身体に掛かった男に貸して貰ったローブは暖かくも寒くも無く、渇かすだけならば裸身を晒していたい所なのだが、それを必死に止める男は滑稽にしか見えない。
歳の割に奥手なのかもしれない、と考えもするが、無理矢理抱くかもしれないと言う煩悩でも必死に押さえているのだろう。
血にまみれた手と身体と、罪を背負う躯を抱きたいと思っているかもしれないその反応が分からず、また笑ってしまうが、その笑みは何処までも虚しさをたたえるだけで、決して楽しみや喜びと言った感情を含むことなどなかった。
「で、何用だ」
唐突に聞き、男は拾ってきた薪を落としそうになりながらも、何処か緊張した面もちで返す。
「統一郎に言われて来たんだよ。お前さんが必要だと聞いてな」
「・・・・?」
だが聞き覚えのない名前に、反応はそれだけしか返せない。置かれた薪に火を付ける様、屈む男は魔導も使えるらしいが、そこまで面倒を見て貰うつもりではなく、鞘すらない剣を煌めかせる。
それだけで炎が起こるのは余程不思議な事なのか。しばし唖然としていた男は突然、子供の様にはしゃぎ訪ねて来た。
「もしかして、それが異界の魔導って奴か?」
心得があるからこそ、不思議に思うのだろうが、ハッキリと答えてやる義理もない。第一、統一郎と言う名前に聞き覚えすらないのなら、この男が探しているのは自分ではないと言う事。
だが、そう言った諸々の考えが表情に出ていたのか。もしくは読心術の類でも用いているのかもしれず、単なる勘かもしれないが、男は当てる様に言った。
「あ、忘れてたぜ、初対面で自己紹介がまだだったとはな。
それがしは、皇都ガ・ルーンに所属する北方魔環師、ホアン・ガ・リューテスだ。
貴女、シーグル殿を迎えに参った」

アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:DARKNESS VOICE
礼儀正しく、貴族のマナーと言われる礼をしながらそう言うモノの、それならば何故最初からそうしない、とでも毎回言われているのか。反応を返さない自分の顔を何処か遠い目で見ながら待っている様子。だから言ってやった。
「で、何用だ」
「・・・・・・」
堂々巡りをしている、と、考えたのは男、ホアンだけらしいが、興味が無い彼女に取っては、どうでも良い事なのだ。
今更一番新しい、そして馴染まない名前で呼ばれた所で、ぴんとは来ない。
「あんたが・・・シーグルさん、だよなぁ?」
「ああ」
「そ、そうか・・・」
だから何故、男が自分の名前を再び聞き返し、分からないと言う顔をするのかが理解出来ない。何度も呼ばれては癪と言うモノ。第一、彼女はその名前で呼ばれるのが好きではないと言うより、嫌いなのだ。
「レイドだ」
「?」
「ガは要らない。どうせならレイドと呼んでくれ」
「わ、分かった」
それ故に馴染みのある、名前を教えたのだが、皇都から来たと言うのであれば「ガ」と言う名前を付けるなと言ったのは失礼に当たるのだろう。仮にも皇都の称号でもある名前であり、同時にその名前を持っているのは、覚えている限り自分を含め三人の剣闘師だけだ。しかし、制度か、それとも法律自体で変わったのかもしれない。魔環師と言う職種は知っているモノの、北方<ノース>と言う方向名をわざわざ付けた名前は知らない上、彼もまた「ガ」の称号を持っているのだ。
だが、案外そう言う事を気にする男ではなかったらしい。
「なら俺もホアンか、リューテスか、好きな方で呼んでくれよ。
・・・っとこんな言い方はあんたに対して失礼かな?」
皇都での立場的な事を説明すれば、彼よりも自分の方が位は上なのだ。ただ、それは昔の事だとばかり思っていたが、未だにそうだったらしい。
「普通に話してくれれば良い」
「助かる。どうもこう、敬語とか丁寧語とかは不便なんでなぁ。育ちが悪い所為もあってよ」
そして人懐っこい笑みを浮かべ、子供の様に彼は笑った。かなりがたいの良い身体で、もうすぐ初老の域に達しようかと思う顔つきなのだが、その笑みだけはやたらと似合って見えるのは彼の人間性が出ている為。だが当初の目的を忘れていたのだろうか。気付いた様に話を切り替える。
