やはり子供なのだと感じる千尋と、珍しく落ち込んでいる風に見える半蔵。そして依頼者であり、一日も経っていない時間で歳の離れた妹の様に感じる遙の三人を部屋の中に置き、雅美は何も言わず足りなくなっている市販薬の確認や、社員それぞれのカルテを見て暇を潰していた。

 半蔵が持ってきたファーストフードの食料は半分以上残っているが、龍哉と真悟の分なので気にもならない。三人と、自分もしっかりと食事だけはしているので落ち込んでいるとしても元気はその内出てくるだろう。忘れられない傷になったとしても、それを乗り越えて行かなければ生きて行けないのが人間なのだから。

 ここが地下なので外の様子は分からないが、既に夜になっている事は時計と身体に染みついた感覚で分かっている。研ぎ澄まされた感覚をも使えば、地上に居る見知らぬ人の足音さえ聞こえる程の能力を持っているが、今は必要ないだろう。

 そんな事を考えながらカルテに付け足しをしていた時、ふと物音に気付き、自分の考えが甘かったのかもしれないと一瞬後悔する。

 上には大介が警備しているとは半蔵に聞いて居たが、今の状態を言うならばそれは警備ではなく防戦。銃を使うはずもない大介が、銃声を轟かせる等と言う事は無いのだから。

「半蔵、千尋、ちゃっちゃと戦闘用意してね」

 そう言った物の、二人の反応が遅い事等予想済み。だが以外にも身構え身体を緊張させたのは遙だった。

 千尋のマンションでの事を思い出してしまったのだろう。一般人として生活していたならば、こんな映画の様な非現実な世界に足を踏み入れることなど無かった筈なのだ。しかし現実として直面している危機は紛れもなく本物であり、避け様としても避けられない事まで分かっているらしい。

「南雲君は、ここをお願い」

「だが・・・」

「接近戦にならなかったら私でも出来るわ。でも、突破されるのは間違いないから、その時貴方が遙ちゃんを守ってあげて」

「・・・・分かった」

 頭の中のスイッチを切り替え、既に迷う事など置いて来てしまったのだろう。千尋の表情は優しげの欠片もない、冷徹な人形へとなりドアを開け向かい側の、武器庫でもある部屋へと入って行く。

 その音を確認しながら、雅美はまだ腑抜けている半蔵をたたき起こす為に、仕方なく笑いながら頬を拳で殴る。

「な、何するんですか!!」

 理由が分からないのだろう。狼狽しながら怒鳴る遙だったが、ここはあえて無視し半蔵に叱咤するように言った。

「いつまで考え事してるの。報告書読んだでしょ? かなり危ない奴が来るかもしれないのに、そんな落ち込んでる状態でこの子が守れるのかしら」

「そんな言い方無いでしょ!?」

「遙ちゃん、貴方ももうちょっと自分の置かれている状態を思い知った方が良いのかも知れないわね。インターネットでどれだけの腕を持ってるかもしれないけど、リアルワールド(現実世界)では死ぬ事だってあるのよ? 半蔵を見てそれが分かってるんだったら、私たちのやり方に口出ししないでくれるかしら」

「でも・・・」

「中途半端な正義って言うのはね、悪と同じでどうしようもない存在なの。罪とされている事を犯して正義を貫く事なんて出来ないわ。分かってたんでしょ? こう言う命が狙われる事があるかもしれないって事。武器密輸してる相手を政府に売ったんだからね。実力相応じゃなくそれ以上の事をやって歯止めも掛けられない子供が文句言える立場かしら」

