キーンコーン、カーンコーン

 授業が終わりを告げるベルが鳴り、その途端教室内はざわめきが静まる。

 最近の生徒の悪い癖だと遙自身も思うのだが、前よりは良いか、と思えるのが今の心境だろう。

 教師の方はそれとは違い既に諦めているのか。それとも高齢で既に耳など遠くなっているのか。「起立、礼」と言う声と共にすんなりと姿を消す。

 その途端、何人かの顔見知りの生徒が駆け寄ってくる。

 大体、何を聞かれるかは分かっていた。

「で、遙ぁ。朝方の彼氏、誰か教えてくれても良いじゃないのよ」

「そうそう。なんかクールで格好良かったよねぇ。何処でとっつかまえて来たのよ、あんな彼氏」

 にこやかに、それで居て何処か棘のある言い方は親友だから言える台詞なのだろう。この学校に来てからの親友であり、昨日たった一日休んだだけでかなり心配してくれた友達だ。

 だが、既に昼時になろうと言うのにしつこく聞いてくる図々しさはどうにかならない物か、と考え、その反面で自分もそんな事をしていた様な気がするのは気のせいだろうと自己完結する。

 そして思いっきり皮肉を籠めて、にやりと笑いながら言うだけの余裕が遙にはあった。

「良いでしょー。もう、半蔵ってばあんな顔してるけどカワイー所もあるんだから」

「遙、答えになってないわよ、それ」

「けど奥手のあんたがまさか一番最初に彼氏作るなんて思わなかったわよー? 今度紹介しなさいよ」

「うーん・・・それは問題かもしれない」

「何で? 別に紹介する位良いじゃないのよ」

「そうそう。別に取ったりしないって」

「いや、そうじゃなくてね。・・・・・? なんかやな予感する」

「たった一日で彼氏も出来てエスパーにでもなったってーの? まったく、この娘は」

 いきなり眉を顰め真剣な顔になった遙に何を聞いても無駄だと思ったのか。親友二人はやれやれと言った具合に肩を竦め首を振る。

 だが、遙の予想は当たったらしく、教室のドアがいきなり開き学校でも一人は居る、五月蠅いが情報通の女の子が声を張り上げた。

「ねーねー! 転校生が道場で剣道部の主将と喧嘩してる見たいだよー!!」

「へー。あの生徒会長と喧嘩する奴が居たなんてねぇ。・・・・あれ? 遙ー?」

 親友二人は分からなかったらしい。だが、遙に取っては血相を変えて道場へと走っていく理由が十二分と言う程あるのだ。

 一応朝方、昨日の傷を癒す為にもう一度、雅美の医療室に言った時に言われたのだが、半蔵と言う男は常識が欠けてるから面倒見てあげてね、と言われたのだ。それがどういう物かは大体想像が付くが、念のため参考のまでにと聞いて見た事例は、かなり危なげな物。

 だから階段を駆け下り体育館へと続く渡り廊下を駆け抜け道場へと到着し、既に情報通の女の子、名前は渡部頼子だっただろうか。その渡部が伝え終えたのだろうクラスの生徒達が道場の入り口へと殺到しているのも関わらず、その人海を掻き分けながら道場内を見た時、予想通りで、少し予想とは違う光景がそこにはあった。

「で、まだやるのか?」

 半蔵の様子は至って冷静なのは分かる。それは十分予想出来た事。

「当たり前だ! 此処までコケにされて今更引けるかっ!!」

 だが、未だ元気で、殺されていなかった遙のこの学校で最も嫌いな生徒会長、奥村誠一は憤慨した様子で竹刀を握り治した様だ。

 ちなみに、半蔵は一切防具も着けず、竹刀も持っていないのに対し、生徒会長奥村は全身を剣道の防具で完全武装し、竹刀も持っている。

 知っている者が見れば、奥村には銃でも持たせてやれ、と言うのだろうかと遙は思ったが、これ以上面倒事を起こされても困ると思い、誰も入らなかった道場内へと入る。

「南雲君・・・もうその位にしてあげたら?」

「俺もそのつもりだ・・・。だが、なぁ」

 仕方なさそうに、心底面倒くさいと言う声と表情をする半蔵だったが、遙の声は何処か笑っていた。

 笑っては悪いと思っていたのだが、常日頃から嫌味ったらしいしゃべり方をし、やたらと教師達におべっかを使う奥村にはいい気味だと思っているのは正直な所。そして取り巻きの生徒達もそれは同じなのか。どこからともなく失笑が聞こえてくる。

