時間も、天気も、世界も。
その全てが今の彼女に取って興味を抱けぬ存在ばかり。
稀に来る客人もどちらかと言えば興味を抱く前に死んでしまうだけだろう。自分は一体どれだけ強くなったのか等、全く分からないのだ。
ただ、ひたすらに強さを求めている理由。
これ程までに、敵と対峙したときに喜びを感じる理由。
自分があまりにも異質で、一体何者なのかと言う疑問。
朝、起きたときに毎回頭を駆けめぐるそれらは決して答えにならぬ、誰も答えてくれない、永遠の問い。
だが、そんな気分の悪さも、周りの風景から来ているのかもしれない。
据えた腐臭と、死肉を喰らい生きようとしている獣達。だがその食われている肉片は、一つとして原型を留めていない物の、ケモノではなく、かつて人の形をしていた者達ばかりなのだ。
「・・・・旨い、か?」
そして何の気は無しに、いや、いつも朝、こうして聞いているのかもしれない。
だから薄汚れた銀色の毛並みも、濁った金色に輝く瞳も、その内に秘める名も知らぬ狼は、甘える様に声を出したのだろう。
「そうか、旨いか・・・」
無論、ケモノの言葉が理解出来る訳ではなく、感情の波を読み取って、多分、そう返してくれたのだろうと言う予測のみ。
一体、自分以外で此処で同じ思考を巡らせる事の出来る存在が何人居るのだろうか。
その疑問を抱き、夢見心地だった頭が冴えた所で、彼女は不適に笑みを漏らす。自分が、その同じかもしれない存在を殺して屍と言う山を築いているのだから。
彼女の朝は遅く、既に昼近くと言っても良い時間だ。だがこの場所、何と呼ばれているかすら忘れてしまった森の中で、日課と言ってもする事など決まっていた。
何時、何処で、どんな風に。
毎回、そんなフレーズが頭に浮かぶが、決して開かれぬ扉の様に、その疑問の答えは見付からない。
だが、自分の携え、そして数少ない友人の作ってくれた剣の手入れが日課と、唯一、する事。
後は、こんな風に屍の山の隣りで寝るにはあまりにも寝心地が悪すぎる故に、塒を変える事くらいだろう。その時に思い出すのは誰かの言葉。
「屍の上で育った、か・・・」
自分も似た様な境遇で、現実と幻の区別がつかぬ故の自分の言葉なのかもしれない。だが、死体の上で寝る趣味は無く、形を留めていても精々四肢が無く、首と胴体だけの肉片でその殆どは細切れ状態だ。ベットと言うよりもただの血溜まりや、肉溜まりとでも言った方が正しいかもしれない。
だが立ち上がり、気付いた時に隣りに居るそれは、幾日も前から居る様な気がする。
「また・・・着いて来るのか?」
無論、ケモノ、元は綺麗に輝いていただろう銀色の毛並みを持つ狼は、言葉など返さない。
ただ、その濁る瞳を此方に向け、まるで主に忠義を尽くす騎士の様に、自分の行動を見守り、それと共に在りたいと願う心が分かる。
「お前は・・・いつからそこに居るんだろう、な」
自嘲気味の笑みと共にこぼれ落ちる言葉は、決して届き、理解してはくれないだろう、音。
まるで何を言っているのか分からない。どうしたのか、とでも聞きたげに首を傾げている様も、思いこみだろう。
彼か、彼女かも分からない、それと同じ視点になる様に屈み、その頬に触れてやる。
「人に・・・慣れているんだな。お前は」
優しさでも、憎しみでもなくただ触れるが、されるがままになる鈍色。
ケモノにあるまじき行為だと思った瞬間、少し離れ、そしてまた、自分を見据えるだけ。
「行く・・・か」
何を考えているか等、ハッキリとは分からない。
群れからはぐれただけなのか、それとも生まれた時から、自分の事を親だとでも思っているのか。単に、近くに居れば飯にありつけるから居るのかもしれないが、何にせよ、帰る場所が無いのは自分と同じなのだろう。そう思った瞬間、瞳に宿る色が、悲しげに揺らいでいる様にも見えるのは、幻。
