街に入った時の印象が変わったと、初めは思った。

 皇都の町並みは何処も変わらず、人の活気もまるで変化は無いにも関らず、だ。

 レクトからここまでそう日数は掛からず来られたが、クレアの情報を仕入れるならば早い方が良いと、スラム街とは名ばかりの、平和な町並みで暗がりなだけの町並みを見ながらそう言う印象を抱かざるを得なかった理由は一つ。

 まるで街が息を吹き返し、だからこそ恐怖を感じられるようになった、と言うのが自分の感想だ。

 大地が生きているか否かと言う質問は馬鹿げていると思うが、街が生きているか死んでいるかは住む人々によって変わる物。それを無視し、街その物。建っている場所がそれを感じていると思うのは、自分が何処かおかしいのか。それとも此処がある事柄に関する重大な場所と言う事のどちらかに意味があるのだろうと思う。

 どちらにしろ、入った時は分からなかったが、この皇都のスラム街に足を踏み入れた所で感じ悟った事を否定したいのだと思い始めたのはこの道を通ったと言う、まるで獣すら逃げ出す様な強い匂いが残っているからだ。

 実際には鼻で分かる匂いではなく、気配と言った方が正しいのだが住民達に気付かぬ様、細工してあるらしい腕を考えれば相当の強さを持った者だと言う事が分かる。

 だがそれはまともな相手だけと戦ってきた連中に分かる現界。

 自分が感じたもう一つ分かる事実は、記憶と照らし合わせそうであって欲しくないと願う事すら考えてしまう様な相手。

「・・・まったく、あの空間での記憶を無しにしてくれるとか、そう言う特権は無いのか?」

 正直、歩くだけで精一杯だ。すれ違う子供だけに分かるらしいが、振り向き、首を傾げて行く小さな住人達は自分が何故震えているのかすら分からないだろう。包帯だらけの顔を不思議がるだけではなく、心の中まで見透かせるのは彼らが知りたいと言う欲求のみで動いているからだろう。幸せの裏にある、事実。そしてここを通った「紅の殺戮者」は、よほど住民に迷惑をかけぬよう気遣ったらしい。同時に通り有る程度の強さと、経験がある物に対しての置き土産だろうか。

 まるで心を刺激し、挑発しているような気配の残し方は気付けば戦いたいと言う願いと、その結果自分は必ず死ぬだろうと言う現実の中で揺れ動かなければならないだろう。

「一音かどうかは知らんが・・・悪夢ではあるな」

 そして、恐怖のみを感じさせない部分がどれほどの強さを秘めているのか判断しきれなくなり、笑うしか無いのだろう。

「お? ジンじゃねぇかよ。どうした? 今日はお姫様は連れてないのか?」

 久しぶりに再開した、ただ、情報のみを買う少し年輩の男は不思議そうな顔をしていた。

「しっかし、お前さんがまさか嬢ちゃんの捜索願を出すたぁ正直驚いたな。喧嘩でもしたのか?」

 それから部屋に連れ来られ、男は笑いながらそう言い何やら忙しく洋筆を紙の上で走らせていた。

 馴染みではないが、少なくとも皇都に来た時は必ず寄るスラム街で唯一の情報ギルド。存在その物は公表されず、ひっそりと経営する様は犯罪の匂いの全くない、まるで何処か世の中を棄てた様なこの男一人で切り盛りをしていた。もっとも、一度所帯を持ったと聞いたが、居ない所を見ると喧嘩をしている真っ最中か、それとも同業者故に妻の方が情報を仕入れる側に回っているかのどちらかだ。最も、詮索する気もなく男に対する疑問と言う思考を打ち切り簡潔に口火を切る。

「似た様な物だと思えば良い。とにかく、クレアの居場所が分かればそれで良いんだ。どのくらいで探れる?」

「そうさなぁ。嬢ちゃんはそこそこ美人の部類に入るし、あの強さだ。一騒ぎ何処かで起こして居れば三日以内に分かるが、こればっかりはやってみねぇとわからんよ」

「あまり時間を気にする必要も無いと思うが、アイツの性格だ。もうすぐ一週間経つ。その間音沙汰無しだと後が怖いんだがな、仕方無い」

「考慮はしてやるよ。ウチのが帰ってきたらいの一番で取りかからせる。まあみてなって」

「ああ」

「そんなげっそりするな。俺からも言ってやるって。何か事情があったんだろ?」

「その辺は、期待しないで置くさ」

 後は、今晩泊まる所なりを教えてやれば報告しに来てくれるのだが、先立つものが無ければ寝る場所の確保もままならないのは事実。殆どこの男を雇う賃金で手持ちは無くなり、仕方なしに裏の仕事を請け負う黒ギルドの場所を紹介して貰ったのだが、以前と場所が違う事とまさか統括者そのものが代わっているとは思わず少々面喰らってしまった。

