闇があった。

 何処までも透き通るような、光を映し出しそして微かに感じられる闇が。

 だから死ぬ時って、こんな感じなんだろうとその時初めて思った。

 両親はろくでなしだと思っていたが、自分は絶対に巻き込まれないと言う自信もあった。

 弟を守る為なら、何でも出来ると思っていた。

 だから私は、こうしているのだろうか。

「・・・・・」

 何処かで声が聞こえるが、どうせ私を殺した女が何か言ってるんだ。

 さっき撃った銃弾は肩に当たっている筈だから、怒って何かを言ってるんだと思う。

 だけど、正直な所、命と引き替えに腕一本じゃ割にあわない。それに少しだけど、動きが読まれ過ぎていたのも疑問に思う。

 だから動いて、殺してから死にたい。

 けど、お気に入りのショートヘアーは血でべっとりと汚れ身体は動かないどころか、感覚が徐々に無くなってくるのがよく分かる。

 それが悔しかった。

 けど、

 だけど・・・・

 弟が逃げられたのなら、それで良いと思う。

 だからあまり悔しくないのだろう。

 少し心残りがあるとすれば、私と弟が、忍びの末裔だと言う事だけ。

 馬鹿な事は考えないと思うけど、技術があるから使ってしまうのは人としての性。

 弟が修練を絶やさず、毎日続けていれば私や死んだ両親をも越える筈だから。

 だからせめて最後に一言、言いたかった。

 復讐なんて馬鹿な事しないで、生きてちょうだい、と。

 だけど薄れ行く意識は待ってはくれない。

「・・・・か?」

 そして耳元の五月蠅い声が聞こえる中。

 これじゃあ「二言だ」と馬鹿な事を考えながら、私は死んだ。











【闇夜に輝く、赤きカギロイ】











「・・・・・?」

 初め思った疑問は、ここが何処だと言う事だったと、彼女は記憶している。

 確かにあの場所で自分は死んだ筈だと思った時、直ぐさま飛び起きたのは日々の鍛錬が身に付いていたからかもしれない。

 まず目に映ったのは殺風景な程何もない部屋だろうか。家具など一切無く、窓すらないコンクリートで固められた場所。それが何処かの倉庫だと、頭の何処かで自分が告げていたのはやけに薬品臭いからだろう。蛍光灯の明かりは乳白色独特の雰囲気を部屋にもたらし、そして目の前の椅子に座ったそれは不思議そうな顔をして彼女に言った。

「死にそうだったって聞いたけど、元気じゃない。どう、調子は」

「・・・・・」

 歳の頃なら彼女とさほど変わらない、筈だろう。違っていても20代前半と言った所か。やたら長い黒髪が目立ち、骨格や目鼻の形から見ても美形だと言えるが目の前に居る女性は日本人だと言う事だけは分かった。

 しかし状況が上手く掴めず、呆けた顔をしているのはまだ彼女が16歳と言う幼さからか。幾ら身体に染みついた技術だと言っても、目の前でそう声を発した女性はなんの事はない。至って普通の日本人に見えたからだ。だから彼女も間抜けな顔をしていられるのだろう。

「頭とか痛い所は無い? 一応傷は塞がってるって聞いたけど」

「あ・・・えっと・・・」

 何がなんだか分からず、取りあえずは言われた傷は痛くないと言おうと、その傷があるべき場所を触った時、彼女は漸く違和感を覚えた。

「・・・塞がってる」

「そうよ。だから塞いだって言ったじゃない」

「だけど!!」

 傷があった場所は背中から胸へと貫通した、心臓を突き刺した一撃のみ。それ以外はあの時避けた筈だし、その後何もされていないのならばそれ以外傷は無い筈。強いて言うなら倒れた時に打ったおでこだろうか。だが、そこの痛みは全くなく、身体はいつも通り順調その物だった。

 だからこそ変なのだ。

 幾ら彼女でも、心臓に傷を負って助かる筈は無いと分かっている。相手も馬鹿ではなかったし、間抜けな技術しか持たない輩に負ける筈はなかった。しかしあの時の相手は正真正銘のプロだった故に負けてしまったのだ。いや、死んだと言った方が正しいのか。

『じゃあ・・・私は』

「お取り込み中の所悪いけど」

「え?」

「私は皆川螢(みなかわほたる)って言うの。貴方の名前は?」

「あ、相川雅美(あいかわまさみ)です」

「そう。じゃ、相川さん。まず支度してくれないかしら」

「した・・く? 何の」

 少しばかり、螢と名乗った女性は不機嫌なのか。あまりいい顔をしていない様に見える。そして椅子から立ち上がった螢は続けた。

「ここ、無断使用してるからそろそろ見付かる頃なのよ。警官に銃で撃たれたくないでしょ?」

「銃って・・・日本の警察は」

 そして撃つ事を禁じられていると言おうとした時、螢はすっと動き部屋の扉を開ける。

 その先に見えた風景は、雅美の見たこともない物。

「言い忘れてたけど」

「・・・・」

「ここ、日本じゃないわよ。謳い文句は自由と正義の国。私から言わせれば悪と役立たずの国だけどね」

 そして雅美は、とうとう自分がおかしくなってしまったのではないかと想いながら、しばしそこで固まっていた。





 直ぐに部屋を出られた訳ではなかったがあの部屋は高層ビルの屋上にあったらしく、降りる際に何人かの背広姿の人たちに好奇の目を向けられ少し恥ずかしい気もしていた。何せ雅美の格好はあの時そのままの物。革の黒いパンツとやはり黒いシャツとジャケットと言う出で立ちだ。それも下着は無くシャツは胸の真ん中に穴があるので素肌をさらしているのも恥ずかしいと言う感情に拍車を掛けているのかもしれない。だが、それ以上に螢と名乗る女性の格好も面白いと言えば面白かった。

 何せ丈が少し長めの真っ白いワンピースと、下に黒いスパッツでも穿いているのだろう。やたらと似合っているとは思うが、背広姿の中を闊歩するにはあまりにも目立ちすぎるのだ。そして雅美の黒い服装と相成って、まるで対照的な人物がすれ違って行くとでも言うのが周りに居る人々の心境なのだろう。