 いつの間にか叱咤する人物が変わっていたが、その間中も半蔵は黙ったままで居た。

 頭の中にあるのは、様々な事だろう。今まで考えた事のない事ばかりであり、彼に取っては苦しみに他ならない。

 だがその反面、解決したいと言う想いもある故に、今のこの状況下になっても尚、考えていたいと言う子供じみた考えが浮かぶのだ。

 しかし、やはりそれは出来ない事。

 輝きの失った、人形の瞳から一匹の獣の瞳になり、噛み付きそうに雅美を睨め付ける遙の肩を掴み言う。

「あんたはここに居れば良いんだ。俺があんたを守る」

「それで良いのよ。・・・・じゃ、私も行きますか」

 そう言い、雅美は自分のデスクの引き出しから一対のグラブと市販製造されていない型の銃を取りだし、銃を半蔵に渡す。

「何処に行くんだ」

 半蔵には雅美の行動が分からないのだろう。会社の中の役目としては、例え治癒能力がずば抜けていても、所詮一介の医者に代わりはないのだ。

 だが、それは半蔵が知らないだけの事。

 その治癒能力は、所詮氷山の一角だと言う事を。

「ロングレンジと中距離専門の二人だけじゃどうにもならないでしょ? 接近戦専門の私が居れば、あなた達二人を逃がす事位なら出来るわ」

「だけどあんたじゃ・・・」

 そして半蔵の言葉を遮るように出された、雅美の開かれた手は、半蔵の視界を隠すだけではなく、それ以外の感情を巻き起こらせる。

 それが理解出来なくて、半蔵は何も言えなくなってしまったのだろう。

 否、理解出来たからこそなのかもしれない。

 17年間生きてきて、敵と相まみえた時よりも更に強く感じるそれは、恐怖と言う名の、悪魔の化身なのだから。

 そして開かれた雅美の口から漏れた言葉には、確かに力を感じた。

「人外の化け物相手なら慣れてるわ。少なくとも、そう言った相手を専門に殺していた時期もあったから」

 それを見た時の半蔵は、何故か雅美の瞳が赤く輝いている様に見えた。

 まるで、風に揺らめき消されぬ様輝きを放つ灯火(かぎろい)の様に。



















 雨音も強くなり始め身体が重くなってきた頃、龍哉は息も切れ切れに立ち止まっていた。

 ほぼ銃弾は撃ち尽くし、手応えがあったと思う瞬間に襲われる感覚はグニャリとした何かを潰した様な手の感触。

 それが何か理解出来る筈もなく、堪って行くのは疲労と身体に感じる、服が吸い込む水の重さ。

 そして敵として相まみえている不知火と言う男は、先ほどと全く変わらず、気配だけを此方にぶつけている様だった。

『やっぱり・・・歳だな。身体が持たんよ』

 苦笑してしまうだけの余裕はあるが、それ以上の行動を起こす余裕などもはや無くなっている。それだけの負荷を身体にかけているのだから当たり前だろう。

 人間の限界ギリギリの力ならば勝てない事は分かっていた。だから龍哉が体得した速さは、もはや人外と言っても良いほどの速さと言っても過言ではない。だが、不知火はそれ以上早く動けるのか。知覚出来る速さであるのだが、此方が動いた瞬間、自分の真後ろにその気配だけが動き姿が目の前にあるままと言う不可思議な現状が生まれるのだ。

 そんな時だからこそ、その技を教えて貰ったSRの前社長の言葉を思い出すのだろう。

『調停者には・・・MEDIATORには関わるな、か』

 龍哉が入社した頃のSONIC ROARは名前もなく、只の始末屋の集まりだった。昔の同僚は仕事中に殺されたか、隠居して既に亡くなっているかのどちらかだ。その理由も龍哉自身が入社した時の同僚の年齢が高齢だった事があり、納得出来る事。そして前社長はその中で一番龍哉に年齢が近かった。

 当時24だった龍哉は妻を不知火と言う人物に殺された事も知らず、ただ、どうすれば良いのか分からなくなり、刑事を辞めてしまった。そして流れ着いた先は、安っぽいドラマなどで出てくる様な一件のバー。そこで前社長と出会い、そしてこの仕事を貰ったのだ。

 警察とは違い、悪人として調べ上げられ国として処罰できない輩を殺す事には何の疑問も抱かなかった。誰も政治や企業のトップが計画殺人から強姦に至るまでの悪行をしている等と分からないのだろう。そして警察で逮捕したとしても大量の保釈金で直ぐに出てこられるシステムは龍哉自身も納得出来なかったのもその理由の一つ。そしてその内一件の事件に出逢うまで、彼は闇に徹して生きていた。

 それは大介が入社する切っ掛けにもなった事件であり、今の社員で前社長の顔をしっているのは龍哉と大介の二人だけだ。

 13年前のその事件は、今考えても憎しみがこみ上げてくるのは正直な所。そして誰一人として、今の社員の居ない会社で龍哉はその当時の同僚と一緒になって国から依頼されたある一人の人物を追っていた。