「だ、誰だ、今笑った奴は! ここに出てこい!!」

「それも良いが、いい加減早く終わらせて欲しいんだがな」

「ええい五月蠅い五月蠅い五月蠅い! 貴様なんぞ私のこの剣の錆びにしてくれるわっ!!」

 既にやられたのか、それとも一度しか倒されていないのかは分からないが、生徒会長さんはたいそうご立腹のご様子。ギャグ調の漫画ならばその剣道の面の頭の辺りから煙りでも出ている事だろう。そして遙は何とかそれを止めようと思ったが、半蔵が手でそれを制し奥村が向かってきた途端此方へと平然と向かってきた。

 ただし、脚を引っかけるのを忘れずに。

「あちゃー・・・痛そー」

「手加減はしたぞ。これで満足したか?」

 派手に転げ、多分打ち所が悪く気絶でもしたのだろうか。半蔵の挑発、本人は無論そうは思っていない言葉を掛けても反応は返ってこない。

 そして漸く、こういう場面になって到着するのはお決まりだが体育教師の出番らしい。

「南雲!! これはどういう事か説明して見ろ!!」

「別に、剣道部に勧誘されて嫌だと断ったらこうなっただけですが」

「そんな訳無いだろう! 奥村はそんな事で」

「そんな事で勝負を挑んだりしない、と?」

「そ、そうだ!! 転校早々貴様は退学にでもなりたいのか!?」

「それを言うなら防具も着けず武器も持たない俺に、防具で全身固めて武器も持って問答無用で襲ってきたそっちの奴に言う言葉でしょう? 教育者なら正々堂々って言葉がどんな意味か辞書で引く事をお勧めするが・・・」

「き、貴様は!! そこになおれ!! 性根を叩き直してやる!!」

 一応は、空手部の顧問と言う事もあり遙自身、名前も覚えてない体育教師は段位を持っていた筈だ。ただ、頭の方は中学生か小学生レベルらしく、簡単に半蔵の挑発に乗ってしまったらしい。無論、それを誰かが止める等と言う事はしないだろう。学校始まって以来の珍事なのだろうが、少なくともこの退屈な学校生活で面白いイベントだと言う事は遙自身も感じている事。

 だが、だからと言って半蔵を止めない訳にもいかないだろうと考えた遙だったが、半蔵の顔は何処か楽しそうで、溜息を吐いてしまう。

「ほら、どうすんのよ。先生怒っちゃったわよ?」

 幾ら常識を知らないと言っても、それを体験していないと言うだけで情報としては知っている筈である。何せ朝方、千尋の車に送られる際に事細かに常識とは如何なる物か、と言う事を半蔵に教えたのは遙自身なのだ。だから半蔵の心境は、その常識を逆手に取り楽しんでいると言った所か。そう言う所が常識が欠けているのだと、雅美の言いたい事が分かった気がした。

「さぁな。気が済むまで、手加減してさしあげるさ」

「程々にしてね。私の立場もあるんだから」

「分かった」

 そして半蔵の肩をぽんと叩き、その内全校生徒で盛り上がるだろう道場内で、二人は思う存分学生生活を満喫している様子だった。



















 あれから一週間経過し、遙の両親と弟の葬儀も事無くを終えた。

 参列者の中にはSONIC ROARの社員以外にも、松戸やその他の警察関係者の姿や近所の知り合いだろう人々、弟の同級生も数多く参列していた。

 それを見て、遙は一度も泣かなかった所を見れば、千尋に取っては彼女は強くなったと言えるだけの事。それには半蔵もかなり関わっているらしく、年上の女性としては、少々恋愛事を経験せずにそう言った感情も持ち合わせていない半蔵が遙の事を照れながら不器用に好きだと言った時など微笑んでしまった物だ。その場に居た、ただ一人大笑いした大介には無論自分と雅美の蹴りとパンチが飛んだが、それは伏せて置いた方が彼の名誉のためだろう。

