昼間、陽は高く輝き、何処までも晴れ渡った空は、久しぶりに見た気がする。

 そもそも、陽の光など、ここ何年浴びていなかったのだ。色が抜け落ちた様な自分の肌が嘘の様に白いのも今日、初めて知った事。

 だが一番驚いた事と言えば、自分がこの皇都防衛の為に幾万の兵を一人で倒したと言う歴史が、既に2000年以上前の話しだと言う事。

 道中、取り立てて必要でもないのだが、黙って行くだけの旅は耐えきれないらしいホアンに色々と喋らせて分かった事だ。

 しかし驚いたとは言え「そうか」と相づちを返しただけで、ホアンはそれが不満と言うか、納得できないと言うか。

「ホントに、お前さん達は時間感覚がずれてんじゃねぇのか?」

「知らん」

「はぁ・・・」

 一言で返すのも悪いとは思う。しかし、この男だからこそ、信用しているからこそ、一言なりと返すのだ。

 本来ならば殺気で萎縮させてしまうのだから、マシと言えばマシな部類。

 そして幾日か経ち、皇都。2000年ぶりに帰ってきた時、そこにあったのは昔見た片田舎の様な風景ではなく、やたら騒がしい、城下町だった。





































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:DARKNESS VOICE





































「・・・・五月蠅い」

「あー! なんだってー!」

「さっさと行け」

「だからー!!」

「・・・・・」

 第一印象は、違った筈だ。

 皇都全体の地図を見せて貰ったのだが、街の中心に城があり、それを中心に十字を書く様にして街は四つに区分けされている。

 その中でここは南西に位置する地区であり、商店街と言う所らしい。今日がたまたま市と言う事もあり、人がこれでもかと言う程溢れているのだ。わざわざこの道を通らなくとも、城に行けるのだから別の道にすればいいと言った筈なのだが、案内される身としては、連れて行かれるだけで文句も言える立場ではない、らしい。

「あ、ホアンさんっ! どうだいっ、今日も良い材料揃ってるよっ!!」

「悪いっ! 今日は連れが居てなっ!!」

「ホアンの旦那っ! 今日はイイヒト連れてるんですかい!!」

「ば、馬鹿野郎っ! そんなんじゃねぇよっ!!」

「おっちゃーんっ!! 今日は遊んでくれるのー!!」

「仕事だからダメだなっ!! また今度なー!!」

 そして、これである。

 多分、こう言った場所に自分を連れてきたかったのだろう。ただ一言、相づちを打った部分を心配してか。それとも単なる当てつけかは分からない。

 最も、彼女からしてみればお節介にも程があるのだ。元来、こういう場所は苦手だった気がする。

「ホアン・・・。静かな場所は」

「なんだってー!?」

「・・・・」

 言ってもムダだと分かり、一人、何処かに行こうとも考えてしまうが、相手の仕事の事を考えればそれは悪いだろう。その上、一人で城に入るのも多分、無理だろう。

 自分の顔と素性を知っている人物が居るとすれば、思い出せるだけで四人。その内、この皇都に居そうな人物は二人。その内一人は当てに出来ず、結果的にそう言う顔が広いと言う事で考えれば、最後に残るのは一人しか居ないのだ。

