聞こえるのはただ、金の亡者共の歓声とヤジ。自分にどれだけの掛け金が掛けられているのかはよく分からないが、今の彼に取ってそれはどうでも良い事。

「あんたが、レイナードか。もう少しがたいの良い奴を想像してたがな」

 闘技場<コロセウム>のど真ん中。たった二人だけで佇むそこで、確かに彼は相手からだけではなく他の観客から見ても優男にしか見えないだろう。

 戦場へと赴く時と同じく、服装は傭兵が好む汚れた革製の上下。それを纏う身体は革の服の下に着ている少し大きめの、上と同じく汚れた麻布の服で隠され、少々ぶかぶかの服を着ている。見た目では決して筋肉質には見えぬ身体と、肌は思いの外白く髪は灰色の短髪。相手方と渇いた血を吸い込みどす黒く染まった闘技場の土とは相反した色。

 そしてその中で二つだけ、色と認識出来る物は彼の両耳にある朱い色の耳飾りと、身長と全く同じ大ぶりの青鈍色(あおにびいろ)に輝く剣だろう。だが、そのサイズで考えれば強度を考える為に太く重い物である筈なのに、その剣は思いの外細いが故に、少し大降りの長剣<ロングソード>とも言える。

 だが、どんな状況であれ、彼の表情が変わらぬ事から、静流・レイナード(しずる・れいなーど)の此処での名前は「異色の仮面」とも呼ばれていた。

 青鈍と、輝く朱の相反する色。そして全く動かない仮面の様で、作り物の様に整えられた顔。

 ただ、此処の闘技場で彼を古くから知る物は、それが別の由縁であると言うが、所詮それは少数でしかなく、有名ではない。

「少しは喋ったらどうだい。それとも流石の異色の仮面様も俺様には恐れをなしたか?」

 喉奥で笑い、そして相手は構える。

 相手の男も此処の闘技場ではかなり強い部類に入るが、長年ここで戦っている静流に取って興味がない対象でしかないのだろう。反応しない理由は、早く終わらせた後何をするかを考えているだけ。

 家と呼ばれる代物は無く、家族など記憶には全く残っていない。

 このガイア大陸と呼ばれる世界の中で、四つの魔境。北西部に位置する漆黒の山脈、西南部に広がる灼熱の砂塵、南方海域を支配する魔の領域、そしてこの闘技場があるアルフェイザから一週間ほど南に下がれば見えてくる、大陸の中では北東に位置する死の渓谷がある。

 彼はその死の渓谷で幼少期を過ごし今、此処に立っていた。

 だが、それは本来あり得ぬ事。

 四つの魔境は、熟練のハンターや傭兵でさえ近づこうとはせず、必ず避けて通る場所なのだ。死の渓谷の場合はその理由として大気事態に弱性の毒が含まれている事とと、住まうモンスターが高位魔族ばかりだと言う事。人語を理解し、魔導系に長け人を喰らう彼らに取って見れば人間など食料の類か、弄ぶ玩具でしかない。

 だから彼も殺されるだけの対象でしかなかった筈だ。

 だが、魔族が彼を殺した事は無かった。

 既に名前も忘れてしまった、育ての親である魔族の女。

 彼女は死の渓谷の中でもかなり強く、理由もない、ただの気まぐれで彼を育てた。

 古い傭兵仲間にさえ話した事のない事実。それは、厄介事を起こさない為に彼が身につけた生活術でもある。

 初めて此処ではない、何処かの街に行った時。聞かれるままに彼は誰かにその事を話した。

 その時の代償として、片腕を失いそうになった事は今でも僅かながらに覚えている。

 理由は、魔族に育てられた忌み子だからと言う物だったらしい。

 今の彼に取って何の価値も無い、ただの記憶だったが。

 そして彼は死の渓谷で、その魔族の女に育てられ強くなった。

 彼女が言うには、彼自身に才能があったからだと言う。唯一しか教えて貰えなかった剣技だったが、生き抜くにはこれだけで十分な程。

 結局その魔族の女は、やはり魔族と言うだけあったのだろう。

 育ち、強くなり二週間前に帰郷したそこで彼を殺そうとした。

 覚えている言葉は、確か「いい男になったから」だっただろう。

 意味は強い、と言う事と、顔の造形の事を言っていると言うのは彼でも分かる。何度と無く、武者修行の様にして近くで勃発している戦争に赴き、たまに自分の付いた側の王妃に見初められ、夜伽を命じられた事すらある位だから。

