誰も一度しか死ねないと聞いた時、嘘だと思ったのは何時だっただろうか。

 何処までも続く、夜と濁りきった空気が支配するあの切り立った渓谷の中で、誰かがそう言い、自分は珍しく声を荒げそう言った事を覚えている。

 無論、笑われた。理由など、言うまでもないと、今は思える。

 だがあの時は、幾度と無く甦れる、本気で信じていた。

 同時に、疑問も抱かなかったのだ。

 何故、死んだ後に、甦れるのか。

 誰も、その問いに答えられたモノ等居なかった筈。

 だが、あの女は言っていた。

 自分を過酷な環境で育て、最後に命を奪おうとし、ただ、死んだあの女は。

『あんたは、死にたくないのかい?』

『当たり前だ・・・けど、死んだって甦れる』

『どうしてだい?』

『じゃあ、何故死んだら甦れない。それならば甦ると言う言葉の意味なんて要らない』

『そう言われて見ればそうだねぇ。なかなか面白い事言うなお前は』

 笑った顔。

 楽しげに笑う、その顔。

 信じて、いや、信じる事すら出来なかった。だが、何処かで繋がりを感じた時、自然と、会話が出来ていた。

 そして女は言ったのだ。

「じゃ、甦って見ろ。私も乗り越えて」

「!!」

 瞬間、だった筈。

 だが目の前にある光景を見た時、目の前に居る、その瞳を見据え、嘆息した。

「感謝の気持ちが溜息? 失礼極まりない男ね」




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:CYAN MASK





































 いつも、と言うか、これで二度目、いや、三度目。気を失って起きれば、こんな光景が広がっている。それを、どう表現すれば良いのか。あるがままに言えば、ラナはまた自分の上に乗り、快楽を貪っている。それに慣れてしまえばどうと言う事は無いのだが、自分はこんなにも性欲に忠実だったかと思い、少々顔を顰めてしまう。

「ホント、サイテー。少しは気持ち良いとか、極上だとか、言って見たらどう?」

「そうだな」

「・・・・・・・・・・・・頭、大丈夫?」

「どういう、意味だ」

 反応するのも面倒だったが、助けて貰ったのは言うまでもない事実。それぐらいの悪態は許して欲しい所だ。しかしどうなったのかを此処で聞くのは、彼女の機嫌を損ねる事にしか繋がらず、同時に、右腕に何かが乗っている様な気がして、そちらに視線を向ければ、セフィラが居た。

「あんたは一つしか無いんだし、そのくらい良いでしょ。それとも尻尾か二本目でも生やして見る?」

「・・・・・」

 快楽を貪るだけの女二人。同時に抱くのは、もう慣れた事だった。とは言っても抱くと言うより、抱かれていると言った方が正しい。朱色に染まるセフィラの身体は、もう何時間もそうしている様子。あえぎ声すら漏れないのは、もはや感覚が快楽に追いつかない結果。その点、ラナは器が違うのだろう。相変わらずの声は透き通り、同時に快楽へと誘う妖艶さも兼ね備えていた。

 そして数時間。意識があるまま、ある種地獄だとも言える感覚を終え漸く疑問が一つ解消される。

「ちなみにあんた、左腕欠損に内臓が二つ三つ破裂して、右目は完全に使い物にならなくなってたわ。修復しといたけど、問題無いでしょ?」

「死んだ、と言わないのか? それは」

「私もそう思ったわよ。でも、アンタの種族は致死量に十分たる怪我を負っても復活出来るのよ。漸く分かったわ、あんたが誰だか」

 ラナは着替えている最中で、セフィラは一言も声を発する事無くそれを手伝っている。見慣れない服だと思うが、それも頷ける事だろう。見知らぬ部屋と、窓の外にある夜が騒がしく感じるのは知らない場所に来たと言う事だ。だが空気の質は普通の街とは違い、何処かアルフェイザに似た物がある。

「ずばり、本物の白亜の民ね。この間は確証無かったから冗談だったんだけどさ。信じられないけど、あんたこの世界の住人じゃないわ」

「・・・・・」

「真面目に聞いてる?」

「さぁ、な」

 だが何を言われようと、昔抱いていた疑問が解消しただけで、他の事はどうでも良いのだ。

 死なないと言えた理由は、以前、死んだ事があるから。

 何時だったかは覚えていないが、身体で感じた死と言う感覚は、恐ろしい程自分の身体に馴染んだ事を覚えている。

「ま、聞かなくても無理矢理聞かせてあげるわ。喋りたいし、あんたは知っておく義務があるの。い〜い?」

 だが、ご高説を聞かなければならないらしく、目を閉じ、耳だけを傾ける。そして聞いた話は、馬鹿げた絵空事だった。

「あんたは、この時代の魔族じゃないの。私より以前に生まれた存在なのよ」

「冗談も程々に・・・」

「嘘じゃないわよ? 証拠、見て見る?」

 唐突に言われ、信じられる訳がない内容。だから興味がない様にそのまま眠ろうとしたが、自信ありげな言葉に少なからず興味を惹かれ目を開いた時、ラナはコップを持っていた。

