ただ、何かを追いかけ闇の中を走っていた。
追われる立場は何度も経験していたが、その時ばかりは自分が追撃者となり、それの後ろ姿を追いかけていたのかもしれない。
相手の表情は分からず、一人なのか、二人なのか、それともそれ以上の人数だろうか。
同じ方向へと逃げる何もかもを、手が届く距離に来た途端、自分は一閃の元に斬り捨て、決して脚を止めず惨殺して行く。
月が赤く染まり、揺るぎない大地はまるで波打った後の様に奇怪な形をしたまま時を止めている。
走りにくい場所が、次々と、月よりも強い赤で染まって行く光景だけは忘れない。
だが、自分に取ってそれがどれだけ意味のある事なのかも、忘れてしまったのだ。
子供の頃の記憶。
両親と、家族の顔。
誰と遊び、誰と別れたのだろうか。
そして誰を愛し、誰を憎んでいたのだろうか。
ただ覚えている事は、自分が何かを殺しているだけの光景。
追われていた、と言う事実と、もう一つ。
自分は、何故か笑っていたのだ。
『悪魔めっ!!』
幾ら誰かの声が聞こえようとも、心を引き裂かんばかりの、そして身体が覚えているだろう。
自分にとって大切だったであろう何者かの、蔑みと畏怖と、何よりも強い憎しみの声を聞こうと自分は笑っていたのだ。
今だからこそ、思える問い。
何故、そうまで想われ、自分は笑って居られるのだろうか。
思い出す度、頭の奥が軋み心臓を鷲掴みにされた様な痛みが走る。
だがそれでも、それだけが自分に取っての過去だから。
そしてそれらの夢を見る時、決まって最後はある光景に辿り着く。
『あんただけは・・・!!』
一人の、少女。
憎悪の念を自分にぶつけ、誰かの屍を庇う様にして自分に強い、殺意を放つ女。
自分はその時、一体どんな顔だったのだろうか。
笑っていたのなら、それは償いきれない罪を犯したと、悔いるべき事だろう。
この命を失ってそれが償えるのならと、何度と無く考えはしたが、所詮、死に至る事は無く、自分がどれほど臆病なのかも分かっている。
夜の砂漠と言う極寒の中で、身体は異常な火照りを見せ、身体中を染めていた血を更に沸騰させる。
そして、少女が自分に刃を突き立てた時、
「あ、起きた? おはよう」
「・・・・・」
目が覚める。
あれから何年経ったのか正確に分からないが、10年と経過していないだろう。
あの少女に殺された筈の自分が生きていた事。
瀕死の自分の身体を意図も簡単に治してしまった、今となっては旅の相棒が一体誰なのかと言う疑問もとうの昔に忘れてしまったのかもしれない。
年の頃ならまだ12、3であろう、自分を殺そうとした少女よりも遥かに若いその女は、飽きもせずに自分の側に居続ける。
ただ、年々、年を重ねる事に想うのだが、その女、クレアはまるで時間が止まった様に成長しない。初めてあった頃、自分も若かったと言う自覚はあるが、彼女はそれよりも若いままで年齢を止めているだ。
「朝ご飯どうする? まだ少しならお金あるけどさぁ」
「お前は何処でモノを買う気だ」
「・・・それもそうね。いつもの癖よ癖」
周りに広がるのは半分が海。魔の海域と呼ばれるそこは、唯一大陸内に存在しない四魔境の一つだ。決して人の立ち入る事の出来ぬそこは、シードラゴンやデビルフィッシュ等の群れが生息していると言われ、今居る様な切り立った崖の上でなければ襲われているだろう。
そしてその反対側にあるのが、南方領域で唯一の森。
ただ、海から来る魔その物の気配にやられた森の木々は、それだけで意思を持ち人を襲い喰らうと言う、ここも魔の海域の一部なのだ。
そんな所に、片方は二十歳未満の少女が一人と、自分とて姿見はまだ二十歳後半。そんな二人で乗り切れる訳が無い。
本来は、であるが。