 何せ、以前は正規のギルドに取って賞金首の自分はまともな仕事など請け負う事は不可能。故に黒ギルドと言う犯罪者としての立場に見合う仕事を請け負う事の出来る場所があり、そこの統括者の男との面識もあった。稼ぎ頭とまでは行かぬ物の、生活費の殆どを稼ぐ場所なのだ。それ故に放浪していた時期がそんなに長かったのかと疑問にすら思ったが、根本的な間違いがあったらしい。

「へぇ、あんたが。まぁ、前の男がどれだけ気に入ってたか知らないけど、ここで金が欲しけりゃもう一度試験突破してから来るんだね。  大分長い間放浪してたんだろうけど、事情なんぞ私の知ったこっちゃない事くらい分かるでしょ?」

「・・・・・」

「私の話聞いてる? 免許の更新をし損ねたんなら、もう一度免許を取って来いって言ってんだけどさ」

「いや、聞いているし理解した。手間をかけてすまない」

 統括者に収まった女。名前を聞くのを忘れたが今の所どうでも良いだろう。何せ黒ギルドに免許などあったと言うのが初耳な事が驚きに足る理由の一つ。そもそも、犯罪者の連中が正規ギルドの真似事などしているとは思わなかったのだ。そしてもう一つは、多分、クレアは免許の更新もあってこの皇都に用があると言ったに違いない。が、自分がクレアと離ればなれになってからもうすぐ一週間ではな「既に一週間以上経過している」と言う事に一番の問題があるのかもしれない。

「お、珍しいな一人たぁ。どうし・・・・た? 包帯の上からでも分かる様な調子の悪さなのか?」

「気にするな。で、免許を取る為には此処に来れば良いと聞いたんだがつまる所、何をすれば良い」

「アンタなら一度受かってるんだし、夜にある賭け試合に出て稼がせてくれりゃ良いと思うぜ。A級ライセンスのブラックギルダーだろ?」

「その辺の事情はよく知らないんだが、負ければ良いのか? 勝てば良いのか?」

「その顔色なら勝つ方に回ってくれりゃ、ウチは稼がせて貰えるからな。なるだけ顔色をそのままにしといて連勝してくれ」

「当分このままだろうから心配するな」

「後、覆面・・・とかはアンタの場合は逆か。包帯取っ払って出てくれ。一応、今顔だけ確認させてくれや」

「分かった・・・」

 黒ギルドで行われる賭け試合ともなれば、殺し合いまであるかどうかは分からないがロクな物じゃない事は確かだ。ただし、初体験ではなく一度やった記憶があるなら、それが試験だったのだろう。丁度同じ時期にうさん臭い仕事を何件か請け負った事も考えればそれも試験だったのかもしれない。

「・・・怖気のする様な色男だったんだなお前。何で顔、隠してやがる」

「南方で売れすぎたんだよ」

 死亡した時の処理のされ方などを自由にする、等と言う物騒な書類にサインをしながら思うが、過去に勝手に署名されて出されたのかと思うと、面白い事だが少しは気が楽になった。そして妙に正規のハンターギルドじみた書類にサインをして行き、全てが終わった所で賭け試合に出る選手の待合室まで案内されるが、個室を宛がわれたと言う事はA級ブラックギルダーとやらはそれなりの地位はあるらしい。まるで他人事の様に考えながら、ふと現実逃避している自分に気付き戻ってきた顔色がまた青くなる。

 一番の問題など、クレアと離れていた時期が長すぎると言う事以外無い。彼女の事だ、そうとう頭に来て、情報屋の男が見付けるのも容易い程の問題事を起こしているのかもしれない。それはそれで嬉しい事、と割り切れれば良いのだが、クレアと言う少女は形で判断するにはあまりにも強大すぎる力を持っているのだ。

 そして懸念すべきは、あのライアと何処かで出会って居れば間違いなく一戦交えていると言う事。ライアの情報源がどの程度かは分からないが、かなり歴史の裏に隠された部分まで知る事が出来るだろう。何せ自分の正体に気付いた程なのだ。その上その知る事が出来る環境に見合う強さを持っている。

 あの、ライアが別れ際に放った技は自分だからこそ無効化出来ただけであり、他人に真似は出来ない。そしてクレアもその例外でないとすれば、街の一つや二つが壊滅する位ならまだマシと言えるだろう。そしてその怒りの矛先が全て、自分に向かって来るのだ。

「こう云う気分を、泣きたい気分だと言うんだろうなぁ」

 薄汚れた天井を見あげながら口にした所で何の問題解決にならない事など分かり切っている。それでも、愚痴でも言わなければやっていられないと言うのが心境か。何よりクレアが死ぬかもしれないと言う心配を全くしなくて良い程、彼女が強いと言うのが不幸中の幸い。それが自分に対して裏目に出るかどうかはこの際関係ないと思いこんでいれば良い。