 だが勝負は彼が今も生きている事がその証。

 彼に取って、母親ではなく最後まで魔族の女であったそのモノは、最後に言った。

『お前は、私達よりも禍々しいな』

 微笑みながらの最後の言葉は、多分、その魔族の女なりの優しさだったのだろう。

 他の魔族の知り合いから聞いた話しによれば、もう彼女は長くなかったのだ。それ故に、最後の鍛錬の仕上げとして自分との真剣勝負をさせたのだと言う。

 だが、死の渓谷に居た魔族は誰もが予想せず、そして覚えていなかった。

 彼の心が、一度として溶けて居なかった事を。

 彼の顔が、一度として笑わなかった事を。

 幾ら魔族とは言え、群として、死の渓谷と言う彼らの街に住んでいれば文化も生まれる。

 人には決して辿り着けぬそこは、彼らの家なのだ。

 だから笑いもすれば、泣きもする。

 彼の育て親である魔族の女が死んだ時も、何人かの魔族が泣いていたのを彼は見て、知っていた。

 だが全く表情も変えない彼を見て、魔族は言ったのだ。

『お前は何故悲しまない? 自分の親を殺して何も感じないのか!!』

 もし人間が聞けば、魔族がそんな事を考えるのか、と疑問に思う言葉だった。魔族ならば、親を殺して当たり前とでも思っているから。

 だが彼はその時、何の感情も籠もらない言葉を吐いた。

「どうした!? 貴様にはやる気が無いのかっ!!」

 唐突に現実に引き戻される様な声がしたが、それでも彼は頭の中で考える。

 思って見れば、この後何をするのかを考えていたのではなく、思い出そうとしていたのだろう。

「ふんっ、そのまま黄泉の国へと送ってくれるわっ!!」

 相手が自分の武器である、彼よりも大きい剣を振りかぶり、雄々しい声をあげながら迫る。

 周りの歓声が二色へと変わる。相手方に賃金を掛けた者の歓喜の声と、彼側に金を掛けた者達の怒号。

 時間にすれば一瞬。

 相手は彼を自分の距離へと捉え、後はその大剣を振り下ろすだけ。

 闘技場に居る誰もがそこで終わりだと思った。

 異色の仮面もここで終わりだと。

 ただ、それは悲しみの色を全く纏わず、ただ、損をするか得をするかだけの声。

 所詮、ここでは無敗を誇るモノとて、金を儲けさせてくれるか損をさせるかだけの商品でしかないのだ。

 だが、彼は言った。

「誰かを殺すのに・・・・・躊躇いが居るのか?」

「!!」

 一瞬にして、最小限の動作で相手の背後に回った速さを、捉えられたモノは居なかった。

 言葉の意味がまるで意味不明だと馬鹿にし笑う事とは逆に、振り下ろす大剣が土を叩く前に相手は顔色を変え死を覚悟したのだろう。

 そしていつの間にか構えていた静流は、自分が携えた、名前も分からぬ剣を振るう。

 幾度となく、そうして来た、殺すと言う行為。

 ただ、彼に取ってはその言葉、問われた時に答えたモノであり、彼の思いその物。

 だから躊躇いもなく、人を寸断出来るのだ。

「がぁっ・・・」

 胴体から真っ二つにされた相手はその瞬間、粘着質な血を吐き絶命する。

 呆気ない結末。だがそれによって歓声が変わり、彼を讃える声とやじる声だけになる。

 そして彼は思いだした様に言った。

「シュリ・レイナード・・・だったな、確か」

 それは自分を育てた魔族の女の名前。

 最後はこれ以上なく、人間じみた優しげな微笑みを見せ、彼が殺した女性の名前。

 古の時を生き抜いた魔族の中で魔剣<シュリ>の名を持つ者。

 彼女がこの世に残した自分の子供は、静流と言う一人の子供だけ。

 レイナードと言う自分の半身の名を与え、静流と言う東方の文字での名前を与えた子供。

 そして18年間、一度として笑わぬ彼は知らなかった。

 静流と言う、東方でのもう一つの読み方。

 静流(せる)とも読めるその名は、かつて彼女の夫だったモノの名だと言う事を。

【勝者! 異色の仮面こと、静流・レイナードぉぉぉ!!】

 闘技場の放送席から聞こえる声は、彼の勝利を不動とするモノ。

 高らかにあがる歓声と共にそれはかき消され、闘技場はいつもの様にそれだけで響き僅かに揺れる。

 だが彼は笑いも、泣きも、怒りもせず、ただ、来た道を引き返し選手の控え室へと帰って行く。

 手にした剣は、死の渓谷で折れ使い物にならなくなった剣の変わり。

 死の渓谷を出る時に、まるで彼の行く先を遮る様にし、闇夜で唯一輝き大地に突き刺されて居たモノ。

 躊躇いなく、それを彼は手にし、今日はその試し切りをしたのだ。

 少なくとも、今日は彼に取ってはその程度の仕合だった。

 何百本、何千本と言う剣を折った故に、もはやこの街で買える武器は、彼の技には耐えきれなくなってしまったのだ。

 それ故、一度だけしか振れない剣は、彼にとって鬱陶しいモノでしかない。

 だがこの無名の剣だけは違ったらしい。

 振り抜く時、僅かに聞こえた軋む音を覆す様に彼の斬撃に耐えたのだ。

 だから当分この剣の世話になる事は確かだろう。

 何度、彼の剣術に耐えられるかは分からない。

 だが、彼に取ってはそれで良いのだ。

 死の渓谷に居た名前も知らない魔族の一人に聞いた話によれば、この世界には「光と闇の刀匠」と呼ばれる二人の刀匠が居るらしい。その二人が創った武器ならば、彼が死を迎える時でさえ折れない剣を造れるだろうとその魔族は言ったのだ。

 その内の一人の名は、ハンターギルドを設立した一人であり、大陸中央に位置する皇都ガ・ルーンに認められた三人の剣闘師(ハイ・ラウンドマスター)と畏怖と尊敬の念を籠めて呼ばれる者。本名は何処にも印される事なく魔族も知らず、「二対の形無し」と言う二つ名だけが知れ渡っている、現在彼が知る限り、最も強い剣を使いし者の一人であり、彼自身が目標とする人物。

 もう一人は夢幻(むげん)と呼ばれる魔族。それ以外、魔族でさえ何も知らない、世界の何処に居るかも知られていない人物。

 そのどちらかではなく、夢幻の方に自分の武器を創って貰おうと考えていたのは昨日だった。

 剣闘師である二対の形無しに頼むのは、仕合を申し込む方であるのは自分なのだから流石の彼とて筋違いだと分かっているのだから。

 そして石棺を思わせる、長く闇の回廊を歩きながら彼は折れなかった剣を背負い直した。

 また、忘れてしまった女魔族の名と共に。

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