「あ、レイドちゃんっ。どーしたのさずぶ濡・・・・!!」

「ルシ・・・」

 助けて欲しいと、言っているのだろうか。

「そんな殺気立って、何かあった?」

 少女の姿をした、自分と同じ時を刻む、仲間。

 離れている時間はあまりに長すぎて、腑抜けになっていたらしいと想っていたのだが、そうでもなかった様子。

 やはりリーゼやホアンとは違い、自分の一撃を受け止め、強い眼孔は自分を射抜いている。

「無駄な事を喋るな。胸くそ悪い」

「・・・・・」

「他人に喋って面白いか? 私の過去を」

 ただそれが歪み、途端、少女の顔に戻るとは想わなかった。

 そして想う。

 此処に居るのは、誰だと。

「面白いと想ったからじゃないよ。だって、レイドは私じゃ助けてあげらんない・・・・」

「・・・・・」

「タスケテって言ってるのに・・・・・。
 言われてるのに助けられない苦しさもレイドは覚えてる筈なんじゃなかったの!?」

「五月蠅い・・・」

 刃を向け、研ぎ澄ました殺気は彼女をも萎縮させる。

 実力があまりに違いすぎる故に、彼女はいつも言っていた。

 どうやれば、そんなに強くなれるのかと。

「簡単・・・だろうが」

「・・・・え?」

 ただ、一度しか聞かれなかったのは、何故だろうか。

 それを今、思い出したのは何故だろうか。

「戦友を・・・・家族を喰らえば貴様でも強くなれるさ」

「・・・・違う、絶対・・・違うよ」

 泣き顔は、昔のままなのだなと、頭の奥の冷静な部分が呟き続ける。

 何処が違い、何処が同じなのか。

 ただ昔、その顔を見た時、自分は何と言ったのだろうか。

「思い出したくもなかったさ」

「!?」

「自分の家族を・・・・喰らう光景などな」

 力無く項垂れ、刃もそれに従う様、下がる。

 視界は濡れ淀み、何処か、現実に居ない様な錯覚さえ覚える。

 ただ、分かる事は、それ以前の過去を思い出したと言う事。

 何処から、自分がやって来たのかまでは思い出せない。

 思い出したのは、ルシエドや、ルドと言った、かつての仲間と出会う前だ。

 数百、数千。

 いや、もしかしたら数万年も昔の事なのかもしれない。

 自分が誰と共に生き、誰と共に歩んできたのかを思い出したのだ。

「・・・・!!」

「・・・!!・・・!!!」

 声が、聞こえないのは何故だろうか。

 自分が何か、呟いた様にも思えるが、気の所為だろう。

 そして自分は多分、意識を失ったのだと分かった時、何故か微笑んでいるのかもしれないと想いながら、闇へと落ちた。

 深く、底のない、奈落へと。





































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:DARKNESS VOICE





































「・・・・・」

「気付きましたか?」

「誰だ・・・」

 何処に居るのかさえ、分からない。

 分かる事は、自分の一番馴染めない、豪華な部屋だと言う事だけ。その部屋の片隅に誰かが居て、自分を見ている事くらいだろうか。

 ベッドの上に寝かされている事を考えれば、看病でもしてくれていたモノなのだろう。ただ解せなかったのが、その声に聞き覚えがあると言う事くらい。

 その理由は、灯りすらない部屋の中でも良く分かる筈だ。

 にへらと笑っている空気が分かる相手など、知り合いに一人しか居ない事だから。

「ルド、か・・・」

「約、二千年ぶりの一言がそれですか。お代わり無い様で何よりですよ」

 明かりをわざわざ灯し、自分の顔を見える様にする、男。

 長身痩躯のその姿は昔のなんら変化は無く、そしてその張り付いた気にくわない苦笑も昔のままだ。

 窓の外の曇り空さえ見えぬと想った所で漸く思い出したのは、今が夜だと言う事。

 雨音が聞こえない所を考えれば、雨が上がったのだろうか。

「一週間、ですよ」

「?」

「貴方が寝ていた時間。寝不足はお肌の大敵ですよ、無論、寝過ぎても同じなんですけどね」

「・・・・・」

 相変わらず笑みを浮かべたまま、訳の分からない事をのたまわると溜息を吐き、ベッドを降り立つ。だが寝ていたと言うにも関わらず、その身体は普段通り動く事から、疲れていた故に、眠っていた訳ではないらしい。