 そして夜までの間、ずっとそんな事を考えながら天井を見あげていた。




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:BLUE COMPENSATION





































 賭け試合など興味もなく、他人に賭ける位ならば自分が出る。そう言った事を口にした故に一度目は出されたのだと、青白い顔のまま相手を床に這い蹲らせ肩の辺りを踏み抜いてやる。それだけで苦悶の表情にだった相手は気絶し、また勝利が得られたのだが、会場からはブーイングしか飛んでこようとはしなかった。

 投げられる酒瓶や賭ける時に証明として貰う券などならまだマシな方で、血の気が多い連中がかなり多いのだろう。椅子や物騒な事に銃までぶっ放す様な連中まで居る始末。もっとも、狙って投げている訳ではなく手当たり次第何でもありと言う感じなので一度もそれに当たりそうにはならないが。それでも、ステージの上からは早々に去った方が得策と言えた。

「よう、連勝じゃねぇか。まぁ、あんたなら当たり前って所か? そもそもA級ブラックギルダーが免許の更新を忘れるなんて馬鹿な事やらかさねぇしなぁ」

「馬鹿で悪いな。そもそも免許がある何て知らなかったんだよ」

「じゃ誰かが勝手に登録してたってーのか? それこそ冗談だ」

 ステージの奥に引っ込むなり、受付に居た男が話しかけ笑っている。免許の事を誰でも知っている物だと、それだけ当たり前なのだろう。冗談として片づけられた方が説明も省け良いと思い言い返す気にもならなかったが、次の対戦相手がせめて歯ごたえのある相手だと嬉しい、と言うのが思うことの出来る精一杯だ。

「じゃ、次は決勝だな。どうせなら一撃で決めて見せたらどうだ? それが出来たらファイトマネーを倍額俺がくれてやるよ」

「そうか。じゃあそうしよう」

 次の相手の体格を知っていて、そんな事を言ったらしく、ステージに舞い戻った時に前に立っていた男は確かにがたいだけは良かった。だが独活の大木と言う言葉通り、さして頭が回る訳でもなし、技のキレなどあって無いような物。持っていた獲物は珍しく皆無で素手で戦うバトラーらしかったが、鍛えられない部分の防御を惰るなど真物の馬鹿としか言いようが無く、受付の男の言った様、一撃で顎を砕き床に沈めてやった。

 その後は、拍手もクソも無く、ただひたすら飛んでくる物や直接飛びかかってくる観客の間をすり抜けながら傍に引っ込み、待っていた男と新たに統括者になった女が勝手に話しかけて来るだけだ。

「名前通り、いや、それ以上の強さだねアンタ。そう言えばさっきコイツが一撃で仕留めたら倍額払うとか抜かしたんだって?」

「あ、姉御、勘弁してくだせぇ。な、アンタもあんなの冗談だって分かってるよな?」

「無論。男の言った事は二言は無いと承知している」

「そ、そんなぁ」

「アンタ当分ただ働きだねこりゃ。しっかりやんなよ」

「そんな、後生ですから許してくだせぇよぉ〜」

 情けない声を出しながら許しを請う男だったが、女の表情から察するに揶揄われているのだろう事は分かる。それだけに、心は統括者として見合うだけは広いと言う事か。会場の後始末をする様言いつけ出て行かせ、その途端、目つきが変わるのも大体想像が出来ていた。

「まぁ、いじめて悪かったよ。ホントは後一日だけ免許の更新には時間があったんだけどね」

「いや、金さえ手に入れば当分免許も必要なくなる。手持ちが全く無かったんで早急に金が必要だっただけだ」

「そうか。じゃあ、仕事ももうやる気はなくなったのかい?」

「今日中に終わる仕事なら考えても良いが・・・」

 断わる必要性は時間が切羽詰まっていると言う事情であったのだが、今日中と言うのであれば十分だろう。まだ空も赤く染まり初めて間もなく、夜の十二時丁度に終わる程度の仕事なら小遣い稼ぎには丁度良い。最も、表情の移り変わりの激しい女だと思ったのは次の表情を見たから。

「なら、頼まれてくれるかい? 本来、こんな仕事は正規のハンターギルドがやる様な仕事で構わないんなら、だけどね」

「どう言う事だ?」

「私らが正義の味方になっちまう、って事だよ」

 そして顎を動かしその方向を見た時、ドアの向こう側から出てきた女は見覚えのある顔だった。

「お久しぶりと言うべきかしらね。対魔」

「・・・・・・そうだろうなアイス・フェイス。俺に取っちゃ、そんなにお久しぶりと言う訳でもないがな」

「昨日のことの様に憶えてくれてるわけ? それは光栄ね」

 冗談の様に微笑み、その中でも自分の本心を悟らせようとしない表情はあの女そのものだ。統括者の女とは違う部類だとは顔を合わせた瞬間分かったが、互いにあまり仲が良いとは言えない様子もまた確かな事。