 そんな事を考えながら彼女は雅美に借りた車を運転し、真悟を探していた。

 その理由は一つ。無論、彼にお礼を言う為。

 無茶苦茶になった住居はもはや住める状態ではなく近所の噂の事もあってか、引っ越す事は決めていた。だが、まさか家をそのままぽんとプレゼントされる事など想いもしなかっただろう。忘れていたが故に不機嫌な鳴き声で鳴き、その反面寂しかったのだろう。その身をスリ寄せてきたポチも健在で、場所は変わった物の二人とも新居には気に入って住んでいる。そして新しく迎え入れた住人である遙との共同生活も楽しげであると言える。

 だから今日の朝から見えない彼を捜しているのだ。とは言っても、行動パターンを初めて雅美に聞き出し、その内の片方である真悟の行きつけであるゲームセンターは既に周り終えたので、後は一件のライブハウス以外は居ないだろう。もし居なければ完全にお手上げの状態であるが。

「にしても、ライブハウスで音楽鑑賞なんてちょっとイメージと違うなぁ」

 正直な感想を漏らし、信号待ちをしている所で辺りに駐車場がないかを確認する。来る前に雅美にでも聞いて置けばよかったのだが、自分の記憶が正しければ今時珍しく真悟は免許を持っていないらしい。だからこの辺りの駐車場が何処か、等と真悟に聞いても、多分帰ってくる答えは「知らん」の三文字だけだろう。対して雅美に聞けば教えてくれたのだろうが、電話中だったのでそれも聞けず出てきたと言う訳だ。

「あったあった」

 平日の昼間がその理由で、駐車場の下に居る守衛のおじさんは暇そうに欠伸をしている。

 そこで車を止めてから、雅美に言われた住所を頭の中で画きながらたどり着いた先は、まさに、と言う感じの建物。

 二つの建物に挟まれる様にして地下へと伸びる階段はそのまさにの言った雰囲気を醸しだし、古びれた看板には店の名前が書いてあるのだろうが、既に掠れ年期が入っているが為に解読不可能である。そして道行く人々の雑踏に紛れ、その中から聞こえてくる音で察するに演奏中なのだろう。だが、どことなく聞き覚えのある何かに眉を顰めながらも彼女は階段を下りる。

「お、姉さん。良い日に来たよ」

「へっ?」

 唐突に、店のドアの前に立っていた、レゲエ風の黒人だろうか。何処か標準語とは違う発音の仕方で一瞬分からなかったが、かなり日本語慣れしたしゃべり方である事は違いない。そして代金も支払っていない千尋にドリンクではなく何故か封の開けていないビール缶を渡し勝手に話を続ける。

「今日は全員無料デーでね。シンが歌う時は毎回こうするのがウチの経営方針なんだよ。やっぱ良い音楽はみんなに知って貰いたいし、何よりブラザーのシンの歌は金では買えない価値があるからね」

「はぁ・・・」

 てっきりその後長ったらしいご高説でも始まるのかと思ったが、すんなりと「早く入った入った」と言ってドアを開けてくれる。

 だがその途端、彼女はまるで別空間に居る様な感覚に陥った。

 心の準備が出来ていなかったと言うのもその理由だろう。その他にも店内が以外と明るく暗くもやが掛かったようなイメージだったのが崩れ去ったり、店内が明るい所為で中に居る客層が、いや、人種と言うべきだろう。てんでばらばらなのには驚いた。何せ黒人から白人、黄色人種、ちらほら見えるのはフィリピン人やアラブ系の頭にターバン姿の男達も見える。そして何より驚いたのは音とステージ場。

 奏でられる音は、それだけで聞けば間違いなくそれ程大した物ではないのかも知れない。千尋も音楽は聴くと言っても、所詮クラシックか古めのポップスだけで新しい曲などまるで興味がないのだ。それ故、演奏している連中の腕がさほど凄くない様にも思える。

 だが、それは間違いなくステージ場の真ん中で歌っている一人の男の所為だろう。店中に響き渡る、まるでノイズの様な音楽だと言う感想が一瞬頭の中に浮かんだ途端、それがもう一人の自分が「違う!」と叫びたくなり、漸く全貌が見えたこのちっぽけなライブハウスで演奏するバンドのヴォーカルの腕が分かった。

 マイクを使わず、ただ、張り上げるだけの声ならば間違いなく他の楽器にかき消され掠れてしまうだろう。だが、その男はマイクも使わず、それで居て周りの楽器にかき消される事なく千尋の心に届く声を響かせるのだ。そして周りのバンドは只の引き立て役の様に見えるが、まるで黄金比率の様に混在する形は今まで彼女が聞いた事のない演奏の筈。そしてその双方が共に認め逢い自分たちの実力を相乗効果で引き上げても居るのだろう。一瞬、自分が只の雑音だと思ったのがばからしくなる程、その音楽は千尋に取って興奮させる物だった。

