戦場。

 そこは、誰もに取っても現実離れした場所であり、罪とされる行為が容認される唯一の空間。

 安易に命を奪ってはならない。

 そんな事は誰でも知っている事。

 倫理や、感情を知らなくとも、本能でそれを理解している故に、イキモノは生き物であれるのだ。

 だが、その場所では全ての禁忌が犯される。

 例え、自分の大切な親家族であろうと、自分の大事な思い人であろうと、掛け替えのない戦友であろうと。

 簡単に命を投げ出さなくてはならない場所。

 彼はそこで生きて来た。

 当たり前に命を奪い。

 当たり前に屍を作り。

 当たり前に、大地を血の色で染め上げながら。

 それ故に彼の手は、多種族の血肉で汚れきっている。

 例え何を望もうと、変わらない過去は、拭えない。

 目を開け、暗闇が星空に照らされた中、舞い降りたそれは、名に相応しい神々しさを纏い、此方を見ている。

 何もかもをただ、無に帰す為。

 いや、己の欲望を満足させる為だけに。

 そしてこの空間に張りつめている空気を彼は知っている。

 戦場ではない。

 そこに対等な立場などありはしないが、少なくとも、対等になろうと努力すれば少なからず報われるのだ。

 だが、ここにはそんなモノはありはしない。

 かつて、自分がやって来た罪と同じく。

 一方的な殺戮に、対等などありはしない。




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:CYAN MASK





































「かはぁっ!!」

 小さい身体が反り返り、空に舞い血を吐き出す様は見るに耐えない。

「どうした? 以前とは比べモノにならない程、貴様は『弱く』なったのか?」

 睨め上げる視線に映る光景は、先ほどまで笑っていた筈の、あの少女。自分がどうなったのだろうかと、虚ろな瞳でそれを見ながら、心の何処かで感じているのは、言葉にならない想い。

「お、お前なんかにっ!!」

 強さを誇示する様、中空で向きを変え切り返すようにその身と同じ程の二刀を振り回す。だが、鈍る感覚の中でもそれは遅く映り、

「負けない、ですか?」

「!!」

 予想通り、掠りもせずに避けられ、背後から、つまり中空から一気に地べたへと叩き付けられ、酷くくぐもった、音。

「聞き飽きましたよ、その台詞は。ここにシーグルは居ないんですから、貴方に勝ち目なんてありません」

「わ・・・わたし、は・・・・」

 口の中に血が滲み、腕で身体を起こそうとするのだが上手く力が入らないのか。震え、また地へと突っ伏す。それが、傷つけている、そして覚えのある雰囲気を纏った誰かには楽しく映るらしい。少女の持っていた剣を広い、見定める様にして魅入る。

「これは、私たちを倒した後に倒されたモノですね。研究なさってたんですか? 貴方の兄と同じ過ちを犯しながら」

 そして唐突に手へと突き立てられた自分の剣に、少女は声にならない悲鳴をあげる。

 動けない身体で歯を食いしばりながら激痛に耐えている事も分かるが、慣れる痛み等ではない。

 神経を断ち切り骨を砕かれ、その上で傷となっている部分を抉られる痛みは嫌と言う程知っている。

「しかし、あまり良い切れ味とも言えませんね。貴方の兄なら、大地も切り裂く刃も作れたと言うのに」

「っっっっ!!!!!」

 だが途端、手が半分に切断され激痛に耐えきれず気絶してしまうかと思ったが、それでも意識を保てて居るのは凄いと思う。

 あの小さな身の何処に、そんな力があると言うのだろうか。

 だが、徐々にハッキリとしてきた意識の中で、自分は何故寝ているのかと言う疑問が浮かび、目を見開く。

 そして感じたのは、右肩から左の脇腹に奔る、激痛。

 声すらあげられなかったのは喉に血溜まりが出来、固まり始めている為だろう。長時間さらされていた事を認識し、呼吸が辛うじて出来る故に判断力が鈍っているとも理解出来る。

『ラナ・・・聞こえるか』

 両手の感覚は無く、握っているのか、開いているのかさえ分からない。だが一筋の希望があるなら、それに懸ける。

 懸けてきたのだ。

 絶望も塗り替える為に。

 幾度と無く、死すらも経験しながら。

 そして答えは帰ってきたが、その声はあまりにも弱々しかった。

『静流? ・・・・静流っ!』

 荒げ発せられる思念の声は、今の頭に痛いほど響く。だがそれが心地よいと感じるのは、痛みに慣れているからかもしれない。しかしラナの声は気丈なモノではなく、恐怖をその身に宿したモノの声。