 だが、螢は一向に気にする風もなく、雅美を連れてエレベーターで一階まで降り、やはり何処かの会社なのだろう。そのロビーを何喰わぬ顔で歩き抜けて行く。

 そしてそのまま道に止まっていた日本では見たこともないオープンカーに乗り漸く口を開いた。

「何してるの。乗って」

 しかし、いい加減状況も大体掴めてきたのか。雅美もほいほいと付いて行く程馬鹿ではなく、それを主張する様に短い髪を振り乱して怒鳴る。

「乗ってじゃなくて、私は一体どうなったの! 目が覚めたらアメリカだったなんて信じられると思う!? 少しは」

「それを説明しに行くんだけど?」

 だが螢は全く動じず雅美の言葉を遮るだけ。雅美もその冷静と言うよりは冷徹すぎる態度に嫌気がさしていたのか。また怒鳴った。

「何故! 貴方が私を助けたんでしょ!? それに心臓を貫かれて生きていられる程私は頑丈じゃないわ!! ちゃんと今ここで説明して!!」

 息切れしそうな程怒鳴ったのは何年ぶりだろうかと、頭の片隅で考えている自分が雅美は嫌いだった。だが、やはり螢の反応は冷たい物。そして言葉の内容は予想に反した物だ。

「私じゃないわよ」

「何ですって?」

「私は貴方なんて助けてないわ。今日、目を覚ましそうだったから様子を見てきてくれって頼まれただけ」

「そ、そんな!?」

 言葉が続かず、狼狽しているのが良く分かっていた。通行人も彼女たちの遣り取りを見ながら道を歩き、どう見ても注目を集め始めているのは分かる。あまり人が集まってこない理由に付いては、ここが日本語圏ではないと言う事が理由だろう。

「とにかく・・・」

 そして螢は心底嫌そうな顔をしながら言う。

「乗ってくれないかしら。私も貴方を無視して帰れるんならそうしたいけどそうもいかないの。兄さんは何を考えているか分からない人だけど、やる事にはちゃんとした理由があるから」

「・・・お兄さん?」

「義理のだけどね。さ、乗って。パスポートも英語も話せない貴方が警官に捕まればどうなる位想像は簡単でしょ?」

 半ば納得していなかったが、それ以外に選択肢は無いのだと分かった時、雅美は素直とは言えない物の助手席に乗り込む。

 そして直ぐさま発進した車は妙な感覚だと思ったが、それもその筈。日本ではない故に、右側通行の道路なのだ。そう言えばこの車も左ハンドルだと言う事を想い考えながら、目的地に到着するのを待った。

 だが、どんどんと人通りの少ない道を行っている様な気がして、少々不安なのも正直な所。いきなり見知らぬ土地で歩くと言う、忘れていた感覚は嫌な気分にもさせてくれる。そしてつもる疑問が生み出した最悪の気分の中で、漸くたどり着いた先は、先ほどの街とはうって変わり、まるでゴーストタウンの様な中にある一つのビルだった。

「さ、着いたわよ」

 そして螢はやはり何喰わぬ顔で車を降りる。その様子は多分、アマゾンの奥地や月面に行った時だろうと変わらない様な気がしてやはり好きにはなれない。

「こんな所に人が住める訳?」

 だから軽口を叩ける余裕が生まれてきたのだろう。言い換えれば、ただむしゃくしゃしてるだけなのかもしれない。しかし、その言葉には予想外の反応が返ってきた。

「ニホンジンには分からないでしょうね。こんな所でも住まなくちゃいけない人たちが居るなんて」

「な、何よそれ。貴方だって日本人じゃないのよ」

 顔は先ほどとうって変わらず、無神経にも思える言葉も変わりはしないだろう。だが、訓練しているからこそ分かる、螢の雰囲気は間違いなく殺意を帯びた物。しかし、それが何処か自分だけに向いている訳ではなく、そして複数あると気付いた時、反射的に身体は動いていた。

 その勘は当たり、先ほどまで居た場所には銃弾が飛来し銃声は鳴りやむことを知らず雅美は物陰へと身を隠す。

 無論、何が起きているか等分からない。だが、こんな時でさえ身に染みついた物が現れるのはやはり嫌だった。

『全く・・・』

 しかし、今はそんな事を言っている暇など無いらしく、銃弾は一度鳴りやんだ物の嫌な緊張感と空気が漂う。

 そして次の瞬間、先ほどとは違う銃声を聞いた時、雅美は無意識にビルの上へと駆け上がる。

「が、ガトリングガンなんて戦争でもする気なの!?」

 やたら五月蠅い銃声、いや、もはや爆発音にさえ近いその音は、飛来する銃弾と共に辺りに着弾し壁や天井を屠って行く。そんな中を疾走出来るのは雅美自身驚く程ではなかった。だが、幾ら避けられる技術は持っていても、それを使うとは想いもしなかったのは当たり前だろう。日本に居ればヤクザの抗争でもこんな化け物じみた銃器は出てこないのだから。

『とにかく、螢を・・・』

 どう考えても自分の様に動けない様に見える螢はあの銃弾で倒れたのかもしれない。鳴りやんだ銃声はそれを意味し、もしそうならば次にやられるのは十中八九、自分だろう。

『武器・・・なんてある訳無いわよ。全部使っちゃったんだから』

 こんな場所、いや、国と言うべきか。自分の祖国ならば武器は様々な所に置いてある故にあまり不安はなかった。だからこそ、服に仕込む形のクナイや手裏剣、小型のデリンジャーでも携帯して置けばと思った事はこれで二度目。

 そしてその一度目は、ここに来る直ぐ前の事。

『また・・・使わなきゃいけないのかよ』

 歯ぎしりしながら悔しがろうと、手元に武器が無い事は確かだが、攻撃する最後の方法は残っている。しかし拳を握りしめた所で、身体が本調子ではないと言う事は明白。まだ頭の何処かにしこりの様な物が残り、意志と身体の同調が上手く行かないのだ。