「統一郎って、知らないのか? あんたがシー・・・じゃない、レイドなんだろ?」
「ああ」
「三つ色の剣舞の事だぜ?」
「あいつも、名前を変えたのか?」
少なくともその二つ名には思い当たる節はあり、統一郎と言うのではなくルドと言う名前で見知っては居る。と、言うよりも、縁深い友人と言っても過言ではなく、多分、そうだとしか言えないのは彼女自身の心の問題、否、掠れた記憶の問題だろう。
「知らなかったのか? 20年くらい前から、あいつはずっと統一郎って名乗ってるらしいが」
「最近逢ってないんでな」
「何年くらいだ?」
「さぁな・・・。以前、皇都が戦場だった頃に逢って、それ以来顔も見ていないが」
時間感覚の違いか。それとも単に、気の長い奴だと思われているのかもしれない。しかし、これ程表情の読みやすい男も珍しいのではないかと思うほど、彼の顔は胸中を物語っている。要するに、呆れかえっていた。
「って、まぁ、それまでずっと一人だった訳じゃないんだろうしな。お前さんも気の長い・・・」
「まともに返事を返す相手は」
「おう?」
「お前がそれ以来だ」
「・・・・・」
そしてまた沈黙するホアンをよそに、言ってしまったからか。あの鈍色の狼の事を思い出してしまうが、自分に愛想を尽かし、何処かに行ってしまったのだろうと、また、憂いを含む笑みを漏らす。
いつも、そうやって来たのだ。
今更、どうこう言おう所で変わる訳はない。
頭の中で呟かれる、諦めと、寂しさとを入り交じらせたその言葉に彼女自身は気付かない。
一体、自分が何をしたいのか。
何を欲しているのか。
貪欲な望みなど無く、ただ、生きているだけ。
必要とされもせずに、生きて、何が楽しいのだろうか。
「用件を言って、さっさと行け。私はあんたにも、ルドにも用は無い」
だからそう言って、貸して貰っていたローブを渡し、既に渇いたであろう、服を纏い始める。
頭の奥で感じるそれは、狩人の様な誇り高いモノではなく、間違いなく殺しと言う所業を楽しいと感じる狂者の感覚であり、何処までも汚れてしまった、堕ちたモノの意思なのだ。
鼻腔と言うより、もはや感じている器官は心と言う名の形無きそれらしい。誰かが自分の様に、他者の血を纏うのが手に取る様に分かるのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺はあんたを連れて来いと此処に」
それに対し、ホアンがそう言う反応を返して来るだろうと言うのは当たり前に分かる。
しかし、皇都の戦争以来、既に百年、いや、二百年以上、時は経っているだろう。それなのに戦う事と、殺す事以外、必要もないのに覚えている自分が可笑しかったのかも知れない。
剣の一降りで火を消したと同時に言ってやる。
「邪魔をするな」
「!!」
緩やかな風が流れ、自分のまだ湿った髪を梳かして行く。
その色が、変わるのは自分の生まれた時からの特徴だったのだろうか。漆黒だったはずの長い髪は何処までも、絶えず燃え続ける様な緋色となり、徐々に夜へと移して行く時間の中で、まるで夕闇と同じくらい、闇を照らす光となる。
いや、それは光ではない、だろう。
神々しいまでの雰囲気など何処にもなく、あるのはただ、何処までも深い、憎悪の色だ。
昔、誰かに聞かれた事があったが、理由は覚えていない。
自分は何故こんなにも、楽しいと感じているのに、憎悪を抱くのか。
人を殺す事を躊躇わず出来るのに何故、名も、顔も、存在すら知らなかった者達が憎いのか。
「た、頼むから俺の話を」
「お前は・・・死にたいか?」
「・・・・・」
自分の気配が変わった事で、そこに立ちすくむ男が一人。
名前と、顔と、他の何かを知っているからかもしれない。殺したいとは、不思議と思わなかった。
だが邪魔をするのであれば、他者と同じ。
そこに躊躇いなどは欠片もない。
しかし、次の行動があるから。
そう言った行動が取れる男だからなのかもしれない。
久しぶりに、殺したくないと思ったのは。
「し、死にたかないが、あんたを「そのまま」で行かせるなと、言われた」
「ルドか? そう言ったのは」
「ああ。そうさ・・・・だがな。確信が持てた」
「?」
「止められるとも思えないが、止めてやる。