「これで、貸し一つだからねバイア。私らにあんまり借金しない方が身のためだと思うけど」

「言ったでしょ。私が依頼した事が成功しなかったらアンタ達も終わりなのよ。  皇都が無くなっても稼げる場所なんて少ないんじゃないの? スティア・セルバイン。  それに忘れて欲しくないわね。アンタの今の立場も、私が協力しなければ手に入れられなかった事をね」

「ふん・・・・」

 どういう事情があってかは知らないが、要するに前の統括者の男はこの二人にはめられたのだろう。名前を聞いて思い出したが、スティア・セルバインと言えばそこそこ名の知れた盗賊団の長をやっている女の筈だ。こんな人の多い様な場所で見る様な顔ではなかったと思うが、初対面なので分からなかったと言う所だろう。それにしては自分の顔を初めから分かっていた様なしゃべり方だったが、その辺の事情もアイス・フェイス。バイアと呼ばれた女が説明してくれる物だろうと言ってやる。

「時間が無いんならさっさと事情を話して貰いたいんだがな」

「そうね。と、言う事で一時休戦よスティア」

「アンタに名前で呼ばれる覚えは無いわよ。ガーランド」

「・・・・」

 そして一睨みを互いに交わした後、互いに納得しきれている訳ではないが、それほどの事情がある仕事らしい。ため息を吐いてから見せたバイア・ガーランドの顔は、恐ろしく憔れて見えた。

「時間が無いから簡潔に言わせて貰うわ。皇都にあるハンターギルド本部を、壊滅させて欲しいの」

「ほう・・・。何の心変わりだ? 俺を殺さずに捕まえなきゃならないみたいな事を言っていた様子だったが。  そう言う仕事はハンターがやるべき事だとばかり思っていたがな?」

「それはまだやるべき事の一つだとは思ってるわよ。でも、その前にどうしても止めなきゃならないのよ、皇都の破壊なんて馬鹿げた話は」

 もっとも、話だけ聞けばうさん臭いと感じているスティアの様に自分も疑っただろうが、彼女が嘘を吐くならばもっと上手く演じる事が出来る筈だ。一度相まみえ、それはよく分かっているだけに今の彼女の本気が、あまりにも不器用に見えて仕方がない。だから話が彼女の妄想でなければ本当だと言う事は分かったが、そうでない事は薄々自分でも感づいていたのかもしれない。

「同族殺しを他者に依頼までしてやり遂げたいとはな。正直笑ってしまいそうだ」

「笑うなりなんなり好きにすれば良いわよ。でも、受けてくれるならそれ以上でも構わない。  望む物全て、とは言えないかもしれないけど・・・・」

 街の様子が違ったのは気のせいではなく、本当に何かある前兆だと言う事を。

「その為なら私自身を報酬にしても構わないわ」

「・・・・・・」

 そして、彼女はそれを「感じた」のではなく「知った」のだろう。だから、まだ焦燥っては見えない顔も、心の中は今すぐにでも動き出したいと思っている筈だ。そうしない理由など、彼女自身は自分にどれほどの力があるかを知っているから。次文士の力の欠点は、あまりにも多対一になった時に不利だと言う事。

 暗がり故に今し方気付いた事だが、彼女の腕は隠しているが気配だけで血の匂いと紋章士特有の契約を行った跡があり、真新しい生傷は服の下に幾つあるのか数え切れぬ程なのだろう。賭け試合の中で血の匂いに触れすぎ気付かなかった自分も間抜けだが、それを隠す手段を知っている筈の、仮にも紋章士たる彼女がそれすらも惰っているのはよほどここに来る事さえ焦燥っていたと言う事だ。

「説明を簡くなら、誰を殺せば良いか位は教えてくれるんだろうな」

「なら!」

「受けてやる。ただし」

「・・・・」

 生唾を飲む音すら聞こえて来たが、報酬の事を決めようとした時に手元に入ってくる今日の報酬を考え、止めて思いついたのは我ながら悪趣味だと思える様な事柄。もしクレアと一緒に居たのなら彼女が言っただろう事であり、同時に、目の前に居る只の女に成り下がった紋章士に一番欠けている物だったろう。

「相手を俺が殺す時、俺の側で全てを見届けて見ろ。それが出来なければ途中放棄して仕事は降りる。そのつもりで居ろ」

「それで・・・・報酬は」

「そう、だな・・・。ジャックナイフを俺の前に連れて来させるなり合わせるなりしろ。皇都のギルドに居ると聞いたのなら貴様も知り合いかもしれぬしな。  それ以外、欲しい物など貴様に用意出来るモノはない」