自分のペースで歩き続けても、それは常に隣りに居続ける事を望んでいるらしい。
もしかしたら、その毛並みも自分の近くに居るが故に、血で汚れてしまったのかもしれない。
だが、同じ血で汚れているとしても、自分とではあまりに罪が違いすぎるだろう。
それは、食べる為に、殺すのだ。
生物であるが故に、他の生物、例えそれが植物であろうと、有機物で構成された何かを補食し、食べなければ生きては行けない。
だが、自分はどうだろうか。
一体、何年前から食べ物か、それのかわりとなる物を口にしていないのかすら忘れてしまった程だ。
覚えている事と言えば、多分、百年以上昔だろう。中央にある、今は多分、皇都と呼ばれている場所に行き、戦争に荷担した時ならば、何か食べたのかもしれない。その頃から時間感覚がおかしくなり始め、狂っていると言われても、そうなのだろうなとしか答えようがない。
満たされぬとは言え、食わなくとも生きて行けるのならばそれにこした事は無いのだ。
菜食主義を貫いている訳ではない。肉を食わないからと言って、植物しか食べないのは命を喰らっていると言う矛盾に気付かないだけの愚者のする事だ。
最も、血の臭いと、屍が重なる場所を見るだけで満たされたと錯覚する心は、やはり病んでいるのだろう。
歩む足並みはまるで何かを覚えている様に森を歩き続け、やがて出た場所は、昼間だというのに陽さえ殆ど届かない森林の中とはうってかわり、まるで闇から光へと移り変わったかの様にひらけ、長めが良い、滝壺。
轟音と言うほど流れが速い訳ではなく、滝と言うより、せせらぎか水源が岩の上にある故に出来た、霧と雨の間の様な、水辺。
「お前も少しは綺麗にして置かないと、病気に冒されるぞ」
言った所で意味も成さない言葉だが、まるで理解する様にして水辺へと行き、また、此方を見るだけ。
何が言いたいのかは分からないが、今は自分の身体を、少なくとも見える範囲で着いた汚れは落とさなければならないだろう。湿気をあまり含んでいない枯れ木を集め、それで足りない分は青々と茂る若木を剣で切り落とし、火を付ける。
と、言っても、火打ち石や、炎系の魔導が使える訳ではなく、彼女の場合は、異常と言えば異常だろう。
居合いと呼ばれる技術を少し改変した様な技で、大気を少しだけ燃やすのだ。
頭で知り得ている知識だけで、そこまで出来ると言う事自体が矛盾している様な気もするが、それが自分の実力、強さと言う証明なのならば疑問にもなり得ない。
薪に火がついた所で、服を無造作に脱ぎ、水の中へと投げ入れて行く。
後は、僅かな流れとは言え、底は深いのだろう。抜き身になり火と陽の光に照らされた剣だけを持って、裸身のまま滝壺へと自分の身を沈める。
水浴びをする、と言うよりも、浴槽に浸かる様にして入るのは、今更、女である事を意識する様な感覚を持ち合わせていないから。そして何より、剣の重さで深く、深く沈んで行くだけの身体には空気ではなく、澄み切った水だけが身体の周りを支配し始めるのだ。それ故に、泳ぎ出る時に、対外の汚れは、水の底へと沈み、自分だけが水の外へとはい出る事が出来る。
だが今は、足に触る、冷たい感触と共に、水の底に立ち、持っていた剣を、目を閉じ構えるだけ。
そして心を鎮めた時、彼女の中に宿るのは言葉にならない、想い。
それを水へと流し、自分の身体にまとわりついた気泡が上に登って行く様を見ながら、胸中で呟く。
『・・・・』
ただ、それは言語と言うよりも、音と言った方が正しいだろう。
形にも、意味もならないそれ。
ただ、振動となって、彼女の周りにある全てのモノに反応し、力が渦巻く。
静かに目を開け、見える物は、暗闇に支配された、水と言う世界の情景。