 それ故に少し考え、思いついた様にホアンの体制を崩し自分の目の前へと顔を持ってくる。

「ホアン」

「な・・・んあ?」

「静かな場所に連れて行け。五月蠅くてかなわん」

「あ・・・・」

「聞いて居るのか?」

「・・・・わ、分かった! 分かったから離せ!!」

 怖かった、と言うよりも、顔が赤面している所を考えるとそうではないらしい。

 これだから男と言う生き物は、とは考えないものの、どうしてかは聞いて見たい所。とは言え、こんな場所では落ち着いて話しも出来ないので聞く気も失せる。

 案内された店は、市場から離れた所にある、喫茶か何かなのだろうか。やけに若い連中が多い所を除けば、至って普通の店だ。

 そう、少なくとも、帯剣して入る様な店ではないのは確かな事。だからと言って気にする彼女でもない、が。

「ここなら静かだろ?」

「そうだな」

「・・・・」

「・・・・・」

 それを狙って、来たのだろうか。

 分かり易い表情は、何処か不満を残す、どころではない。あからさまに大不満と言う顔をして此方を睨むホアン。

 だから漸く分かった様に、ゆっくりと言ってやる。

「からかって、居るのか?」

「ふつー・・・そう言う事は言わないんじゃないのか?」

「さぁな」

 溜息を吐きたくもなるが、これが彼の気遣いだとすれば、無碍にする事もないだろう。受け取るつもりもさらさらないが。

「金は」

「?」

「持ち金は無いぞ。奢るんだろうな」

「良いぜ、ルシちゃん見たいに大食らいって訳でもないんだろ?」

「・・・」

 どういう基準で見ているのか。それともまだからかっているかは分からない。

 頼んだ品は、酒が一瓶だけで、何か食べようとも思えないのは思い出すからだ。

 しかし何を、と自分に問いかけた所で、懐かしく、そして未だに慣れない声が聞こえる。

「あー! ホアンのおっちゃん、レイドと何で一緒なの?」

「げっ、ルシっ・・・・。奢らないぞ、お前には」

「なんでよもう。でも、久しぶりだよね、レイド」

 背は、ことのほか小さい。自分が椅子に腰掛けていると言うのに、その身長はまだ自分の顔を見あげて、髪型を変えたのだろうか。お気に入りだったらしい、尻尾の様なテールは二つに増え、よけいに幼さが目立つ。そして極めつけは背中に背負った、自分の身長と同じほどの二本の剣。

「ああ、そうだな」

「レイドはトーイチローみたいに剣修理してくれとか言わないの?」

「折れる様な使い方はしてない」

「まー、確かに折れない様に造ったんだけどね。切れ味とか落ちて・・・聞くだけムダ、か」

「そうだな」

 同じ言葉だけを返し、仕方なさげに笑う少女の表情は、昔の姿を思い出させる。

 この皇都が誇る魔環師の他に居る、三人の剣闘師が一人、二対の形無しこと、ルシエド・ディアス・ライゼスと、同じく一閃の雷光こと、シーグル。

 もし、統一郎と言う名になった、ガ・ルドの三人が揃えば、何年ぶりになるのであろうか。少なくとも、二千年以上、揃った事など無い筈。

「あ、そーだ。リーゼにも紹介しなきゃね。おーい!」

 後ろを振り返り、手を振る様など少女以外、何者でもない。だが自分が覚えている彼女の本当の姿は、自分と同じくらいの身長と、鋭い瞳が印象的な女性だった筈。

「ほら、リーゼ、これがレイドちゃん」

 そして呼び出したのは丁度、ルシエドの母親にすら見間違えてもおかしくない年頃の女性が一人。分かる事と言えば精々ホアンと同じくらいの実力を持っている事と、後は緊張している事から、礼儀作法はホアンよりも正しいと言う事だけ。