「じゃ、とっとと顔洗ってきなネボスケ。もう昼前なんだし」
「・・・・」
そんな時間まで寝ていなければならない理由は、つい一時間前までずっと、この森の魔物と戦っていたからだ。その発端を少女が作ったとは言え、自分にそれをとやかく言う権利は無いらしい。
「何ぼさっと突っ立ってんのよ。まだ寝ぼけてんの?」
「いや、世の中は理不尽で一杯だと考えていた」
「ワケわかんない事言ってる暇があったらさっさと行け」
その上、尻を一蹴されそのまま泉のある場所までを歩く。
こんな場所で彼女一人にして置くのは心配だ、と自分以外の初対面の人間や魔族なら言うのかもしれないが、その点は長年の付き合いと言う奴だ。
大丈夫と言うより、自分の身を心配した方がむしろ良いとまで言い切れる。
伝説より曰く。
このガイア大陸に存在する四魔境、 漆黒の山脈、灼熱の砂塵、死の渓谷、そして魔の海域は、それぞれがたった一人の手によって作られたと言う話しはかなり有名だ。
諸説様々は飛んでいるが、その共通点はその一人の名が最も有名であると言う事だろう。
ラグナロクと言う、刀剣に宿りし魂によって、それは作られ、今も太古の姿のままであり続けられ、同時に何者の侵略は愚か、侵入すらも許さぬその場所は生きて帰れる場所ではない。
それが、伝説。
ただ、真実か、それともほら話かは分からないのだが、クレアは自分を助け、暫くしてから自分に告げたのだ。
『私はクレア。ラグナロクの名を破壊する為にある、ふたつめのラグナロク』
冗談だと、その時は想ったが、状況が状況。
追われる立場だった時、そして追いつめられた瞬間、彼女は自分に望みと、それに対する条件を出した。
『貴方が私のやりたい事を、ラグナロクの作り手と「始まりのラグナロク」の破壊を手伝ってくれるのなら・・・』
追っ手が何人居るかは分からなかったが、百人は越えていただろう。
冗談でアレ本気であれ、頼れるモノならと頷こうとしたとき、
『我がラグナロクの名に懸けて、貴公の力となろう。返答は如何に?』
それが冗談でなかった事は、百人を越えるハンターを殺した事で証明された。
その時、自分はそれ程の腕を持っている訳でもなく、まして記憶を失った直後だったのだ。動揺していなかったと言えば嘘になり、それでも生きたいと望む心は自分が生きた中で一番だと、記憶も無いのにまるで身体が覚えている様だった。
そして、それは起こる。
彼女の姿が揺らいだと想った途端、自分の身体に光となった彼女自身が流れ込んできたのだ。
同時に視界全てが赤く染まり、ついで硝子戸が割れた様にその朱が割れた時、既に百人以上が屍となった後だった。
一体何が起こったか等、自分以外の何者かに聞いて見なければ分からないだろう。が、生き残ったのは自分と、クレアと言う名の、ラグナロクを名乗る少女一人。
そして彼女は教えるつもりは無いらしく、その時から疑問は晴れず、そして忘れる事にした。
盟約だと、分かったから。
「迅徹(じんてつ)っ!! さっさとしろって言ったろうがっ!!」
名を呼ばれ、その時から、少女と出会った時からの名で呼ばれ、振り返った瞬間、顔に彼女の拳がめり込む。
さして痛みは感じぬモノの、一度目の忠告はこれで終わり。二度目は首がもげると言う程の拳が来ると言うのは嫌と言う程学んだ事。
「すまん。だが結局今回は、どうだったんだ?」
「・・・・・・」
「クレア?」
拳を下ろし、わなわなと震える少女は端から見ればまるで自分が泣かせた様な雰囲気だ。
誰も居ない事が幸いしているのだろうが、この間町中で殴られて、この姿を見せた途端、様々な所から痛い視線が飛んできた事も覚えている。
だが、誰もがその後の事を多分、記憶から忘れるのだろう。
「アンタは・・・・そーんなにアタシの口から聞きたいワケ?」