『不完全でも・・・やらなきゃ殺されるわね』

 心の中で断言しきり、そしてまた上へと動き出す。今度は足音を立てぬ様、そして風の様に動く様はまるで黒い疾風。今は最上階へと行き逃げ場を失わせたと相手に思わせ、その隙を付いて不意打ちで敵を一人一人倒していくしかないのだ。そのくらいの余力は十二分にあり、人数が100人に満たなければ十二分に乗り切れると言う、確信が雅美にはある。

『・・・五人、六人・・・全部で十二人か』

 固まって行動している所から考え、訓練された敵なのだろう。しかし訓練されていると言う点では雅美も同じであり、何よりも実力ならばそんな半端に訓練された連中に負ける筈など無いのだ。

 だが、たった一つの物音から彼女の予想は外れる。

『な、何?』

 からんと、何かが転がる音がしたかと思えば、次に聞こえた音は先ほどのそれと見間違う程の音とは違い、正真正銘の爆音。

『じょ、うだんじゃないわよ!!』

 身を顰めていた場所が階段の手前と言う事も相成って、直ぐさま上へと逃げられたのだが、そんな物を使われた事のない雅美に取っては悪い夢としか言いようがない現実がそこにあるのだ。考えていた作戦など簡単に頭から消え去ってしまい、今はとにかく逃げる事しか頭にはなかった。

 あくまで彼女の持っている技術は暗殺専門であり、戦争に勝てる技術ではないのだ。どう考えてもこれは戦闘と言うよりも一方的な殺しにしかならない局面。これならば家族を殺した連中の方がまだ紳士的に見える程、馬鹿げた茶番にしか見えないのも彼女のセンスなのだろう。だが事実として目の前に死が迫り来るのは分かり、走馬燈は見えないが嫌な死臭が漂ってくるのは分かる。

「こんな所で死ねないわよ」

 どうやって状況を打破しようか等浮かんでは来ない。だからそれは後回しにし、今は生き延びる為に一番最初に大切な気持ちを切り替える事を実行する。だがそれを削ぐように後ろから声が聞こえた。

「そんなの当たり前よ?」

「!?」

「こんな所で無駄死にされちゃ私が困るもの」

 そこに悠然と立っていたのは、先ほどとなんら変わらない格好の螢。表情まで同じだったのには、本当に冷徹なのだと言う苛つきも覚える。だが、その手にある物騒な物はあまり格好とはバランスが取れていない気がした。

「あんた見たいな素人がそんな獲物でどうしようって言うのよ」

 蔑みを思いっきり籠めた言葉は、この状況下では投げやりにしか出せない物。どう考えても、ワンピースを着た、何処か両家のお嬢様に見える螢が日本刀一本でどうにか出来る状況ではないのだ。まさに冗談として笑うしかない。無論、笑える程余裕も無くなってきていたが。

 だが、そんな雅美の言葉など気にせず螢は前へと出て階段を下りようとし、雅美は慌ててそれを止める。

「あんた正気!? 蜂の巣になりたくなかったら後ろで大人しくしてなよ!!」

 そして帰ってきたのはやはり予想通りで最悪な物。

「何処もおかしくないから前に行くんじゃない。邪魔しないで」

「あ、あんたは・・・」

 わなわなと震える雅美は殺しでもしない限りこの女は止まらないのではないかと言う気さえ起こる。だが、階段を上がる、極力足音を消した気配を感じ取りどうしようかと一瞬躊躇し、それが結果的に命取りになる。

『駄目だ!!』

 死ぬその直前感じ見る走馬燈は、身体が危険を察知しどうにかして生存率を高める為に起こる、一種の混乱状態だと言う。だが、今の雅美にはそんな走馬燈は見えず、変わりに見えたのは動かない身体がどうやっても避けられないと分かる銃弾の嵐。その理由としては、あまりにも極限状態で集中しすぎ、本来は認識出来ない程の速さで動いている物すら見えて認識出来てしまうのだろう。だからその時ほど、半端な自分の実力を呪った事はなかった。

 だが、だからこそ、それが見えたのだ。

 人間の知覚出来るギリギリの領域内で、悠然と揺らめくその姿が。

 金属音が鳴り響き、それが鳴りやまぬのはまだ超高速で認識している感覚が消えていない証拠。

 そして自分の前に立ち、その銃弾を全て切って捨てているのは間違いなく螢。そして最後の一降りを振り終え、雅美の感覚が戻ると同時に刀を鞘に納め螢は何喰わぬ顔で言って見せた。

「言い忘れたけど私、強いから。・・・・・貴方よりもずっと」

 最後の一言はどう考えても皮肉にしか聞こえず、表情も珍しく笑っている様に見える。

 それもとびきりの嘲笑と言う奴で、それが一番似合って見える所が悔しくもあるのだ。

 だから雅美の口から飛び出た言葉は、笑えた物なのだろう。

「わ、私より強いなんて嘘よ!!」

「なら、試して見る?」

 明らかに挑発しているのはその笑いを含む表情で分かる。だが、ここまでコケにされて黙って居られる程雅美は出来た人間ではないと、自分の事を認識している。

 そして身体の緊張感を高め前へと出ようとした時、面倒くさそうな声が階段の下で聞こえる。

 しかし、それは早口の英語故に雅美には理解出来なかったが、追っ手だろうか。何人かの気配が突如として消えるのが分かり、それが殺されたのだと気付くのに数秒かかり、やがて一つの隠しもしない気配が階段を上がる音が聞こえ、螢は雅美には興味が失ったようにそれに言った。

「兄さん、遅い」

「悪い悪い。螢なら一人で何とか出来ると思ったんだがな、思ったより敵が多くて焦ったぞ」

「ならもう少し早めに来てくれても良いでしょ? 羅刹一本で戦うのは苦手なんだから」

 その話す様子を見て、雅美は気が抜けた様になった。

 この螢の義理とは言え兄と聞いた故に、想像は厳つい男か兄妹で妖しい関係をしていそうな優男だとばかり思っていたのだ。

 だが、目の前に現れたその人物は何のことは無い、一般人にしか見えず、サングラスが嫌に特徴的な男なのだ。それも先ほど異常な迄の速さを見せた螢よりも雅美の瞳には弱く映り、それ故か。頭は渇望する望みを得る為にだけ動いていた。