 やがて演奏が終わり、惜しみない拍手と歓声が辺りから沸き上がる。様々な言語が混じり合ったそれが聞けるのは、こんな場所でしかない様な感想さえ思い浮かび、バンドとヴォーカルの連中もそれに答える様にして手を振り、そしておもむろにそれを下げる。

 その途端、先ほどまで沸き上がっていた歓声は一気に静まりかえり、まるで誰も居ない場所の様に店内は静まり帰る。近くに居る者の呼吸さえ聞こえない所を見ると、これは暗黙のルールなのであろうか。そんな事を思い描いた途端、演奏が始まる。

 それは一曲のバラードだった。

 言葉は千尋の全く聞き慣れない言葉であり、曲に乗せて歌になって居なければ全く理解不可能な音としてしか認識出来ないだろう。だが、何故か千尋は自分の胸の奥、丁度、心臓の在る辺りだろうか。そこが熱くなり、戦慄いてしまう。

『心が・・・喜んでいるの?』

 周りに居る一同もそうなのか。気配で何となくそれが分かり、そしてどうしても聞き逃せない、心地よい音が奏でられて行く。

 そう、それは間違いなく音だった。

 人間の口で発せられる言葉ではなく、何処の言葉か分からない故に、音としてしか認識が出来ない。

 だがだからこそ、歌詞に籠められた想いが直感的に感じられるのかもしれない。

 それは、彼女が音楽に求めている事。

 昔聞いた、陳腐な曲があったが、歌詞はまぁまぁだっただろう。英語だったので最初は分からなかったが、何を言いたいのかが分かったのだ。

 夢、希望、愛。その反対の絶望、恐怖、狂気。そんな言葉を思い描ける様々な音楽達。

 だが、彼女に取っては歌詞のある音楽はそうは聞こえず、やはり只の何が言いたいのか分からない耳障りな音でしかない。

 だからこそ、ただ、音だけを奏でるクラシックオーケストラか、静かな声であるにも関わらず熱意が伝わってくる古いポップスしか聴く気にはなれなかった。

 しかし、目の前に存在し、自分が今聞いている曲と歌は間違いなく、自分が今まで求め続けていたそれではないのだろうか。

 そんな想いを画いた途端、バラードは佳境に入り、彼女の胸に疑問を落とし、終わってしまう。

 それは彼女に取って呆気ない幕切れに思え、やはりこれも違うのかと言う落胆を隠せない。だが、周りの連中はそれを聞き十分納得し満足しているのか。また歓声と拍手が鳴っていた。

 そしてそれが終わりを告げる事なく、ヴォーカルが帰って行く姿を見て千尋は人の海を掻き分けながらそれを追い、STAFF ONLYと書かれたドアを躊躇いながらも朱はいる。

 案の定、中に居た数人のスタッフだろう。怪訝な顔で迎えられ居心地が悪かったが、一人の声と共にそれは変わる。

「あ? 千尋じゃねぇかよ。どうした」

「なんだ。シンさんの彼女っすかー? こんな人が居たなんて聞いて無かったっすよ?」

「えー。シンさんの彼女ー? ・・・・けど、こんな美人だったら諦められるかなぁ」

「何言ってんだお前らは。コイツは俺の職場の同僚だ。勝手に想像すなボケ」

 不快を現す表情をしているが、此処ではそれが冗談だと受け入れられる場所なのだろう。どのスタッフも、先ほどまで演奏していたバンドのメンバーも笑い声をあげて、やがて千尋の訳の分からないと言う表情を気遣ってか。それぞれが部屋を出て行く。だが二人切りになるのではなく、一人だけ、先ほどのバンドのメンバーだろうか。全身黒ずくめの、と言ってもスーツ姿ではなく少々季節外れのコートに身を包んだ男が自分の方を向き、何か考え事をする様にして、真悟に異国の言葉で何かを告げて出て行く。