「ちょっと見ててね。ちなみに私でもコレが限界って事を覚えて置く様に」

 そしてまるで講師の様な口調で微笑み、途端、その無地の色あせた、元は白い色であったそのコップは文字通り消えた。

 ただ、それだけ。

「それが・・・どうした」

 無論、からかわれているとしか思いようが無かったが、彼女の表情は違う。

「まぁ、ちょっと待ってよ。もう少しだから」

 それだけで疲労した表情を見せる彼女の顔は見たこともない。同時に自分も行為に及び疲れていた為、瞬時に感じ取る事の出来なかったのそれは、自分の周りにあるラナを中心として形成される空気。殺戮が終わった時に感じる空気と全く同じ物。そしてラナはそのままの、コップが存在していた手を動かさず、突如としてまた消えた物はそこに現れた。

「で、これはさっきのコップなんだけどさ。セフィラ、そこのランプ頂戴」

 そしてセフィラは言われたままに不安げな瞳を表情に乗せ、部屋の灯りであったランプを渡し、ラナはそれを割る様にして手に火を移す。

 熱くないのか、と訪ねようとしたが、下位の魔導で加工したそれは静流の目にもハッキリと映り、安定した形になっているのだろう。徐々にその姿を変え、一つの球体になった時、ラナはそれをコップの中に入れ、口元で球体を炎へと戻す呪を唱える。

 その途端、コップの中の炎は爆ぜ、消えた。

 だが、それだけではなかったのはコップの表面に紋様が浮かび上がっていたと言う事。それが何処かで見た事のある物だと思いながら、ラナは説明を続けた。

「まず、このコップ、さっき私が時の禁呪を使って時間を少しだけ移動させたのよ。過去に飛ばせる訳じゃなく、未来に向かってだけだけどね。けど、その時、何処を通ってくるかが問題であって、この表面に浮かび上がってるコレが結果なのよ。あんたの身体に浮かび上がる紋様と同じ種類の物でしょ? まぁ、私の腕が未熟だからこの程度の物でしか出来ないし、同時にもうちょっとでこれも壊れちゃうけどさ」

 その言葉通り、紋様の浮かび上がったそれは途端、ヒビが入り割れてしまう。ただ、その割れた欠片は幾度と無くその身を砕き、果ては塵となって鈴の様な音と共に消えてしまう。

「で、これで実験は終了。なんだけど、アンタの身体と、割れてなくなっちゃったコップ、同じ術を掛けられたモノで何処が違うか分かるかしら」

 そして漸く落ち着いた為か。彼女の息が、あがっているのを見て少々驚いた。だが、もし、彼女自身が言っている、時の禁呪などと言う代物を本当に使ったのだとしたら、それも頷ける事だろう。そもそも、どんな属性を司ろうとも、時だけは扱えないのだ。

「さぁな。俺は魔導に詳しい訳じゃない、が、お前も言った術者の腕の違いだなそれは」

「その通り。確証が無かったから、知り合いに聞いて来たんだけど、私も、唯一私に勝てるその知り合いも同じ結論に達したわ。けど、私もその知り合いも、今まで生きてきた中で自分以上の魔導の腕を持った者になんて合った事もないし、聞いた事も無いわ」

「それが白亜の民だと言いたいのか?」

 だがまだハッキリと繋がらない点は、点のままでしかなく線にはならない。そして迷っている表情をラナが浮かべているのは、珍しい事だと言えるだろう。だが黙り込んでいたセフィラは耐えきれなかった様子。

「そうです・・・。静流様に時の禁呪を掛けたのは白亜の民、それも、最後の生き残りである、緋色の瞬光です」

 しかしその名を聞いた途端、現実味が薄れ、途端静流は顔に笑みを浮かべベットに突っ伏す。

 無造作に書かれた線が、平行線になった気分だったのだ。そして伝承の中で語られるだけのラグナロクが目の前に居て、ほぼ滅んだと言われる存在である神族のセフィラが居る事すら非現実に思えてしまう。

 そもそも、緋色の瞬光と言う二つ名を持つ剣士は、あまりにも遠い昔に居たとされる人物なのだ。第一、本当に居たかどうかすら怪しいと言われる、ただの御伽話と言っても良い存在。それ故に笑い出してしまいそうだったが、耳に飛び込んできた声を聞いた途端、意識は急激に冷え切ってしまう。

「ま、信じられないのも無理ないわね。あんたはそう言う子だよ、昔っからさ」

「なっ・・・んだと」

 ドアを開け、入ってきた女性が居た。

 見知らぬ顔であれば無視を決め込めば良いだけであり、顔見知りでも対応は同じだっただろう。だが、その顔は見覚えがあるどころか、自分の人生の大半を唯一見てきた者であり、同時に生きている筈のない女なのだ。

「そんな顔してぇ、そんなに口惜しい? 私を殺しきれなかった事」

 女の言う通り、確かに自分は目の前に立ち、微笑を浮かべる女を殺した筈だった。片腕を切り落とし、流れるままに両脚の筋を切断、そして逃げられなくなった所で、首を跳ね飛ばしたのだ。生きている事自体、四肢があり、首筋に傷痕さえ残っていない事が不思議でたまらない。

