身体中に巻かれた包帯も既に薄汚れ、あれから三日が経過していた。
とは言っても、南方から東方への道のりは本来、二、三週間を要するのだ。彼女と、クレアと言う存在と融合した名残りの力が無ければ体力も尽き果て倒れただろうが、まだ後二日くらいは走り続けるだけの体力は残っている。ただ、問題と言えば腹の具合だろう。
西側の軍勢、どの部隊かもよくは分からなかったが。略奪した物品は包帯とそれの予備、保存食に水と西のある特定の場所にに行くのに必要な通行手形。流石に人を食らう趣味も嗜好も、元々美味しい等と言う感覚もなく、当然の事ながら腹が減ってくるのだが、自分の空腹感はまだどうにかなったろう。
絶食とまで言わないが、それに近い状態を体験した事があるのだ。そしてそのときも、彼女は文句を言っていた様な気がする。
「あー・・・もうちょっとマシなご飯食べたい〜!!」
「・・・・」
「迅徹っ! 何か料理を作れっ!!」
「・・・苦手だと分かって言っているんだろうな」
「この際・・・仕方ない」
「調味料も無いぞ。塩気も無い料理に味を求めるのはどうかと思うが」
「塩気じゃなくても良いからさぁ」
「砂糖なんて持っての他だ。一体何処にある・・・?」
「だってー、おなか空いたんだもん。何かちゃんと味ついたものたーべーたーいー!!」
小一時間ほど前からずっとこの調子な物だから、目的地へと急ぐ脚も今は徒歩に変わっている。だがそんなとぼとぼ歩いているからこそ、町すら見えても来ないのだ。かと言って、町が何処にあるのかは分からないが、少なくとも村灯りが見える様な夜ではなく今は真っ昼間だ。そして今の現在地を予測するなら乾ききった大地を見ればそれとなく想像は出来るからこそ、彼女の愚痴も多くなるのかもしれない。
この大陸に存在する四魔境の一つ、死の渓谷。
その場所は人が住まうにはあまりにも淀んだ空気を纏い、同時に此処に住める魔族はその殆どが人を食らうと言う場所だ。
人間にしてみれば危険な場所、と言うのが知られている話だが、彼女にとってはそんな事は問題ではない。何せ人が住めない場所と言うのなら、循環器系が弱い他の小動物すら「居ない」場所なのだ。その他にも植物は疎か、コケすら生えぬ場所。
要するに、食べられるものなど何もないと言う事だ。
だからと言って、叫べば何とかなると彼女とて思っている訳ではない。逆に、叫ばなければ何とかなる訳でもないのだが。だからこそ少しでもストレス発散の為に叫き散らしている、ただそれだけ。
たまにそれで腹が減らないのかと疑問に思うのだが、数年か、十数年か。旅路で分かった彼女の腹具合は、どうやら空腹感を感じる、と言うのとは違い、クチが寂しい、もっと言えば甘い味が大好き、と言う事らしいのだ。要するに、別に一週間くらいなら飲まず食わずでも喚くだけで問題は無い。
しかし、それが彼女自身にも分かっているからこそ、我慢しないらしい。
ちなみに付け加えるなら、大隊の連中から奪った携帯食は彼女に取ってはご飯ではなくあくまで「食べられるもの」としてしか認識していない。
「うー、白いご飯と塩気の聞いたスープと魚の塩焼きが食べたいー」
そして彼女の意見も少しは分かるからこそ、何も言わない。
徐々に変わりつつある空気は間違いなく、死の渓谷の物だ。人間で言えば胸くそ悪いと言う感想も抱けるのだろうが、自分に取って澄んだ空気に思える辺り、種族はと問われれば人間だけは違うと言えるだろう。そしてだからこそ、いきなりは狩られる対象にもならないのだ。
数人、いや、土煙でそう見えるだけで実際は一人だろう。以前来た時は奥地まで入る気が無かった故に出会えなかったのかもしれないが、少なくとも顔なじみではない。
だから向こうの表情は、少しだけ怪訝な物だった。
「あんたら、旅人か?」
「ああ。目的地は・・・そこに居るのに聞いてくれ」
「・・・・・」
そして少女を見やって、怪訝な顔が少しでも綻ぶのかと思ったが、顔色がやけに悪い事に気付かなければ、自分の表情も、包帯の奥に見える目が揺らいだのだろう。
「まぁ、いいさ。あんたらが何者でもな。異色の仮面で無い限り歓迎するぜ」
聞かない名ではない。
ただ、男の喋る顔に浮かぶ疲労感が、見た限りの年齢よりも遥かに歳を重ねて見せていた。
案内人、この辺りでは塚守と呼ばれる彼は大まかな事情を話ながら集落へと案内してくれた。
もっとも、顔の青ざめた魔族などそうそう居る筈も無いと分かっていたのだが、認めたくなかった自分の意見はあっけなく否定される。
そしてもう一つ、彼が疲労しているのではなく、憔悴しきっていると分かったのも話を聞いたからだ。正直、他人の事に、特に多種族の事に首を突っ込みたがらない死の渓谷の住人、赤魔の民(しゃくまのたみ)から忠告を受けるとは思わなかった。
「と、言う事で歓迎はするが、あまり長居する事は進められんねぇんだ。悪いな」
「いや、忠告ありがたくちょうだいする」
「それに、もしかしたらアンタら本当に最後の訪問者かもしれねぇ。少しでも俺たちの事を憶えててくれりゃ、それでいいさ」
「・・・・」
