身体中に巻かれた包帯も既に薄汚れ、あれから三日が経過していた。

 とは言っても、南方から東方への道のりは本来、二、三週間を要するのだ。彼女と、クレアと言う存在と融合した名残りの力が無ければ体力も尽き果て倒れただろうが、まだ後二日くらいは走り続けるだけの体力は残っている。ただ、問題と言えば腹の具合だろう。

 西側の軍勢、どの部隊かもよくは分からなかったが。略奪した物品は包帯とそれの予備、保存食に水と西のある特定の場所にに行くのに必要な通行手形。流石に人を食らう趣味も嗜好も、元々美味しい等と言う感覚もなく、当然の事ながら腹が減ってくるのだが、自分の空腹感はまだどうにかなったろう。

 絶食とまで言わないが、それに近い状態を体験した事があるのだ。そしてそのときも、彼女は文句を言っていた様な気がする。

「あー・・・もうちょっとマシなご飯食べたい〜!!」

「・・・・」

「迅徹っ! 何か料理を作れっ!!」

「・・・苦手だと分かって言っているんだろうな」

「この際・・・仕方ない」

「調味料も無いぞ。塩気も無い料理に味を求めるのはどうかと思うが」

「塩気じゃなくても良いからさぁ」

「砂糖なんて持っての他だ。一体何処にある・・・?」

「だってー、おなか空いたんだもん。何かちゃんと味ついたものたーべーたーいー!!」

 小一時間ほど前からずっとこの調子な物だから、目的地へと急ぐ脚も今は徒歩に変わっている。だがそんなとぼとぼ歩いているからこそ、町すら見えても来ないのだ。かと言って、町が何処にあるのかは分からないが、少なくとも村灯りが見える様な夜ではなく今は真っ昼間だ。そして今の現在地を予測するなら乾ききった大地を見ればそれとなく想像は出来るからこそ、彼女の愚痴も多くなるのかもしれない。

 この大陸に存在する四魔境の一つ、死の渓谷。

 その場所は人が住まうにはあまりにも淀んだ空気を纏い、同時に此処に住める魔族はその殆どが人を食らうと言う場所だ。

 人間にしてみれば危険な場所、と言うのが知られている話だが、彼女にとってはそんな事は問題ではない。何せ人が住めない場所と言うのなら、循環器系が弱い他の小動物すら「居ない」場所なのだ。その他にも植物は疎か、コケすら生えぬ場所。

 要するに、食べられるものなど何もないと言う事だ。

 だからと言って、叫べば何とかなると彼女とて思っている訳ではない。逆に、叫ばなければ何とかなる訳でもないのだが。だからこそ少しでもストレス発散の為に叫き散らしている、ただそれだけ。

 たまにそれで腹が減らないのかと疑問に思うのだが、数年か、十数年か。旅路で分かった彼女の腹具合は、どうやら空腹感を感じる、と言うのとは違い、クチが寂しい、もっと言えば甘い味が大好き、と言う事らしいのだ。要するに、別に一週間くらいなら飲まず食わずでも喚くだけで問題は無い。

 しかし、それが彼女自身にも分かっているからこそ、我慢しないらしい。

 ちなみに付け加えるなら、大隊の連中から奪った携帯食は彼女に取ってはご飯ではなくあくまで「食べられるもの」としてしか認識していない。

「うー、白いご飯と塩気の聞いたスープと魚の塩焼きが食べたいー」

 そして彼女の意見も少しは分かるからこそ、何も言わない。

 徐々に変わりつつある空気は間違いなく、死の渓谷の物だ。人間で言えば胸くそ悪いと言う感想も抱けるのだろうが、自分に取って澄んだ空気に思える辺り、種族はと問われれば人間だけは違うと言えるだろう。そしてだからこそ、いきなりは狩られる対象にもならないのだ。

 数人、いや、土煙でそう見えるだけで実際は一人だろう。以前来た時は奥地まで入る気が無かった故に出会えなかったのかもしれないが、少なくとも顔なじみではない。

 だから向こうの表情は、少しだけ怪訝な物だった。

「あんたら、旅人か?」

「ああ。目的地は・・・そこに居るのに聞いてくれ」

「・・・・・」

 そして少女を見やって、怪訝な顔が少しでも綻ぶのかと思ったが、顔色がやけに悪い事に気付かなければ、自分の表情も、包帯の奥に見える目が揺らいだのだろう。

「まぁ、いいさ。あんたらが何者でもな。異色の仮面で無い限り歓迎するぜ」

 聞かない名ではない。

 ただ、男の喋る顔に浮かぶ疲労感が、見た限りの年齢よりも遥かに歳を重ねて見せていた。



 案内人、この辺りでは塚守と呼ばれる彼は大まかな事情を話ながら集落へと案内してくれた。

 もっとも、顔の青ざめた魔族などそうそう居る筈も無いと分かっていたのだが、認めたくなかった自分の意見はあっけなく否定される。

 そしてもう一つ、彼が疲労しているのではなく、憔悴しきっていると分かったのも話を聞いたからだ。正直、他人の事に、特に多種族の事に首を突っ込みたがらない死の渓谷の住人、赤魔の民(しゃくまのたみ)から忠告を受けるとは思わなかった。

「と、言う事で歓迎はするが、あまり長居する事は進められんねぇんだ。悪いな」

「いや、忠告ありがたくちょうだいする」

「それに、もしかしたらアンタら本当に最後の訪問者かもしれねぇ。少しでも俺たちの事を憶えててくれりゃ、それでいいさ」

「・・・・」

 儚げに笑う等、人間が見たら彼らの事を一体どう思うのだろうか。

 確かに、人間に取ってみれば残忍冷血、残酷無比、人を喰らい、圧倒的な力は恐れるに足る物だろう。

 だが、種族が違うと言うだけで感情の造りすら別だと考えられてしまうのが、彼らの咎人たる証なのかもしれない。

 所詮、塚守の彼も、この地に住む魔族の殆どが生れる前に起こったある事件の所為なのだから、罪まで背負う必要は無いのではないかと、幾度と無く思った。無論それを問い、帰ってくる答えが皆同じだからこそ、もう問わない様にしていたのだが、このときばかりはそれを、彼らの誇りを傷つけても聞きたい気分だった。

