顔も、思い出せた。

 声も、思い出せた。

 いつの頃か、そんな時期があった。

 だがどうしても名前だけが思い出せなくて、夢の中で幾度と無く伸ばした手は届かず、助けられない悪夢を一体何度、見たのだろうか。

 その度に、自分は叫び、起きた瞬間、それが過ぎ去った遠い昔だと認識する時、想うのだ。

 何故、あの場に居なかったのだと。

 叱咤した所で、何の意味も無い事など分かり切っている。

 それでもそうしないと、自分の過ごしてきた時間が失われそうで怖い。

 だが、今なら分かるその名も、まだ口にする事は出来ない。

 泣いた理由が、どうしても分からないのだ。

 冷静になれた時、既に自分は再び眠った後だったらしく、部屋の灯はランプから太陽へと変わっている。

 昨日、窓がないと想っていた筈の壁にはカーテンがあっただけらしく、いつの間にか開け放たれたそれは陽の光を何処までも強く、自分に投げかけてくる。

 そして誰も居ない部屋。

 いや、居た痕跡が、あるその場所で、彼女は呟いた。

「誰だ・・・あいつは」

 無論、投げかけた問いに答えなど返ってくる筈はない。

 頭の中で思い浮かべた少年の顔が何故かぼやけ、ハッキリと思い出せない事を怪訝に想う一方、何故か頭の鈍痛を感じながらも彼女は起床した。





































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:DARKNESS VOICE





































 着替えは部屋にあったモノを勝手に拝借して着てみたモノの、恐ろしく動きにくい服だとしか言いようがない。

 自分の元着ていた服は無く、何故か裸で寝ていた事はこの際どうでも良いが、スカートを履いた事など初めて。

 やたらとすーすーする足下は大股で歩く分には申し分ないのだろうが、身を翻す時に抵抗があり邪魔だとしか言えない。

 鏡すら無く、ちゃんと着られているのかどうかさえ分からない服だったが、少し不満があるとすれば胸が少々キツイのと、何故か腹の生地がだぼだぼと言う事。体系が人よりごついと言うのは自覚してあるが案外、他人の胸よりも自分のそれは無駄に大きいらしい。

 多分、使用人が着用している様な制服なのだ、と分かったのは部屋を出て、幾人かのメイドを見たから。

 その度に「こんな所で何をしているの」と聞かれ、流石は王族に使える女中と言った所か。自分の顔を見るなり眉を顰め、その後で「失礼しましたっ!」と慌てて謝りその場を離れて行くのだ。ただ、そのどれもが出合った事もない人物と言うのは解せないと言えば解せなかったが。

「私の服は・・・何処に行った?」

 何と間抜けな台詞だろうかと想う一方、腰にある剣は異様に見えるのかもしれない。

 そのくせ、物腰はメイドとは全く違うのだから、異常にすら見えるのかもしれない。今し方後ろの方で気配を感じ取った、二、三人の王族関係者だろうか。話の内容から察するに、声を掛けたかったらしいのだが、少し殺気を出しただけで尻尾を巻いて逃げ出す始末。