「あんたが・・・あんたが私をこんな所に!!」

 螢もその男も気付くのが遅かったのか。既に雅美の手の中には男の首があり、いつでもへし折れる格好だ。

 だが状況が分かっていないのか。男は平然と身体を雅美に任せ、成すがままになっているだけであり、螢はと言えば別段気にした風もなく様子を見守っているだけだ。

 だからまた雅美の逆鱗にでも触れたのだろう。

 何もかもがどうでもよくなり、ただ殺意だけが目の前で平然と命を自分に左右される運命にある男に向かい、腕を締める。

 だが、それだけだった。

「全く危ねぇ女だな」

「・・・・な!?」

 手応えは確かにあり、戦争の技術は無くとも暗殺の技術に置いてこれ以上ない程完璧な殺し方だった筈なのだ。どんなに身体を鍛えていようとも、人間には鍛えられない場所が何カ所もある。そう言う身体の「隙間」を利用し、殺す為だけの絞め技なのだ。助かる筈など無い。

 だが、

「あともう一つ言い忘れてたわ」

 平然と首をあろう事かもう一度傾げようとする男を後目に、雅美は今日三回目の、螢の最悪な言葉を聞く。

「兄さん。殺しても死なないわよ。殺し方を教えて欲しい位に」

「おいおい。俺は化け物かよ。ま、とにかく、俺は犬神真人(いぬがみまさと)だ。宜しくな。嬢ちゃん」

 そしてマッドパーティーに招待された様で、雅美はもう身体に力など入らず、苦笑し合う二人を腑抜けた顔で見ているしかなかった。







「で、そうなったから俺はお前を連れて来たって訳だ・・・・って、ちゃんと聞いてるのか?」

「聞いてるわよ。長々と一時間掛けてご説明して貰って光栄の限りで御座いますが、掻い摘んで要約すれば私が戦ってた組織に貴方が殺す相手が居て、ついでで私は拾って来られたって訳でしょ。人を子犬か子猫見たいに言わないでよもう・・・」

「似たようなもんだろうが。飯喰いに行こうって言ったら素直に着いてきた癖に」

「腹が減っては何とやら。あんた達の話しをまともな頭で聞いてたって仕方ないじゃない。信じられないんだから」

 そう言い、雅美は二皿目のペペロンチーノを口に入れた。

 ここはあの廃ビルから車で約30分の所にある一件のファミレス、の様な物だろう。メニューはやたらと多いし、味の方も今一と言うよりもこれならば自分で作った方がマシ、と言うのが雅美の考え。それをしないのは一文無しで材料を買う余裕が無いのと、料理を作る厨房が無い、もしくはその為の道具がない事。そして英語が通じないと言った所だ。

 この場所から離れれば、ゆっくりと話を聞いてくれる人の良いアメリカ人でも捕まえられるのだろうが、日本語辺りで言えば東北弁だろうか。やたらと訳が分からない言葉を早口に捲し立てられ話す気も失せてしまったのだ。だからこうして気に入りもしない螢と男に付き合っているだけなのである。

「で、もう馬鹿話はおしまい?」

「まぁ、大方はな。だが最後の一つが残ってるさな」

「?」

 どうせまた訳の分からない事を言い出すのだろうと、その時雅美は思っていた。だが飯代位奢って貰ったのだ。それくらい最後に聞いてやっても良いかとも思っていた。

 だが、これで最後であり、あまりにも無理難題ならば断れば良い。確かに身分証明書も言葉も通じないが、考えてみれば警察に捕まって強制送還されれば日本に帰れるのだ。言葉が通じれば何とでもなると想い、それで後は弟を捜し一緒に暮らせば良いと思っていた。

 だが、男は事もあろうに言った。

「嬢ちゃんは、一人であの組織を窮地に追いつめたんだよなぁ。なんて名前だったっけか」

「SHADOWRAN(シャドウラン)でしょ。それに一人と言っても、貴方がその半分をやっつけたんでしょうが。買いかぶりはよして」

「けど、半分を一人で殺すだけの技能を持ってんだ。なら手伝ってくれないか?」

「何を?」

「この国の国防省をぶっつぶすのを」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 長い沈黙の後、出た言葉はそれだけ。頭の中には幾つか考えがあったが、今は少し混乱気味で何を言って良いのか雅美は分からないで居た。

 そして最初に思った事は、目の前に居る男の頭が何処か異常をきたしているのではないかと言う事。日本では春になると良く出てくる妄想癖がある奴らも、アメリカでは年がら年中居るのかもしれないと思ってしまう程だ。

 だから鼻で笑おうと大口を開けたが、はたと気付いた事もあった。

 あの廃ビルで起こった事は事実ならば、自分が相手にしたのは男の話から推測するにアメリカの国防省。ビルを降りる際に死体を見たが、どう見ても俗世間の悪組織の格好ではなく、服装が揃い過ぎていたのだ。それに武器の事も考えれば、幾ら頭の悪い悪党とは言えゴーストタウンとは言うものの街中でガトリングガンなど使おう物なら苦情が来て警察が直ぐに来る筈である。が、車で出発した時も、パトカーのサイレンの音一つ聞こえなかった所を見ると、付近一帯の住民を避難させたか、演習でもあると言って情報をかく乱していたかのどちらかであろう。そしてもし、あの廃ビル内で殺された相手が国防省の軍人であり、自分の事がばれているとすれば、強制送還されるのではなく極秘裏に抹殺されても可笑しくないだろう。

『もしかして・・・・はめられた?』

 そんな言葉が頭を過ぎり、開けた口を閉じて座り直しもう一度よく考えてみる事にする雅美。

 だが、どう考えても国一つ相手、それも事実上の最強国家の国防省を相手にするのだ。流石にミサイルを防ぐ手だてなど今の雅美には無く、たった一人で戦争し勝てるとも思わない。