『大丈夫なのっ!? 死んでないよね、もう一度何か言ってよっ!!』

『勝手に殺すな・・・』

 悪態を付き、感じたのは淡い、暖かみ。それが傷口だったのだろう。かさかさに渇いていた傷口に広がり、漸く戻ってきた感覚はまだハッキリとはしてくれない。

『せめて動ける位に回復出来ないのか』

『無理言わないでよ! あんたまた死ん・・・』

『それでどうした』

 しかし返ってくる言葉は無く、ラナの感じている恐怖が自分の中を侵蝕して来るだけ。

 今更何を躊躇う必要があるのか分からないが、その辺りは聞かずに治療へと専念して貰った方が良い。そう踏み、何も言い返さぬまま名も分からぬ、いや、回復した視界の中で捉えたそれは、傷を抉られ苦痛を漏らすルシエドと、あの時去った筈の神帝ラファエロと言う、少年の姿をした敵。

 だが癒える傷をよそに、痛みが強くなりその根元が何処にあるのかに気付き、その心の変化を感じ取ったのか。ラナの思念が僅かに揺らいだ所で口元だけで笑ってしまった。

 ラナの言いたい事、それは「貴方はまた死んだ」ではないのだ。

 だから笑ってしまう。

 伝承で、殺戮の女神とも謳われている彼女が、これから死に行くモノに、哀しみを感じているのだから。

『いいから・・・動ける様に傷を治せ。多少の痛みはこの際構わない』

『でもっ!!』

 優しさや、暖かみ、愛しさと、哀しさを知ってしまった時、もうそれを捨てる事など出来ないのだ。

 それ故に、弱くなる。

 墜ちるだけの道の途中、それらは自分の身を切り裂く、刃と言う風でしかないのだ。

 だから思い出させる為に、自分の視界を傷つけられ、いつの間にか泣いていたルシを見てラナに言った。

『あいつを殺させる訳にはいかない』

『でもあんたが死んだら・・・』

『まだ、あいつ以外も生きてるんだろう? セフィラと・・・帆村か』

『セフィラが!?』

 僅かに感じる二つの鼓動と、静かすぎる脈動。

 何が起こったのか未だに分からないが、あの光の爆発の後、辛うじて生き残れたのだ。

 その他に感じる生き物の気配は皆無。もし逃げ遅れたモノが居たならば、跡形も無く消えてしまったのだろう。視界で捉えたのは一方的な拷問だけではなく、荒野と化した、大陸一の都市だった場所。

 渇いた大地は、ここに城や、街や、道や、人が居た事など一切跡を残しては居ない。自分が見た、そしてその中で戦っていた廃墟となるであろう、燃える街の方がまだ名残があると言うモノ。それらが全て、荒野へと変えられたのだ。

 地平の果てまで広がるそれは、まるで育った故郷を思い起こさせる。

『ならあの娘を助けなきゃ! 生きてるんなら、あの娘だけは神帝に逢わせちゃ行けないのよっ!!』

 だが悲鳴混じりの声を頭の中に叩き付けてくるラナは更に取り乱すだけで、回復の為の術が揺らぎ痛みに変わる。

『理由を・・・聞こうか』

 だからと言って、この場で自分まで痛がって見せれば彼女が更に壊れてしまうのかもしれないと言う危惧があり、その為に落ち着く声を聞かせたのだが、それは逆効果だったらしい。

『まさか・・・・聞いてないの?』

『何をだ』

『!!』

 そして頭の中に思い浮かんだラナの姿は、涙を流していた。

 理由など、訪ねるのだから分かるはずもない。

 だが、彼女は確かに涙を流している。

 手の中に感じる刀身、彼女のその姿を変えた存在は、何かに共鳴する様、震えていた。

 だから、考える。

 しかし時間が止まっている訳でもなく、神帝と言う、ジハードと名を知らしめたモノの一人は永遠と少女の身を居た見つけ続ける。浮かんだのはラナが、セフィラの事を自分と同じ位に心配していると言う事だけ。決して、そんな顔を見せなかった筈の彼女がそこまでするのにも訳があるのだろう。今、聞き訪ねられない状態だとしても、それくらいは理解してやれる。