 素直に声を掛けて貰えば自分の服が何処なのかも聞けたのかも知れないと気付いたのは、今だ。

「ムダに広いな・・・。城は持たない主義じゃなかったのか?」

 死んだ旧友。初代公皇シュレートへと向けた言葉は廊下に虚しく、そして静かに響き渡り、返事などあろう筈もない。

 取りあえず外に出て街で新しい服を調達しても良いのだが、手持ちの金がある訳でもなく、強盗してまで奪うモノでもない。

 そして昨日の少年を捜そうと思い、自分の探せる範囲で気配を探ってみるのだが、街全体にそれを行き渡らせても全く反応はない。

 あれだけの強さを持っていると言う事は、単にこの街から去ったか、もしくは実力を隠せる故に隠しているかのどちらかだ。

「何が目的かは・・・考えるだけ無駄だな。
 さんざん掻き乱した挙げ句、置き去りか・・・・・自分勝手なモノだ」

 そして言ってから気付く。

 自分が、笑っている事に。

 途端、身体の筋肉を緊張させ無表情になろうと努力するのだが、どうしてもそれが出来ない。

 だから、溜息も漏れる。

「取りあえず、空腹、か。不便なモノだな」

 自分が笑える様になったのは、昨日泣いたのが原因だろう。

 だがそれと共に、空腹すら思い出したらしい。

 一体何千年ぶりの感覚だろうかと思いながら、微かに匂う、食べられるモノの元へと足を運ぶ。

「こっちか?」

 いつまで経っても、同じ様な廊下ばかりでくだらない。

 だから、王族と言う連中は理解出来ないのだ、等と考えながら歩いていたからかもしれない。

 角を曲がった所で、自分の太股に何かが当たる。

 本来ならば避けられたのであろうが、その事を考えれば鈍り過ぎかも知れない。

 しかし「むぎゅ」と言う小さな悲鳴と共に確認できたのは、小さな、一桁後半にすら満たない位の女の子の頭。

 そして自分が誰かとぶつかったのだと分かったからか。見あげた顔は、誰かに似ている気がした。

「ごめんなさい」

「あ? ああ、私も悪かったな」

 すまなそうな顔で一礼し、また顔を上げ自分の瞳を覗き込む。いや、この場合は、見あげる、か。

 何処までも透明で、灰色の瞳は自分の姿を映し出すだけで、何の不信感も抱かない子供の目。

 ただ、少々持っていた剣には興味を惹かれたらしいがそれまで。自分の格好を見て誤解したのだろう。

「ママ、どこか?」

「・・・・・?」

「おばさん。めいどさん」

「いや、違う」

「だって、ふりふりのふくきてる」

「これは、だな・・・・」

 舌足らずなしゃべり方で聞いてくる。

 それが、可愛いと賞する事が出来るのはルドかルシエドくらいのものであって、自分は少々辛いのだ。どう接して良いか、よく分からない故に。

 だが、好奇心旺盛な年頃なのだろう。気付かなかったが、自分の顔を見る為に背伸びをしていたらしく、上を見あげて居る内に倒れそうになる。

「こけるな。危ない」

「おばさん、おっきい」

 自分が倒れる所を抱かれ止められた事さえ認識していないのか。自分を見ながらそんな事を呟くだけ。

 だから思う。

『妙な・・・拾いモノをしたな』

 誰かに託そうにも、まるで計ったように周りの動く気配は一つも無く、かと言って放って置ける様な年頃でもない少女。

 昨日の少年の事があり一度は疑ってかかったのだが、どうやら「ほー」、「へー」等と言って自分を見ている事から本当に少女なのだろう。自分の様な年寄りや、ルドがこんな仕草をしていればただの馬鹿なのだ。そう言う意味で、ルシエドは特別なのかもしれない。

 そう思った所で、腕を引っ張られる。無論、もう一度少女を立たせた後だ。

「なんだ?」

「おなかへった」

「・・・・・・」

「もうすぐね、おやつのじかん」

 欲望に素直なのが、子供なのだ。トイレに行きたい等と言われるよりはマシである。

 自分と同じ目的なら、連れ回って問題も無いと思うが、抱いて連れ回る義理もなし、名前を知らない事に気付く。

「私はレイドだ。お前の名前はなんだ?」

 なるべく怖がらぬ様、聞いたつもりだったがどうやら無用の心配だったらしい。

「あいかはね、あいかってゆーんだよ」

「アイカか。じゃ、着いて来い」

「おやつは?」

「それを探すんだ」

 そして多分、満足に歩けもしないだろう、アイカの手を引いて歩きたい所だったのだが、自分の身長が高すぎるだけではなく、少女の身長があまりにも低すぎる為に、屈みでもしない限り手は届かない。

 その上だ。

 考えて見れば、この身長差で自分が普通に歩いた一歩であれ、この少女に取っては一体何歩になるのだろうか。それも分からず、少女に歩幅を合わせる程、我慢の出来る空腹感ではなくなって来る。

「ふぅ・・・アイカ」

「なぁに?」

 だから屈み、背負ってやると背中を見せ、あまりにも軽い、体重が加わる。

 そして立ち上がるのだが、失敗だったのかもしれない。

「たかーい!」

「頼むから、耳元で喚くな・・・」

 言った所で、変化に敏感な子供が大人しくなる訳でもない。

 剣を持っている故に、片手で持つにはバランスが悪く、捕まっていろと言った途端、また後悔。

「きれいきれいなかみのけ」

「ひっぱるな・・・・」

 頭の中で、自分はどうかしてしまったのではないかとさえ思えるが、空腹がそれを邪魔し、そのくせ食事の匂いだけはやたらと漂ってくる上に、思い出した様に起き抜けの時に感じた頭痛がするのだ。どうやら、髪の毛を思うがままに引っ張られるたから再発したらしい。