 それが不知火と言う名前である事は、前社長が目の前で殺され、そして事切れる前に聞き出せた遺言。

 結局それ以来、不知火と言う人物に着いて追って来たが、一つ以外は情報が掴めないでいた。

 それが、龍哉の妻であった、新谷薫と言う女性を殺したと言う事。

 それが分かった故に、龍哉は前社長の使えた唯一の技を体得する為に、衰え行く身体に鞭を打ちひたすら鍛錬を続けたのだ。

 時々消える様にして消息を絶つのもそれが理由であり、帰りには必ず妻の墓参りに行くのも半分以上日課になってしまっているだろう。

 今でも復讐の為に生き長らえているのは死んだ妻にも悪いとは思っているのだが、まだ心の中で決着が付かないのも龍哉が弱さを抱えているが故の事。

 その人間らしさを捨てさえすれば、更なる領域へと行ける事も分かっている。

 それが、前社長であり、師匠でもあった人物の遺言。

 そして警告でもあった。

『全細胞を一瞬にして活性化する為に、身体に掛かる負荷は時を短縮した様になり五分以上使えばボロボロになり死んでしまう・・・・』

 一言一句、間違えず心の中で呟けるのも龍哉がそれを心に刻み込んだから。脳裏に焼き付いた映像はまだ元気だった頃の前社長のこの技を使う様。

 そしてその二つよりも強い記憶が、妻の笑顔なのだろう。

 既に見えなくなり消えかかる記憶の断片ばかりだったが、今の龍哉に取ってはそれだけが生きる支えなのだ。

「不知火・・・あんたは、何故サングラスを取らなかったんだい?」

 そして、死ぬ間際だと分かるからこそなのかもしれない。

 ふとした疑問を投げかけて見る。

 答えが返ってくる等とは思わなかったが、最後の台詞としては気の利かない、馬鹿げた物だろう。

 だが帰ってきた答えは、龍哉の知らない事。

「コンタクトも填めず、こんな色の瞳があるんだ。あまり人に見られたくないんでね」

 気配と姿が一致し、霞む視界の中でさえそれはハッキリと龍哉の瞳に映り、そして何故不知火と呼ばれているのかも納得が行った。

「だから・・・不知火なんだね。君は」

 夜の深き暗闇に包まれた海の向こう側に見える焔の事を不知火と呼ばれるのは知っていたが、その灯火はたった一つでないと言う言い伝えがある。そしてその伝説どう降り、そこにあった瞳の赤い輝きは無数にあった。

 常に動き回るのではなく、気配と姿を分離できる故の現象なのだろう。人間の理解出来る領域を遥かに越えた存在である事など、間違いはない。

 だが、龍哉の復讐を誓った相手ならば、諦める事も出来ないのだろう。

 それ故、最後の力を振り絞り動こうとしたが、周りに蠢く不知火以外の気配に気付いた。

「NIGHT SHADOWも、君の仲間なんだろ?」

「・・・・・」

 調べ上げた事ではなく、何となくそう言う気がしただけの事。だが、それに対する答えは無言と、周りからうなり声をあげ雨音を消す銃声。

 死を覚悟する事などとうの昔に出来ている事故に、今あるのは不知火と言う、復讐の相手を殺せなかったと言う後悔のみ。

 だが、死出の旅へと誘われる事は銃声が鳴りやんでもなかった。

 そしてその理由が分かった時、龍哉は聞いてしまう。

「何故助ける。同情ならそんな物は」

 目の前に居たのは不知火と、その腕が両側に開けられ、開いた手のひらから落ちるのは何発もの銃弾。素手で掴める事など先ほどから嫌と言う程見たが、全方位から撃ち込まれる銃弾を掴めるとまでは思わなかった。

 だが、それ以上に助ける理由が分からないのだ。まるで自分自身に疑問を落とす様で。

 そして苛ついた口調で不知火は、いや、真悟としてなのだろう。サングラスをかけた彼は言った。

「違わい。同情なんぞするんならきっちりと殺してやるよ」

「なら何故」

「人違いされたまま、誤解されたまま死なれちゃ寝覚めが悪いんでね。俺の為だよ、アンタを助けるのは」

「誤解・・・だと?」

 そしてまた銃声が鳴り響き、その合間に聞こえる聞き慣れぬ言語の中、やけにハッキリと聞こえる声で真悟は言った。

「少なくとも、アンタの奥さんを殺したのは俺じゃない。それに新谷薫と言う名前を知っているのも、本人からそう聞いただけだ。その時、俺も不知火って奴を追ってたんでねぇ」

「・・・・・」

「死ぬ間際に言ってたよ。アンタに伝えて欲しくないって。殺された私の事なんか忘れて、生きて欲しいってな」

 全く身体を動かさず、背を向けたまま喋る彼は、今の龍哉に取って誰か分からなくなっていた。

 何故か、彼の言う事が嘘には聞こえなかったのだ。

 だが、人外の者ならばそれぐらいの幻術をも使えるのかもしれないと言う考えが浮かんだ時、彼は言った。

「嘘かホントかは、あいつに聞いてみりゃ分かるさ」

 そう言った途端、銃弾が決して届かない事を悟ったのか。連中は小声ながら英語で何かを話し、去って行く。そして一人だけ残った人物が、晴れて来る暗闇の空と星と共に此方に向かいながら流ちょうな日本語で話を始めた。

「お初にお目に掛かりますね。六道真悟さん、と、黒崎龍哉さん、でしたか?」

「二人目か? お前が」

「そう言う事に、なるんでしょうね。ですから最近は不知火って名乗るよりも、氷牙(ひょうが)と名乗る方が多いんですよ」

 二人にしか理解出来ない事なのか。龍哉には相手と彼が何を話しているのかが分からない。

 だが、憎しみとそして身体に掛かる負荷によって霞んでいた記憶が甦りつつあるのも何故だか分からない。

 ただ、何かのキーワードが揃いそうになっている事は違いなかった。

 そして二人の話に耳を傾ける。

「俺の次は氷牙か。俺達が何人居るか知っているのかい?」

「全部で、六人でしたか? 不知火、氷牙、焔(ほむら)、凪沙(なぎさ)、陽炎(かげろう)、そして灯火(かぎろい)」

「・・・・・・」

「間違って居ない様ですね。いや、ここまで調べ上げるのに私たちでも苦労しましたよ。何せ貴方だけに至っては、過去二千年以上前から生きる唯一、神と呼ばれても良い存在なんですからね」