 だから、気配を悟られぬよう、死人の様に立ち上がりながら、笑った。

『お前が助けてやれ』

『え? ・・・・ちょっ!』

 気配を消そうと、僅かな空気の揺らぎで此方に気付かれる事など分かっている。だが、それでも動いたのはラナと言う、ラグナロクと言う刀身をセフィラのモノへと届けさせる為。

 罵倒か、それとも悲鳴なのか。頭から離れて行くその声が遠ざかるのを聞きながらまた笑って見せる。

 だが今度のそれは、まさに死人の笑みだっただろう。

 此方を向いた、神帝の顔は醜いモノを観ている様に顔を歪めた。

「まさか・・・二度も生き返るとは思いませんでした」

 しかし直ぐに聞こえるのは呆れた様な声。その手に持ち、高く掲げたルシエドの身体はぐったりとし、意識を失っているのだろう。自分と対等にやり合っていた時の笑顔など、そこにはありはしない。

「勝手に殺してくれるな・・・・。俺はまだ死んでない」

 言って直ぐに、腹に奔る激痛は今まで感じた事の無いモノ。まるで身体の全てを奪って行く様なそれは、命がこぼれ落ちている為か、それとも出血が多すぎる為なのか分からない。だがただ、痛いのではなく、苦しいのだ。

「しかし後、少しの命のようですね。そんな武器もない、死に行く身で私に何か用ですか?」

 嘲笑。

 何処までも見下した様なそれは、顔を歪め目をそらしたくなる程、醜い顔。

 顔の作りだけで言えば決して三枚目ではなく美形と言われるだけの顔なのだろうが、狂気を纏ったその顔は、生きているモノが出来る表情ではない。

 だから、笑ってしまう。

 喉の奥から出る、痛みを堪えながら。

「なに・・・・・んです?」

 声も、徐々に聞こえなくなっている故に、何を言っているか等分からない。ただ、表情を見れば、気に入らないと言う顔をして、疑問でもぶつけているのだろう。自分の笑みに対する疑問を。

 しかしそれもその筈。彼が相手に、その顔に見たモノは、かつての自分なのだ。

 何処までも感じず、ただ、殺戮に興じていた時、くすみ、血に濁る水と、剣と言う鏡に見た自分の顔はあんな風に笑っていたのだ。

 感情を上手く表に出せず、ただ、苦しそうに笑っていたのだ。

 他人から見れば、それはあまりにも自分たちとは離れ過ぎた、仮面に見えたのだろう。

 それ故に、異色の仮面などと言う二つ名を、自分は持っているのかもしれない。

「貴様に教えるつもりはないな」

「まぁ、良いでしょう。来なさい、最後の時間は終わりです」

 言われるまでもなく、だがゆっくりと歩む足取りは遅い。

 上手く動かない身体は徐々に近づいているモノの、神帝の言う通り、時間が差し迫っている為だろう。逆に遠ざかっている様にも思え、やけに遠い道のりだと、場に似使わない事を考えまた笑う。

 そして目の前まで、わざわざ神帝が攻撃しなかったのは多分、自分の苦しむ顔か、呆気ない死に様を笑ってやろうとでも考えているのだろう。この後、待ち受けるだけの宴に酔いして居る様子。

「じゃあ、これでさよならですね。忌まわしき時空の落とし子よ」

 その為に、片腕で長々と持ち吊していたルシエドを投げ捨てそう言った瞬間、彼は最後の力を振り絞ったかの様に動く。

 時を止めた如く、今までで一番重い身体を動かしその手に取ったのは少女が例え気を失ってもずっと握りしめられたままだった、もう一本の剣。それを奪う際、決して離さない剣は呆気なく自分の中へと継がれ、まるで剣自体に意思が宿った様、残った命を燃やしてくれる。