「落ちないように捕まっていろ」

「ほあ?」

 だが構っていられない程腹は減り、多少、背中を気にしながら走り出す。

 足音すら消して走るのは、もはや癖だろう。勢い余って窓に激突しぶち破りそうになるが、その度に重心ごと移動させ慣性の法則を無視して動く。

 ただ、注文を付けるだけ無駄だとは分かっている。

 年端もいかぬどころか、満足に言葉も喋れぬ少女に自分と同じ事をしろと言うのははなから無理な話だと言う事も。

 ただ、あまり強く引っ張らないで欲しいと言う願いを胸中で呟いていた矢先、匂いの元へと辿り着き立ち止まる。

「ここー?」

「ああ」

「おやつおやつー!」

 厨房であろう、中の気配を探るモノの、そそくさと自分から降りて中へと入って行くアイカと同じく、欲望に忠実になりつつある自分。

 それがおかしくて、また、笑ってしまう。

 苦しさを隠す為の笑みではなく、純粋に、楽しいと感じ出る笑み。

「れいどー!」

 声に答え中へと入り、子供故だろうか。おやつの時間だと言っていたのは間違いではないらしく、来客用のモノだろうか。

 かなり取りそろえられた色とりどりの料理の中からアイカはデザートだけに手を付けている。

「はい、れいど」

「? ああ、ありがとう」

 重そうな皿を選んで、少し名残惜しそうに渡してくれたのは、特大のプリンが乗ったモノだ。

 アイカが食べているのは普通サイズであり、他にも同じモノがあるのだが、あえてコレを選んだのは身体が大きいからだろうか。

「いっぱいたべてね。いっぱいたべるとね、おっきくなれるんだよ」

「そうだな」

「れいどもいっぱいたべておっきくなったの?」

 だが、純粋故に悪意のないその言葉を聞いた時、胸の奥が使えた様に苦しくなる。

 顔が青ざめ、もしかしたら。

 いや、思い出してしまったのは、自分が家族を喰らっている場面。

「れいど? ・・・・だいじょうぶ?」

「ああ。これはお前が食べれば良い。すまんが、水を一杯貰えるか」

「わかった」

 ちょこちょこと歩き水を汲むアイカだったが、余程自分は調子の悪い醜態を晒しているらしい。

 何度も何度も此方を振り返りながら、心配そうに見る少女の姿は、自分とはあまりにも違うモノ。

 その場に蹲る様にして座り込み、気が付けば自分の視線とアイカのそれは同じ位置だった。

「これ・・・」

「ありがとう」

 コップに注がれた受け取り、一気に全部を飲む。だが、蛇口に届かなかったからだろうか。

 コップに入っていたのは水ではなく、酒。どうやら、手が届くテーブルの上から取ってきたらしい。

 そして分かっているのだろう。それが水ではない事など。

「酒だな、これは」

「・・・・」

「だが、旨いな」

「あ・・・」

「瓶ごと、持って来てくれるか?」

「うんっ!」

 勉めて明るく振る舞っているのは、自分。

 少女は何も知らないまま、酒瓶を取りにまた走る。

 だが正直、胸に支えたモノなど取れる筈もなく、気分は最悪だった。

 顔色を取り繕うのも精一杯であり、一時も早くここから離れて休みたい。

 食事の匂い、本来ならば空腹と言う調味料があればどんなマズイものであれ、すんなり食べられる筈のそれが、今は拷問にも等しいモノでしかないのだ。

 幽鬼の様にゆっくりと立ち上がり、そこでアイカが重そうに酒瓶を抱え返ってくる。

「これ・・・お、さけ?」

「ああ、そうだ。酒だ。ありがとう」

「れいど・・・。おかお、まっしろ・・・びょうきなの?」

「少し気分が優れないだけだ。中庭か何処かに行く道を知らないか」

 酒を渡されるモノの、蓋はしまったまま。鬱陶しくなり、口でそれを千切って封を切る。

 それを煽るようにして飲む姿は、少女に取ってどう映るのだろうか。

「なかにわ・・・おそとにいきたいの?」

「ああ。静かな場所が良いんだが」

「なら・・・こっち」

 自分の手を取り、歩きたいのだろうがやはり背が違いすぎる。その癖、心配している割に、食べ残しのデザートが気になるらしく、見ていて飽きない。

「これも持って行くか?」

 デザートの乗った皿を持ちそう聞いた瞬間、表情が喜び一杯になるのも子供故。

「うんっ! こっちだよっ!」

 元気いっぱいにそう受け答え、自分はと言えば、酒瓶と皿と、剣をどう持とうかと思いながらも少女に着いて行くのでやっとの事だ。