「少しは心のケアもしたらどうなんですか? まぁ、言ってもムダな気もしますが」

「分かっているなら少し黙れ鬱陶しい」

「鬱陶しいように喋ってるんですから当たり前ですよ」

「・・・・・」

 暖簾に腕押し。

 この男を言う時に、自分はそう言った表現を使う。

 歳で言えば、ルシエドや自分よりも若い筈なのだが、三つ色の剣舞と言う二つ名は伊達ではなく、かなり強い部類に入る男だ。

 それもその筈。

 思い出したくだらない記憶の中には、彼が六帝が一人、魔帝になり得た実力を持っていると言う事もあり、その一方で、自分の親友にその座を簡単に渡した理由は今でも分からないまま。

 それ故に、魔帝と相まみえた時だけは、彼一人で戦った事も覚えて。いや、思い出したと言うべき、か。

「しかし皇都に着いた早々、一悶着起こしてくれましたね。ルシが泣いてましたよ?
 リーゼは平静を振る舞っていますが、かなり参っている様子・・・・」

「私の知った事じゃない」

「・・・・はぁ」

 本来それは、夕食だったのだろうか。既に冷めてしまった食事の乗ったトレイを持ちながら此方に歩み寄り、渡す。

 しかし知っている筈だ。

 自分が、食べなくとも生きて行けると言う事を。

「貴様が食えば良い。忘れたか?」

「いえ、覚えてますよ。単なる嫌がらせですから。
 ただの冷や飯ならいざ知らず、毒てんこ盛りなんてのはまっぴらごめんですよ」

「・・・・・」

 本気で言っているのか。

 それとも、ホアンの様に自分をからかっているだけなのかは分からない。

 ただ、そう言った冗談。人を傷つける様なモノが嫌いな昔の彼のままなのであれば、それは真実なのだろう。素振りから自分が用意した訳でもないが故に、それを事も無げに笑って言えると言う所か。

「でもまっとうなご飯も食べないんなら・・・・
 毒でも喰らって居た方がマシなんじゃないんですか?」

「何が言いたい」

「いえいえ。含むところなんてないですよ。ただ、ね・・・」

 言いたい事があるならはっきり言えば良い。

 昔、自分が吐き捨てるように言った台詞だ。この男の事だから覚えて居て、あえて回りくどい事しか言わないと判断して間違いなく、笑みがそれを確信に変えた。

 幾度と無く見た事のあるただの苦笑ではなく、他者を殺す事に酔いしれる、一度しか見せた事のない笑み。

 トレイを脇に置き、ベッドに近づき、言いたい事をわざわざ演出して言い出すのが彼の本気であると言う証。

「あんな半端な切れ端を天帝と間違えるような弱者に・・・・・
 用は無いと言いたいんですよ、僕は」

「・・・・・」

 そしてその瞳は間違いなく、魔帝を、彼が旧友を止めた時の瞳と同質。

 元々、剣闘師と言う役職を自分と、ルシエドと彼の三人で取り決めた時、彼は自分の二つ名を三つ色の剣舞と称したが、それ以前の二つ名は魔導神だけだと言っていた事がある。

 最もその時、それが嘘だと分かったのは自分くらいだろう。昔の姿のルシエドは、そう言う意味で今とあまり変わらないのかもしれない。

 魔帝を止めたと言うのは、結果であって途中経過。その光景を見ていたのは自分だけであり、他者は一切関わりを断たれた。

 自分だけには本当の姿を見せたい、と、気障に言って見せ誘い出した先でそこに居た彼は、剣舞など躍っている様には見えず、むしろ、狂舞(マッドダンサー)の名が相応しいであろう、狂気を持っていたのだ。