「お初にお目に掛かれ光栄ですガ・レイド様。
 私、リーゼ・ガ・ストラストと申す者。僭越ながら東方魔環師を役職に頂き・・・」

「別に畏まらなくて良い。堅苦しいのは嫌いなんでな」

「は、はい」

「もー、レイドちゃん、怖がらせちゃダメだよ〜」

「る、ルシエド様」

「だーかーらー、ルシちゃんで良いって言ってるじゃないのも〜」

「し、しかし・・・」

 訂正。

 ホアンと対極の様な性格をしているらしい。真面目と言うよりも、生真面目だ。

 その上、言葉の節々に全く嫌味が無く、本来は良い人物なのだろうと分かる。少々、狂信者的な部分は感じるが。

「で、こんなとこで何してんだ?」

「お散歩だよ。さっきもね、リーゼにぱふぇ奢って貰ったし」

「大変だな、お前もよ」

「ホアン〜? どーゆー意味よそれ〜」

「まんまじゃねぇーかよ。どーせパフェ十杯とかよゆーでぱくついてたんだろ?」

「いーじゃん。育ち盛りなんだし〜」

 しかし、その言葉とは裏腹に、この場に居て一番年上なのは、彼女か、自分の筈だ。

 一見、家族連れにも見えるかもしれない自分たち。周りはどんな目で、自分を見ているのだろうか。

 思い出す記憶の中で分かった事と言えば、リーゼが何故、自分に畏まっていたかと言う理由。

 リーゼとホアンが所属しているだろう、ハンターギルドは、自分が作った機関だから。

 空を見あげ、懐かしく思い出した顔は、この国の初代公皇。

 王様、と言うよりも、やたらお節介焼きの子供の様に思える事も多々あったが、既に亡くなっている筈だ。

 人間は自分のように長く居きられず、そしてリーゼやホアンと同じ様、老いて行く。

「どったの?」

 ふいに下から覗き込まれ、そう、ルシエドに聞かれるモノの「何でもない」と答えるのが精一杯。

 彼女だけは、自分の隙をかいくぐり、こうして近づけるのだ。いつ何時も、簡単に戦闘状態に入れる自分だからこそ悔しくも、そして辛うじて笑う事も出来る。

「でさ、ホアンとレイドは何してたの?」

「あ? 俺らか?」

 昔の姿だった時も、自分にお節介を焼いていたのはルシエドだった筈。

 そして、自分がホアンに気を許している理由が分かった。

 彼とルシエドは、似ているのだと。

「統一郎に言われてレイド連れて来たは良いんだが、アイツ今、城に居るのか?」

「居ないんじゃない? フェルトちゃんと一緒におべんきょーでもしてると想うけど」

「だとしたら・・・・居場所はリスキィの奴しか分かんねぇな。
 全く、ウチのお姫様と来たら何処に居るか位知らせて欲しいもんだぜ」

 奢らない性格と、例え実力が分かっていても、どれだけ恐怖を叩き込まれようと、自分が認めた相手とは分け隔て無く接するその姿勢。

 どう頑張っても、自分には無理だろう。

 席を立ち上がり、視線を集めた所でホアンに言う。

「シュレートの、墓はあるのか」

「あ? 誰だそれ」

 しかし、反応したのはホアンだけではなく、リーゼも。どうやら聞く相手を間違えたらしく、後頭部を思い切り殴られたホアンは机に突っ伏す。

「私がご案内します。ルシエド様、ホアンとここに居て貰いますか?」

「いいよ。行ってらっしゃーい」

 テーブルの上にあった酒とグラスを器用に持ち、零れない様にしたのだろう。渡してくれた時、思い出した様に、ルシエドの頭を撫でる。

「ちゃんと報告してきなよ」

「そう、だな・・・」

 溜め、漏れた言葉はそれだけ。

 だがそれだけで理解してくれるのが、ルシエドと言う女。

「此方です」

「すまない」

 こういう言葉は恐縮と受け取らず、素直に受け取るらしい。ルシエドと一緒に居て免疫が出来ているのか、単に、自分が見誤っただけなのかもしれない。

 それでもリーゼの進む足取りはしっかりとしたモノで、威風堂々と言えただろう。街を出てかなり歩いたとも想うが、疲れた様子も見せないのは流石と言う所。この年の女性であれば、間違いなく息は切らしているのだから。