 どちらに対して、まるで最も最悪の条件を突きつけられたと思ったのかは分からないが、言葉には出さずただ肯定くだけで契約は交わされる。もっとも、自分の予想はどちらかではなくどちらも彼女に取って最悪な条件だと言う事があるが、現時点でそれを確かめる気は無い。

「スティア、だったか。何か手頃なエモノは無いか?」

「銘刀とかもあるけど、あんた金あるのかい? 今日の稼ぎ全部出しても足りないよ」

「ナマクラでかまわんよ。どうせ、殺すだけの相手なら死体から剥ぐなりすれば良いからな」

「んならその辺に飾ってあるのでも勝手に持ってけば良いさ。趣味の悪いのから持ってってくれるとありがたいけどね、ただでくれてやるよ」

「それはありがたい。では遠慮無く貰って置くぞ」

「好きにしな」

 第一、今日中に全てを終わらせればそれで良いだけの仕事なのだ。バイアは切羽詰まっているのだろうが、自分に取ってはそれが最も都合の良い仕事だろう。言い換えてしまえば、単なる暇つぶしとも言えるのだ。

「でもあんた、素手でやるのが得意みたいな話を聞いてたけど?」

「多対一を中心にやっていれば何でもありになってくる。長期戦なら拳を痛めない為に必要なだけだ」

「まぁ・・・・・そんな選び方するのを見れば無茶苦茶だって言うのは分かるけどさ」

 スティアの言う通り、周りにあったあり合わせの武器は剣が二本と、東方の片刃の「刀」と言う武器。残りは投げるサイズには少々大きいかと思われる小太刀が三本と、ハルバードが一本と長銃が一丁。それら全てを装備し、防具は無いと言うのだから確かに無茶苦茶と称されるのも無理は無い。が、防具など相手の攻撃が当たらなければ重く動きにくいだけで、本当に防がなければならない攻撃に対して殆ど役には立たないのだ。疾く、そして流れる様に動きながらの殺し方をしていなければこんな無謀な装備で戦おうとする奴など居ないだろう。言ってしまえばそんな装備が馴染んでいると言う事はそれだけ強いと言う証。

 そして装備し終え、先に歩き出したバイアの後を追ったのだが、部屋から出る前にスティアに言ってやる。

「お前も、仕事が終わったら直に逃げた方が良いぞ」

「どうしてだい。別に危なっかしい事なんて・・・」

 そう言い返すのが彼女の現界なのだろうが、こう云う部分のイレギュラーを残して置くのも得策の一つだと言う事を心得ている。故にそれは忠告がある物に変わるための複線なのだ。

「皇都は間違いなく滅ぶ。三闘士すら恐れる相手が来るだろうからな」

「・・・・・・・・」

 言葉を待たずにドアを閉め、バイアに聞かれたかどうかを確かめる必要があるにはあったが、既に姿は見えず気配だけが先に行ったのだと告げている。だから仕事を終えるその時に、アイス・フェイスのその顔がどんな表情になるのかだけが楽しみだと気付いたのは今。黒い感情が殺意へと変わり行くのも間もなくだろう。

 まるで宵の口の時間なのに肌が告げるそれは、まるで終わりも始まりも無く、ただ死を待つ静寂なる白に思えた。





 思いの外、感情の制御は簡単に思え仕方無かったのには理由があるのか、それとも無いのか。どちらにしろ、今までで一番楽な戦いである事は言うまでもなかった。

 その一方で、こんなに相手が弱いと感じるのは、自分の感覚が嫌に研ぎ澄まされているのだと気付いては居るが、それ以上を考える程の余裕がない。言うまでもなくそれは相手達が強いと言う理由があるにはあるのだが、まるで操り人形を相手にしている様で面白味など何処にも無かった。

「くだらんな。これではゴミを投げ捨てるのとさして変わらん」

 不満を漏らしながらも身体は動き、自分が聞いている己自身の声は、ずっと見ていなければならない事を制約されたアイス・フェイスの耳には様々な場所から聞こえるまるで呪いの様に聞こえただろう。室内戦が得意と言う訳ではないが、暗がりの中、血飛沫だけが窓ガラスからこぼれ落ちる僅かな星明かりに照らされ輝き、凄惨な場所を更に血生臭くして行く光景を物語っていた。

「これで大方殺したが、まだ居るのか?」

「・・・・・・・・」

 よほどショックだったのだろう。彼女に取っては知り合いが多く居た場所であり、同時に知り合い以外居なかったに違いない。

 強さを認め、平凡な生活の中で共に生きる時間を共有してきた仲間。例え単なる顔見知りだとしても、彼女はこんな血溜まりと肉塊となった彼ら彼女らを見る機会など無いと思っていた筈だ。それが今では床だけでは飽きたらず、壁や天井にまで肉片や血飛沫、顔が壁にめり込み首だけがそこにある物など、およそ考えられ得る全ての戮され方をした様な場所がただあるだけなのだ。