 そう考えれば、命あっての物だね。この二人を利用した方が助かる確立は高いのだから、利用しない手は無い筈である。

「報酬はどの位くれる訳?」

「へぇ・・・。断ると思ったのに」

 口を挟む螢の事は気にせず、目の前の真人にだけ真剣な視線を送る。報酬次第では受けると言う証。

「幾らでも良いぜ。一生遊んでも使い切れない額であろうと用意してやる。ついでに日本にも安全に送り届けるってオマケ付きでどうだ?」

 サングラスに隠れ、相手の瞳は見えなかった。それが何処か妙な気がしたが、今は生き延びる為に、彼女は戦う決断をした。

「じゃ、言い値で雇われてあげる。別にお金に困ってる訳じゃないし。後は当面のこっちでの生活費も面倒見てよね」

「んー・・・こんなもんか?」

「その指一本幾らなのかしら? 安かったら受けてあげないわよ」

「10億ドルだ」

「って事は五十億ドルね・・・・・・・・・・ごじゅうおく、どる!?」

「ああ」

 満足げに頷く真人。その隣りに居る螢はあまり興味が無いのか、平然と注文したデザートであるイチゴパフェを食べている。

 だが雅美は目の前の男が本気で言っているのが分かる辺り、やはり冗談ではないのかともう一度確認してしまう。だが、それを補う様にして真人が続けた。

「別に難しい金額じゃないさ。なんせアメリカの国防省のトップばっかり殺すんだ。目標の殆どが独り身だから家族まで殺めないで済むし、職業軍人ってのは結構金を蓄えてるもんだぜ。それに足りなけりゃ何処の国でも良いし、アメリカの国防省が崩れたって情報を流せば高く買ってくれるさ。力だけが正義の国なんざ、何処の国からでも恨まれてるしな。特に悪党」

「か、家族が居る人たちはどうするの。罪のない人たちとは言わないけど、そんな女子供殺すのは私も嫌よ」

「その点は抜かりは無いさ。あらかた家族無しの奴ら殺した後で、手紙でも送りつけりゃ良い。妙な真似をすれば血縁を先に丸ごと殺すってでも書いてな。先にって点を強調しときゃ、俺に取って不利な事はしてこないさ。何せ国防省のトップを簡単に殺せる程、腕の立つ奴ら。自分たちではなく、その血縁全てを守ろうと思えばそれこそ他の地域の警察官や軍人全て動員なんて事になる。そんな事出来る訳ないだろう?」

「・・・・」

 ここまで考えられる相手は今まで出逢った事がない雅美に取って、それは心理戦も入れたまさに戦争と呼べる代物なのかもしれない。目の前の男なら、もし必要とあらば妙な真似をした輩の血縁丸ごと消すなんて芸当もコーヒー飲みながらやってしまうだろう。その血縁を殺すと言う判断も、ろくでもない血縁ばかりの所ならそれも考慮に入れて、殺す側に入れている様な気さえし、それだけの自信だけなら良いが、何故か今の雅美には目の前の犬神真人と言う男が本当にやってしまえると言う確信さえあった。

 だが、まだ話が終わった訳ではないらしく、唯一真人は頼んでいたオレンジジュースを飲み干してから更に言葉を続ける。

「それに五十億ドルってーのは、お前の訓練して貰う代金も込みだ。命の値段と考えて貰えれば納得行くか?」

「訓練・・・? 死ぬかも知れないのは国防省を相手にしてからの話じゃ」

「いんや。お前さんは暗殺専門の技術だけで、昼間の厳重警備の敷いてあるペンタゴンに踏み入れると思ってんのか?」

「はい?」

「それにだ。任務が終わるのは生き延びて帰った時だ。殺した時が任務完了じゃねぇんだよ。だから正確に言えば、お前の命を危険にさらす値段、って訳だ。ご理解いただけましたかな?」

 芝居が掛かった風に言ったのは、この男なりの冗談なのだろう。だが、内容だけ聞いていれば冗談には聞こえない。

 だから雅美は溜息を吐いたのだろう。

 やたら面倒な事に巻き込まれたのだと。

 そして皮肉を吐く。

「もう受けるから良いんだけどさ」

「何だ?」

「アメリカの国防省が崩れるって情報流したとして、アメリカがなくなっちゃう、なんて事になったらドル紙幣、意味が無いんじゃ・・・・」

「流したとすれば、だろ? 五十億ドルくらい手元にあるさ。なんなら見るか?」

「ははっ・・・・」

「他に質問は?」

「・・・・・何故国防省と喧嘩なんてしてるの? そことだけやっても意味が無い様な」

「するわよ」

「・・・・・?」

「貴方の訓練期間が一週間。で、八日後にアメリカって国その物を相手にするんだもの。警察とか他の所はあんまり関係無いから、政府の中枢であるホワイトハウスと、合衆国中の軍事基地をちょこっと攻撃するだけよ」

「な、何人で・・・。まさか私たち三人でやろうってんじゃ」

「まさか」

「でしょうねぇ。良かった・・・・」

「貴方を合わせて五人よ」

「もういや・・・・おうちに帰して・・・・」

「何よだらしない」

「だらしなくない!! これが普通の反応よっ!!」

 そして店内の客全員に注目される中、雅美は生き地獄を味わう事になった、自分の不甲斐なさに嫌気がさしたのだった。





 その一時間後、昼時も過ぎ夕方になった辺りで諦め顔の雅美はあるビルの地下に居た。

 ビルの外はやたら黒人が目立つ街だと思うのが素直な感想で、ビルの入り口は「NOISE」と書かれたドアの上の看板と「CLOSE」とドアノブに掛かった小さな看板があり、内装はライブハウスとでも言うのだろうか。暗がりに隠れたステージと掃除をする、これまた黒人の老人、そしてカウンターと客が座る為の椅子が所狭しと並べられていた。