 それが妙に気になり、一瞬真悟が喋っている言葉が分からなかった。

「聞いてんのか? 用も無く訪ねてくる訳ないだろお前が」

「え? あ、はい。そうです」

「少し落ち着け。みっともねぇぞ良い大人が取り乱して」

「はぁ・・・」

 少し棘のある言い方でむっとした物の、それが冗談交じりの親切な言葉なのだろうと言うのは半蔵と喋っているから慣れて分かる事なのか。そう言う事を踏まえて考えてみれば、この、ここではシンと名乗り、自分たちには真悟と名乗る男は毎回そう言うしゃべり方をしていたのかもしれなかった。

「で、何の用だ? まさか大介見たいに泣いて喜びに来た訳でもあるまいし」

「大介も来たんですか? まぁ、それと似たような用件ですけどね」

 仕方なさそうに苦笑し、泣いて喜ぶ姿の大介を想像してしまい声をあげて笑いたくなる。だが、それ以上に聞きたい事もあったのでそれを胸の奥へとしまい込み、真悟へと向き直った。

「けど、驚きましたよ。まさか六道さんがヴォーカルやってたなんて」

「ま、こればっかりは止められなくてな。二年前からはここでやってる」

「それに、あの声。あんなの何処で学んだんですか? 今まで聞いた中で一番良いと思いましたよ。心その物に語りかけてくる音楽なんて滅多にないですし、そこいらにある音楽が霞んで見えますし」

「あんま誉めんで良いさ。お前にゃ物足りなかったろ?」

 その途端、千尋は真っ直ぐ見据えられる、相変わらずサングラスをした真悟に何も言えなくなってしまう。

「どうして分かったんだろう、って所か? あの店内でそう言う感想を言えるのはお前だけだよ。そんだけの物を持ってるからな」

 そして真悟はクククと声を殺して笑い、その様子が千尋には奇怪にさえ映る。

 そこに居る人物が、本当に自分の知っている真悟かどうかが分からなくなるのだ。

 初めてだらけで、ただ困惑しているだけなのかもしれない。だが確かに感じるそれは、自分の知っている真悟の気配ではないだろう。

 そしてそれに似ている物も知っている。

「で、本題はお前にやった新居の事か? あれなら遙の家でもあるんだから、礼には及ばんぜ」

 だが瞬時に消えたそれは、千尋の中で言葉になる事はない。だが、いつの間にか千尋は自分が汗を掻いている事に気付く。

 それが嫌な汗である事も、何となくではあったが分かった。

「けど、どうして分かったんですか?」

 そして言ってしまってから、繰り返していると言う事に気付き恥ずかしさがこみ上げてしまう。

 だから分かったのかもしれない。

 先ほど、真悟が見据えた時、殺気を放たれていたのだと。そしてそれは、恐怖を感じた時に掻く冷や汗だと言う事も。

「言っただろ? 店内で唯一、お前だけが足りてるんだよ」

「足りてる・・・?」

「そうさ。他の連中は良くも悪くも、人生経験が豊富な割に自分の中で答えが言葉になってないんだよ。想いや意志だけで、決して固まらぬ霧見たいなもんか? だが、お前は違う」

 そう言われ再び見据えられた途端、千尋は身を竦ませた。

 だがそれは瞬時に戻り、自分でも思いの外早い身体の反応に驚きながら真悟の言葉を聞く。

「答えを出し、それを言葉にして言っただろ? そうさな・・・・「それでも」、か? お前の出した言葉」

 答えと言わず、あえて言葉と言ったのは含みがある言い方故直ぐに分かる。だが、その言い方が何処かいつもの真悟らしくないとは思えた。

 そしてはたと気付いたのは、真悟の予想を超えた所。

「もしかして真悟さん」

「なんだ?」

「・・・話し逸らそうとしてません? 自分のから私のへ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「あはははは!」

 真悟一人の笑い声が部屋に響き渡ったが、千尋の冷たい視線に耐えきれないのか。こほんと咳払いしてから溜息を吐く。

 しかしその様子を見て、やはり千尋には理解出来ない人物と言うのが当然の結論だろう。先ほどまで気圧されるかと言う程の殺気を放っていながら、今はまるで見た目通りの少し疲れた学生と言った所だろうか。落差が激しすぎる表面上にある表情の変化は千尋の瞳にはあまりにも芝居じみて見えてしまう。