あんたがルドの友人なら、俺の友人でもあるからな」
途端、汗が噴き出したのは男の顔を見れば分かる。反射的に殺気を放ってしまった事には後悔しないが、それだけで魔導の様に、物質的に威力のある行動なのだ。耐えられると言う事は、それだけの何かを見続け、見届け、耐えてきたと言う証。
足は震え、正直、逃げ出したい気持ちなど手に取る様に分かる。
そして分からないのは、彼の言った言葉の意味。
まるで矛盾している様でしていないが、理に適った言葉ではないそれと、そうまでして、命を失う危機を本能で悟っていてもそこに留まり続ける意思だ。
「初対面だ」
だから、何故か迷いを抱く心でそう言ってやったが、返ってきた声は、鏡の様にあるがままを嘘偽り無く、ただそこだけを反対に映し出すモノではなく、自分の想いで選び、同じになった言葉。
「ああ、初対面だ」
「・・・・・」
それ故に、まるで理解出来ないモノがそこに居る様、彼女は目を細めもう一度彼を見た。
今まで、こんな男は何処にも居なかったと。
だがそれは、感情があればの話し。
消え行く記憶と、ただ、ひたすらに殺し続けるだけの彼女に、そう言ったモノは不必要とされて、いつの間にか声に反応にするようになったのは身体。
腕が伸びた時、辛うじて止められたのは迷いがあったからだろう。それでも彼女の剣、びっしりと紋様が刻み込まれ、まるで黒刀身の様なそれは彼の首筋にぴたりと添えられて、殺気と、怒気だろうか。
「行け。二度を私の前に姿を現すな」
止めた故に発した声は冷たく、身を切り裂く程の具現化能力すら有している様に、彼の頬に赤い筋が走り血が滴る。
緊張が走っているのだろう。この弱い、彼女にはあまりにも脆弱に映る男に躊躇う理由が見付からず、相手の反応をただ、待つだけ。
そして男が目を閉じ、もう一度開いた時、彼は震えを我慢する様な声で言った。
「じ、じゃあ、約束。してくれ・・・」
しかしその続く言葉を聞く前に、頭に流れ込んできたのは彼の思考だろうか。
殺す瞬間、たまにこうやって相手の思考と記憶が流れ込んで来る時があるが、彼の場合、嘘が付けない、良く言えば表裏の無い性格、悪く言えば馬鹿なのだろう。言葉を選ぶ際に、様々な情報が自分の中に流れ込んでくる。
だがその中で最も重要と思える事柄を垣間見た瞬間、聞こえた声は、別のモノだった。
「頼むから休んでくれ。あんたもう、ボロボロじゃねぇか」
「・・・・・?」
理由など、分かる訳もないだろう。彼の中にあった一番の優先事項は間違いなく、自分を皇都へと連れ帰り、戦力に投入する事だった筈。
昔あった事。その殆どを忘れてしまったが、六帝(ジハード)の名を聞いた時、思い出したのは殺意以外の何者でもなかった筈だ。
何があったのか。
何がどうしたのか。
何が始まり、終わりを告げ、そして新たな時代が何時の間に来ていたのだろうか。
それらのただ中に居た筈なのに、覚えているのは、六帝の一人である男の顔だけ。
嘲嗤い、ただ、此方に視線を向けるだけのあの顔は、いつまで経っても忘れた事など一度も無かった。
終わりを告げたあの時でさえ、消えぬ憎しみは自分の身体を蝕み続け、何処までも眠れず、痛む身体は今も続いているのかもしれない。
そして六人全員とは行かないらしいが、甦ったらしい。その六帝を倒して欲しいと言うのが、彼の要望だった筈だ。
だが漏れた言葉は全く別の、自分に対する、要望なのだろうか。
この瞬間にも、少し動けば彼の命を絶つことが出来るのは自分の筈なのに、助けてくれとは一言も言わず、気遣っているのだ。
他者の、それも自分の命を奪いかねない相手の身体を。
「・・・・」
それが理解出来ず、剣を降ろすが、取れた行動は一つ。
「お、おい」
「来るな」
「だが・・・」
「来るなっ!!」
「・・・・・」
声を荒げ、踵を返しその場を離れる事だけ。
心の中にある葛藤さえ煩わしく、聞こえる何かが、自分を呼んでいる様に誘うだけだ。
そして思い出した様、頭の中に響いた自分の声は、告げた。
『天帝・・・』
自分が先ほど感じた殺戮の匂いは、間違いなく、ジハードと名乗る六人の敵の匂いだと。
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