 だが相変わらずのその微笑を見た時、懐かしいとは思わなかった。

 同じ特徴、共通点があったのだ。自分を殺そうとした事と、自分の身体を我がモノにしようとした行為。それその物がラナと通ずる部分。だがその微笑は似ている物であって本質的には全く違い、ラナが貪欲でありながら何処か隠している様な情欲であるならば彼女、シュリ・レイナードは歪んだ愛と言った所か。自分のほぼ全てを知っている故に勝てない笑みである事は今でも変わらない事実。

 そして殺しきれなかった事が口惜しいのではなく、今は純粋に何故生きているのかが知りたかった。

「何故・・・いや、どうやって生き返った。俺は確かにあんたを殺し・・・」

「ええ。確かに死んだわよ。けど」

「・・・・」

「あんたと一緒で甦らせて貰ったの。まぁ、あんたより私の方が身体の損傷は酷かったけどさぁ」

 事も無げに言うが、自分と比べられた所で納得出来る答えではない。少し前、ラナが彼女の事を知っている様な口振りだった事から彼女が助けたのかとも思いそちらの方を向くが、肩を竦めた姿だけで、手はドアの方を指さしている。そしてそちらへとせわしなく視線を向けた時、全身が泡立つのを感じた。

「シュリ、もう良いですか? いい加減入れて下さいよ」

「ああ、忘れてた。ほら、さっさと入って来なさい」

 そう言われ、入ってきたのは自分と身長は大差のない優男。東方の絣と言う服を身に纏い、一見女にすら見える顔には軽薄そうな笑みが乗ってある。

 男娼館にでも居そうなその男。ただ、それだけならば探せば幾らでも居るだろう。しかし違ったのはその全身の奥から漂う空気。何もしていない筈なのに、首元に鎌を当てる死に神にすら見えてしまうのだ。そしてシュリは感嘆に言って見せた。

「紹介するわ、これ、私の旦那」

「君が静流・レイナード君ですか。僕は統一郎です、短い間ですが宜しくして下さい」

 そんな人物が居たのかと思う程、シュリの態度はあっけらかんとしたモノ。第一、自分が知る限り彼女に特定の男が居た記憶はない。だがそれよりも驚く事はあった。

「ちなみにコレ、三つ色の剣舞とかたいそーな二つ名持ってるしさ。静流、逢えて嬉しいだろ〜」

「・・・・」

「あれ? 嬉しくない? 二対の形無しの方が良かった? 一閃の雷光の方は勘弁してよ。いい子なんだけどさ、取っつきにくいんだよね。ちょっと跳ねっ返りで」

「なんなら僕が紹介しようか? 所でシュリ、彼はなんでシーグルに逢いたいんだい?」

「殺したいからでしょ。あんたもその一人だし」

「ぶ、物騒な事を吹き込んでくれたね君も・・・」

「分かる?」

 変な男だと言うのが第一印象。困った顔はしているモノの、本質的には楽しんでいる風に見える雰囲気。

 だからそれを覆してやろうと思い、手の中に生まれた感触をそのままにベットから統一郎と名乗る三つ色の剣舞の首筋を狙い一閃する、だが、それは呆気なく金属がかち合う音と共に防がれ、そこにあった笑みは自分すら恐怖を抱くに十分なモノ。伊達に三つ色の剣舞と言う、伝説ともなる人物ではない。

「今のは危なかったよ。戦えば、もう僕は負けるだろうね」

「冗談だなそれは。顔がそう言って居ない」

「分かるかい?」

 だが同時に感じ取ったのは、自分と何処か同じ部分があると言う事だろうか。鋭く自分を見据える瞳は決して曇りもなく、呆気なく命を奪い去るだけの輝きに満ちているのがその証拠。しかし、それは面影であり現在ではなく、昔はそうであったと言う名残だけがそこにある。それ故、彼はまた笑っていた。

「でも僕が負けるって言うのは嘘じゃないさ。掛け値なしに君は強いよ」

「世辞など要らん」

「照れてるのかい? いや、可愛い所もあるもんだ」

「・・・・」

 苛つきをそのままぶつけようとも思ったが、瞬間聞こえる声にふらつきを覚える。

『ちょっとっ! いつまでこうさせてんのよあんたはっ!!』

「・・・・ラナか?」

 頭痛さえ覚えるそれは、確かにラナのモノだった。だが聞こえてきたと言うより直接頭の中に介入されたようなそれは、納得の行く説明無しで理解出来るモノ。自分が握っているのは、久しぶりに見た伝説の魔剣ラグナロクその物。だが余程その姿の事を気にしているのか。瞬時にもどった時、自分は彼女の腕を掴んでいる格好になる。そして不機嫌な一声。