「呪われた大地なんて言われてきたが、最近はそれも言い得て妙だとも思うな。離れられない自分が如何に無力か思い知ったぜ」

「離れられない?」

「ああ、そうか。お前さんは数回来ているがあまり知らないんだったな。俺たちが此処を離れないんじゃなく、離れられない理由もよ。ま、旅人に聞かせる話しじゃねぇや、忘れてくんな」

「・・・・」

 自虐的になり、滅びを待つただ、生きる事すら出来ぬ、生かされた存在。

 隣を歩く彼を表現するならば、そんな魔族に見えるだろう。唯一、魔の眷属であると言う証は彼の目がまだ諦めて居ないと言う事だろう。例えどんな絶望な状況下であろうと、血がそれを許さないのだ。

 この血で起こった、たった一人が起こした殺戮は呪いだけではなく、彼らに生き地獄すら与えたのかもしれない。

 誰かが居なければ、そして場所と言う形があり、戦えぬ相手に同等の力を持った者と言う限定条件まで付けられた空間。

 説明を聞いただけではよく分からなかったが、彼が塚守と呼ばれているのは何も深い意味があった訳ではないと言う事だけは分かった。そして、彼が喋らないのではなく、単に知らなかっただけと言う事を分かっていたのか。言葉を続ける様にして黙っていたクレアが口を開く。

「正確に言えば、呪いってよりも残留思念が強すぎるのが原因なのよ。あの事件を起こした男も男だけど、あんたらの祖先も祖先ね。魔剣が作られた意味なんて、今の魔族でも全部知ってるかどうか怪しいわよ」

 が、大人しくしている訳ではない。むしろこの場合は魔族本人を目の前にしているのだから喧嘩を売っているのと等しい。まだ名前も知らない塚守だったが、喧嘩をしたいと思う自分でもなく、むしろその真逆だ。第一、魔族と小競合いになると言う事はないのだから、やってしまったかと額でも抑えたい気分になったが憔悴しきっていると言う理由以外で魔族が喧嘩を買わなかった所は初めて見た。それも、彼女の事を見抜いたと言う事実が驚かされる一番の原因だった。

「やっぱりあんた、ラグナロクなんだな」

「それがどうかしたの?」

「いや、俺の知ってる人とかなり違ったから不思議だったんだ。雰囲気がそっくりだからな」

 その上、似ていると言われ機嫌が悪くなったのだろう。頬をふくらませる訳でもなく、ただ視線を逸らせてもう喋りたくないと態度で表している様子。そして塚守の男はそれを見ながら少しだけ笑っていた。

「まぁ、最後の訪問客がラグナロクともありゃ、連中も喜ぶだろ。あんたが何本目かは知らないが、歓迎するぜ」

 そして、それが決定打だ。彼女が動いたのがハッキリと分かり、自分がそれを止められたのは予測出来たから。でなければ首か腕が吹っ飛んで居ただろう。現に威力を反らし腕を掴んで羽交い締めに出来たモノの、掴んだ手の平が焼けるように熱かった。

「落ち着け。別にお前の事を貶した訳じゃない」

「そうじゃないっ! こいつはっ・・・こいつはよりにもよって13魔剣の奴らの誇りを汚したんだっ!!」

 腹が減っているから怒りっぽくなっているのだろうと、自分も、多分塚守も思っていた筈だ。だから彼女の口から飛び出た言葉には、少なからず驚かされる。いや、彼女からしてみれば、それは言ってしまった、と言うべきなのかもしれない。

 彼らが最も恐れ、そして敬う存在の名を口に出して非難したから。

 そして生きてさえ居れば。

 少なくとも、他の何人の13魔剣と言う魔族の中で最も高位の存在とされる連中が数多く生き残っていれば、男も目に殺意ではなく、よりにもよって涙など宿さなかったろう。

 墓標もない、墓場に来てしまった。

 それがここに来た感想。

「俺達だってあんたらラグナロクに死んでも助けを求めない13魔剣の誇りは知ってるさっ!! だけどな、ホントに死んじまったら意味なんてねぇだろうがっ!!」

「それがどうしたのよっ!! 天魔剣なら、シュリなら絶対あんたみたいに死んだ目をした奴を許す筈ないんだからっ!! 彼女がどんな想いで・・・どんな想いで自分の家族殺したと思ってるのよっ!!!」

 事情など、自分は何も知らない。

 ただ、どちらの言っている言葉も重すぎて、何も言わずそこに居るだけだった。

 たどり着いた死の渓谷に居る筈の天魔剣が居た地。それはもう、過去になった。




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:BLUE COMPENSATION





































「さっきは・・・すまなかったな。俺もあそこまで怒鳴るつもりはなかったんだが」

「分かっている。だが、ラグナロクだと分かって喧嘩を売るとは思わなかったから少し肝を冷やした」

「面目ない」

 結局あの後、どちらも折れる事なく殴り合いではなく、一方的な殺しになるやもしれなかったのだが、クレア自身も。いや、クレアだからこそ実力の差が明白な事など分かり切っていたのだ。だから強い自分の方が退く事で場を蔵めようとしたのだろうが、腹の虫も収まらず何処かに行ってしまった。

 無論、そのとき自分もついて行こうとしたのだが、一人で良いと、散歩だと言われれば着いていく必要は無いの。要するに、分かっていても、割り切れない、ただそれだけの事だ。その点に関してだけは、彼女は自分よりも幼いのかもしれない。そしてそれが分かったからこそ、塚守の男、セノーヴァも反省している様子だった。