 そして案内されたのは間違いなく城の中庭だろう。陽の光が何処までも眩しく、鳥のさえずりさえ容易に聞こえてくる。

「ここ、ママとわたしのおきにいりなの」

「そうなのか?」

「うん。ママとね、いっしょにね、ぴくにっくにきたこともあるの」

 少女が興奮気味なのは、秘密を共有する新しい相手と巡り会ったからか。

 中庭の中心にあったテーブルに皿と酒瓶を置き、椅子に座る前にアイカを座らせてやる。

「ありがとー」

「ああ」

 そして自分も座り、大きく息を吸い込んで、溜息を一つ。

 先ほどよりは、大分気分がよくなった。

「・・・・・」

 しかし、まだ何かあるらしい。

 アイカがずっと自分の方を見て、複雑な表情をしながら、まるで何かを待っている様。

「なん、だ?」

 だからなるべく優しく聞いたのだが、やはり子供と言う訳か。

「もうたべていいの?」

「ああ、そうか。良いぞ、ちゃんと食べて大きくなれよ」

「うんっ!」

 デザートを美味しそうに口へと頬張る少女は、何処までも微笑ましかった。

 満足そうにデザートを口へと運び、もごもごと味わっては飲み込んでゆく。

 ただ、それだけの繰り返しなのであろうが少女には大層満足感が得られるらしく、終止笑顔のままだ。それこそ、何物にも代え難い幸せな時間と言うことか。

「れいどはいーの?」

「ああ。私にはこれがあるからな」

「・・・おさけ、おいしい?」

「よりけりだ」

「???」

 その上、その至福の時間を分け与えてくれる気ではいるらしいのだが、顔は正直。

 大人の事情で言えば社交辞令と言った所か。

 一人だけで皿一杯のデザートと言うのはめったにない幸運なのだ。心底安心した顔には、苦笑してしまった。

 最も自分の方はと言えば、正直言ってしまえば空腹は確かに感じて食べたいと言う欲求はある。

 千年以上の堪った空腹なのだから、凄まじい欲求ではある。

 だがそれよりも、口の中に水以外の感触を含む事をどうしても快く思えないのだ。後遺症と言うより、もはやトラウマだろう。

 何かきっかけがあれば、アイカと同じく楽しい時間を共有できるのかもしれないが、それよりも恐怖の方が勝る。

『弱くなったな・・・私は』

「なーに?」

 そして気が付かぬ内に、見つめていたらしい。

「なんでもないさ。旨いか?」

「うんっ、おいしー」

 それ故にはたと、陽の光すら届かぬ森の中で、自分の側に居たあの鈍色の狼の事を思い出す。

 何もかも自分にはだぶって、見えているのかもしれない。

 この後、何か感情的になる様な言葉で訪ねられた時、一体自分はどう対応してしまうのだろうか。

 もし、怒鳴ってでもしまえば間違いなくアイカは悲しむだろう。

 どうしてと言う、不安を抱き、あの狼と同じく、自分の元を去って行くだけ。

 ただ違うのはその悲しみがケモノより遥かに大きいと言う事だろうか。

『やはり・・・似合わんな』

 綺麗と言えるだけの、木々と空の青。

 後数時間もすれば、それはあかく、紅く染め上げられる世界へと変わる。

 自分が作る、赤一色の世界とは全く違う、命の息吹がそこにはあり、同じ赤なのに、どうしてこうも違うのだろうかと思う。

『平穏に暮らせればそれで良いか・・・・』

 それは過去、この国を作ったシュレートが言った言葉。

 その時の彼は、純粋に若かっただけに思え、甘いと吐いて捨てたのは自分と、もう一人のギルド創設者タハル・アルフェイザだ。

 所詮、今なお世界の何処かでは苦しんでいる魂があるのだ。

 それから目を背け、いや、背けている訳ではないのだろう。

 それでも、救えるだけの命を救いたい。

 シュレートのその思いが、彼には言葉に出来なかっただけの話しだ。

 思い返して見れば、タハルとは半ば喧嘩別れの様になってしまったが、彼の事だ。

 何処かに名を残しているかもしれない。そんな思いを抱きながら飲む酒は、何処か虚しさを感じる味だ。

 それが年を取ったと言う事なのかも知れないと、また、酒を煽る。

 だが、いつの間にか食事を終えていたらしいアイカは此方を向き、しばし悩んでいたのだろうか。

 眉を顰めながらうんうん唸っていたが、纏まった考えは直ぐに行動に移すアクティブな性格らしい。

 椅子から転けそうになりながらも降りて、自分のスカートを引っ張る。