 雨に滴り、輝きを見せるのは黒い革製のジャケットの所為だろう。男かと思っていた相手は、ソプラノの高い声で女だと分かり、その顔も何故か彼と似ている為か。何処か日本人じみた顔をしている。

 だが、彼と明らかに違うのはその瞳だろう。あの時、不知火と言う名前通りの現状を目の辺りにしたが、その時見た彼の瞳は片方しか赤く輝いて居なかったのだ。そして相手の氷牙と名乗る女性は両側の瞳が赤く輝き、まるで鋭く尖り何もかもを引き裂く牙の様に思え見えた。

 その違いが、龍哉の記憶を呼び覚ます為のキーワードになるにはまだ足りないのか。だが、もう少しである事は龍哉自身も分かっていた。

 そして最後のキーワードになる言葉は、名前の分からぬ彼の口から漏れる事になる。

「いや、間違ってるさ」

「?」

 不適な笑みを浮かべ、そう言う彼の自信は何故出てくるのかが分からない。だが、会話の中から、それが本物であるが故のものである事は龍哉にも理解出来た。

「名前は三つ足らないし、人物名としちゃ一人抜けてるぜ。ま、あんまり派手に暴れ回っても名乗らなくなったからな。古株以外は」

「新しい人まで居るんですか? 全く、手間掛けさせる人達ですね、あなた方は」

「それはお前らだろ? 後、一つ質問良いか?」

「何です? スリーサイズとかはお断りですよ」

 そして茶化すように氷牙と名乗る女性は微笑んだが、その表情が凍り付くのに掛かった時間は一瞬だっただろう。

「新谷薫って、女殺した事あるのはお前か? レイザス・T・ブラックマン・・・だったっけ?」

「・・・・・」

「あたった見たいだな。いや、自信がなかったんだよ。お前ら偽物の名前わざわざ覚えてるのも面倒なんでさ。一番古い、本名だろ?」

 自分の過去を、人に知られたくないのは誰しも同じだろう。だが、氷牙と名乗る女性にとって、その名前はそれ以上の意味があるらしい。

 そして龍哉にも、それ以上の意味があった。

「しら・・・いや、真悟」

「あんだよ」

「レイザス・T・ブラックマンの名前を何故お前が知っているんだ」

「だから言ったじゃねぇかよ、そいつの本名だって。少しは人の話し聞け」

 仕方なさそうにいらだちの声をあげる真悟とは対照的に、龍哉の頭の中は今まで以上にクリアになっていた。

 それは過去の事件の、自分の妻が殺された時の容疑者として上がっていた人物の名前にブラックマンと言う名前があったのだ。だが、証拠不十分で結局の所、容疑者から外された人物でもある。その時、出逢ってさえ居れば少しは何か掴めたのかもしれないが、妻を殺されたとあって捜査本部から龍哉は外されていたのだ。

 そして、後々になって、松戸から非公認で見せて貰った容疑者の名前だけのリストの中にその名前があった。だが、英米人の名前で男か女かも分からず、自分の中からも容疑者としては認識出来なかったのだ。

 だが、それだけではその氷牙と名乗る、レイザスと言う女性を妻を殺した犯人だとは思えないのか。真悟が口を開く前に龍哉がそれを遮る。

「貴女が・・・新谷薫を、殺したんですか?」

 核心を突いた疑問は、素直に帰ってくる筈はない。

 だが、それは一般人の、殺人者相手だけの話だったらしい。

 やけにゆるんだ顔でその女性は言った。

「ああ、あの短髪の綺麗な子? ええ、私が殺したのよ。貴方にはそれが関係ある事なのかしら・・・・?」

 そして少し考え込む様に眉を顰めたが、思い出した様に付け足す。

「そう言えば・・・結婚指輪してたわね。もしかして、貴方の奥さん? それは悪い事をしたわ」

「・・・・・」

 無言になったのは、龍哉の頭の中で整理が着いたから。全ての出来事が明るみになった今、迷う事など何も無い。

 そして龍哉に取っては、禁句になるその言葉を、女性は笑顔のまま言い放つ。

「けど、いい顔して死んだわね、あの子も。最後の断末魔、聞かせてあげたかったわ」

「!!」

 怒りに身を任せ、動いてしまう事は今の龍哉に取って命取りにしかならない事。だが、分かっていても、心が理解出来る程自分を押さえきれる訳もない。

 相手との距離を、真悟と戦った時よりも更に速く移動し、銃口は相手の眉間を捉え迷う事無く引き金を引く。

 それで終わる筈だった。

 だが、終わらない事を知らされる時、龍哉の中に悔しさがこみ上げる。

「あらざんねん。痛いけど、それだけよ」

 そこにあったのは間違いなく嘲笑だろう。

 妻を殺した時でさえ、こんな顔をしていたのだろうと何故だか分かる。

 だから死にたくないと切に思った時、彼の願いは聞き入れられたのだろう。

「じゃ、こんなのはどうだい」

「!?」

 バグンと言う、妙な音と共に女性の姿が掻き消え、変わりに現れたのは真悟。そして左側の顔だけを向けたまま、彼は龍哉に告げる様に話した。

「昔、二十年前だ。俺はある一人の女から依頼を受けた。正直な所、面倒だとしか思わなかったがな。だが、雅美からあんたを紹介された時、やらなきゃならん仕事だとは思ったよ。それに俺の私用もあったしな」