 大まかな事情、13魔剣と言う存在に着いては名前と、魔族の中でどんな立場なのかしか分からなかったが、ラグナロクと言う存在との関係も彼の口から聞く事が出来た。それを聞けば、彼女が珍しく怒ったのも無理はないだろうと思えたが、13魔剣の中に知り合いが居るとは全く知らなかった。

 過去にあった、古の瞬きと名の戦争。人間がまだ文化も持たず、今のように闊歩する事の無かった時代だ。寿命が長いからこそ、100年も200年も戦争を続けられる彼らだからこそ、長く続いたそれは幾つもの悲劇を生み出す結果になる。

 元々は、その大戦の発端に魔族も関っていたのだが、全てではなかった事と、ある世代で意見が分かれていた。そしてある人物、詳細も何も分からないままの、ただの男だ。

 魔族に取って、忌むべき存在なのに、決してそれが出来ぬほどの血の制約まで結果的に創り出した紅い殺戮者。名も分からぬ、二つ名だけの男が、この死の渓谷と言う場所で意見の分かれた世代の中で、より上の世代だけを只の一撃で葬り去ってしまったのだ。

 それが結果的に、魔族の中である事件を起こさなければならないきっかけとなる。

 二度と過ちを犯さぬ為に、ある世代、まだ生まれたての赤子達と、幼すぎる子供を残し、同族殺しを始めたのだ。

 人間では、決して出来ない選択であり、まして愚かしい行動としか思えないだろう。少なからず、自分が種族と言う欄に捕われていたとしても、そんな選択を迫られた時に肯定出来るかどうかなど分かりはしない。が、魔族はそれを行い、結果、13人の魔族が生き残る結果となった。

 それが13魔剣の発祥であり、事実魔族はそれから同族殺しと言う事に関してだけは破った事が無い。その為に、住むべき場所と、何かの民と言う村や集落ごとの名を決め、極力大雑把な種族別けである殺し合いを避けている。人間からしてみれば、閉鎖的な暮らし方に思えるかもしれないのだろうが。

 そしてその13魔剣の中で最も功労者だった一人がこの地で死んだ、いや、殺された天魔剣シュリ・レイナード。何より、他の魔剣と違う部分は、魔族と人間の橋渡しをしたと言う部分か。取り入れるべき文化と、そうでない物の区別が抜きん出て出来たらしい。だから魔族自身は持ち得なかった、金属精製と言う部分がこの辺境の村にもある。

 ただ、クレアが泣いていた。と言うより、あれは嘆いていたのだろう。此村に居る大人達は皆、何処か死んだ目をしているのだ。母親代わりであった人物、彼らに取ってみれば、それ以上の存在だったのかもしれない。宗教や、崇拝と全く異なる、敬意を払っていると言う事。それ故に、彼らに取って彼女が死んだと言う事実は耐えきれないことだったろう。

 そしてだからこそクレアは怒鳴り散らし、彼も言い返した。

 本来ならば、天魔剣と言うさだめを背負う事になった女が考えるべき選択。

 ここから離れてしまうか、それとも死をただ待つかを。

「難しい、んだろうな」

「?」

「何でもない」

「そうか」

 感想など漏らした事にそう意味は無いが。村の中を歩き、ただセノーヴァに案内されるがままに前へと進む。多分、行くべき場所はこの村の、天魔剣の家だった場所だ。墓標さえ無く、自分はラグナロクの連れと言う事で待遇されているのだろうがセノーヴァ自身、迅徹と言う男の中にある獣の部分を分かっているのかもしれない。魔族にだけは、隠し通せた試しがないのだ。

「寝る場所は、この家を使ってくれると助かる」

 そしてたどり着いた家は、東方の長屋と言う建物に似て、薄汚れていると言うより所々に直した後があり、かなり年期が入っている。挙げ句の果てに東方の文字で天魔剣と表札まで下げられている辺りが、シュリ・レイナードと言う人物がどんな女性だったか。この彼女の家だった場所を見ただけで、分かるような気がした。

「後よ、先客が居るんだが、そっちの方は互いに好きにしてくれ。あんただったら良い友人になれると思うぜ」

「そうか」

 一軒家や、コテージならばそう言う事も無いのだろうが、流石に長屋の形をしているだけあって使われ方も同じらしい。話を聞くに、多分壁など端と端しか存在していない様な雰囲気でもある。

「ああ、後・・・」

「履を脱げば良いんだろ。分かっている」

「後で酒と食い物を何か見繕ってくる。ま、ゆっくりしてくんな」

 こんな、建物の文化などは本来魔族の中には無い。だから、この周辺で建物と言えばこれだけで、他の魔族達ももしかしたら天魔剣が居た頃は中から子供の遊ぶ声でも聞こえてきたのかもしれない。そんな雰囲気があるが、確かに客が居ると言う気配以外は何も感じず、ぶしつけに戸を開け入った所で、少し予想していたのと違う事に気付いた。

 まずは、匂いだ。

 まさかこんなに生活臭があふれているとは思わなかった。それはまだ、名残りが強く残っていると言うだけに押しとどめる事が出来るのだろうが。

「玄関で寝る文化なぞ・・・とんと聞いた事は無いが」

 廊下ではなく直に畳敷きの座敷、予測通り壁などなく外観と同じく中は縦に長い一部屋だ。だから正確に玄関、と呼べるのかどうかは分からないが、履を脱ぐべき場所ならば間違いではないだろう。そして脚をあげるその場所に、その女は背を向けて座っていた。寝ていると言ったのは、あくまで皮肉だったのだが。