「とにかく、だ。まぁ、俺の居ない間に逢う奴は、お前に取って良い意味で影響されるだろうさな」

「居ない・・・間? 休暇でも貰ったんですか?」

「そう。野暮用でアメリカ行きだ。全く・・・あいつも引き留めて置けって言ったのによぉ」

「へぇ・・・流石の真悟さんも奥さんには弱いんですね」

「悪かったな・・・・。誰から聞いた? 雅美か?」

「いいえ、カマ掛けて見ただけです」

「・・・・・・・」

 しかし、何となく対応の仕方が分かってきた時、千尋は何故雅美がこんな訳の分からない人物を面白いと評価したのかが分かった気がする。

 確かに強さは間違いなく一週間前に戦った化け物達と同質の物かも知れないし、もしかしたらそれ以上なのかもしれない。結局の所、雅美は千尋に全てを語らず、断片だけの知識しか教えては居ない。だからそう言う評価が先入観として残ってしまっていたのだろう。

 だが、今の千尋に取って真悟は、要約すれば知り合いの女性には弱いと言った所か。

 それで自然を装い嘘を付き、何となく聞いてしまったのだがそれが見事的中するとまでは思わなかったのだ。

 それが要因となり、真悟が何処か子供じみた、嫌そうな表情になるのも。

「そんなに奥さんに会うのが嫌なんですか?」

「瑞希に会うのは嫌じゃねぇよ。バレちまったからこの際言うが、苦手なんだよ。娘ってーのはな」

「結婚して子供まで居るとは知りませんでしたよ。娘さん、おいくつなんですか?」

 そして自然な会話の流れで、千尋はそう言い微笑む。

 対応の仕方が分かってしまえば、容姿と同じく自分よりも年下の存在として見れるのだろう。

 だが、それが一瞬にして崩れ去る事までは予測出来ぬ事。

「今年で・・・確か15か16だ。一番難しい年頃らしいな」

「そうですか。確かに難しい年頃・・・」

 後に続く言葉は「難しい年頃ですね。相談にでもお乗りしましょうか?」と、少し調子に乗った物を声に、言葉にしようと思っていた。

 だが、冷静に頭の中で反芻してみれば、単純計算で例え若い時に結婚ないし子供を作ったとしても、真悟は三十は越えている存在なのだ。

 千尋はどうしてもそれが信じられずに眉を顰めた所で真悟はにやりと笑い言ってみせる。

「少なくとも、お前の千倍は長く生きてんだ。別におかしかないだろう?」

「・・・・・」

「ま、あんま深く考えるな。俺の認識は無茶苦茶若作りのジジイとでも思っとけば良いさ。信じるも信じないも、お前の勝手だ」

 けけけ、と笑う真悟の表情は勝ち誇った物なのだろう。

 それを見ると、先ほどの子供じみた表情は意味は深く考えてみればやはり芝居じみた物だったのかも知れない。分かっていながらも、それを考えさせずにどうにかする事が出来るのかと言うのが、少しだけ千尋の感情を苛立たせる。

 だから言ってやるのだ。

「でも、娘さんには勝てないんですよね」

「やかましわ・・・・。天敵なんだからしょうがないだろ?」

「天敵って・・・ふふふっ」

「笑うなよなぁー・・・・。ま、見れば分かるさ。俺は居ないがヨロシク頼むぜ。二、三週間は俺、姿くらますから娘が来ても言うんじゃねぇぞ」

「ま、それ位は良いですよ。家も買って貰いましたしね。で、口止め料は無いんですか?」

「・・・・・・・・お前、そう言う性格だったのか?」

「自分でも驚いてますよ。こんなに負けん気が強かったなんて」

「はぁ・・・分かったよ。で、何が欲しい」

「大きいぬいぐるみが欲しいんですけど、良いですか?」

「・・・それは雅美に聞いたんだろう」

「ええ。なかなか面白かったですよ。雅美さんの昔話。けど、年齢の話しまでしてもらってませんから、引き分けですね、今日は」

「お前の勝ちで良いよ。後」

「なんです?」

「普通に喋れ。別に俺に敬語や丁寧語は必要ない」

「謹んでご辞退しますよ」

「なんで」

「いえ、此方の方が面白いですし。六道さんの反応」

「完敗じゃねぇかよ、俺・・・・」

 そしてわざとらしく泣き真似をする真悟は、確かに雅美の言った通り面白い人物だなと想いながら、この後どういう「運転」をしようかと千尋は悩んでいた。

 一応、真悟が荒っぽい運転が苦手と言う事も調査済みなのだ。

 そして千尋には、今日は楽しい一日になりそうな予感がした。



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