「一応、私を使っても良いんだけどさ、言ってからにしてよ。心鷲掴みにされる見たいでヤなのよ」

 珍しく不満を漏らすその口は疲れていた為か。それとも単にいきなりの事に苛つきを覚えているのか。

 多分その両方だと思ったが表情が和らぎ途端、微笑を浮かべる。

「でも強くなったよね。これなら私を扱わせてあげるわよ」

 その笑みは、いつも隣りにあった訳ではない。

 何の気無しに思い出したのは、アルフェイザで唯一立ち寄っていた店に居た女。

 もう、名前も忘れてしまったかと思ったが、意外にも覚えているモノだと笑い出しそうになる。それもその筈だろう。自分の隣りは彼女だけの特等席だったのだ。他に自分と肩を並べた者などこの場にすら居ないのだ。その理由を、昔の自分なら認めたくなかったと言うべきか。

 だが今ならそれを言葉に出来る。

「なら、俺が最強と言う称号を手に入れるまで、お前は俺のモノだ」

「へぇ・・・、あんたにもやっぱ夢とか野望ってあったんだ」

 過去など、もうどうでも良い。

「でもさ、私だって最強なんてのになれなかったのよ?」

 強くさえあれば、例えそれが何であろうと叶えられる。

「あんたを半殺しにした神帝だってそうだったしさ。あの場合はあの人間の女って言うべきかな」

 それならば目指すのは一番上である以外に必要はない。だから最強と言ったまでの事。

「それでも、なれる? 最強って言う存在にさ」

 そしてラナの、迷いもなく狂えるかと訪ねるそれは問い。

 覚悟を決めろと言うモノではなく、理解しろと言うあまりにも軽い口調と重い意味。

 だが、それすらもどうでも良くなって尚、彼は見据える事の出来る力を持った。

 それ故に、頷いたのだ。

 言葉など、決意を示すのには不十分だと思った故に。

「・・・まったく」

 不満な声だったが、それが本心と少し違うと言う事は理解出来た。昔、自分も似た様な思いを抱いていたが故に。

 それを人は平和と呼び、求め止まないモノだと言う。

 もしかしたら、生まれた時から、自分が求めて居たかもしれない言葉。

 だから羨ましかった。

 あの、マディンと言う女の言った言葉。事も無げに、あの女は傭兵など止めて平和に暮らそうと言ったあの言葉が。

 それが一番手に入れたいモノなのかも知れない。血で血を洗い、屍の上「しか」安住の地が無いと今でも思って半ば諦めてしまうが故に。

 だから決意したのだ。

 彼女とは違う、強さを手に入れてやると。

 予感、だろうか。それとも風の知らせかもしれない。

 あの漆黒の山脈に居た時、常に感じていたのは神族やラナの気配だけではなく、もう一つ、あまりにも強い力を感じたのだ。

 表に出す暇もなく、行く気が無かったのは、現状で負けると悟るに十分な可能性を秘めている故に。

 だから悔しかったのだ。

 今、目の前に居る、ラナと言う名を持ち、同時にラグナロクと言う伝説の魔剣と同じく。

 そして現実へと引き戻す様な声。

「で、話は終わったのかい?」

 だが、それに再び同じ反応をしたのは苛つきを押さえようとも思わなかったから。

 同時に彼女もそれは同じだったらしい。

「!!」

 三つ色の剣舞と呼ばれる伝説にすらなった人物の首に当てたのはラグナロクの刀身。淡く輝くそれは、本来の力を取り戻したかの様に黒く輝き、同時に統一郎の顔には引きつった笑みがある。だが現実味のない行動だと、何処かで夢見ごこちな反面、コレが紛れもなく現実だと言われている様な気がするのは手に握ったラグナロクの感触。

 まるで殺戮の為だけにあしらえた様なそれは、魂の宿らない剣では得られない高揚感を感じさせてくれる。同時に、剣である彼女もそうなのだろう。同時に発した内容の違う声は何処までも楽しげなモノ。

「失せろ。あんたじゃ面白くない」

『ルド、そこを退け』

 それを聞き、辺りの空気が変わった事を察知したからか。先ほどまで穏和に笑っていた筈のシュリも、様子を伺うだけだったセフィラも顔を蒼くしながらドアの前に立ち塞がり、行く手を阻んでいる。だから言ってやった。

「そんなに死にたいか?」

「わ、私はっ・・・」

「あんた、黙ってな。静流は本気見たいよぉ、私も行かせる気無いけどさ。あとウチの亭主、離してくれると嬉しいんだけどね。そんなのでも必要としてる奴は居るんだ」

「相変わらず・・・」

 良く喋る女だと思う。昔からくだらない事ばかり聞いて育ち、母殺しと言う常軌を逸した終止符を打った故に知ってもいる。

 だから躊躇いも無く、二度目の刃を向け腕を動かしたが、それは失敗に終わり人を斬った時の感触ではなく、折れそうになる位、掴まれている自分の腕があった。それ故に、失った興味は取り戻され三度、彼に視線を向け直す。

「君に、僕の弟子が惚れた理由は分からない」

 意味不明な事を宣っているだけかと思う一方、その気配が自分と同じモノになって行く、変貌の様は壮観と言えるだろう。

「けど今、此処で過ちを犯して行くと言うのなら恨まれたって構わないさ。君を殺す」

 そしてそう言った時、統一郎と言う男は、三つ色の剣舞の名に相応しいだけの強さを纏い、同時にその二つ名の由縁だろうモノを瞳に宿らせている。

「それが、あんたの由縁か」

 血と、屍と、朱に染まる大地がその三つの色の由縁だと思っていたが、まさか瞳に三色を宿すモノが居るとは思いもしなかった。力の証であるそれは、魔族に取って特別な意味を持つ称号。