「悪癖だ。気にしないで貰いたい」

「そうか。ついでで悪いが少し退いてくれると助かる」

「それは気付かなかった」

 冗談を、冗談で反してくれるだけ印象は良かったが、妙な女だとは思えた。

 風貌は自分とさして変わらない年齢に見えるが、気配だけはどんな戦場をくぐり抜けたのか分からない程の静閑さがある。

 常に、殺される事と、殺す事を覚悟しているのだ。物騒な、龍人族だと思う。

 そして直に自分が龍人族だと分かった理由が「見当たらなかった」のだが、人間であり得ない事も、また魔族でもない事だけは明白。

 座り込み、それでも放さぬ様に握りしめている剣が、あまりにも凶々しすぎたからだ。何より、魔剣や呪剣の類いに無理矢理使われているのならまだしも、それを完璧に使役している辺りが、セノーヴァの言った通り気に入ったと言えるのかもしれない。

 ただこれだけは言えた。

 決して、酒を飲み交わす様な仲にならないだろうと。

 それは向こうも同じ事だろう。寝起きだから、と言う理由だけではない警戒の目差と、何処か笑みをたたえたその表情は壊れている風にも見受けられた。

「あんたも・・・シュリさんの知り合いなのか?」

「残念ながら違うな。知り合いになれたらと、思っては居た」

「そうか。確かにそれは、残念だ」

「ああ」

 話の内容もやはり、此方に向けている視線。二つの入り交じった何かと同じ印象を抱く。ありきたりな、複雑な女なのではなく迷いがあると言う事を現れだろう。どちらかと言えば、女らしいと言える様な考え方はしない様に思える。

 その証拠に、笑いかけられたその目の奥にあったのは、作為的な悪意だ。

「つかぬ事を聞くが」

 だから心構えだけが自然と出来た事と、今、隣にクレアが居ない事が恨めしかった。

 こうも絶対的に実力が違うと、手も足も出ないとはまさにこのことだろう。そう痛感させられたのは、クレアと出会って以来一度もない。昨日であった凍顔の知将など、足下にも及ばないだろうと言うハッキリとした実感がある。

 策略も、何も無くとも己の身一つで絶対的な力を持っている存在。

 それが自分に向け悪意を放って来る理由までは分からなかったが、確かな事は一つ。

「マディン・ガロスと言う女を知らないか」

 答えによっては殺されると言う事が、分かった。

 もっとも、知らぬ名だったから、何とも答えようが無い訳でもなく、察してくれたらしい。

 まさかここまで戦わずして良かったと思える相手に巡り会えるとは想いもしなかったが。

「悪かった。殺す気はなかったんだがな。どうもアンタは知っている様な気がしたんでな」

「心当たりのない名だが。二つ名は」

「さぁ・・・・。ああ、そうか。二つ名と言えるのかどうかは分からんが「字無し(あざなし)」などと呼ばれる事もあるらしい」

 そして自分が本当に知らない事を既に知ってしまった為か。立ち上がり、よく見れば靴を履いたままだから玄関先に座り込んでいたのかもしれないが。

「少し風に当たって来る。私はライアだ。あんたは?」

「迅徹。」

「ジンテツか・・・。悪くない名だ」

 背を向けたまま聞き、そのまま出ていってしまった。

 だからだろう。自分が笑っていた事と、震えていた事も分からずにその場に佇むだけだったのは。

 後ろ姿さえ見る事を抵む自分と、それでも目で追ってしまう自分が混濁しているのが分かり、顔に張り付いた笑みは当分取れそうも無い。幸いにも、表情は気配で感じ取られる以外は包帯が隠してくれるので不安になる事はないが、クレアに問われた時、どんな答えを用意していれば良いのかまでは思い当たらない。

 そこまで考えた所で、表情が戻って行くのが分かった。何とも言えない話だが、圧倒的な実力者とやり合うよりも遥かに、クレア一人をなだめる方が余っ程手間が掛かる事なのだ。恐怖を感じている等と微塵も思った事は無いが、別の、平和だと感じるからこそある感覚が、嬉しさを伴わせながらそう思うのかもしれないが。

 どちらにしろ、彼女の怒る顔はそれだけで心を落ち着かせ、生きているからこそ出来る事をするべく思考が駆けめぐっているのが分かった。

 見た所、旅人とも少し違う様子だったのは彼女の荷物だろう。普通、傷薬や携帯食料は少しでも持っている筈だがその荷物すら無いのだ。持っていたのは手に握りしめていた剣一振りのみ。そしてその一本。たった一本が自分にこんなにも恐怖を与えた原因だと言う事も分かっていた。

 確かに彼女と素手でやり合う事になっても負けるのだろうが、あそこまで絶対的な恐怖を感じる事など無いだろう。そう言えたのは彼女の目が原因だ。

 マディン・ガロスと言う名前に心当たりなど無いが、親の仇か、それと似た感情を抱いているのは確かだったが、元来のまっすぐさを消しきれない迷いを秘めているのだ。多分、魔剣の類いだろうとは思うが。その迷いを断ち切る為に己の知っている最高の武器。ラグナロクさえ越える程の呪い、または魔導の類いを仕込んでいるのだろう。そしてそれは少なからず彼女に影響を及ぼしている様で、多分、握っていた左手だ。恐ろしい程の筋力を剣を扱う為のみに秘め、その代償として多分、後三年と持たず使い物にならなくなってしまう。もしくは、それが原因で死に至る程の、まさに呪いだ。局地的な戦争の中や、規律などまるで無視する盗賊が強盗団の類いでさえ、あんな方法は知っていても使っている奴は見た事がない。

 要するに、未来を棄てているのだと分かるが、そこまで覚悟を決めその人物を追う理由まではとうてい想像出来るモノではない。

 そして、言った手前だろうか。玄関は閉められた物の、自分の考察していた時間と、何より、耐えきれなくなったのかもしれない。

「すまんが・・・」

 ばつの悪そうな顔で戸をもう一度開けながらそう言い、よほど言いにくかったに違いない。

「・・・・・」

「・・・・・・・分かった。つき合う」

 長い沈黙、と言う程ではないが。その代わりに何かどうしようもなく困っていると言う表情を投げかけられては、此方から言うのが筋という物だと、半ば強制的に認めさせられてしまった。