儚げに笑う等、人間が見たら彼らの事を一体どう思うのだろうか。
確かに、人間に取ってみれば残忍冷血、残酷無比、人を喰らい、圧倒的な力は恐れるに足る物だろう。
だが、種族が違うと言うだけで感情の造りすら別だと考えられてしまうのが、彼らの咎人たる証なのかもしれない。
所詮、塚守の彼も、この地に住む魔族の殆どが生れる前に起こったある事件の所為なのだから、罪まで背負う必要は無いのではないかと、幾度と無く思った。無論それを問い、帰ってくる答えが皆同じだからこそ、もう問わない様にしていたのだが、このときばかりはそれを、彼らの誇りを傷つけても聞きたい気分だった。
「呪われた大地なんて言われてきたが、最近はそれも言い得て妙だとも思うな。離れられない自分が如何に無力か思い知ったぜ」
「離れられない?」
「ああ、そうか。お前さんは数回来ているがあまり知らないんだったな。俺たちが此処を離れないんじゃなく、離れられない理由もよ。ま、旅人に聞かせる話しじゃねぇや、忘れてくんな」
「・・・・」
自虐的になり、滅びを待つただ、生きる事すら出来ぬ、生かされた存在。
隣を歩く彼を表現するならば、そんな魔族に見えるだろう。唯一、魔の眷属であると言う証は彼の目がまだ諦めて居ないと言う事だろう。例えどんな絶望な状況下であろうと、血がそれを許さないのだ。
この血で起こった、たった一人が起こした殺戮は呪いだけではなく、彼らに生き地獄すら与えたのかもしれない。
誰かが居なければ、そして場所と言う形があり、戦えぬ相手に同等の力を持った者と言う限定条件まで付けられた空間。
説明を聞いただけではよく分からなかったが、彼が塚守と呼ばれているのは何も深い意味があった訳ではないと言う事だけは分かった。そして、彼が喋らないのではなく、単に知らなかっただけと言う事を分かっていたのか。言葉を続ける様にして黙っていたクレアが口を開く。
「正確に言えば、呪いってよりも残留思念が強すぎるのが原因なのよ。あの事件を起こした男も男だけど、あんたらの祖先も祖先ね。魔剣が作られた意味なんて、今の魔族でも全部知ってるかどうか怪しいわよ」
が、大人しくしている訳ではない。むしろこの場合は魔族本人を目の前にしているのだから喧嘩を売っているのと等しい。まだ名前も知らない塚守だったが、喧嘩をしたいと思う自分でもなく、むしろその真逆だ。第一、魔族と小競合いになると言う事はないのだから、やってしまったかと額でも抑えたい気分になったが憔悴しきっていると言う理由以外で魔族が喧嘩を買わなかった所は初めて見た。それも、彼女の事を見抜いたと言う事実が驚かされる一番の原因だった。
「やっぱりあんた、ラグナロクなんだな」
「それがどうかしたの?」
「いや、俺の知ってる人とかなり違ったから不思議だったんだ。雰囲気がそっくりだからな」
その上、似ていると言われ機嫌が悪くなったのだろう。頬をふくらませる訳でもなく、ただ視線を逸らせてもう喋りたくないと態度で表している様子。そして塚守の男はそれを見ながら少しだけ笑っていた。
「まぁ、最後の訪問客がラグナロクともありゃ、連中も喜ぶだろ。あんたが何本目かは知らないが、歓迎するぜ」
そして、それが決定打だ。彼女が動いたのがハッキリと分かり、自分がそれを止められたのは予測出来たから。でなければ首か腕が吹っ飛んで居ただろう。現に威力を反らし腕を掴んで羽交い締めに出来たモノの、掴んだ手の平が焼けるように熱かった。
「落ち着け。別にお前の事を貶した訳じゃない」
「そうじゃないっ! こいつはっ・・・こいつはよりにもよって13魔剣の奴らの誇りを汚したんだっ!!」
腹が減っているから怒りっぽくなっているのだろうと、自分も、多分塚守も思っていた筈だ。だから彼女の口から飛び出た言葉には、少なからず驚かされる。いや、彼女からしてみれば、それは言ってしまった、と言うべきなのかもしれない。
彼らが最も恐れ、そして敬う存在の名を口に出して非難したから。
そして生きてさえ居れば。
少なくとも、他の何人の13魔剣と言う魔族の中で最も高位の存在とされる連中が数多く生き残っていれば、男も目に殺意ではなく、よりにもよって涙など宿さなかったろう。
墓標もない、墓場に来てしまった。
それがここに来た感想。
「俺達だってあんたらラグナロクに死んでも助けを求めない13魔剣の誇りは知ってるさっ!! だけどな、ホントに死んじまったら意味なんてねぇだろうがっ!!」
「それがどうしたのよっ!! 天魔剣なら、シュリなら絶対あんたみたいに死んだ目をした奴を許す筈ないんだからっ!! 彼女がどんな想いで・・・どんな想いで自分の家族殺したと思ってるのよっ!!!」
事情など、自分は何も知らない。
ただ、どちらの言っている言葉も重すぎて、何も言わずそこに居るだけだった。
たどり着いた死の渓谷に居る筈の天魔剣が居た地。それはもう、過去になった。

アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:BLUE COMPENSATION