 一般的に知られる赤と、希少価値があり人間に狩られた金色、そして

 即ち、彼が魔族最強を誇る存在だと言う事。

 そして彼の左手にありし剣は、三つ色の剣舞が持つと呼ばれる黒い刀身の剣ではなく、その瞳の内が一色と同じ、金色を纏いしモノであり、そこから伺えた気配は自分の育ての親である女の気配その物。だから天魔剣と言う女の二つ名を思い出し、自分は再び殺せると思ったが

『ラナ』

『?』

 迷いもあった。

『殺して良いのか?』

 己ではなく、身体の中に感じる剣に身を窶した彼女の迷いが。

 自分の知らない過去と、思いを彼女も持っているのだろう。代価を払ったからこそ、彼女に取って、ラグナロクに取って知り合いらしい彼らの命を殺すかどうかは自分が決める事ではないと思ったのだ。

 唯一、見せたその迷い。だがそれが彼女には気にくわない事だったらしい。沈黙と、その後に頭に響いた言葉は文句。

『・・・あんたが決めれば』

 部屋の中の静寂と、窓の外にある夜の騒がしさ。頭の中で思い出した街の名はレクトと言う大陸一の歓楽街だと言う事。アルフェイザとは違い、喧噪の中に悲鳴や怒号などが混ざっていようとも決してそれは命が消え去るそれではない平和な場所。

 そして言った。

「退け。三度は言わん」

 空気を変え、その手にするはラグナロクと言う魔剣の中の魔剣。

 相対するのは三つ色の剣舞と呼ばれ、過去、六人の帝と呼ばれたジハードを倒すに至った存在。それ故に勝てないと思っていた一人であり、今も尚勝てない事に代わりは無く、戦えば死ぬ事は必至。その上、天魔剣と言う魔族の中で十三人居ると言われる魔剣の名を持つ者すら相手にするとなれば、天と地が逆さになっても勝利は無い。ただ、それは今のままではと言う但し書きが必要となる。

 見据えた三つの色を波打たせる瞳に対し、自分が向けたのはただ、漆黒のみがある澄んだ瞳。

 純粋と言う想いを抱くそれは、本来清い心に宿ると言うモノ。

 だが彼は既に手に入れているのだ。

 純粋に澄んだ心と、純粋に狂いし心を。

「一つ、頼まれてくれませんか」

 それが何を意味し、同時に如何なる結果を生むのかを理解出来るのは彼が強さを持っているからだ。短期間でこれだけ強くなれた事自体信じられないが、頭の隅でラナの囁いた「成長期だからじゃないの?」と言う言葉には笑ってしまいそうになる。

 だが素直に笑いを浮かべられる程、彼は感情に慣れていないだけの事。

「なんだ」

 無骨に言葉を返し、先を聞くだけ。

 そして自分と同じだったと言う、確信を漸く得られた。

「皇都にあるハンターギルド本部を潰して下さい。方法は如何なる手段を用いて、例え街の住人を犠牲にしてでも構いません」

 冷静に告げるその言葉の意味を、理解しているとは一瞬思えなかった。仮にも剣闘師と呼ばれる、皇都に認められた人物であり、その地位は皇都があるからこそ確立されたモノなのだ。それを捨てるのだと言うのなら初めから必要ないと気って捨てればいいだけの事。しかしこの男はあえてそれをしようとしている理由は、楽しむ為だとしか云いようがない。

 多分、この場で最も一般的だと言える意見を述べられるセフィラにでも聞けばみんな狂っていると言われる事だろう。だが、だからなのだ。

 この男があえて、自分に、静流・レイナードと言う傭兵に取っての必要事項だけを述べたのは。

「・・・・・報酬は」

「静流様っ!!」

 裏がある事など少し考えれば簡単に分かる事。モノを頼む態度ではなく、戦う為の構えを解かないのは断れば即、殺すと言う意思表示なのだ。それと同時に、この街ごと犠牲にしてでも構わないと言うだけの何かを背負った故の決意。それだけの事に、それに見合うだけの報酬は気になる。自分の名を知らしめる事となった、ハンターギルドの本部を壊滅させる報酬と言うのが。

 それが金であるならば無論断っただろう。物品であるならば、昔なら引き受けたかもしれないが今はラグナロクと言う最強に見合うだけの魔剣が自分の腕の中にある。それ故にそれでもと言えるだけのものが、正直見あたらないのだ。良い風に言えば欲が無くなった、悪く言えば無関心。しかし目の前の、三っつの色をその瞳に灯したままの男は言って見せた。