 そう、殺したのではなく、戮した。

 抵抗が無い訳ではない。無論、命の危機に晒されれば誰であろうと抵抗するだろう。第一、自分に戮される理由など何処にも無い筈なのだ。

 にも関らず、彼らの瞳の中にあったのは一点の曇りもない殺意のみ。それは他者に対する物だけではなく、自らの死を望む物でもあったかもしれない。

 それ故にさして力も使わず、動き回りながら戮す事が出来た。返り血一つ浴びずに。

「後、五人は残ってる・・・」

 吐き気と、嗚咽を必死になって我慢している。そこまでしてこの連中を戮す理由があるとは思えないが、ずっと見ている事に耐えられなくなるのもそう先の事ではないに違いない。そう踏んで時間はかなり経過したが、トラウマにはなるにしろ、耐えきるのではないかと思い始めた矢先か。外に三つほどの気配が生れ、四つ目の気配。部屋の奥にまだ居たのかと気付かせなかった老人である男は、まるで何事も無かったかの様に現れた。

「ほっほっほ。なかなかな腕をお持ちの様じゃ。どうじゃな? そんな小娘に顎で使われるよりも、もっと自分の腕を有効利用してみるつもりはないかね?」

「ほざけ。で、こんな小娘と言う位なんだから、今の所俺はアンタの敵って訳だ」

「まぁ、そう言う事になるんじゃなかろうかのう? ワシは面倒事は極力避けたいんじゃが」

「だから交渉か? 老いぼれの人間如きが俺の満足出来る報酬を用意出来るとも思わんがな」

「そう言う事はやって見てから初めて分かる事だと思うんじゃが?」

「やってみなくても分かる事もあると言う事に気付かない人生じゃ、薄っぺらすぎて興味がないと言ってるんだ」

「それはどういう意味じゃな? 年寄りにも分かる様に教えてくださると幸いなんじゃが」

 そして、自分が老人を見て思った言葉は茶番以外の何者でもない。同時に、老人が何を望んでいるのかと鑑みる事を無理矢理止め、床に転がっていた白刃で老人の胸を貫こうと距離を詰める。

「それが答えかな?」

 声と共に真綿を刺した様な感触で分かる自分が意味のない行動をした事も、相手の心が「かかった」と言う言葉と共に歓喜する理由も、今は予定調和でしか無い結果だ。初めから分かり切っていたのに、気付かない振りをしてやったのは遊びにつき合うだけの僅かな間がまだ残っている事に気付いたから。

 だから自分の発した言葉をかき消すようにして視界に輝ける朱が雑じりまるで昼のような明るさになる。

「そんなっ!? 時間までまだ大分ある筈だったんじゃ!!」

「ほっほっほ。呑気な嬢ちゃんじゃ。ワシらが気付かないとでも思って・・・」

 最後まで言わせてやる道理も無く、貫いたままの剣で上半身から顔にかけ真っ二つにする。本来ならば血が飛び散ろうものだろうが、その変わりに舞ったのは光の粒子。

「くだらん人形遊びをしている暇があれば直接くればどうだい。ディオ・ブラス」

『ほう、若い割にワシの名まで知っておるとはなぁ。まっこと関心じゃ』

 若い頃に名を馳せた老人の名も知っているが、それ以上のこの男がどういう戦い方を「好む」のかも十二分に理解している。全ては知識であり、同時に実践に活かせるだけの技術が自分の中に染み込んでいるのだと実感する瞬間だ。そしてそれら全てを教えてくれたクレアに恥じるような戦いをしよう物なら、対魔たる名が廃ると言うモノだ。

「たかが王族殺し(ロイヤルキラー)如きの分際で俺に刃向かってくるんだ。相応の覚悟は出来ているんだろうな」

『言うではないか、南方一の悪魔と呼ばれただけの小僧が』

 相手を挑発し頭に血を上らせ判断を鈍らせる。戦術の中に置いては基本中の基本だが、傲りがあるだけ此方側が有利であり、そんな基礎すら忘れてしまう様な老人だからこそ男は王族殺しと言う名で止まった自分の立場を忘れている。