 その理由など、見れば分かるだろう。彼女の背後、元々そちらに視線があったのだが。

 この村に住む「まだ元気な」子供達が集まって、多分、此処に来た物は皆そうして来た様に、自分たちにも旅の話を聞きに来たのかもしれない。

 追い返す方法など、彼女ならば簡単だったのだろうが。自己満足か、それとも元来の気質か。もしかしたら、昔の自分を重ねてしまったのかもしれない。視界の隅に見えた一人の少年のあまりの衰弱ぶりに、目を背けてしまった。

「ボウズ、すまんがな」

「なに?」

 主犯格、と言うべきかどうかは定かではないが。子供達の中でリーダー的存在を見付ける容易い事。視線だけで事情を察してくれる程歳は取って居ない様子だったが、それでも言った言葉の意味を反芻できる年齢ではあった様だ。

「少し、俺はこの人と散歩をしてくる。セノーヴァが来たら中に置いてくれれば良いと伝えてくれ。なんならお前達で食べても構わん」

「ん、分かった。じゃ、あがってって良い?」

「ああ。ここは元々お前達の遊び場だろ?」

「もちのロン!」

 まるで自分の立場の方がエライのだと言う風に、主張しながら出す胸は確かに豪そうではある。

 ただ、この村の事情。

 ただ、死を待つのみになってしまった現状を聞きもしないのに知っている為なのか。

 それとも「知ってしまった」のかもしれないが、瞳の中に泣くまいとする気丈さが見えた時、言葉を掛けてやるべきかどうかを迷ってしまう。

 もっとも、この年頃は妙に大人びているのはどの種族であろうと同じらしい。

「兄ちゃんが気にする事ないって。その代わり、顔みしてくんない?」

「なぜだ?」

「だってさ兄ちゃん、対魔って言うんだろ? 有名人の顔見たとあれば、姉ちゃんやセノーヴァ兄ちゃんに自慢も出来るしさ」

 その瞬間の言葉を遮り、何かを言い放とうとしたのはライアの方だった。自分が手で制さなければ、涙さえ流して居たのかもしれない程、瞳の中の復讐の焔さえ消沈していた程だ。

 それほどに、強くなろうと、そして強い意志を持ち続けている少年は、もういっぱしの大人であると言う証拠だ。何より、彼にも自分の子分か、友人か、弟分、妹分か。それら全てなのかもしれない。守るべき者が居る限り、弱さは消して見せられないのだ。

 大人同士であれば馬鹿げた事なのかも知れないが、子供自身がもし生き残るチャンスがあるとすれば、こう言う少年がどうしても必要になってくると、自分が必要とされていると本能的に悟っている。

「これで、・・・良いか?」

「おー!」

 感嘆の声を漏らしながら、まだよく分かっていない子供に説明する少年。その度に「ほー」だの「へー」だのと漏れる声は気恥ずかしさすら憶えたが、それすらも気遣われてしまったらしい。少年と、その一同はちゃんと履を脱いでから長屋の中へと入っていった。

 そして残された自分と、女。無論、ライアは何か言いたげだったが、言葉に成らない部分を補うとすれば一つ。

「あいつらに今必要なのは希望じゃない。悔しいが、今の俺達じゃ無力だ」

「じゃあ・・・・・・お前は何が必要だと思う」

「それが分かればな、悪魔なんて呼ばれたりせずに済むさ」

 包帯をわざわざ巻き取るのではなく、引きちぎった布の残骸を握りしめた手は痛い程に握りしめられているのが分かる。理屈や、感情云々の話ではないのだ。だから尚、残った思いは大きいのかもしれない。そしてそんな素っ気ない態度が気に入らなかったのかもしれないが、納得出来る自分の中の答えも無かったのだろう。ただ、沈黙のままに歩き出しただけだ。

 そして言われても居ないが、もう少し話のしてみたくなった自分の脚も、自然と彼女と同じ方向へと進んでいた。





 名の通り、死の渓谷には切り立った崖が永遠と続いた場所がある。地平の果てまで続くそれを上から除けば、例え周辺に住んでいる魔族ですら誘うようにして喰らってしまうらしい。過去二回ほど来ているが、ここまで足を運んだ事は無かった故に、見る機会は一度として無かった。

 だが、今回絶景とも言える場所を見て感じた事は、死の渓谷と銘打たれたこの場所が何故そう呼ばれるのか。それが漸く分かった気がした。

 噂や、風評だけで「死」と言う肩書きがあるのではい。切り立った崖の上に居るからこそ言えるのだろうが、ここに底と言うモノがあるのだろうかとすら思う。

 陽光が差し込んでいるにも関らず、底がまるで闇に喰われてしまった様、見えぬのだ。もしかしたら、闇を喰らう渓谷とでも名付けられてもおかしくなかったのかもしれない。

 そんな崖の際を歩きながら、自分はライアの後をただ歩くだけだ。まるで自分が子供の様だとも思ったが、彼女の気配から察するに、何かを話したいと思っては居る様子。

 よほど、聞かれたくない事なのか。それとも、自分の実力をもう一度試したいか。

 そのどちらもが無い様な気がして、予測をうち立てて見るものの、ろくでもない事しか浮かばない。そして彼女が取った行動は、その中でも最悪、より少し斜め上であるとも思う。

「あんたに、手伝って欲しい事がある」

「なんだ?」

「私の技を、受けて貰いたい。無論、手加減はするさ」

 遠回しにそう言わず、素直に実験台になれとでも言われればこの場を無言で去ったろう。何より、動けないのではなく今は動きたくないと言うのが正直な所だ。

 例え、そう。例え憂いを含み、憎しみを何処かに残した目差であれ、彼女の顔が笑っていたからだ。

 しがらみも、咎も、罪の深さも無ければ。血塗れた手であろう過去がなければ、それは極上の笑顔であった筈だ。

 だから動きたくないと言う感情があるが、冷え切った理性はそれを真向から否定しているのも無理は無いだろう。

 手加減をすると、彼女は言った。顔が笑っているのは多分、無茶な願いだと分かっているからこその物。だが手加減その物が出来るような器用さを持っていないからこそ、自嘲している部分は明かしていない本音。