「静流・レイナードと言う名前、ラグナロクと言う四魔境を造りし魔剣・・・」

「・・・・?」

 だが、それが何の事か等、理解出来る筈もない。そして次の言葉を聞いた瞬間、

「その二つを、昔の僕の名前と剣を、貴方に進呈しますよ」

 やはり今は適わないのだと思えた。

 悪い冗談だと言って斬り捨てようとも思ったのだが、それをさせなかったのは手の中にあったラグナロクが震えていたからだ。

 いや、それが、ラナの恐怖と言う心を感じ取らなくとも適わないと言えただろう。いつの間にか自分の周りに張り巡らされたそれは、神族の使った、そして神帝ラファエロの魂を一時的にとは言え宿したあのハンターの使ったルーンですら霞んでしまう程の魔法陣。

「断ると言えば」

「無論、命はありませんよ。この街ごと歴史からその名を抹消します」

 内容と、それに伴う実力とが十二分に備わった圧倒的な力の差。その割に、軽く言ってくれると心の中で毒づくが時既に遅し。そしてまだ分からないで居たラナの声が聞こえた時、自嘲気味の笑みを見せながら「はめられた」とだけ言ってやるといきなり人の姿へと変貌し思いっきり怒鳴り散らす始末だ。

「ちょっとルドっ!! わたしをはめようだなんて良い根性してるじゃないのっ!!!」

「そ、そんな事言われてもだねぇ」

「こ、と、も、あ、ろ、う、に、サイガスの一人がラグナロク騙してただで済むと思ってるわけぇ!? 冗談じゃないわよ。あんときの契約不履行だね。もう絶対あんたの頼み事聞いてやんないーだっ!! 静流、今回の仕事、降りよ」

「そ、それは困るよ。僕だって色々と事情があるんだから」

「自慢の弟子にでもたぁーのぉーめぇーばぁー? 私もう静流がご主人様だしー、あんた見たいなジジイに興味ないもーん。夜の方だって役立たずにしか思えないしー」

「じ、爺ぃは酷いんじゃないかなぁ。それにマディンは仕事で逢えないんだよ。な? 頼むよラナ、機嫌直してくれよ〜」

 そんな一面もあったのかと思うほど、羽目を外すラナを見る一方、こんな所で自分の隣りに座れる唯一の女の名が出てくるとは思わなかった。同時に、気分が悪い訳ではない。ただ、この場に居づらく、そのまま部屋を出ていこうとしたとき呼び止めたのは天魔剣と言う女。

「そう言えばあんた飲めるんだってね。ちょっと付き合いなさいよ」

「ああ、そうだな」

「・・・・・」

 思いの外、自分がすんなり返事をするのはかなり変な風に見えるらしいが、その驚いた表情を楽しめるだけの余裕はもう既にある。

「どうした? 飲まないんなら一人で飲むが」

「飲む、飲むわよ・・・・」

 そして仕方なさそうに溜息を吐くシュリと、そのまま宿の下にあるカウンターの席へ着いた。







「あんた変わったわね」

 酒を頼み、一煽りしてから彼女はそう言い、懐かしむように自分の顔を見ていた。もう時間も時間と言う事らしく、周りに殆ど客は居ない。これがアルフェイザならばと思ってしまったが、ばからしいと思い自分も飲みながら言い返す。

「死にかかる様な経験しかなくて変わったも無いと思うがな」

 こういう事に、余裕を使わなければ損だろう。しかし自分なりに冗談を言ったつもりだったが、あまり受けなかったらしい。

「すんごい耳痛い・・・。まだ許してくれてないのぉ?」

 流石に涙目になって反撃に出られるとは思わず、どぎまぎしてしまうが、口から漏れた言葉は以外にすんなりと言えるもの。

「い、一度殺したから・・・水に流す」

「そうよねー。許して貰えないもんだと思ってたわ」

 だが不器用に言ってしまってから、初めて後悔した。彼女の顔にあったのは哀しみと虚しさ。多分、何処にでもある様な表情なのだろうが、自分に取って特別な存在である事に代わりはなく、黙り込んでしまう。酒をグラスに注ぐ音と、宿の外の止みつつある喧噪、バーテンダーが食器を磨く微かな音。そして沈黙が支配する中で、相手が何を考えているか等、分かりもしない。だが唐突に口を開いたシュリは、何処か悲しげに笑っていた。

「あんたは、本当の母親の事を知りたくないのかい?」

「・・・・・」

 即答できる問い。昔から、自分の家族や血族などどうでも良かったと言うこが答えの筈だった。

 だが強くなり、周りが見える様に、そして他者が見えたからだろうか。相手の表情を感じ、蠢く心が邪魔にも思え、同時に大切にも思える。

 それ故に曖昧な返事をしたのだが、彼女の表情は変わらない。

「さぁ、な」

「興味なさげだね相変わらずさ・・・。ホント、知らないまま生きてた方が幸せなのかも知れない」

「何を、だ?」

 だが聞き返した瞬間、初めて感じたそれは罪悪感だった。

 どんな傷も、無言で耐えられる位に強く、そして痛みに慣れていた筈だった身体が、痛いと悲鳴を上げているのが分かり、締め付けられる心臓はまるで鷲掴みにされた様にきりきりと痛む。だがそれは消えそうで消えない、まるで罪を背負う者の様、逃れられぬ苦しみ。だから口を開き掛けたシュリの言葉を自分の言葉で塞ぐ。