 空気さえ変えてしまう様な力を持って尚、それを押さえ込むだけの実力。

「今の貴方なら、僕でも倒せる。弱くなり過ぎですよ、シーグルさん」

 だがそう呼ばれた瞬間、身体が動くのはその名に意味があるから。

 昔は、嬉しかったのだろう。名を貰った時、素直に微笑みがその表情を彩ったはずだ。

 今となっては、皮肉でしかない、名の真意。

「その名で呼ぶな。そんなに死にたいのか?」

「出来るものならご自由に」

 視線のぶつかり合いから、互いの殺気が空気を乾燥させ温度を下げる。

 辺りの家具や床が悲鳴の様な軋む音を上げ出し、まさに一触即発の自体だろう。

 自分も、彼も止める気などさらさらなく、どちらかが先に動けば、勝敗は一瞬で決まる。

 しかし、気付かなかった。

「どうせ今の貴方に、僕は倒せま・・・」

「邪魔するぜぃ」

『!?』

 ドアノブが周り、誰かが素早く入って来る。

 侵入者だと分かった瞬間からの行動は早く、自分と、彼の動きは完璧だった筈だ。

 襲撃するモノ達の人数を二人だと確認し、双方が二つの喉笛を掻き斬るのに一秒も掛からず、その後待っているのは奇妙な沈黙だった筈だ。

 だが、名も分からぬ来訪者。

 いや、この場合は珍客と言うべきだろうか。

 自分の攻撃を止めたそれは、子供。

「腕、落ちてんな、お前」

「・・・・・」

「そっちの兄さんはマディンの師匠って割にゃ、弱すぎだな」

「・・・何者ですか? 貴方は」

 気配は確かに二つだった筈だ。

 ドアから侵入し、自分と、ルドが相談もなくそれぞれの分担を決め動いた筈だ。

 だが、今、目の前にある姿は一つ。

 右手で自分の剣の攻撃を掴み止めながら息の掛かりそうな目前に位置し、もう一方の腕は長刀だろう。誰も居もしない宙に手刀を差し出しているルドの首に宛われている。

 そして驚いた事に、確かに襲撃者は二人居たのだ。

 ドアから新たに入ってきた、此方はルドが気配を察知し担当した方の、男が入ってくる。

 ただし、その男の顔はとてもではないが、襲撃者と言う顔ではなく、どちらかと言えば人質と言った所か。まるで病床に伏せっている様な、青ざめた顔をしているのだ。

「おい・・・穏便にやるんじゃなかったのかよ」

「コレくらい、穏便な事の運び方は無いと想うぜ。話、聞かざるを得んだろ?」

「確かに・・・そうだがな」

 その上で分かった事。

 いや、自分の斬撃を素手で掴み取って止めた等と言う事をやって退けられた時から感じていた筈だ。

 年頃ならば、ルシエドと何ら変わりない姿の少年が、この場を支配するに足る、実力を持っているのだと。

 それも、自分やルドの様に、殺気で周りに影響を及ぼす訳ではなく。

 さしずめ、ルドのやった殺気を狂気で覆い隠しているのではないのだろう。

 もう片方の男と、ルドと、そして自分に一番殺気を籠めているのだと分かる。

 気を抜いた瞬間、殺されると分かり切った未来すら予測できる、嫌な時間。

 だがゆるやかに。

 まるで歩くのとなんら変わらない様な動作で少年は自分をベッドの上に腰掛けさせ、その間もルドの喉からは長刀を離さなかったのだ。

 完璧に見切れ、動いている節々まで見えていると言うのに。

「って事で、やる気は一応無いんだよ俺は。ただし、お前らがやる気ならな。
 この城ごと吹っ飛ばすからそのつもりで居ろよ?」

「えらく、大胆な交渉の仕方ですね」

「コネなんてねぇし、実力があるんなら使わなきゃ損だろ?」

「もっともです」

 余裕があるから、口が回っている訳ではない筈だ。長刀を離され、襟元を正しているルドも、そうなのだろう。

 この少年は、嘘など全く言っていないのだと。