「レイド様、すみませんが・・・」

「レイドで良い。なんだ」

 街とは違い、人気など全く無い、森の中。魔物や多種族の気配すらない事から、魔導の結界か何かで守られている場所なのだと言う事は気配で分かる。

 ただ、静寂とは違う何かがある事が妙に思え、リーゼの足取りは変わらぬモノの、声はすまなそうに続いた。

「失礼は重々承知でお伺いします。
 魔環師就任式や、戴冠式に何故来られなかったのですか?
 統一郎様が言うには、初代公皇以外とは逢った事もないと・・・」

 正直、来て祝福して欲しかった。

 そんな想いが、顔に出るのも彼女の素直な所なのだろう。

 自分と初代ガ・ルーン皇国公皇と、もう一人が作ったハンターギルド。その所属するハンターが名をあげる為に自分を襲い、それを殺す度に想った筈だ。

 何の為に、こいつらは生きているのだろうかと。

 あっけなく死んで行くだけの命で、一体何が出来ようか。

 彼女にはそう言う部分が無く、目上だから。

 実力があるから。

 自分よりも偉いから、と言った理由で人を判断しないらしく、暖かみのある瞳が似合うだろう。

 そして自分の事だけは「買いかぶりだ」と言ってから続けた。

「シュレートが死んだ後か、使者は来なくなってな。
 それ以降は、どうなったのかすら知らなかった」

「では、使者が迎えに来たのなら、此方にもいらっしゃったと」

「行かなかったな。街が平和な場所だと、一度見た時に分かったんだ。
 私には似合わんさ」

「そんな事は・・・無いと」

 続く言葉が見付からないのか。それとも、自分の思い浮かべた言葉が嘘の様に思えてしまったのか。

 迷いを含む部分は子供と言えるが、彼女なりに、自分を、レイドと言う人物を見極めて見たいのだろう。

 だからわざわざ聞き返したのだ。もし、そうならどうしたのですかと。

「此方が、初代公皇様の墓前です」

「ありがとう」

 着いた場所は、墓と言われなければ分からないであろう、ただの野原。木々の間に木漏れ日がこぼれ落ち、暖かい気分にさせてくれる場所なのかもしれない。

 様々な人の匂いと、自分の良く見知っている世界とは、全く無縁の空間。

 ただ分かった事は、シュレートらしい、と言う事だけ。皇と言うにはあまりにも、飾らない男だった。

「シュレート、来てやったぞ。二千年近くも・・・忘れていたがな」

 手に持っている酒を宙に投げやり、ゆっくりと一閃で瓶を真っ二つに斬る。

 だが、斬ったのは中身の酒だけで、雨の様に草の絨毯の上に広がり、土に染みこんで行く。

 残った瓶を拾い上げ、シュレートの言葉が聞こえた様な気がした。

「彼なら勿体ないと、言うだろうな」

「そんな事は無いと想います。やっぱり、来ないよりも来てくれた方が嬉しいですから」

「なら、酒樽でも用意するんだったな。あいつは、浴びる様に飲むのが好きな男だったよ」

「そうなんですか」

「・・・・・」

 虫の声さえ、木々の声さえ聞こえて来そうな、沈黙。

 だが、風が靡くだけで騒がしく思えるのは、シュレートの魂が、此処には居ないから。

 所詮墓など、残された者の為にあるモノなのだ。土を掘り返したとしても、歳月が流れすぎた今では骨すら見付からない様に思える。

 それを打ち破ったのは、リーゼだった。

「レイド様、幾つか、宜しいですか?」

「なんだ」

 言い直させるのも、無理なのだと分かる。リーゼとは、こういう人物なのだと。

 だがその言葉にはやはり、トゲはなく、優しさを伝える為の、何か。

「初代公皇様と、レイド様がギルドを創設されたのは今でも簡単に調べる事が出来ます。
 しかし、もう一人と言うのが、名前すら記述されていません。
 もし、その子孫なりと生きているのなら、礼を言いたいのですが・・・」

「それは、国の意思か?」

「いえ・・・。私、個人の望みです。その前に、礼を言わせてください」

「?」

「貴方がギルドを作ってくれなければ、私の家族は・・・私すら生きてなかった筈です。
 ありがとう御座います」

「・・・・・」

「それに、幾人モノ命を救ってくださる切っ掛けを下さった。
 だから、心より感謝しているんです」

「それは、お前を救ったモノに言うべき言葉だろう」

「そうしようと想い、私はハンターになりました。
 けど結局、私の家族を救って貰った方は、
 最後に貴方に感謝していると言う言葉を残して亡くなったらしいのです」

「そう、か」

「はい。だから」

 ここまで馬鹿正直な女が居たのだな。

 それが、今の、自分の感想だ。

 実直と言うよりも、もはや馬鹿と言っても良い程の真っ直ぐさだろう。多分、ホアンやルシエドの知らない姿が今、此処にあるのだ。

 自分でも少々恥ずかしいと想っているのか。顔が微かに赤らんでいるのが分かり、興奮気味でもあるのだろう。

 見ないでも分かる、そう言った表情と気配。

 そして「だから」と言った時、それら全てが変わった理由が分からず、リーゼの顔を見据えてしまった時、後悔する。

「そんな、自分を傷つける様な事は止めてください」

「・・・・・・・」

「ルシエド様に昨日、聞きました。聞かなかった方が、良かったのかもしれません。
 お節介だと言う事も分かっています。しかし・・・・」

 途端、苛立ちを覚え、その言葉を遮る為であれば、何であろうとやってしまう気がする。

 だが、リーゼのそれは同情ではなく、全く別の感情。

 だから自分が殺してでもと覚悟してしまったのは、

「守れなかったからと言って自分を傷つけたって、何の意味も無いじゃないですか」

 己の中の開かなかった扉ではない。

「少なくとも私は、レイド様が苦しんでいる姿なんて・・・」

 開けようとしなかった扉が、ひとりでに開いてしまったから。

 身体が自然と動き、多分、リーゼもその様は見えた筈。

 それでも避けられない理由は一つ。

 あまりにも強い殺気を感じた時、魂は一瞬、時を失うから。

「それ以上言うと殺す」

「・・・・!!」

 声が漏れたのは何が起こったかを認識出来なかったから。だが認識した今、顔は酷く青ざめ、自分が死と隣り合わせだと言う事を嫌でも悟らなければならない。

 身体に感じる、微妙な温度差。

 それが雨だと感じるのに、長い時間を要する。

 灰色の空と、濡れた瞳は本来ならば視界が曇るのも当たり前の事なのだろうが、自分が見ている世界は、水越しの、淀んだ世界ではない。

 手に持った剣は、少し動かすだけでリーゼの首の脈をいとも簡単に切れ、例え刃こぼれしたナマクラであろうと、首を跳ね飛ばすのに彼女に、一閃の雷光に取ってはさして不都合は無い。