「小僧? 俺がか?」

『貴様なぞ小僧でなければ虫けらよ。自分の立場を弁えるのは貴様の方じゃて』

 だから笑えてしまうのだ。

 たかが人間如きが、自分を一人で相手にしようと思っているから。

「じゃあ思い知らせてみろよ。たかが一塊の魔族に自らの主を戮された敗北者が」

『・・・・・・』

「そもそも人形操りなら貴様以外に居るにも関らず、名前を知っていると言う点で妙だとも思わなかったのか?」

『・・・・・貴様ごとき流れ者に、何が』

「分かりたくもないね。小悪党なんぞの感情なんぞな」

 その途端、殺気を辺り構わず振りまいてくる辺りはよほど頭に来たのだろう。事情を全て事微かく並べ立ててやろうかとも思ったが、これ以上は自分の隙を作るだけで何の得にもならない。第一、バイアが仕事を依頼した時に言った通り時間が無い事も確か。街は爆音に裹まれながら廃墟と化すのもそう長くは掛かるまい。朝になればここが皇都であった場所とは思えぬ程の光景が広がっている事だろう。そして自分とは事情が違うからこそ、バイアは放心した様にその場に崩れ落ち何もする気にはならないらしい。

 我ながら、緊張感が無いなと思いつつも、ここで壊れられたまま見捨てても寝覚めが悪いのも事実。ならば地獄を駆けめぐらせてから壊れるなり乗り越えるなりさせた方が後始末も楽になるだろうと踏み、上から見下ろしながら言ってやる。

「そんな所でへたれて居る暇があるんなら立てばどうだ?」

「・・・・・」

 無論、その一言だけで立ち上がれば問題など初めから何処にも無いのだが、彼女に取って自分の住んでいた場所が戦争に近い状態に巻き込まれるのは初めての筈だ。だから徐々に聞こえてくる阿鼻叫喚を聞きたくは無いのだろう。一方こんなにも心地よいと感じる自分は、とうの昔に黒い感情に支配され、それでも意識が嫌に鮮明な理由も薄々感づいている。だからこそ、彼女にはどうしても役に立って貰わなければ困る。

「紋章士なら、まだ生きている者達を守りながら逃がす事くらいは出来るだろう? 地獄で死ぬも、この世に残るも好きにしろ」

 そして紅蓮の炎と、血で描かれた赤の狭間を越え行き姿を現していたディオ・ブラスの前に立ち塞がる。

「小僧、覚悟は出来たんじゃろうな?」

 気付いては居たが、動かない事を疑問に思っていた三つの気配は、どうやら屍となって操られていた人形だったらしい。確かに、バイアがギルドを壊滅させろと依頼した理由は此処にあると確信できる。何せその三人ともが、見知った顔だったのだ。

 ユーリと、ガジェット。もう一人はバイアと居たシグマと呼ばれていた男だろう。一対一で真っ正面からぶつかる戦いであればディオ・ブラスに負けないだけの強さを持った三人ともだが、多分、寝込みを襲われるか、それとも裏切りによって殺されたに違いない。人体実験にまで興味があったとは知らなかったが、人形のパーツを変えるが如く、全く別物の腕や脚を移植された三人の、いや、生きていた時の面影すらない三体の人形は、まるで殺してくれと言う最後の叫びをそのまま残した表情をしていた。

 だから、返す言葉も考えずディオのみを狙いもう一度、今度は真物の老人目がけ距離を詰める。

 最も、それを素直にさせてくれる訳もなく、楯として三人を使う事を考慮した上での行動だ。こちら側から老人が見えなくなる一方、それは老人も条件は全く同じ事。死霊使いとしての腕はあっても、死体使いとその技術の根底がまるで違う事を知りもしなかった。そして男は所詮、素人を相手に名を馳せた人物。戦いの中に生じる駆け引きなど、殆ど体験した事は無いだろう。

 だから、物言わぬ人形の上を飛び越し老人の背後を取った時、吐き捨てる様に言ってやる。

「老兵らしく大人しくして置くんだったな」

「!!」

 ただ渾身の力も必要とせず、手で老人の胸を貫くだけだ。心臓を鷲攫みにする感触は好きではなかったが、さぞ絶望した顔のまま一瞬にして逝っただろう。首を斬り落としてしばらくの間、無力さを噛みしめさせてやっても良かったのだが、操り手が居なくなった人形の暴走を止める間の光景を見せる、もしかしたらと言う期待をかけさせる程の温情など持ち合わせては居ない。

 暴走した人形がどんな風になるのかが分かっているからこそ、先にディオを殺したのだがこれからの方が大変だろう。何せ三体の人形は魔力の供給源を絶たれた瞬間から、まるで生きていた時の本能を目覚めさせた様に辺りの魔力を吸い取りながら巨大化するのだ。下手な魔族を相手にするより、制御を喪った彼らはそれだけでタチが悪い。