「俺は、俺を捨てた母親になぞ逢いたくもない」

 そこで人間の女ならば平手打ちでも飛んでくるのだろうが、彼女は魔族。飛んできたのは激痛を伴う程鋭い、視線。

「逢える時にそう言う事は言うんだね。アンタの母親はもう死んでるわよ、逢いたくたって・・・・絶対に逢えるもんか」

 そして初めて、彼女が酔い、そして泣いている顔を見た気がした。

 例えそれがどんなときであろうと、微笑みを顔に讃え、笑っていた筈の天魔剣と言う女。それは自分が彼女を一刀に切り伏せた時でさえそうだったのだ。

 だから決して泣かぬ女なのだと思っていたが、違う故に感情が爆発するのだろう。

「そりゃ、あんたは知らないかもしれないさ。私らだって殆どの奴らが事の結末を知らないんだからな。けど、けど・・・私ら魔剣の名を持つ十三人はアンタの母親に助けられたんだ。どうしようもない時に、たった一人で私らを救ってくれた」

 自分が涙を流している事に、多分気付いていないその顔は、虚しさと苦しさを乗せ、決して笑っている様には見えない。

「復讐を誓って、その時私らを助けてなきゃ復讐も終わる筈だった時に、わざわざ助けてくれた時の気持ちがあんたに理解出来るの? その相手に最後は殺された時の気持ちがあんたに理解出来る? 最後までアンタに逢いたがって死んだ気持ちが分かるのっ!?」

 哀しみを胸に抱き、彼女が思い出しているのは顔も知らない自分の母親の事。怒鳴り散らす声は良く透き通り、声色には怒りと、哀しみと、悔しさ、そして掛け替えない相手だらしい、喪失感が伺い知れる。

 だが静流に取っては彼女にそこまで言わせるだけの人物が居るとは思わなかった。何処かいつも悟っている様な口調と行動だけで、感情を完璧にコントロール出来ていると思っていたのだ。だから涙を流しながら怒りを露わにし、息を荒げている彼女は滑稽にしか映らず少なからず驚きはしたものの、彼自身の言葉は冷たく尖ったまま。

「分からないな、そんな気持ちは」

「はんっ、そうだと思ったよ。赤子の時さえ一度も泣かなかったんだ。枯れ果てるどころか、はなからあんたに涙なんてもんは無いのさ」

「そうか」

 ただそれだけの言葉。

 感情さえ籠もらないそれは、彼女の耳にどう聞こえたのだろうか。安酒を酒を思い切り煽り、終止無言で飲み始めれば不機嫌となるに十二分な理由だと言う事など一目瞭然。そして安酒では酔いも中途半端なのだろう。怯える様にして固まっていたバーテンダーに一番高い酒を注文し、それをボトルごと飲み干す。

「かっー! 上手いねこれ。やっぱ辛口が一番よ」

 何処か投げやりに聞こえるそれは、当てつけなのか、単に気分を一新する為のものかは分からない。だが涙は瞳を潤わせ、とてもではないがまともには見えない姿。こそこそと隠れる様にして部屋の奥へと入って行くバーテンダーの判断はかなり正しいと言えるが、わざわざこの場に足を踏み入れる馬鹿が居るとは思わなかった。

「シュリ、さん」

「なんだい? ああ、さっきの子かい。何か用?」

「統一郎さんが呼んでます。あと、あんまり飲み過ぎない方が・・・」

「別に酔っちゃいないわよ。私ら魔族はあんたら神族と違って酒に強いんだ。それとあんまりお節介掛けない方が良いね、あんたのそれは鬱陶しいんだ」

「・・・・」

 そして席から立ち上がり元居た部屋へと戻って行くのだが、ふいに立ち止まり、つかつかと此方に歩み寄ったかと思えば持っていたグラスを奪い取られ、

「涙、流せないんならこれくらいしてやる。少しは頼れ、私もあんたの母親なんだ」

 顔に浴びせかけられた酒はすっとする反面、白い故に良く映えた朱色が静流の顔に灯り、返って来る言葉も待たずにさっさと行ってしまったのは照れている反面、理解出来ないと思われたとでも考えているのだ。だからあえて言ってやる。

「すまん」

「そう言う時は感謝するって言いな。ま、がんばるんだね」

 手だけを振って行く後ろ姿はいつも自分が追いかけていたそれと同じ光景。

 そして予感が頭を掠め、だから何か言いたかったのかもしれないが、思うように言葉が纏まらず漏れたのは嘆息だけ。ふと気付けば、一つ隣の席にセフィラが座って微笑んでいた。