 何の事かは大体察しが付く。だが、ハッキリとその言葉を聞きたかった。

「依頼者の名前は新谷薫。依頼内容はアンタが道を踏み外さない様にする事。少々遅いと思ったが、まだそうじゃないんだろ?」

「・・・・・・」

 左側の顔をわざわざ向けている理由は、そのいつの間にか外したサングラスの中に隠れる、赤い瞳を見せる為かもしれない。片方しか赤い瞳が無い理由は分からないが、その不知火の瞳の中から感じられるのは自分の妻の思いでばかり。その全てが忘れかけていた、何よりも掛け替えのない記憶故に、一粒だけの涙を流し、龍哉は言葉を返す。

「ありがとう・・・・真悟。どれだけ感謝しても、し足りないよ」

 そして迷いの無くなった心で、龍哉は女性に銃口をもう一度向ける。

 だが、決意の現れである筈のそれを、真悟は遮りまた言った。

「人の話し聞けって言っただろうが。アンタに道、これ以上踏み外されちゃ寝覚めが悪いんだよ。あいつを殺すのは、アンタじゃなく俺の役目だ」

「だが・・・・」

 自分で決別を着けたいと言う想いがあるのは確か。だが、真悟が言わんとしている事も分かる。

 その葛藤の中で、真悟はある意味、龍哉に絶望させる言葉を放つ。

「第一、お前に倒せる訳ないだろうが。そんなボロボロの身体でどうするよ」

 一撃は、眉間に放った筈。そして気付かなかった事は、それによって最後の銃弾と、銃口は拉げ使い物にならなくなっていると言う事。

 そしてまた真悟は付け加える。

「それになにより、俺「達」の名前を騙る奴らは殺すんじゃねぇ」

「!?」

 その時、龍哉の視界の隅に映ったのは氷牙と名乗る女性が迫り来る様。

 その速さは龍哉自身の最高速よりも更に速いだろう。視覚で捉えきれないどころか、気配が伸びている様な錯覚にさえ陥るのだから。

 だが、真悟は何喰わぬ顔である言葉を続かせ

「壊すんだよ」

 次の瞬間、動ききった真悟の構えはある状態で止まっていた。

 そしてそれは、龍哉の記憶の中にある人物のものと酷似しているのだ。

 ただし、酷似しているだけで自分の記憶の中にある姿とは違う物。

 一生をかけて完成させる事が出来なかったと聞いていたが、完成させた人物が居るとは思わなかった。

 そして何者か、いや、それは分かっている。

 龍哉に取っては、六道真悟と言う人物は肩を竦め、皮肉の籠もった口調で言った。

「ちなみに、藤島健司郎(ふじしまけんじろう)は俺のダチだ。だからあいつが破られた同じ技で倒す事に決めてたんだよ。ただし、完成型でな」

 簡単に真悟は言い放って見せたが、今なお龍哉はその師匠であり、前社長であった恩人の技を体得する事が出来ないで居た。

 それは龍哉が龍哉で居る為に、出来ない事だと言う。

 その真意は、自分を増幅器と鏡として作用させる技故に、相手の複製品にならなければならないと言う事故。

 そして健司郎と言う人物は、最後にある台詞を残して死んだのだ。

『俺の技で、奴を屠ってくれ、か・・・・』

 意識が途切れる寸前に健司郎が放ったそれが、自分に向けられた言葉でなかったのは正直悔しく感じる。

 だが、ここまで極められた人物が居て、尚かつそれが彼に向かって、時と場所を越え届いた想いなら、納得出来るのだ。

 しかし、一つだけ疑問が残る。

「真悟・・・壊すってどういう意味だい・・・・?」

 とさりと崩れ落ちそうになったのは、身体が限界を超えていた為だろう。だが、真悟は面倒くさそうにもそれを支え、昔を思い出すように喋り出した。

「いやな、昔一人居たんだよ。不知火って名乗る女。まぁ、その時は雅美と一緒だったんだが、苛ついたんで殺す事よりも更に辛い恐怖を叩き込んでやろうと思ってさ」

「じゃあ、殺してないのかい?」

「ああ。十中八九、こう言う美人はムシが嫌いだからな、夜寝るとムシ一杯のプールに落とされる夢を見させる暗示をかけたのさ。俺達が手を汚す価値も無い奴らに十二分な罰だろ?」

「ははっ・・・地味な嫌がらせだね」

「ああ。けど、今回は前回よりも少しおまけもつけて、身体からムシが湧いてくる感覚つきだ。発狂したくても出来ない様にもしたから、感覚は残ったままで朝を迎えるのさ。これ以上の地獄は無いぜ」