 その気になれば、見えたまま自分たちを殺す事も可能だと、先ほどのゆっくりとした動きは警告なのだ。

 だが、心の節で何かが音を立てたのは、自分だけなのだろうか。

 恐怖もあった。

 隙を見せた瞬間、殺し返すと言う意気込みもあり、それを上回る、無理だと分かってしまう自分も居た。

 しかしその音は全く別の、何か。

 そうとしか言えない、分からないモノ。

「武士、いつまで突っ立ってんだ? 入ってその辺に座れよ」

「ちっ・・・」

「武士? 君が、帆村武士(ほむらたけし)なんですか?」

「ああ。あんたが誰だか知らないが、コイツの言う通りにした方が良いぜ」

 青ざめた顔が元も戻りつつある。武士と言う男に余裕が出てきたのは、場を理解したからではなく、ただの自棄だと顔を見れば分かる。

 ずかずかと部屋に入り、椅子ではなく、調度品の机の上に座ったのもささやかな反抗と言った所か。話の節々、と言っても少年と殆ど言葉は交わされていないモノの、態度からただ、使われているだけなのだろう。

「さて、と。じゃ、落ち着いた所で、自己紹介と行こうか」

「襲撃者が相手の名前も知らないとは、なかなか面白いですね」

「それを言うなら間抜けだろ? そう殺気立つなよ、悪かったって」

 そして軽口を叩く少年と、まるで武士と言う男の代わりに顔を青ざめだしたルドがその言葉に反応する。だが隙あらば攻めようと言う姿勢ではなく、単に、悔しいらしい。そんな姿は初めて見る気がした。

「けどさ、確かに名前は知ってんだけど、武士に教えてやってくんない?」

「何故です?」

「取りあえず俺が一度驚いた。で、次は武士、あんたら、って事で」

「???」

 その上、自分より訳の分からない事を言われ、やる気すらなくなったからだろうか。ざまあみろと言う言葉が頭の中で浮かんでは消える。

 黙りのまま、しばし場は静まりかえっていたが、根気を比べようと、意味がない事に気付いたからか。ルドは素直に名乗る。

「ガ・ルドです。二つ名は三つ色の剣舞、そっちはガ・レイド、二つ名は一閃の雷光
 役職は、剣闘師って所ですか」

「な、な、な・・・・!!」

 しかし、いや、だから、だろうか。

 確かに名前を聞いた途端、武士と言う青年は驚き、少年の言う通りになる。だが、今になって微かに感じた匂い。火薬のそれは、驚いている青年から漂って来るモノ。

「あ、あんたら剣闘師だったのかよ? 冗談じゃねぇ・・・」

「それはこっちの科白、一介のハンターにまさか襲撃されようとは想いませんでした。
 それも、一度雇った貴方に・・・」

「俺だってやりたかないさ。でもなぁ・・・
 やらなきゃ街の人を全員皆殺しにするなんて言われたらやるしかないだろうが」

「・・・その言い分は信じましょう。信じざるを得ない、と言うのが本音ですけど」

 その上、ハンターで、自分に取っては説明の様な言葉で一度雇った相手だったらしい。

 しかし自分の取り決めたハンターギルドの役職に、火薬など扱う職種が無かった事から、ギルドが新たに設けた役職なのか。この場では種族が人間だから、と言うので霞んでしまう彼の実力もそれなりの筈だ。何せ、気配だけを動かし、実体を留まらせる等と言う芸当が出来るのだから。

「で、次は君の番ですよ。小さな珍客さん」

「だな。俺は・・・・」

 そして少年の言葉を信じるなら、次は自分と、ルドが驚く番、と言う事になるのだが、名前を言われた所で驚く様な人物など居ない筈。六帝の内の誰かかとも予測してみるモノの、少年の強さは良く分かっているのだが、六帝と相まみえた時に感じる苛つきは全く、むしろ、何故か落ち着ける自分が居るのだ。