 要するに、遠回しに死んでくれと述べているに等しいのだ。そして例え自分が死んだとしても、彼女は何も感じず、あの村に帰り自分は先に行ったと言うに違いない。

 考えている事がまるで手に取るように分かる一方、選択肢が限られている事も事実。何より、喜んでいる自分の心を感じた時、自然と自分の表情も笑っていた。

「何か、おかしかったか?」

「いや・・・・。連れ以外の心がこうも分かる相手とは初めて出会ったからな」

「私は、あんたが初めてだ。ジンテツ」

 だから二人で、しばしの間だ笑っていたのかもしれないが、彼女の本質が見えた瞬間、彼女の苦笑の声は止まり自分のそれも止まってしまう。

「本音で言うか」

 そして彼女の声は、酷く弱い自分に対して言うにはあまりに、決意に満ちていた。

「正直、それが酷く気に入らない。今の私には、あんたが邪魔な存在になる前に消して置きたいと言う本音がどうしてもある」

「そうか。俺も、アンタに負けるんなら構わないとは思うが、死ぬのは願い下げだ」

「だろうな。誰でもそう言う筈だ。けど、それじゃフェアじゃない。今のアンタと私じゃ、あまりにも差があり過ぎる。私も弱い物いじめが趣味と言う訳ではない」

 何処か矛盾した物言い。迷っているのは明白だったが、彼女の抱く感情の後僅か。覆い隠されても居ないそれだけが、何か分からなかった。

 まるで自分には無縁な感情だった故に、今の迅徹では気付かなかったとも言えるだろう。そして自分の中にあるそれと同じ物も、ハッキリと言葉に出して言える程、感情豊かな過去がある訳ではない。互いにそんな過去があるからこそ、こうして対立しているのかもしれないが。どちらにしろそんな事はもうすぐ無意味になってしまう。

 だから問うた。

「俺には少々不思議に思える事があるんだが、冥土の土産にでも教えてくれないか」

「まぁ、私に答えられる事なら良いさ。アンタに勝ち目が無ければ秘密漏洩の心配もなかろうからな」

「その口振りから察するに、何処かの組織か何かに属してるんだろうが・・・・」

 聞きたい事は幾つかあったが、そのどれもがたわいもない、それこそ自分に価値のある情報には思えない。だがどうしてもその疑問だけは自分の中で嚥下仕切れる事ではなかった。旅人としての勘とでも言うのか。気付いたのは、つい今し方だったと言うのが鈍すぎて自分らしいと言えばらしかったが。

「あんた程の腕を持っていれば、旅先で何かしらの噂を聞いている筈なんだ。字無しのマディンも、聞いた事だけはあるのは思い出した。
 確かアルフェイザに居る女剣士、腕は、アルフェイザ傭兵の中じゃ多分、天魔剣を殺した異色の仮面の次辺りだと俺は思っている」

 長々と喋るのはあまり好きではなかったが、単刀直入に聞いた所で彼女は何も言わぬだろう。気付かせる様な、自分の立場を危うくする様な素振りは見せない筈だ。

 だから逃げ抗弁などたった一つも残さぬ様にして、彼女にどうしても喋って貰いたくもなる。そう言う笑みを、今の自分は浮かべているに違いない。

「これでも大陸中を駆け回って旅をして長い。大体の通り名や二つ名は記憶しているし、特徴も想像出来る様になった。まぁ、あまり必要な技能だとも思わなかったんだがな」

「それで、一体何が聞きたい?」

 言葉を返し、気配を変えたとあらば自分の言いたい事も想像が出来る筈だ。何せ、互いに互いの中を読みあえる様な奇妙な仲なのだ。それで敵同士ともあらば、よほど意表を突いた言葉でなければならない。

 しばしの沈黙は、自分の考える時間だ。そして浮かんだ言葉をあえて消し、歴史上知られていない事柄。記憶を引き出しながら問いたかった言葉をぶつけてみた。

「俺も正直に言おう。真物かどうかは分からないが、連れと言うのがラグナロクでな。少々古めかしい歴史も雑学として聞いては居た」

「ほう、ホラにしては、大きすぎるな」

「俺も言う時は恥ずかしいさ。だが、力と知識は間違いなく真物だ。それでそいつに聞いたんだが、四魔境に「まつわらない」歴史ってのに面白い部分を思い出してね。
 見た所、あんたは龍人族だ。剣眼の特徴だけ見れば魔族に間違われるのかもしれないが、見分け方くらいは学んだつもりだ。違うか?」

「間違っては居ない」

「だろうな。で、アンタみたいな龍人族でも伝えられて無い真実があって、その中に竜帝って奴の事がある。確か名前は・・・バルバロッサとか言ったな。
 古の瞬きって戦争以前に殺されたそいつは、名の通り竜族の一番頂点に立っていた奴。お伽話の緋色の瞬光に殺された事があるだなんて、まぁ誰も信じないだろうな。
 魔族達の「黒の決意」の時に、それ以前のほぼ全ての種族の過去が無くなったんだ。当たり前と言えば当たり前なんだが。
 その時の事を、連れのラグナロクは見てたって言う話だ。初めはうさんくさいんであまり信じてなかったが、信じようと思うようになったよ」

「・・・・・・」

 そして、彼女の答えは沈黙と言うある種の肯定。

 予測していたのではなく、気付いた時から確信を持って言える事だったから、彼女としては驚いたろう。そもそもこんな事を知っている連中は、13魔剣の中にも居るかどうかと言う位だ。皇都ガ・ルーンの三闘士の三つ色の剣舞であれば、人間でなく、尚且つ古の瞬きの時より生きるバケモノ故によもや知っているかもしれなかったが、彼女からしてみれば自分はただ弱いだけの、少し名の知れた魔族。