「そんな顔も出来るんですね」

「?」

「分からないんですか? 今、心の中にあるそれ」

 感じているそれは、確かに存在する。だが言われて気付いた程、微かな感情であるが故にハッキリと認識出来ないのがもどかしくもある。

「お前は知っているのか?」

「はい。一抹の哀しさと切なさ、あとは・・・虚しさでしょうね」

「・・・・」

 くだらないと言おうとしたのは昔の自分である部分。それを食い止めたのは今の自分。混在するそれらは解け合い、導き出した答えは知りたいと言う想い。

 だから聞けたのだろう。続く、彼女の言葉を。

「けど、それを感じてても静流様は笑ってらっしゃいました。だから、嬉しさも感じてたんだと思います」

「笑ってた・・・だと?」

「はい。私はそう言う静流様が大好きです」

 真っ正面から言われ、どう反応して良いのか等分からない。

 そんな事を言われた事、それこそ純粋な思いで、好きと言われた事など一度も無かった。しかし彼女のその顔にある微笑みは、何処もおかしい所など無い。

 狂った表情でも、かと言って何かを含んでいる訳でもない。

 戦場で出合った敵が決してしないもの。

 だから自分を見据えている瞳は、何処までも真っ直ぐに見えた。

 しかしだからと言って、沈黙から抜け出せる訳ではなく、だからだろう。セフィラの微笑みが何処か大人びた笑みに変わっていた。

「本当に、静流様はこういった事に疎いんですね」

「・・・そうだな」

「誰かを好きになった事はないんですか?」

「無い、な」

「それ」

「?」

「嘘です」

「何だと?」

 即答を即答で否定され、思わず眉を顰めてしまうがそれも致し方なく、他者を好きになった事など一度もないと言うのは事実。だから怪訝な顔をしたのだが、そこに居たのは相変わらず笑顔のセフィラだった。

「静流様って私とかお姉様を抱くときに、無意識に他の女性を意識してるのって気付いてないんですか?」

 そして辛辣な、言葉なのだろう。少し悔しいようで、だが何故か暖かい視線を向けて来られる。

「そう、なのか?」

 だからそう返してしまったのだが、間抜けな問いだと自分自身でも思ってしまい、自嘲気味に笑ってしまう。しかしセフィラは相変わらずの顔で続ける。

「ええ、そうです。だって、私とか、そんなに体格大きくないですし、無い筋肉とか掴まれても正直痛いだけです」

「それはすまなかったな」

「いえ、どうせ私は静流様の身体が目的で抱いて貰ってるんです。だから、気にしないで良いですよそんな事」

 絶対嘘だと言えるだけ確信があり、皮肉でそう言っている事も分かる。だがどうしても分からないのがその笑顔だろうか。今は得意げな顔になっているが、戻った表情もやはり笑顔。だからと言って唐突に表情が変わると言う訳ではなく、まるでそれが当たり前の自分だと言いたげなモノなのだ。

 だから一瞬言われた言葉が理解出来ず、

「でも、静流様が好きな人に負けたくないです」

「・・・・?」

「もぉ、そんな顔しないでくださいよ・・・・。私だって一大決心だったんですから」

 間抜けな顔、多分、鏡があればそんな顔だろうと自分でも思う表情をしていた。相対してセフィラは心底、嬉しそうだが、その反面、表情にある色は憂いを含むモノだろう。正直、持てた感想は良く底まで表情をころころと変えられると言った、自分の顔と同じ間抜けなモノ。

 だから間を置き、口を開いたのだが、セフィラの表情を見た時、何も言えなくなってしまう。

「・・・・」

「な、何か言ってくださいよ・・・」

 多分、自分は女のこういう顔が苦手なのだと思い。泣いているその表情は、笑っているが、間違いなく悲しんでいる。その理由が分からなくて、何も言えない。

「私だって・・・やっぱり人を好きになる事はあります」

 目の前に居る、一つ席を置いてその向こう側に座っている女。

「初めは敵だったけど・・・無理矢理、初めてはお姉様に奪われたけど・・・」

 涙を流す瞳とは裏腹に微笑んでいる表情。声は震え、それでも言おうとしているのは一体何なのか。

「けど・・・」

 そして漸く分かったのは、自分の心の一部分が何を囁いているか。

 過去、耳元で囁かれる様、言葉にさえならない想いが一体何を示しているのか。それが分かり、席を立り、彼女の隣りに立った時、その手を、血に汚れ決して拭えない罪を背負うそれで彼女の頭に手を置こうとした。

 だが

「けど、私は静流様が愛しちゃったんです。馬鹿ですよね、私」

 その目で見据えられた時、固まるしかなかった。

 自分が何をしているのか分からなかったから。

 彼女に何をしたいのか。彼女が何を望んでいるのか。

 様々な、これまで戦場で抱く、簡単な答では決してないそれは、彼に取ってあまりにも複雑過ぎる感情。

 渦巻き、蠢き、何処までも続く、心の痛み。

 それを振り払う事など簡単だった筈なのに、振り払えない、拭えない、そして無碍に出来ない自分の心は弱くなってしまったのか。そんな事すら考えてしまう。

 だが表情に出ていたからか。彼女はその瞳から白い涙を流したまま言った。

「でもだから・・・・・」

「・・・・」

「静流様が好きな相手は・・・・・、絶対幸せにしてあげてくださいね」

 そして自分を押しのける様に行ってしまうセフィラを、彼はその場に佇み見ているしかなかった。

 心の中に渦巻く、言いしれぬ感情を辛うじて握りつぶしながら。

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