「ホント、何でもありなんだね。MEDIATORって言うのは」

 支え歩きながら喋るのは正直疲れるのだが、何故か疲れが引いてゆくのは多分、真悟が何かしているからだろうと龍哉は分かっていた。傷を負った時に、雅美がヒーリングする時の感覚と似ているのだが、此方側の体力を消耗しないだけ、真悟の方が腕が良いのだろう。

 だから初めて雅美が真悟を連れてきた時、真悟が居なくなってからの雅美の台詞を思い出したのだ。

 それは雅美が自分が唯一、親代わりだと呼べ、同時に信頼出来る師匠だと言う事。だがどうしても父親として呼べない部分があるらしく、それは昔は分からなかった。

 妙な子供じみた癖でもあるのか、それとも年齢が近い所為かもしれない。

 だが、先ほどの女性が言った言葉を思い出した所で、真悟は龍哉の言葉を修正する。

「ちなみに、俺達はMEDIAOTR、調停者なんてたいそうなもんじゃない。修羅って言われる、長き時を生きる化け物さ」

「・・・・さっきの、ブラックマンが言った言葉だけど」

「ったく聞いてんのか? 俺の話・・・で、なんだよ」

「ああ、二千歳以上って本当かい?」

「・・・・・・・・ノーコメントだ」

「成る程。雅美君が君の事を父親代わりであって、お父さんと呼べない訳だ」

「ああん? 何だよそれは」

「いや、こっちの話しだよ」

 漸く解けた謎は、雅美の女性としての部分がキーポイントだったのだ。

 誰でも、孫以上に歳の離れた人物の事をお父さんとは呼びにくいのだろう。

 特に最近歳の事を気にしている風の雅美に取っては、自分も更に歳を取った様で嫌なだけと言うのがその真意。

「さてと、さっさと会社に帰らにゃやばいだろ」

「そうらしいね。取り巻きの連中が居ないって事は、遥君達が危ない」

「分かってんなら、一人で立て。お前の仕事はまだ残ってんだからな」

 そう言いながら、先ほどの龍哉の言葉でも思い出し考えているのか。少々複雑な表情で真悟は言い、疑問を問われる前に答えをやる。

「傷ついた社員の心をほぐすのは俺じゃなくて社長であるアンタの仕事だろうが。たかが契約社員にんな事任すんじゃねぇよバーカ」

「分かった。なるべく直ぐに戻るよ」

「そうしてやれ」

 そして全く疲れの見せない真悟は、そのまま闇の中へと疾走して行く。その速さを見れば、彼が自分の事を「化け物」と呼んだ事が皮肉でない事など明白。そして最後に見せた、真悟の瞳の輝きは、修羅と呼ぶに相応しいものなのだろう。

「修羅とは、阿修羅の略語を意味する。が、修羅と呼ばれるにはもう一つの理由あり・・・。それは戦いの申し子故に、修練する鬼を指す意でもある、か」

 それは何処かで読んだ文献の一部分。所詮、世迷い言だと言われるだけの一行分だったが、今の龍哉に取っては、意味は十分に伝わっているだろう。

 そしていつの間にか疲れと死を隣りに感じる感覚が無くなった時、龍哉は来た道に止めてある車に向かい歩き出した。







 だが、真悟や龍哉が思っている程、状況は簡単ではなかった様子。それはこの有様を見れば一目瞭然だろう。

 雅美の視界の向こうに映っているのは死んでは居ない物の、瀕死状態の大介の姿。仰向けになり倒れているその場所は血溜まりが出来、それと似た状態が自分の場所にもある。それが自分自身が流した血だと言う事を再度確認した時、悔しさよりも焦りが彼女の心を支配していた。

 初め向かってきた敵は人数にして二十人と少し。だが、その殆どは大介の鋼糸によってバラバラにされていた。

 そしてそれは増援するだけばかばかしくも思えたが、それを早々に片付け、半蔵と遥の二人を安心させようと背を向けた瞬間だった。

 いきなり大介のくぐもった声が聞こえ、続いて千尋、そして自分の後頭部に衝撃が走り、一瞬意識を失った。そして直ぐさま自分の意識を無理矢理引き戻し、目の前を見るとそこにあったのは四肢はしっかりとついている物の、無数の細かい傷で血塗れになって吊されている千尋だったのだ。

 そして目の前の人物を見た時、雅美は舌打ちして自分の甘さを悔いた。

 目の前に立ち、千尋の片腕を掴み吊し上げている人物の事は無論知らなかった。だが、その雰囲気は紛れもなく、偽物とは言え知り合いと酷似していたのだ。

 偽物として舐めていた為、そこまで強いと思わなかったのが正直な所。そしてそれは真悟も予想していない事なのだろう。

「君が、本物の灯火(かぎろい)こと、マサミ・アイカワか。聞いていたよりも弱いねぇ、この調子だと不知火の方もボクの敵じゃなさそうだ」

 日本人に見えるその人物が騙っている名前は、黒ずくめの格好から察するに陽炎(かげろう)なのだろう。本物の本人とはあまり顔を合わせた事は無いが、それでも雅美に取っては特別な存在故に悔しさはこみ上げたまま収まらない。