 それが間違いであると見抜けなかったのは、迅徹自身が自分の事をよく分かっていなかったからだろう。だから彼女の言った通り、強さの面では彼女に部があるが、知識や情報の点に置いては圧倒的な差がある。

「ライア、あんたの持ってるその剣を見なきゃ、信じる気になれなかったんだ」

「・・・・・」

「間違いなくそれはドラグネスソードだ。呪われた竜帝唯一の牙。
 それに、アンタの知らない事実を付け加えるとすればそれの元々の姿は初代・・・、いや、初代と言うのはおかしいか。
 白龍族、流天の民、龍天のハーン・イルムを殺してその血を鍛えた物だ。製られた時から龍天の血の呪いで絶対に竜帝以外扱えない筈だが例外も過去に一例だけあった。
 もしかしたらアンタがその人物かと思ったが、とても千年も生きてる様には見えない。なら必然的にあんたは二人目って事になるんだが、解せない点が一つだけある。
 それを考慮すれば、今迄アンタの名前も噂も聞かなかった事に合点が行くような気がするんだが・・・」

 そしてそれ以降の言葉は、彼女の反応を待ってしか、言いたくは無い。

 唯一の例外と言う存在を知っていなければ、それも予測出来なかった事だ。喋り労れた訳でもないのに、喉が渇くのは自分が緊張したままであるが故。

 話の途中一度として、彼女は前に踏み込みはしなかったが、たった一刀で自分を殺せるだけの間合いを外そうとはしなかった。

 ドラグネスソードの特性、空間を断ち切ると言う話を聞いた時は流石に馬鹿げているとも思ったが、どうやらそれが本当らしい事は自分の本質。悪魔と呼ばれるだけに足る部分がここから逃げろと幾度と無く叫んでいる事で証明している。

 立ち会って、勝てる訳が無いのは当たり前だ。彼女の持つ剣は、間合いなど無視し全てをまるでバターの様に切り裂けるだけの研ぎ澄まされた刃があるのだから。

 名か、二つ名を聞いただけで相手の強さが分かると言う自分の特技をこうも乱用した覚えは今迄一度も無かったが、彼女はその中で間違いなく一番の強さを誇っているに違いない。こうして対峙して初めて分かる事だが、自分と言う使い手を選んだクレアですら、負けるだろう。彼女自身にはどうしても一人では全ての力を解放出来ない武具としての欠点がある。故に、此処に居ない事を最初は恨んでも居たが、今は全くの逆になっていた。

「正味な話、私は今迄ラグナロクを持っていると言う奴と何人か戦った事がある。その時々でソイツらはいろんな事を言うんだがてんで的はずれだ。
 てっきりこの大陸には魔帝作のあれ一本だと思っていたし、間違いじゃないとも確信していた。・・・・・」

 どう足掻いても、自分は死ぬ。それが唯一出した、否。出せた結論だ。

「だが一番小さいこの大陸ですらまだまだでかいらしいな。それだけの知識を持っているのは、確かに二本目のラグナロクだけだろうさ。誇って良いぞ。
 あれは元々情報収集用に特化した武器ではなく鎧だったと聞く。だが使用者の著しい思考力低下の欠点があってその推察力は驚くべき物だ」

 だから彼女の言葉の意味が一瞬分からず、眉を寄せてしまったが、大した事ではない。

「だが奇しくもそこまで勘の良い心も、やはり鈍っている様だ。私の過去も・・・・いや、お前の過去か」

 聞いた言葉は、自分を揺らがせるには、あまりにも足りぬ物。彼女からしてみれば、自分の言った揺るがせる言葉と同質の物であると踏んでいるだろう。

「お前の連れのラグナロクであれば、ジンテツ。貴様の知らぬ己の過去であれ、全て知っている筈だ」

 だから酷く彼女の告げる姿が滑稽に見えた。

 他の理由、それすらも見抜けてしまった故に。

「それがどうかしたのか? 確かに使用者の著しい思考能力の低下、と言うのは初耳だが」

「・・・・・?」

 一瞬、彼女は自分の言った言葉の意味が分からなかったのだろう。間をそうも置かず次の言葉を選びたかったのだろうが、食い違い始めた自分と彼女の繋がりは既に無い。

 正確に言えば、自分だけが一方的に彼女を見ている気分だったが。

「分かっているのか?」

「ああ。初めて融合した時からそれは気付いていたさ。利用されてると言う感覚がなかったからこそ、聞かなかっただけだ。
 第一、融合した時だけはアイツの頭の中が嫌でも読み取れる。隠し事の下手な奴ほど、頭の中で幾度と無くそれを呟いている物だ」

「・・・・・・・・」

 何より、今の彼女は自分の事をまるで理解出来ないのだろう。

 騙されて、一体何の得があるのか分からないと言った所か。もう一つは徐々に固まってきた決意が、目の前の男を殺せと告げている事。あまりの多くの真実を告げもせずに発いたとあらば、自分とて立場が逆であればそうしていたろう。

 そして彼女がドラグネスソードを持っている理由が分かったとしても、誰の下で働いているかだけは未だに複数の選択肢から絞り込めない。そこだけはまるで霧が掛かった様に進めないのだ。それが自分と彼女との間にある決定的な強さの壁と言う奴かもしれない。それでも、心の動きだけはハッキリと分かるのだから、彼女が思っている自分の強さと、迅徹自身が自己評価した自分の強さとでは差があるのかもしれない。

 だから生き残るチャンスがあるとすれば、前へ進むしか無い事など分かっている筈なのだが、どうしてもその一歩前へ踏み出す決意が固まらないのは自分の弱さである部分だ。そして彼女もそれを見抜いたらしい。