 そんな店内を抜け、地下に来て直ぐに渡された物は一着の黒い服。それに着替えろと言われ従業員専用の控え室だろう。その中で螢と共にその服へと着替える。何故か螢の服とデザインは同じなのに、螢の服装が灰色だと言う違いを聞けば「兄さんのなの、それ。大きいけど我慢して」と言われそれ以来口を開く気もなくしたのが現状と言った所か。確かにやたら広い部屋の中で対峙している様に、自分の向こう側に立っている真人も同じ服を着て、もう一つ変わった所と言えば普通のサングラスがスポーツタイプの物に変わった事だろう。

「で、私はどんな訓練をすれば良いのかしら」

 半ば投げやりに聞こえる言葉もしょうがない事だろう。事実投げやりなのだから。

 だが、そんな雅美の態度で表す意見を楽しむ様に真人は言った。

「取りあえず、三時間訓練したら五分休憩ってのを五日間繰り返すだけだ。無論睡眠便所食事もその五分以内に済ませる様に」

「え・・・? 今なんて」

「三度は言わねぇぞ。三時間訓練したら五分休憩。それを五日間繰り返すだけ。睡眠便所食事もその五分で済ませる様に」

「・・・・・冗談でしょ?」

「冗談言ってる暇が無いもんでね。それともやる自信が無い、と? それに出来るか? こんな芸当」

 そう言い、真人は唖然とする雅美を後目ににたりとした笑みを浮かべ、その場から消えた。

「え?」

 無論、驚くのも無理は無いだろう。文字通り、音もなく雅美の視界から消えたのだから。そして直ぐさま、後ろで真人の声。

「まず、表現として用いられる神速が一つ目のお題。要は人間に知覚出来ない速さで動けば良い訳だから別に音速で動いても構わんぞ。身体がばらばらにならないんだったらの話しだがな」

 冗談を言っている、と一瞬思ったが、冗談を言っている暇がないと言う言葉を信じればやれと本気で言っているのだ。そしてまた目の前に姿を現し言葉を続ける。

「二つ目は、この今着てる服の性能を最大限に出す事。まぁ、聞くより見た方が速いだろうな」

 そう言い、螢に何かさせようと言うのだ。だが、その螢が持っていた物を見て、雅美は顔を青ざめた。

「しゅ、手榴弾!?」

 安全ピンを抜き、ぽいと無造作に真人に向かって投げる辺り、やっぱりどうかしてるのだと後悔する雅美。だが、真人はごく自然な動作で、まるでキャッチボールのボールをグローブではなく素手で受け取る時の様にそれを受け取り、眉をぴくりと動かす。

 そして爆音、の、筈だった。だが、起こったのは精々ライトを照らした光を真人の手榴弾が放った程度だけである。

「・・・・・・・・???」

「分かったか? これを・・・」

「すみません先生・・・・。ゼンゼン理解出来ないんですけど・・・・」

「全く・・・・一度は見たんだ。原理だけ聞いて理解しろよ」

 仕方なさそうに溜息を吐く辺り、雅美の冗談を受け取っているのか、それとも聞き流しただけなのか。とにかく今から自分がやらなければならない事は、常軌を逸しているあまり、冗談でも言ってないとやってられないと、漸く分かった所なのだ。だから非科学的な事だろうが現実離れした事であろうが真剣に聞く気にはなった。

「まず、この服の材質は精神感応物質。まぁ、オリハルコンとか言われてる物だ。だから多少の爆発、ミサイルランチャー五、六発程度なら簡単に防げる、が、そんな事をしてりゃ一ヶ月在っても足らない。だから最低でもこの五日間でハンドマシンガンくらいは防げる様になって貰うから覚悟しとけよ。」

「それが私に出来る根拠は何ですか? 正直そんなSF映画見たいな事出来る気がしないんですけども」

 そしてこれが僅かな、雅美なりの反抗なのだろう。やる気がない訳ではないが、どうせならしっかり納得してやりたいのだ。

「根拠は・・・まぁ、お前が忍びだって事だな。毎日欠かさず鍛錬してるから、シャドウなんたらって組織も一人で半分は壊滅させられたんだ。その時点で十分お前は映画見たいな存在だと思うぞ。もう一つは一度死んでんだろ? お前」

「まぁ、今生きてはいますけどね」

「俺も流石に死人まで生き返らせろとは言わない。俺も出来ないからな」

『出来たらしろと言うのか?』

「なんか言ったか?」

「いえ。なんにも」

 心を読まれた訳ではないが、一応そう答えて置くのが無難と判断した雅美。真人はそれによく分からない様な表情で頷いて続けるだけ。

「ふむ・・・・。だから精々、心臓潰された程度の怪我ならば治せるって所だ。だからお前は助かった。あの時言っただろ? 大丈夫かって」

「あれ・・・あんただったの?」

「正直自信なかったけどなぁ。なんせ俺が学んだ気功術(きこうじゅつ)ってったら硬気功(こうきこう)と外気功(がいきこう)と内気功(ないきこう)位のもんで人を治す技術なんざ学んでなかったし。運が良かったんだろ、お前の場合。それに、だ。お前が望んでるか望んでないかは知らないが、外気功を使ってたからって言うのも助かった理由だ」

「私が・・・? そんなの使える覚えが無いんだけど」

「別に自覚してようとしていまいと、内外二つの気功術ってーのは本来人間に備わってるもんだ。外で気分転換するために深呼吸したりするだろ? 呼吸を吸って、外気を取り込んでいるのさ。これも外気功の一つだ」