「?」
伏せていた顔を勢いよく上げ、自分の視線と彼女の視線がぶつかった途端、何かに遮られ今度は、痛みを通り越して頭が霞んだ。
「今回も失敗したのよっ! そう、居なかったのココにもねっ!! これで満足かしら!?」
倒れ行き、薄れる意識の中でまだ彼女の罵詈雑言が続いてる事も分かるのだが、こんな状態ではまともに口等聞ける筈もない。
鼻っ柱に拳を喰らわせなかったのは、彼女が鼻血で汚れるからだと説明してくれた事はあるのだが、それでも額に、丁度彼女の小さい拳と、自分の額の縦の面積が同じくらいの大きさなのだ。流石にこれでは防ぐ事でもしない限り、脳震盪を起こし倒れてしまうのも無理はない。
その上、防げば防ぐ程、拳の連打は続くのだ。一発貰い、そのまま意識を失った方が俄然、楽なのである。
「・・・!! ・・・・・・・!? ・・・!!」
そして何か言っているらしいが、聞こえない中で、笑ってしまったのがいけなかったらしい。
ただの思い出し笑いだと、混濁しきった意識の中で言ったとしてもムダにしかならない事など分かっているのに。
そして彼女のに助けて貰ったあの日から、自分は記憶、少女はラグナロクを探し求めてガイア大陸中を旅している。
放浪の、気ままな旅だと想いたかったが、四魔境のどれも廻った上で生きて還ったモノが自分だけだと言うのは誰も知らないであろう真実。
朔日この場所に来たのも、四、五回目なのだ。
死の渓谷はまだ二回ほどしか行った事はないが、灼熱の砂塵は七回。漆黒の山脈など、十五回も脚を運んでいるのである。
物好きもここまでくれば、と言う様なモノであるが、彼女に取って、姉になるであろう「一人目」のラグナロクはどうやら復讐の相手らしいのだ。
最も、十代前半にしか見えない少女が息巻いて、まるで恋人を叱咤するように怒って「復讐」だの「殺す」だの宣った所で説得力の欠片もない。
だから、笑ってしまい、それに対する抱腹はちゃんと喰らわなければならないらしい。。
「もう知らないっ! さっサと死ネ朴念仁ッ!!」
落ちた意識を無理矢理覚醒させる為に気付けに一発。
それを再び闇にオトさせる為にみぞおちに一発。
そしてまた意識を失う瞬間に耳元で怒鳴られ、今度は笑わないようにして意識を失う。
よくもまぁ、慣れたモノだと我ながら想う。
大のオトナが小さな女の子にここまで痛めつけられて文句の一つも言わないのだ。神経疑われると言っても、納得せざるを得ないだろう。
だが、それを否定する気も無く、むしろ肯定する気すらあるのは何度か裏切ってそのまま逃げてしまおうと想った時、結局の所、自分が彼女の事を放って置けない事に気付いたから。
別に殴られて殺されるワケでも無いのならそれで良いだろう。彼女とて、手加減は知っている。でなければ自分の胴体や顔など、真っ二つに千切れるなり果実が潰れる様にして血飛沫を上げるなり、とても少女の形で出来ない様な事を簡単にやって退けるのだ。
だから自分の身体の事の心配はしていない。殴られたからと言って、此方から抱腹は全く無く、逆に彼女の手を心配している自分が居るのだ。
全く、妙な間柄だと、いつの間にかそれが当たり前になり、この先もずっとそうなのだろう。
終わりを告げる時は、多分、彼女がその復讐とやらをやり遂げた時。
もしくは、自分の記憶が甦った時だ。
そしてそのどちらもが、この場所で手掛かりを失った事も確かであり、当分の間お預けになった。
だから、心配もしていない。
当たり前の、それで居て変わっていると言うより、狂っていると言われる様な日常であれ、これで満足なのだから。
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