ガードする事になった雇い主だ。三上君には彼女のボディーガードをやって貰うが、良いかね?」

「承知し致しました」

 何処か事務的口調になってしまうのは致し方のない事なのだろうが、千尋はそれを今この場で少女に対してだけは本当は使いたくなかった。だが、昔の自分と重ねたその時、自分がどうして欲しかったのかを思い出し、口を開く。

「三上千尋です。以後、お見知り置きを」

 あの時の自分はどうしても、生半可な暖かさを感じるのがどうしても嫌で、気遣うみんなの事が嫌いになってしまっていたのだ。その挙げ句、その暖かさに耐えきれず無数の傷を作ってしまった事も事実。その時ほど、冷たい言葉で突き放して欲しいと思った事はなかった。そしてあえて反感を買う様な言葉を続ける。

「鬼頭さん、でしたっけ?」

「み、三上君」

 多分千尋の態度がいつもと違う事を悟ったのか。龍哉はかなりどぎまぎした応対で千尋の顔を見ながらその一方、何処か雅美に助けを求める様な視線を送っている所はこの人だからこそなのかもしれない器用さだ。だが、そんな事はお構いなしに千尋は聞いた。

「自分の無力さに苛まれるのに疲れたのなら、私は死ぬ事をお勧めします」

「!!」

 無論、その言葉に龍哉は驚き目を見開く。単純な予想として千尋がそこまで言うとは思っていなかったのだろう。

 だが、まだ千尋の言葉は終わらない。

 何故なら、千尋に向けられた少女の視線は、先ほどの死にたいと願っているそれから分かってくれないと言う憎しみに支配されていたのだから。

「けど」

「・・・・・」

 そして一瞬の間を置いてから、千尋は少女に言った。

「時には人前で泣いても良いんじゃないですか?」

「・・・・うっ」

 昔は、どうしても冷たい言葉が欲しいだけだった。

 突き放して、死んでも良いと言われるのが本当の望みだった。

 けど、どうしても死ねなかったのはやはり生きていたいと願っていたからなのだろう。

 それが分かっているからこそ、彼女は、いや、千尋だからこそ言える台詞なのかもしれない。

 その前に進ませる為の一言は。

 そしてしばらくの間、部屋の中には鳴き声が木霊していた。



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