 だが一度は輝きを失った瞳を再び灯らせ、リーゼの表情は真剣なモノへと移り変わり、まるでそれは朔日のホアンの様。

 ただ、彼は男で、彼女は女なのだ。言う言葉も、胸に抱く思いも違う。

「レイド様は・・・甘ったれてらっしゃるのですか」

「なんだと?」

「あなた様ほどの腕があれば何時でも私を殺せる筈です。なら何故、刃を止めるのです」

「・・・・・」

 ホアンの場合は、優しさだったろう。同情ではない故にそれが眩しすぎて、あの場から逃げたのだ。

 だがリーゼは違う。

 まるで、自分の母親であるかの様に叱咤し、後悔しろとたきつけている。

 上からただ、見下ろすだけではなく、引き替えとして背負ったのは自分の命。

 そして本心を表情に欠片も出さぬ程の冷静なのにもかかわらず、途端わなわなと震える手は、恐怖を覆い隠すために強く握りしめられ、その音の変化がなければ気付かなかった筈だ。

「夫と、子供すら残してお前は死ねるか?」

「・・・・・」

 迷い。

 明らかに図星な様子で、また顔を青ざめるしかないのだろう。

 指にあったのは指輪であり、それだけでは何の変哲も無かった筈だが、そこから感じ取れる、悔いだろう。

 自分の手を握りしめ、冷たく濡れたその感触で思い出してしまったのだ。

 自分は、まだ死ぬ訳には行かないと。

 自分は、まだ死にたくないのだと。

 その想いがあったからこそ、自分は今、笑っているのかもしれない。

『落ちたな。レイド』

 聞こえる筈のない声。

 だが、聞き覚えのあるのは、墓前だからだろうか。

 かつて戦友だったモノの声色でその言葉は聞こえてくる。

 それがどれほどの肉体的な苦痛よりも、ただ、痛いからなのかもしれない。

 彼女の顔に張り付いた笑みは、崩れなかった。

「タハルだ」

 しかし剣を退き、腰に戻したのには理由など殆ど無い。

「?」

「知りたかったのだろう? もう一人の創設者を。名はタハル・アルフェイザだ。皇都建国以後の詳細は知らん」

 ただ、浮かぶ旧友の名と、彼女の顔がだぶったのかもしれない。

 シュレートと同じく、かつて自分を妻に迎えたいと言った男達。

 それをふったのは、あまりにも長い時間を、彼らの居なくなった地で過ごさなければならないから。

 それが辛くて、耐えられないと分かったから、自分はそれ以降、此処に来なかったのかもしれない。

『少しは笑えば良いんじゃないかな、レイドもさ』

『そーだぜ? 美人が台無しじゃねぇかよ。な? 笑ってみろって』

 出合った時、まだ名も無かった街の酒場で、自分と二人は出逢い、彼らはそう言ったのだ。

 自分との、あまりの実力差さえ、関係なかったらしい。

 バケモノじみた戦い方をして尚、彼らは自分と共に居る事を望んでくれた。

 あの時の酒の味など、今は思い出せぬ、所詮は過去。

『迎えに来るんじゃなかったのか? シュレート、タハル・・・・・』

 笑みは、こぼれ落ち、雨に濡れた頬はまるで泣きじゃくった後の様。

 だが違ったのは、その胸中と言う、心の中身。

『何も・・・感じぬな。痛みなど、幻だ・・・・』

 風すらない筈のそこには、常に風が流れ続け、永遠に時を刻み続ける。

 なのにキズだけは癒えなくて、苦しいと、頭の何処かで呟くだけなのかもしれない。

 雨に濡れた身体は冷たく、それがおかしくて、彼女は笑った。

 重い足取りで、かつての旧友が夢見ていた、皇都へと脚を向けながら。

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