「弱点は・・・生きていた時と同じ、だったんだがな」

 半端な攻撃を与えればその場所は強化され周辺の魔力が吸い取られる。その結果、更に巨大化し、また手が付けられなくなるのは必死。残念ながら一撃で身体全てを吹き飛ばす程の技も力も今は無い。ただ心臓を貫くなりすれば良いと、素人考えならなるのだろうが、文字通り形跡もなくその部分だけを消し去るなど器用な事は出来ないのだ。残念ながら法術の類いが使える訳でもなく、当分の間、極端に強化され続ける三人を相手に出来る程、バケモノじみた腕力がある訳でもない。

「潮時、か」

 もはや契約そのものの意味が無いのであれば情報屋の男を捜し、そのまま連れて逃げれば良いだけの事だ。そう考えながら周りの事情など知った事ではないと踵を返す。

 が、立ち直りが早いからこそ、切れ者だと言う事を忘れていた自分がそこに居た。

「倒さないって事は、アンタには倒せない理由があるんでしょう? ならあの三人を殺す方法を教えて」

「・・・・・」

 鬼気迫る表情とはまた別の、覚悟を決めた顔だった。

 言葉の節々にある感情は押し殺す事も忘れ、怒りをこれ以上と言う程込め、無力と、無知と、何より運の悪い自分を呪っているのかもしれない。それすら受け入れたアイス・フェイスの顔は、街を燃やし尽さんとする炎の中で更に冷たさを増して居る様だった。

「心臓のあった場所を一撃で消し去れ。一欠片でも残った時点で状況は悪化するからそのつもりでやれよ」

「せめて人間らしく葬ってやる方法は無いの?」

「そんなのがあれば助けられる。あれは人じゃなくただの肉塊だ」

 だから自分の言葉に反応し、押し殺す事なく漏れた感情は彼女の周りを冷気となって渦巻くのだろう。彼女なりの殺気が具現化した形だと言っても良い。

 冷気を纏いながら紋章を宙に描き、それを三人に向かって放つ彼女は涙さえ凍てつかせる表情をしていたが、やはり泣いているのだ。

 だから冷たくもなれるのだと、頭の中で誰かの言葉が浮かんだが、熱すぎる炎の中で一閃、それが三人の心臓を形跡も無く消し去った後。彼女なりのせめてもの手向けなのだろう。氷付けにされた彼らは炎の中で砕け散り、街の燃え上昇する気流の中を駆けめぐって消えて逝った。

 それはあまりにもあっ気ない最後だったのか、それとも、彼らがありがとうと言いながら微笑みでもした姿でも見えたのか。どちらにしろ、かけがえのない者を喪った女の顔は、当分の間陰りを残したまま、暫くは落ち込んだままなのだろう。そう想い、契約が終わり報酬の事を言おうとしたのだが、そんな気も無くなりその場を離れようとする。

 だが、だからこそ女は現実的なのだと、誰かの言葉を思い出す様に彼女は言う。

「あの三人は私が殺した。なら、その分のオマケくらいはつけてくれるんでしょうね」

「・・・・・」

「アンタ、言ったわよね。私なら守りながら逃げられるって。ならそれを手伝う位しても良いんじゃない?」

 たくましい、と思うと同時に、半分は気丈なままで居る事で自分を保っている事など嫌と言う程分かった。

 泣いている事すら、そして今なお涙を流している姿を見られる事すら彼女は構わないらしい。

 だからしてやったと自分の中で呟いたのだが、全く別の気配。

 それが一番恐れていた事だと言わぬばかりにふくれあがった存在を感じ、その方向を見る。

 途端、燃える街並みの向こうに見えた城が爆発し、天が吼えたのかと思える程の音が木霊した時、バイアとの立場はまるで逆転してしまったのだろう。

「あーあ、城まであの状態じゃ、山手の方に逃げるしか無いわね。で、手伝うの? 手伝わないの?」

「やるんなら、早い方が良いさ・・・・」

「じゃ、さっさと着いて来てよ。私は火を消す事に専念するから、アンタは逃げ遅れた人たちを炎の中から助け出して」

 事は一刻を争う。

 そんな事は、誰がこの場に居ようと同じであろう。

 だが自分の中にあった懸念は街が廃墟と化すそれでも、何人救えるかと言う英雄じみた考えでもない。

 先に行った、バイアの後を追いながら口から漏れた言葉には確かに恐怖が混ざる。

「そう、逃げるなら早い方が良いな・・・」

 この街に集まった様々な歴史の変革を見た者、そしてそれを見届け後生に語り継げる者の中に一体どれだけ居ただろうか。

 予め、この皇都が消し去られる運命にあると言う事を予測出来た者が。

「せめてクレアが居てくれればな」

 どうする事も出来ない状況に陥る前に、ただ今はひたすら殺しをしてきた自分が人々を助けなければならない。その恐怖と困惑、そして自虐的に笑える状況に、欠けたモノを求める心はまるで子供の我が儘の様に思え仕方無かった。

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