 だが、見抜かれていた。

「この程度の事で、私を殺すつもりですか?」

 動く際、一瞬の隙が出来うる事も十二分に承知していた。その結果、胸に刺さる、少女の剣の片割れは痛みより、意識を遠のかせるのに十分なモノだ。

 しかし見抜いていたのはそうなった、今。

「この至近距離で・・・」

「?」

「避けて見ろっ!!!」

 突き刺さる剣をそのままに、掴んでいたもう一本の剣に籠めたのは自分の意志その物。

 手に持った時から、それがまるで意思の籠もらないラグナロクの様だと言う事は気付いていた。だから、己を映す鏡として、それが造られたモノだと分かる。

 戦いの中で、少女との初めて喜び、笑い逢えた中で感じて居たのだ。

 少女も、その小さな身に、あまりにも多くの罪を背負い過ぎたのだと。

 例えそれに押しつぶされたとしても、それでも進んで行く覚悟があるのだと。

 そんなモノは、自分には無いと、今でも思っている。

 だがその覚悟を決め扱う二本の剣は、誓いなのだ。

 己を映し、決して狂気に走らぬ為の、戒めなのだ。

 故に封じられた力は、開封される。

 それが少女の剣の使い方。

 だから自分も、命と引き替えにそれをやっただけ。

「かっ・・・ひゅぅ!!」

 喉笛を一瞬にして掻き斬られた時、血は一瞬の間を置いて飛び出る。その際、声は一切出せない上に、視界をつんざく激痛を伴うのだ。

 命が消えるのも、一瞬でも永遠でもなく、じわじわとなぶり殺しにされる様、そして一番、苦しい死に方。

 だが、苦しみ血をまき散らせる神帝と言う存在の死に様を見た時、彼は白い顔を更に白くさせた。









 時を同じくして、一瞬と無限の回廊の中で、ラナは彼女に話しかけていた。

 本来ならば、そんな事をすれば通常の生き物の思考と脳は負荷に耐えきれず廃人となってしまうだけ。それを思って、先ほどまで身体を揺すり、何とか起こそうとしていたのだが、視界の隅で捉えた静流の蒼い顔に切羽詰まり、最終手段としてそれを使ったのだ。

 しかし彼女であるが為に、認めたくなかった故に、苦肉の策。

 事実を、いや、真実だろう。解き明かされた、まるで自分の秘密を知った時、認めたく無かったのだ。

 彼女も自分と同じ、いや、それどころではないだろう。

 神族の中に居たが故に分からなかった。同時に、神帝に造られた故に、同じ気配を有していたのだろう。だが真実は、自分の血肉である、ある物質から構成されたラグナロクなのだから。

『セフィラ! いい加減に起きてっ!!』

 それを知ったのは、静流が変わった、自分は統一郎と再会し、彼が三つ色の剣舞と言う伝説の存在と初めて相まみえようとした時の事だ。

 部屋に残った自分とセフィラは、統一郎から、いや、あの場合、魔導神ルドとして話して居たのだろう。静流自身の出生の秘密と、同じくして自分とセフィラが同じ存在だと言う事を。

 静流の出生は、自分が生まれる切っ掛けになった、一人の女剣士の死から始まった。全ては、それ以前からあった、古く死に彩られた歴史だと言うが、そんな事は知った事ではない。

 ただ自分を造り出した、魔帝と言う、ジハードの中で唯一、敵ではない、同時に味方にもしたくはない人物も深く関係しているそれを聞いた時、自分はやってはならない罪を犯したのかもしれなかった。

 静流は、緋色の瞬光と言う二つ名を持つ女、同時に最後の白亜の民(ホワイトエルフ)と呼ばれる種族の最後の末裔にして、自分の兄にあたる、血縁。

 時代が、もし、今の様に動いていなければ。

 虚空(こくう)と言う初めて知った、ジハードさえも適わなかった女の死がなければ、もしかしたら自分は生まれていなかったのかもしれない。

 自分を構成される為に使われた材質は、誰かの血だと言う事は知っていた。力を携えるモノの血は、それだけで様々な武具を生み出せるのだ。それ故に、禁法として知られている技術を用いて、自分は作られた。

 虚空と言う、静流の母親の血を使って。

 だから現在の剣闘師三人の、一閃の雷光と言う、シーグルと言う女性だけは自分の事をあまり良く知ってくれないで居るのだ。

 彼女は、虚空が死んだその場所で、初めてルシエドと統一郎の二人に出合ったと、腕に緋色の瞬光と言うあの時代、最強であった女剣士の屍を抱きながら、泣いていたのだと言う。

 瞳に染めた憎しみの色を隠す事なく、まるで闇をも取り込み全てを破壊せんとする圧倒的な力を見せつけながら。

 ただ、泣いている筈のシーグルが、あの時怖いと感じたと言うのはルシエドの言葉。

 伝説に、自分が四魔境を作ったとあるが、自分が力をぶつけ結果残った傷跡は漆黒の山脈と、灼熱の砂塵と、魔の海域の三つだけ。死の渓谷だけは、自分が生まれる前から存在し、あの土地が棲む者を選ぶ様になった切っ掛けが、シーグルの咆哮とも取れる涙。他の三つはただ、棲まう人外の者達が強いと言うだけで、見ただけでは分からない死の渓谷の様な特徴は無い。