 それが何故か、心を掻き乱し、不安と言う感情を煽られている様。

「紅(くれない)ってんだ」

「!!」

 だが名前を聞いた途端、何故、こんなにも安心するのだろうかと言う程、まるで肩にあった重しが退けられた気分になる。

 最もそれだけであり、自分にはそれ以外の変化は無いモノの、ルドに取っては十分な名前だったらしい。

「ちなみに言い直せば、二つ名は夕闇の殺戮者(デュスク・ジェノサイダー)じゃぁない。
 ちなみにレッドでも無いぜ。ちゃんとクリムゾンって言ってくれなきゃな」

「・・・・・あ、なたが」

「証明とかは出来ないからなぁ。ま、信じる信じないは勝手だ」

「・・・・・・」

 言われ、しばし考え込むルド。いや、気配で分かったのだが、何らかの魔導を使っている様子。

 攻撃系でないのは、この少年に心当たりがあるからだろうか。しかし沈黙と言う程長い間、黙っては居られなかったらしい。

「信じ、ますよ・・・。確かめる方法なんて、簡単だった。
 僕が思い出せば良いだけの事ですからね・・・・・・」

 冷や汗を掻きながら、先ほどよりも緊張しているらしい。

 今の自分から言わせれば、何故だ、としか言えない変化。

 最も、自分に対してもその言葉は当てはまるのだが。

 それ以降言葉が続かないのは、何らかの原因があったからだろう。まるで心の葛藤があるかの様なルドは今日、初めて目にする姿であり、物珍し過ぎると言えるだろう。例え何事が起こったとしても、一つの苦笑で吹き飛ばし余裕があるのが彼なのだ。

 この少年にどんな秘密があるのか。

 そう想い、様子を伺って見るが、途端、顔を向けられ視線がぶつかる。

 そして少年は、子供特有の純粋な笑みを浮かべ言うだけ。

「お前は・・・覚えてないらしいな」

「何を、だ」

「緊張すんなって。ほら、別になんにもしねーだろ?」

 ぺしぺしと頬を叩かれた事など、ルシエド以外にされた事は無い。その彼女の場合でさえ、気配断ちをして、やっと出来た事なのだ。

 代わって今の自分は動きそれを止めたいのだが、動けないと言う状況。萎縮しているのではなく、まるで、ここが自分の居場所だと言わぬばかりに身体は動かない。

 ただ、笑って悪戯する子供その物の筈なのにだ。

 そして声色が変わった後の言葉を聞いた瞬間

「少しはさ、肩の力抜けや。泣けなかった事が悔しかったんだろ?」

「・・・・・・」

 頬に伝う、熱い何か。

 感じているそれの名は、思い出したくない筈の感覚だった筈だ。

 幾万年も前の事を、言われているのだから。

 それを思い出し、苦しむだけならば、いっそ失ってしまえば良い。

 その後、やってはならない事を、自分の一番大切な、想い出を消してしまった時。

 後悔ではなく、醜く吼えた自分は、もはや生き物ですらない、化け物に成り下がってしまった時。

 自分は、無表情のまま、そこに居たのだ。

 だがそれでも終わることなく続く言葉に、自分が耐えきれないと分かり、剣を持とうとした手はやんわりと止めら、聞く事になり、

「少しは泣いとけ。これ以上心配かけんなよ」

 頭に、まるで親が子を慰める様にして手をぽんと置かれた時、全てが濁流に呑み込まれてしまった。

 それは感情の波。

 何処までも、そして何処かへと消え去ってしまった筈の色だった筈だ。

 何もかもが悔しく、出来なかったと言う結果がもたらしたのは、戒めでも、罰でも、罪ですらなかった。

 ただ吹き抜ける風が嫌で、流れ行く時間の中で忘れてしまうのならばと、決意したのだ。

 だから自分は、唯一居た、たった一人の掛け替えのない家族の屍を喰らい、自分の中に押しとどめてしまおうと想ったのかもしれない。

 狂っていると、幾度と無く言われた。

 壊れていると、幾度と無く蔑まれた。

 そしてその時から、自分はただ一粒の涙すら零せぬ、いや、家族が死んだその時ですら流せなかった涙故に、氷った心を手に入れてしまったのだ。

 壊れ、狂い、そして自ら破棄してしまった絆と共に。

 だから何故今、こんな少年に言われて自分が涙を流すのかも分からずに、ただ、ひたすらに泣いた。

 悔しさと、

 哀しみと、

 やるせなさの中で。

 幾億の夜を越えて流れた涙は、あまりにも熱かった。

 そして重く、ただ、心の内の氷を溶かす様に、流れ止まらなかった。

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