「そ、そんな簡単だったの?」

「だからこそ奥が深いんだよ。ま、今回は別に要らない技術だ。欲しかったら仕事が終わった後で教えてやるよ」

「遠慮しときますよ」

「そうか? 応用次第で使える技術なんだがな。ま、いっか。そいじゃまずは鬼ごっこだ」

「・・・・あの」

「なんだ?」

「それに意味があるんで・・・・」

 何が悲しくて、いい大人が鬼ごっこなどと子供の遊びをするのだろうかと落胆してしまったが、何を意味しているかは噛み砕いて考えて見ればよく分かった。

「要するに、神速で動くあんたを捕まえれば良い訳、か。そうすれば神速を物に出来る」

「ほう・・・・物わかりがよくなってきたじゃないか。じゃ、たき付けついでだ」

「?」

「三日以内に俺を捕まえられたら・・・・」

「たら?」

「うさぎのぬいぐるみを買ってあげよう」

「・・・・・・・・」

 そして笑えない、と、言うより笑わない冗談を聞き流し、訓練は始まるが、雅美は最初、それがどんな苦しい鍛錬か実感が湧かなかった。

 最初の休憩の時は、そんなには直ぐに神速を得られるとも思わず、ある意味追いつけなかったのは予想通りと言える。その間、真人は常に動き回ると言うよりもいちいちその場に立ち止まり、雅美の行動を待って、行動したのを確認してから動くのである。かなり嫌な訓練だな、とはこの辺りで気付いていた。

 三度目の休憩の時は、ほぼ九時間動きっぱなしの状態で、たった五分の休憩がどれほど大事かを身に染みて覚え、その反面、真人は少し歩き回る様になった。

 翌日、通算十回目の休憩の後、雅美はだんだんと嫌気がさしてきたのだろう。動かなくなりつつある身体は重くのし掛かり枷になっているのが分かる上に、真人は同じ時間、ここに居て同じだけしか休憩を取っているにも関わらず最初と全く動きは変わらず神速のままで、失敗する事に罵声やからかいの声が威勢良く飛んでくる。だが、くじける程やわでもなし、くじけられる程実力が備わっていない自分が悔しくもあった。

 三日目の、夜だろう。この辺りから既に休憩が何度目か等数えているのも嫌になって来ていた。相変わらず身体は重く、脚はぱんぱんに腫れ上がっているし、食事も無理矢理腹に押し込める物と言うので、螢が様子を見て持ってきてくれるスポーツドリンクと少しの栄養食だけ。美味しくも感じるのだが、直ぐに動かなければならない分、腹が減るのもひとしおだった。

 そんな状況の中で、約束の三日目だった事を今の今まで忘れていたのだろう。からかう事でしか口を開かなかった真人が別の事を口にした。

「今日で三日目だな。ぬいぐるみ、欲しくないのか?」

 実に楽しそうにしている分、憎いとも感じるがやはり実力が段違いなのだろう。全く汗一つ掻かず動きも乱れがない。どういう修練を積めばこんな風になるのか教えて欲しい位だったが、それを考える前に真人の次の言葉。

「そろそろ気付いて良いと思ってたんだがな。まだ分からんか?」

「・・・・ぜ、禅問答なら・・・・分かる訳ない・・・でしょ・・・余裕無いんだか、ら・・・」

 ただ三日間徹夜するのと、一つの、それも身体を動かし規則正しく流れる地獄は雅美に取ってこれ以上ない程過酷な物。だからこそ、動いていないなら、速く動いて次の訓練に映ろうと、ただ、ひたすらに真人を追いかけるだけ。だが、虚しく手は空振りに終わり、真人がにやけ顔で言った。

「じゃ、ヒントをやろう」

「・・・・・な、に」

「簡単な事さ。わざわざ、このオリハルコンの服を渡した理由を考えてみなって言ってんだ。ヒントはこんだけだよ」

「・・・・・・・?」

 疑問さえ、考える時間と言うので休め助けにはなる、のだが、解けない疑問ほど恨めしい物は無く頭の片隅に追いやろうと、雅美は頭を振ってそれを忘れようとする。だがまるでそれを遮る様にまた真人の声。

「三日前俺が言った事思い出して見ろよー」

「くっ!」

 馬鹿にされる事など、この三日間で慣れたが「答えを知っているぞ、お前は」等と言う口調で言われれば、今それ以上堪える物は雅美には無い。何せプライドをずたずたにされた後に、更に無力だとすり込みをされている様な物だ。自分の記憶が正しければ、こんな訓練をいつかも続けて居れば気が触れてしまうだろうと言う想像すらしてしまう。

 だから速く答えを見つけ、終わらせたい。

 だが、自分の実力と頭が足らないばっかりにその答えは見付からず、終わりも見えてこない。

 後たった二日の訓練だが、それが一週間にも感じられ、生き地獄を味わったのは何度目か、等とも考える。

 そしてそれが自ずと三日前の事に遡るのも、そう長い時間を要さなかった。

『あの馬鹿が言ったのは・・・この服の説明と、馬鹿なパフォーマンスと今も見せてる化け物じみた速さ。他になんか言ってたか?』

 永遠と繰り返し、終わりのない考えは頭の中でぐるぐる回るばかりであり、ストレスを溜めさせる原因になる。だが、流石の雅美も考えを止めてしまう等と言う事が出来る程器用でもなく、それを忘れさせてくれる程時間も無い。

『一体なんだ? ヒントだと言っていたが』

 目の前が霞み、真人の姿がよく捉えられない。

 それでも動くしかなく、身体を無理に動かすだけ。

 その結果が報われなくても、ただその為だけに動く。

『観察しろ・・・・冷静になれ・・・・。』

 何時もそうやって物事を解決してきた故に、冷静になろうとはする。だが、その度にやはり邪魔をするのは自分が追いかけている真人。わざわざ隙を見せてはチャンスを作り、それをふいにする事で、冷静さを欠かせ答えを見つけさせない様なそぶりを見せる。

『挑発だ・・・。分かり切ってるじゃないか。身体の動きだけを読めば良い』

 一心不乱になる事で、それを忘れようとする。だが、疲れが堪りすぎているのだろう。半端な集中力ではそれも出来ない。

『ちっ・・・・。一度も息切らさないなんてどういう構造してんだ?』

 見た目は、少し変な日本人。だが、その中身は間違いなく化け物と呼べる代物だろう。

 これだけの実力を見せつけられた後では、戦う気が失せるどころか、戦う事になったら絶望するしかないだろう。何せ三日三晩、動き回り息も切らさないのである。化け物以外、なんと呼べば良いのだろうか。