「なんだ」

「んっとね、しゃがんで」

「?」

 言われるままにしてやり、また髪をひっぱられるのかと思ったが、そうではなかったらしい。

 視線を同じ高さにしてやり、頭に手を乗せられた瞬間、何をされるのかと身構えそうになったが、言葉を聞いた瞬間、身体は動かなくなってしまった。

「ないちゃだめだよ、れいど」

「な・・・に?」

 言われて頬の何かを感じ取ろうにも、自分の視線を捉え離さないそれは、ただ、心配している様な双眸。

 ただ、それだけなのだ。

 何の感情も、他にはない。

「ママがいってた。ないてばっかりだと、こわーいひとがくるんだよ」

 頭を撫でられているのだが、慰められていると言う結論には直ぐに辿り着けず、ただ、困惑するだけ。

 そして漸くそれに気付いた時、アイカは笑顔を向けてくれながら言った。

「でもね、なきたいときはないてもいいってママいってたよ。
 よくわかんないけどね、ちょっとだけわかるよ」

「・・・・・」

「れいど?」

 何処まで、知っているのだろうか。

 否、何も話しても居ない少女に、理解どころか予測も着かぬ内容だろう。

 今、自分は確かに泣いては居ない筈だ。それは頬に涙の感触が無い事で分かっている。

 ただこんなにも空は青いのに、何故自分の髪は緋色に染まって居るのだろうか。

 視界の隅で揺れるそれをたぐり梳かしながら、アイカの顔はまるで自分の親の様に微笑みかけてくれている。

 そして分かった。

 漸く気付けた。

 涙もろくなったのではない。

 変わったのでもなく、ただ、戻ったのだ。

 かつて自分と、尽くそうと決めた主と同じ時間を共有した時代の心に。

 笑って、泣いて、怒って、また笑って。

 充実した時間だったのだろう。

 昨日思い出したそれは、自分に取って戒めでしかないのかもしれない。

 最後を看取っただけでは飽きたらず自分は壊れ、屍を喰らい狂ってしまったのだ。

 そして何より辛いのは、その誰もが居なくなってしまったから。

 尽くそうと決めた主、虚空(こくう)と言う名の女性も死に、シュレートとタハルと言う、漸く見つけた戦友も最後には自分が決別してしまったのだ。

 ただ、自分だけを傷つけるだけではなく、他人をひたすら蝕むだけである自分が、苦しかったのだ。

 だから戦いの時、涙も流せない自分は髪を緋色に染める事で、その代わりとしていたのだ。

 何も知らない筈の少女。

 逢って間もなく、言葉すら満足に理解していないだろう。

 だが、そんな少女ですら。

 いや、この場合はアイカだからこそだろうか。

 自分の何かを感じ取り、心配そうな顔ではなくあえて、笑ってくれているのだ。

 反応の返ってこない不安を感じたからか、表情に陰りが見え始め、笑顔が無くなるのは直ぐだろう。

 だから、決意。

「アイカ」

「・・・・?」

 少し声色を低くし過ぎた為か、今にも泣き出しそうな顔になる。もしかしたら自分の顔が強ばって居たのかもしれない。

 それでも伝えたかった言葉を出すために。

 ただそれだけを必死に絞り出す為に苦労したのはいつ頃ぶりだろうか。

「ありがとな、アイカ。お前は強い子だ」

「う、うん・・・?」

 今はまだ、分からないのだろう。

 自分がどんな表情をしているのかさえ分からない。

 ただ、アイカの瞳に映った自分の顔は、確かに微笑んで居られた筈だ。

 そう、ただ、分からないだけ。

 時間と共に、アイカは成長し、自分の思う言葉を思い出してくれるのかもしれない。

 その時の為に、漸く出た言葉はそれだけ。

「だからいっぱい食べて、いっぱい遊んで、いっぱい親友を作って、強くなれ」

「・・・・・」

 案の定、それに返ってきた答えは沈黙のみで、苦笑しつつも、アイカを膝の上へと乗せてやる。

 柔らかい匂いがして、それが彼女の匂いだと分かった時、返ってきた答え。

「れいども、おともだちだよね」

「・・・・」

 それに対し言葉が詰まったのは、嬉しかったから。

 ただ、撫で返してやるだけの反応しか出来ず、喜ぶアイカの声は澄んでいた。

 そして久しぶりに感じたその思いを胸に抱きながら、時間はただ緩やかに流れていった。

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