 だからこそ、その特別な存在の名前を騙られている事自体が苛つきの原因となり、雅美の身体を奮い立たせる。

「はたしてそうかしらね。どうせ私を攻撃するんなら、一撃で殺さなかった事を後悔させてあげるわ」

「はったりはよした方が良いよ。原理は未だに理解出来ないけど、ボクもあんた達本物と一緒で気功術を扱えるんだ。気を乱したって言うの? そう言う状態」

「はんっ、その程度の事で使えるなんて言わないで欲しいわ」

 そしていつもの様に、雅美は傷を治す為に治癒能力を一気に解放する。

 いや、した筈だった。

 だが、返ってきたのは嘲笑を含む笑みと言葉。

「ははっ、言っただろぅ? 気を乱したって。そんな状態でヒーリングって言うの? そんなの使える訳ないじゃん。やっぱ未熟者だね、新人さん」

 生きている時間で言えば、真悟の仲間達に取って雅美は確かに新人レベルでしかない。だが、それを克服するだけの努力と血の滲む特訓を重ねそれに近づけた筈なのだ。

 それがたった一撃でうち崩されたのが悔しくて、多少の無理を承知で禁じてを使おうと決めたのかもしれない。

 だがそれすらも見抜かれているのか。陽炎の名を語るそれは言った。

「葉隠れの術を使うのも良いけど、状況をもう少し理解して欲しいな。この女の人、どうなっても良いのかな?」

 手を千尋の首に添え、警告する様は心底この状況を楽しんでいると言うおまけ付き。そして雅美の心のサイレンが鳴り響くと同時に、不安は的中した。

「後さ。ビルから逃げていった二人も、焔(ほむら)に追わせたから心配しなくて良いよ。ちゃーんと苦しめて、女の子の方から殺してあげるって言ってたしね」

「それ以上言ってみなさい・・・。次は貴方の首が飛ぶわよ」

「だからはったりは止めようって言ったじゃない。少し分からせてあげようか?」

 そう言うや否や、陽炎を騙るその人物は千尋の首に添えていた手を下に降ろし、丁度腹の辺りで横に引く。ただ、それだけで服と肉が斬れ、更に千尋の姿を赤く染め上げた。

「いい顔出来るじゃない。けど、ボクも仕事なんでね。あんまり時間が掛けられないんだよ」

 青ざめた顔は、千尋の状態を雅美が嫌と言う程理解している為。気絶したまま故に、傷を負わされた痛みは感じていないのだろう。だが、それが間違いなく致死量に達する傷であり、持って後数分で千尋は息絶える。

 焦りが心を支配し、これ以上なく自分の力の無さを痛感したのは何年ぶりだろうか。だが、そんな思いに耽る時間も無く、ただ、自分の無力さを噛み締めるしかない状況故に、雅美の頭は激しく考えるのだろう。

「じゃ、この子も死んで貰うね。どうせなら首だけホルマリン漬けにしても良いかな。結構ボクの好みだしさ」

 頭の中でのカウントダウンは既に始まり、限界以上の力を引き出した速さで相手を一瞬にして屠らなければならないだろう。

 自信等なく、気は乱されたままで嫌に後頭部も痛みを訴える。

 だが、それを何とかうち消し、やらなければならない状態なのだ。

『出来るの? 私に・・・・』

 思い浮かぶのは誰の顔だか分からず、過去の人物であるか、それとも今の大切な仲間であるかさえ認識出来ない。

 そしてそれが自分の体力の限界だと言う事を知らせている警告だと認識出来た時、雅美はある影に気付いた。

「・・・・あ」

 漏らしてしまった声は、陽炎を騙るそれにも聞こえたのだろう。

 そして間抜けな手に引っかかる自分ではないとでも思っているのか。そちらに向かい拳を突き出し何かを撃破するつもりだった。

 だが、拳を引き戻した途端、今度はそれが顔を青ざめる番だ。

「不知火の次は俺の名前か?」

 そして名を騙るそれの後ろに姿を現したのは、その黒ずくめの格好と全く同じ色をした長身痩躯の男。

 だがその人物こそが、正真正銘陽炎を名乗る雅美の友人。

 そして雅美が唯一、義理の兄と呼べる人物。

 動く様は異名通り、陽炎の様に消えそして現れそれを繰り返す。

 それは今尚、雅美でさえ知覚出来ない速さではなく体得出来なかった清流の動き。流れる様に動くそれはまるで分身を繰り返すようにさえ見えるのだ。

 そして敵もそれを知らなかったのか。いや、知っていたとしても相手に出来る筈もない。

 翻弄される様にして徐々に減って行くのは四肢のや関節の数。だが千尋の掴んでいる手だけは攻撃するのを避け、身体の部分部分がまるで抉られた様に抜け落ちた時、名を騙るそれは、自分の身体の状態が漸く理解出来たのか。言葉と同じく怯えた子供の様な顔をする。

 だが、容赦するつもりもないのだろう。陽炎はその姿をハッキリと現し言った。

「ELIMINATE・・・」

 掌と共に繰り出された言葉は、ただそれだけで相手を原子分解する陽炎だけの技。そして絶叫さえ分解される中で、本名も分からなかった敵は声なき断末魔をあげながら一陣の風にかき消された。