生きとし生ける物の発祥点であり、全てはここから始まり、ここに終わるべき、空間。
だが彼女はその世界の中で異質。
反発され、制御し損ねれば存在その物すら消してしまう。
それが、意思ある物ではなく、創世の時から決められている、理なのだ。
もしそれが、魔導と言う力ならば、彼女は異質ではないのだ。
世界が受け入れる事の出来ない力など、そもそも創り出し、携える事など以ての外なのだから。
しかし彼女はそれを持ち、そして扱う事が出来る。
数少ない友人が言っていた事だが、魔導の体系その物を根本的に改変でもしない限り今、自分が使っている力は存在出来ないのだと言う。
『名は・・・何と言ったか』
息苦しくもならないのは、認めたくはないが自分が半分死んでいると言う証。
そもそもの存在自体が、あまりにも違い過ぎる故の副産物なのだろうか。
自分は一体、何者なのか。
そんな疑念を抱きながらも、収縮した力をある部分へと籠め、見あげるのは光り輝く天井の水面。
そこはまるで、世界を切り取って硝子張りにした様な風景。
こちら側が、自分の世界なのだと認めてしまった瞬間、多分、死ねるだろうとは思う。
だが理由など分からなくとも、例え己の中に生きたいと言う意志があったとしても、それが何故かすら忘れてしまったとしても、自分は死ぬ気は一切無く、だから今、居る世界を壊す為に力を放つ。
水と言う抵抗があるにも関わらず、動く腕とそれに沿って水中を切り裂く剣はゆっくりと、ゆっくりと世界を切り裂いて行く。
もし見物人でも居れば、ただ水の中で剣を振り回しているだけに、見えただろう。だがその切っ先が揺れ動き、乱反射する空を指し示した時、それは起こる。
視界が、闇に閉ざされ、光が辛うじて届く筈だった、水の奥底。
それが一瞬にして明るく、まるで不純物を含まぬ純水になってしまったかの如く、空から降り注ぐ光を取り込み、何処までも照らして行くのだ。
これが魔導でなければ、一体何なのだ。
見た者は、誰しもそう言い、覚えている限り、何処かの山の斜面を作った時も、似た様な事を問われた気がする。
だが魔導に長けた者ならば、誰しも分かってしまう。
理不尽や、不可解、不可能と言った言葉が羅列されるのだろうが、目の前にある現実は変わらない。
彼女はそれを、魔導力無しで、剣技と言う物質的な領域のみでやって退けるのだ。
構造など、やり方など、何より、自分が何故こんな所業を出来るのか等、覚えても居ない。
ただ頭の中にある言葉は、例えこれだけの力があったとしても「助けられなかった」と言う叫びだけ。
「・・・・」
それを思い出す度に、胸がきりきりと締め付けられる様に痛み、苦しくなる。
水の中だと言う事も忘れ、口の中から漏れ出すのは酸素が形となった、歪み。
ひたすらにそれを吐き続けるモノの、息苦しくもない筈なのだが、このときばかりは違っていたのだろう。
視界が暗転し、消えゆく意識の中で見た何かは、自分の中に無い、他人の記憶の様。
そしてもう一度目を開けた時、映ったのは眩しすぎる空と、濡れた身体の、あの銀髪の狼の顔。
「どうした・・・?」
言ってしまってから、その言葉は目の前に居る、この狼が言いたい言葉なのだと、微笑んでしまう。背中に当たる、ごつごつした小石の感触から考えても、どうやら助けてくれたらしい。わざわざ手の中にある、握りしめていた剣すらそのままに、だ。
「お前は・・・何故私に着いて来る」
だがまるで対話する様に言葉は返ってこなかったが、視線だけは心配していると言う色を宿らせ、自分が言葉を持たぬと言う事を理解しているのだろうか。もどかしさすらその瞳の奥には灯っている。
「何が言いたい」
しかし、彼女の対応は、冷たく突き放すだけのモノ。
ケモノにあるまじきその感情は、同情と言う名の施しだったから。