 それは、棲まう者を選ぶと言う、毒の大気。

 既に何年経過しているのかも忘れてしまったが、未だにあそこはシーグルの哀しみの色のままに変わっていないのだ。

 だから、自分とシーグルを重ねてしまうのかもしれない。

 異性か、同性かは関係ない。

 ただ、自分の全てを懸けられる、一番が居なくなってしまう苦しみを味わうことになるかもしれないから。

 だから自分と同じ、造られた存在であると言う共通点を持つ、セフィラに助けを求めている。

 今の自分には静流を助けるだけの十二分な余力は無いが、二本の「ラグナロク」を携えられれば、死すらも跳ね返せるかもしれないから。

 だからセフィラの心に叫び、揺り動かそうとする。

 一瞬の、僅かな時間の中での出来事。

 だがそれ故に、セフィラの声を聞いた時。

 唐突に返ってきた言葉を聞いた時。

『あとはお願いします、姉さん』

「!!」

 自分の腕の中から居なくなる、親が違い、同じ血が流れる妹の顔を見た瞬間、叫んだのだ。

 決して届かない、悲痛の声で。

 そして重なる時間。

 それが、ラグナロクの、いや、ラナ・イアスの使い手である者が、ある名を宿される瞬間へと繋がる。









 笑っている顔。

 決して、死に行く者ではない顔。

 これでは先ほどの自分と、同じではないかと皮肉も吐きたくなるが、首を掻ききられ、それでも笑っている神帝の顔は醜いのではなく、憎しみを掻き立てられた。

 だが後ろへと魔導力の固まりで吹き飛ばされた後、自分の視界を遮るその顔を見た時、驚く。

 先ほどまで見ていた、嘲笑ではなくあったのは笑顔。

 純粋に笑い、自分を慈しんでくれる、セフィラと言う名の女の笑顔。

 だから訳が分からず、言葉が出てこなかった。

 何も言えず、ただ、微笑む彼女を見ているしかない。

 そして彼女の背の向こう側が光った時、彼女は言った。

「生きてください。私の、最後の主さま」

 だがその次ぎあった事は、彼の目をある色へと掻き立てる為の序曲。

 防いで、くれたのだ。

 自分の最後を迎えさせる為に放たれた凶刃から。

 その為に、胸に突き刺さるそれは、彼女の笑顔を崩し、苦痛に堪え、僅かに歪んだ顔は一瞬にして生への執着へと変わる。

 それは、なりきれなかった者の最後の顔。

 死に耐えきれる者など、そうそう居ないのだ。

 それが当たり前。

 そして自分がかつて造って来た、その表情。

 同時に、復讐でも、呪詛でも、忌み嫌う者を蔑む言葉でもない最後のそれを告げられた時、彼の目の前から彼女は消えた。

 光となる訳でもなく、闇に飲み込まれる訳でもない。

 血をその胸から流れさせる訳でもなく、崩れおちる様にして自分に持たれ掛かる訳でもない。

 ただ、砂の様にして舞った。

 全てが、無かったかの様に。

 何もかもが、まるで夢であったかの様に。

「・・・・・・・」

 それでも彼は、今、自分が何を見たのか分からない。

 いや、心が拒絶しているのだろう。

 その一線を越えた時、耐えきれない心がどうなるかを本能的に知っているから。

 だから越えない為に、彼は涙を流す筈だった。

 癒される訳ではなく、耐える為に、心が一杯になった時、それはこぼれ落ちるのだ。

 その為に、涙は存在する。

 哀しみを、悲しみにしない為。

 だが彼は知らない。

 自分が泣く事が出来ない訳。

 涙を流せないと言う、戒め。

 浮き出た身体の紋様は、彼の知らない、彼に取っての世界で唯一の苦しみ。

 ただそれだけでは足りなかった筈。

 そして命運尽きた、とでも言うのだろうか。

「失敗作の分際で、私の邪魔をするとは」

 神帝の嘲る言葉が聞こえた時。

 死者をなぶる、蔑みの言葉が聞こえた時。

 彼の身体の戒めと呪いと、苦しみは、闇を纏い出す。

「静流っ! 後ろへ飛べ!!!」

 誰かの声が聞こえ、間を置く事なく闇が自分を包み込む。