 そして崩れ落ちる千尋を抱えた時、何故か陽炎の顔が陰るのは雅美にも分かった。

 だが千尋の状態が分かっている故、雑念は全て捨て斬られ今なお血が流れるそこに手を当て傷を塞ぐ。それは雅美よりも腕が良い事の現れの様で、一瞬撫で上げただけで塞がれてしまった傷は完璧に斬られた痕さえ無くなっていた。

「義兄さん・・・来るんならもっと速く来てよ・・・」

 そして疲れ切った雅美は苦笑しながら、ふらふらと歩き大介の方に向かう。この状況下で一番怪我が軽いのは彼だろうが、気絶している事は間違いなく、傷を癒す必要はあるだろう。

「すまん。思ったよりNIGHT SHADOWの連中が手強かったんでな。どうも当初一人だった俺達の偽物がよりにもよって五人も居てよ、流石に螢(ほたる)って名乗る女が出てきた時は驚いたぜ」

「何故驚く必要があるのよ。別に似てる訳じゃないんだから」

「いや、あれは似てたぜ。本人と見間違う程な。ガキの頃見たほくろの位置を覚えてたんで偽物だって分かったがよ」

「・・・毎回考えるんだけど」

「何をだ?」

「一体誰が年長者なの? 螢でも最低百は越えてるって聞いたし、それよりも義兄さんや真悟、瑞希母さんも上って事でしょ?」

 治療が終わり、疲れ果てその場に蹲りそうになる。いい加減、打ち所が悪かったらしく嫌に喋るだけで頭に響くのだ。

 そして陽炎は千尋を担ぎながら雅美に近づき、大介もついでとばかりに担いでから言う。

「俺は今年で・・・まぁ、千以上越えてる事は確かだな。真悟や瑞希さんはそれ以上って事らしいぜ。それ以上は俺も聞いた事はない」

「その二人は中のソファにでも寝かせてあげて」

 だが、まだだと言わんばかりに、差し出された手を振り払い雅美はもう一度立ち上がった。

 その後、何も言わずに傷を癒してくれるのは毎回の事。こればっかりは何年経っても変わらない様で、雅美は正直居心地が悪い。

「頑張るなぁ、お前も。俺に任せば」

「そうも行かないでしょ。いい加減私も親離れならず、兄離れしたいからね」

「兄ちゃんはさびしーぞ? こういう時こそ頼れって」

「そう言う茶化す人に頼りたくないのっ。でも・・・」

 初めて出逢った時も、そうやって茶化され元気は出た物だ。それは今も変わらず、甘えている部分があるから嬉しいと感じるのかもしれない。

 だが、時を重ね、歳を取らず変わらない姿のままの義兄を見ると、雅美はいつも思うのだ。

 自分が死ぬ時でさえ、彼らは変わらぬままなのだろうと。

 だから何時までも頼って居られるもする。

 だが、彼女はその道を選ばず、自分で立って歩く道を選んだのだ。

 もしかしたら、永遠に越えられないのかもしれない。

 だが、もし越えられた時に、今度は自分が助けてやりたいと思うから。

 それが彼女が気功術と医学を合わせた気功医学を目指した理由。

 永遠の時からの束縛を出来れば、そして望むのならば解き放ってあげたいから。

「ありがとね。傷の手当て。でも参っちゃうわよ、何年経っても義兄さんの気功術も真悟のも越えられないんだし」

「はっはっは。伊達に妖怪変化の類なんて呼ばれてる訳じゃないさ。齢千歳を舐めんじゃねーよ」

「はいはい。じゃ、頼むわね」

 そして更に人間を、いや、もはや人間を越えた領域に雅美は到達している。それは過去、神の領域とまで言われた場所であり、人類で現在その領域を持っているのは雅美しか居ないだろう。だが、それすらも彼らは越え、雅美はそこを目指し続ける。

 だから歳の離れた義理の弟と、新しく出来た妹を守る為に道を駆け抜けて行った。

 その瞳の灯火が消えぬ限り、彼女はそう呼ばれ続けるのだろう。

 そして陽炎は担いでいる千尋を少しだけ見て、苦笑した。

「もう少しだけ、俺に時間をくれ・・・・。仇は・・・絶対に取るからよ」

 茶化した理由も、自分の中にある想い出を思い出さない為かも知れない。

 様々な傷を負い、それはもはや身体で絶えられない所まで来ているのかもしれない。

 だが、陽炎もまた、雅美と同じ様な道を選んだ。

 それ故、彼は笑う事を選ぶ。

「さーて。さっさと俺は消えるか。お姫様と騎士(ナイト)が目を覚まさぬ内になー」

 だが、彼はその顔を見た事が無い故に分からないのだろう。

 そこにあったのは千年を越えて生き、今なお時が凍り付いたままの姿で居る青年ではなく、姿見のままの彼だったのだろう。

 そしてまだ、夜は明けそうになかった。



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