「言って、掛け値なしに全力でやり合えるのなら言いたい事などさっさと言ってしまえ。私はもう、お前を殺すのに躊躇いは無い」

「なら、何故口なんぞ聞いている? あんたも迷っている理由があるからじゃないのか?」

「ほざけ。これも貴様の出会った時と同じ、ただの悪癖だ」

 迷いが無いと断言した彼女の弁は真実だ。自分はあくまで冗談を言ったまで。

 だから更に自分と言う存在が彼女を苛つかせるのだろうが、確かにこのままチャンスを不意にするのは勿体無い。ならばと、一呼吸置いてから言ってやる。

「唯一の例外、アンタも知っている筈だよな。竜族しか扱えないそれを携える方法は、一度死ねば良いと。つまりアンタは死人って訳だ」

「それくらいは自覚している。覚悟は決まったか」

 そして案の定、自覚があると予測した通りの返答だったのだが、それで終わりだと思っている辺り、本質的な事の自覚は自分よりも淡らいでいる。

 いや、そもそも知らないのだろう。それが一番訪ねたかった疑問点だが、言うか言いまいかと躊躇っている程、彼女の気が長い訳でもない事などとうの昔に分かっている。そしてそのときの自分の口調は、彼女に取って内容とは裏腹に死刑宣告の様だったろう。

「いや、言いたかった事ってのはそんな事じゃあない」

「ならなんだっ!」

「じゃあ聞くが・・・死人の筈のあんたが何で生きてるんだ? 一度だけ死ねば扱える何て方法なら、過去に五例以上記録があった筈なんだ。
 だが、アンタは現にこうして生きてる。妙な話じゃないか」

「私が生きてるだと・・・・・?」

 だが、彼女に取ってそれは世迷い言でしかない如く、何も変わりはしなかった。

 それが、許せなかったのだろう。

「ふん、それこそ戯れ言だ。そんな事で死ぬに事足りる言葉なら、私は貴様を見くびっていた様だな」

「いや、俺こそアンタの事を買いかぶりすぎた様だ。これでどうしても死にたくなくなった」

「いや、貴様は死ぬさ。この私に殺されてな」

 それ以外、言葉など必要ないと言う風に彼女は剣を抜き放ち、一切の手加減無く自分を一刀両断した。その余波だけで自分の後方の大地がまるで初めからそんな裂け目があったかの様に切り分けられていた事から、威力など一目瞭然だったろう。彼女とて、斬る時に生じる僅かな抵抗を感じた筈だ。

 もっとも、だからこそ驚いているのも当たり前なのだろうが。

「なん、だと・・・?」

 地割れが起こり、自分たちの立っている場所がゆっくりと崩れて行くのが分かる。のんびりとしていれば文字通りの奈落へと落ちて行くのだろうが、運が悪かったとしか言いようがない。この辺りは、彼女の太刀筋を受け止めるにはあまりにも地盤が弱すぎた。多分、それすらも予測してこの場所を選んだと言う事は賞めるに値し、自分と言う存在は確かに彼女に殺されたろう。だが、身体の一部分とて斬られて居ないと言う事実は彼女に取って大きすぎるらしい。

「逃げなければ、危ないんじゃないか?」

「やかましいわっ!! 貴様、何故これを受け止めもせずにそのままで居られるっ!!!」

「正直、やり合って勝てる自信なんて微塵も無い。だから賭をさせて貰った。俺はこのまま落ちさせて貰う」

「巫山戯るなっ! 言えっ! 貴様どうやって私の技を避けたっ!!」

「まともにやりあって居れば。素手で俺の首でももげばアンタの勝ちだったろうよ、ライア」

「これだけは私の全力の技だ! 絶対に避けられる筈が・・・・・・・・」

 思い当たる節も、見つかった様だ。時間が切羽詰まっていると言うのに呑気に考え事をしていて良いのだろうか。

 それを言えば、他人の、それも自分を殺そうとした相手の事ばかり心配している自分も確かにどうかしているのだろうが、残念ながら狂ってしまっても壊れてしまっても居ず、至極頭も身体も冷静だ。

 そして落ちる前の声が届く僅かな間。かみ合わなかった会話を成立させ、言ってやる。

「そうか。貴様・・・・・・」

「そうさ。多分、アンタの予想通りだと俺は思うぜ。ライア」

 そして彼女、いや、この場合は自分だ。

 奈落へと落ちていくのと同時に、距離が離れ陽光が届かなくなるのも時間の問題だろう。

 不安は無い。

 普通の神経ならば耐えきれない光景、谷その物の岸壁が無くなるまでもう少しあるが、今は笑っている自分に満足していたかった。

「本当に・・・クレアには感謝しなくてはな。ここが繋がっている場所と知らなければ殺されてただろうな」

 世間話が出来る様な一カ所に停まる生活などしていなかったからこそ、そして自分があまりに無知であったからだろう。彼女は断わる事に誰も知らない真実をまるで茶請け代わりに話してくれたのだ。

 それは自分の事を知っているのに話さないと言う罪悪感か、それとも別の感情かは定かではないが、悪いと思っていたからこそ、知り得た所で役に立たぬ事から、決して知ってはならない知識までを話してくれたのだ。もしかしたらタダ単に沈黙に耐えられない性格だったのかもしれないが、あまり深く考える事でも無い。利用し、利用されと言う関係をあえて互いに明白にしない為の、ある種の渡世術なのだ。

 そして死の渓谷の秘密。奈落の底が何処かに繋がった一種の扉であると言う事を最後まで聞いて居なかったからかもしれない。

 彼女の笑顔。ただし、言葉通りの物ではなく、自分を困らせる為に悪戯でも考えた時の「とても嬉しそう」な奴だ。

 そんな顔が浮かび、漸く悪寒が走り始めた自分は、やはりどうかしているのかもしれないとも思えて仕方がなかった。

 どんな理由があれ、今回の事は一方的に自分が彼女を置いていったのだから。

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