少なくとも、彼女には、そうとしか受け取れない。
「そんな目で・・・私を見るな」
浮かぶ表情は嘲笑なれど、心の中はどれほどの風が吹きすさんでいるのだろうか。
誰も、彼女の過去は理解出来ないだろう。
壊れてしまったそれが、再び同じ形になる事など有り得ない。
思い浮かぶのはどうしようもない程、失ってしまった昔の記憶。
何時の頃からかすら、既に忘れ去った、自分の辿りし時間の流れ。
辛うじて覚えている過去は、腕の中で誰かが死に行く様を、ただ見ているだけしかない自分の姿。
それが誰なのか。
自分は何故、涙を流し、あんなにも怒りに任せ、吼えているのか。
死に行くモノの顔は、霧がかかった様に思い出せず、狂った故の、事なのかもしれない。
動物の親が、自分の子を襲われると思った瞬間、自らその子供を喰らう様に、自分は腕の中の誰かを喰らっていた。
「・・・・何処かへ・・・・行ってしまえ」
思い出す度に、全てを拒絶して生きて来た時の呟き。
その度に、幾人友人を失ったのか分からない。
誰もが離れ行き、誰もが彼女の事を疎む。
顔を両手で覆うようにして視界を遮り、口から出てくる言葉はまるで呪詛の様な声。
一閃の雷光、黒い雷光(ブラックスパーク)などと言う二つ名の裏で知られていない、もう一つの忌み名。
呪いの囁き(ウィスパード・カース)と言う忌み嫌われ、蔑まれる時に使われる、自分の名前。
そして決して止められぬそれは、何かに縋りたいと言う気持ちの表れなのかも知れない。
所詮、何処まで強くなろうと、誰かと共に居たいと言う寂しさを紛らわせる事など、出来るわけはないのだ。
思う、顔と、誰かの、声。
ひたすら、必死になっているのは自分も同じだった、遥か昔。
誰かと共に生きると言う事を知ってしまったが故の、苦しみ故に、耐える方法など、有りはしない。
そう、かつて自分は知っていた筈だ。
一番大切と言われる、時間を共有した、一番の友人の事を。
だが、生きる為だろうか。
いや、それですら無いだろう。
自分の友人であろう、死肉を喰らい、こうして生きているのだ。
食べる必要など、何処にも無いのに。
「・・・・・・」
気が付いた時、いつも自分の頬をつたっている何かは、決して輝きはしない。
顔を上げ、辺りを見回し、誰も居なくなった時に感じるのは、安堵感と、絶望。
また一人だと、思うたびに笑みがこぼれ落ち、彼女はそれをまた、流す。
だが、違う。
「誰、だ・・・」
気配を感じ取ったのは、いつもならもう少し早かっただろう。ここまで接近されても気付かなかった事を思えば、余程自分はおかしくなっているのかもしれない。
だが、頭の中で何かの声を聞きながら、彼女はそれの言葉を聞いた。
「す、すまん。覗くつもりはなかったんだが・・・・」
焦る様な言葉の主は、声色から考えて四十過ぎぐらいの男だろう。自分が裸になり、横たわっているのが謝った原因らしいが、既にそんな感覚は持ち合わせていない。
剣だけを持ち、立ち上がった彼女は、心の中に風が吹き荒む風がまた強くなった様な気がして、声を出すが、その言葉はもしかしたら場違いだったのかもしれない。
「服を・・・」
「?」
「服を乾かしたいんだがな。もう一度、薪を広いに行かなければならない。手伝ってくれるか?」
もし、敵であれば、後ろから刺される事など珍しくもなく、自分の顔が笑っていたのは、間違いないだろう。
白を主体とした豪華な服は木々の枝や草の青で薄汚れて居る男の顔と、何時の間に消えてしまったのだろうか。まるで水をぶちまけられた様にして消えていた薪を見ながら、彼女はしばしの間、声もなく笑い続けていた。
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