 誰の声だったか。頭の中で思い出そうとしたが、思考が上手く纏まらず、奥へ、奥へと帰すだけ。

 そして闇が去った後、見据えた敵の姿は僅かに揺らぎ、誰かの声が聞こえた。

「・・!!・・・!!!!」

 何もかもが、漆黒に塗り潰され、その身に纏う闇は、彼の身体に刻まれた紋様から浮きで、彼の全てを黒く、闇色に染め上げて行く。

 灰色の短髪は黒煙を纏った様な色へと変色し、白かった肌は褐色の、魔を担う者のモノへと変貌する。

 そして感触。

 敵が何かした訳ではない。自分の変貌が余程珍しいらしく、驚きと畏怖をその表情に乗せ、口を開けているだけだ。

 だがその感触は確かにあり、自分の背を貫き、胸から居出た細い腕は、狂気と言う殺戮の場で出逢い、最強へと導く為の誓いを立てた女のモノ。

 だから、戒めへとなり、僅かに濡れる背中を感じながら、それが血なのか、それとも彼女の涙なのかも分からず彼は言った。

「もう一度、誓え」

「!!」

「最強など、欲しくはない・・・」

 だがそれはあの時の誓いとは相反するモノ。

 武器として使われる事を嫌っている様な節があるのは、彼女に心があるから。

 自分にもあるのだろう。

 違う部分は、哀しみと言う感情が抱けても、それを表に現す事が出来ぬ故。

 そして続けた言葉は、彼女の腕を掴み、剣を、伝説の魔剣。ラグナロクを引き抜き言い放った。

「ただ、目の前の敵を殺す為だけの力を俺に与えろっ!!」

 その瞬間、異形だった剣は、一本の、蒼い刀身を水面の様に揺らめき輝かせ、胸から解き放たれ彼の声に呼応する様、その身を響かせる。

 それが彼の涙の代わりだと、誰も言う事は無かった。

 その身が、あまりにも闇色へと染まり過ぎて居た為に。

 切り裂かれた神帝の身体はそれだけで闇に侵蝕され、激痛に怒号を放ち、同時に「殺してやる」と叫びながら消えて行く。それだけで終わらなかったのは、ラグナロクを開封しただけではなく、静流自身の中に眠る、血族の力を上乗せしてしまったが為。

 まるでその闇色の身に、かつて一人の女であった破片を纏いながら消えた後、残ったのは、彼が居たと思われる足跡のみ。

 ただ、場所を越えてしまった彼らは、次ぎに見たその風景をこう表するしかない。

 色あせた、世界だと。







「・・・・ここは、何処だ」

 変わった、文字通り、移動し見える風景が変わって居た。

 先ほどまであったのは、夜の時間に支配された、かつて人が居たと言う痕跡も残さない、荒野。

 そして今居るのは、沈む夕陽が見える、切り立った海岸の上。

 ただ、言える共通点と言えば、人気と、生きるモノの気配がしない事だろう。僅かに感じたラナ以外の息吹は、皆無だった。

「多分、あんたの本当の故郷だよ・・・。聞いた事があるから」

「そうか」

 それが嘘かどうか等は分からないが、言われた途端、胸の傷ではなく、その奥が痛むのは何故だろうか。

「ねぇ、静流。これから・・・・どう、しよっか・・・」

「・・・・・」

 訪ねられた意味は分かるが、決めても居ない事。

 気になる事と言えば、手に残る、神帝を殺した時の感触が妙に違和感があると言う事ぐらいだろうか。

 だから思い浮かんだのは、もう一度あの場所に帰ると言う事。

 自分を愛していると言ってくれた、あの女が死んだ場所へと。

「ここは・・・・最西端か」

 日が沈む方向を見ながらそう呟き、踵を返す。

「ちょ、ちょっと・・・」

「皇都へ行く。殺しきった確信が持てない」

 だが、沈む陽を背中に背負うのは皮肉だろうか。セフィラが砕け散った瞬間を思い出し、また胸が痛む。

 だがそれは一度染まってしまった、闇の身体に永久に残り続ける事はなく、僅かな凝りを残して消えてしまうだけ。

 そして彼は真東を、大陸の中心を目指しながら歩き始めた。

 その、漆黒を思わせる身体を、陽炎の様に揺らめかせながら。

[ACT SELECTION]