『それに引き替え俺の呼吸の止まらない事・・・・・チクショウ!!』

 自分を叱咤し、脚を踏ん張って相手へと手を伸ばす。が、やはり寸前の所で空を切りバランスを崩すだけ。

『疲れるわよ・・・・こんなバラバラの動きじゃ』

 頭で言葉を描く度に前に出ようと頑張るだけ。報われない動き。報われない頭の空回り。

 だが、疲れているからか。

 雅美は一つ気になる事に漸く気付いた。

『・・・・・・・』

 相手の姿はまだ捉えられる速さにある。それ故、相手がどんな表情をしているかは微かに見え、聞こえる音は自分の荒い呼吸と、真人の一定の間隔を持っての呼吸。真人の顔に手が触れそうになった時もそれは感じられ、その気付いた事が確信へと変わって行く。

『特殊な呼吸法・・・なのか?』

 マラソンを走る時と、100メートル走の時の呼吸法が違うのは当たり前だ。前者は効率よく肺の空気を入れ換え、後者は一気に溜め込んだ空気を短時間で消費するのだ。それが動いている時の速さも関係し、速ければ速い程、空気を身体へと取り入れるのは難しくなってくる。

 それを考慮して考えれば、真人のやっている呼吸法は一定のリズムを絶対に崩さない、平常時の物。つまり真人に取ってこの動きは走る事にすら当たらない事なのだ。

 だが、そこで考えを罵倒へと持って行く事はせず、見付かった糸口を解き明かすように次の材料を頭の中で探す。

『ヒントだと言ったんだ・・・・。このオリハルコン製の服が。何か呼吸法と関係があるんじゃ・・・?』

 一見、全く関係の無い二つの事柄に見え、そう考えてしまいがち。

 だから少しの間だけ、考える為の一瞬の間、止まる。

『呼吸法と・・・服・・・・・。三日前言っていた、事?』

 そして直ぐさま隙を見せる真人に追いつこうと身体は自動で動く如く走り、そして無駄になる。

 だが、それは先ほどまでの事。今の雅美に取っては、動く事で何かが見付かりそうな気がするのだ。

『言っていた事・・・・最後に・・・』

 呼吸法と言う言葉は聞かなかった。それは自分の頭の中にあった言葉であり、ひっかかるのはそれに似た言葉を聞いたから。その考えを纏めるには酸素を能へと行き渡らせる必要があり、休まなければならない。しかし休む時間はまだ当分先の筈。それ故、休む暇は無い。

『思い出せ・・・・・ヒントだと言ったんだ』

 考えを纏めながら動く事をする為に、雅美は一端目を閉じ、意識的に聴覚を使わない様にする。それくらいの芸当は、雅美に取っては出来て当たり前の事。

 気配だけを触覚である肌で感じ取り、それに向かって動くだけ。

 頭は五感の内、二つ、いや、味覚も麻痺させれば三つだろう。

『嗅覚も閉じるか・・・』

 このときほど、五感を自由に操れる事を便利に思えた事はなかった。

 二つにも満たない時から続けていた修練も、こんな時に役立つのだなとも思え、少しは考える余裕も出てくる。

 後は身体と頭を動かすだけ。

『考えろ・・・考えろ・・・考えろ』

 だが、やはり疲れた身体ではどうにもならないのだろう。慣れない五感の四つまでを閉じ、三日三晩動きまくる身体で考えようとすれば気分も悪くなると言う物。なまじ止まりはしない身体故に、逆にそれが辛くもある。

『ちっ・・・・』

 叱咤する力も無く、身体だけに重点を置いた為、その分新しい酸素を欲しがる欲求が嫌と言う程分かる。

 だが、地下の、大きいとは言え密室で動き回ればその分の酸素量が減るのは当たり前。思い返して見れば、換気扇も見あたらないのだ。空気が淀んできても仕方のない事。そして雅美は思った。

『こんな地下で気分転換なんて・・・・』

 だが、そう思った途端、雅美の動きは止まった。

「気分・・・転換?」

 そして頭で描いた言葉を口にし、確認するように考える。

 いつの間にか、五感は元に戻っていた。

『そうだ・・・。あいつは気分転換が簡単な気功術だと言ったんだ』

 一つのほつれが見付かれば、後はそこを退くだけで紐解けて行く。

 織物と同じであり、それは疑問も同じ事。

『だけど・・・気功術とオリハルコンの服でどうやるの?』

 しかし、現実にある物をただ壊すのとは訳が違い、それは思ったよりも難しい事。

 だがそれ以上に、気分はいつの間にか楽にはなっていた。

「何止まってんだよ。ほれほれ」

 疲れて止まってしまったとでも思っているのか。腰を振って挑発するそぶりを見せる真人。明らかにその動きは下手くそで、馬鹿にした動きだと言う事が分かる。だが、それと同時に慣れない動きでもあるのだろう。少し気恥ずかしささえ感じる事の出来る余裕が今の雅美にはあった。

『答えは分からない・・・けど』

 そしてまた一歩踏み出した時、真人の表情が変わるのが分かった。

『行ける!!』

「!?」 

 一気に加速出来た雅美の速さは寸前の所でやはり届かないに見える。だが、そこからが先ほどと違う事。

 身体の中身がまるで変わってしまった様に、疲れも感じさせず動かせるのだ。五感もやけにクリアになり、先ほどまでぼんやりしていた全てが見え感じられる。

 そう断言できる程、雅美は自分の身体が変わった事に気付く。

 しかし一度目はまだ届かない。

 気付いていない、最後のピースがあるからだろう。

 だが、疑問の最後のピースほど見付かりにくい物は無い。

 二度、三度と、最初よりはマシにはなったが、まだ足りないのがよく分かり、イライラが戻ってくる。

「あーもうっ!!」

 それを気合いで一喝し、今度はもう自棄にでもなったかの様に彼女はある一つの結論にたどり着く。

 どれか一つ扱うのが面倒になり、纏めて扱ってやれば良いと思ったのだ。

 そして五感を閉じるのではなく、完全に開き切り人間の限界ギリギリまで能力を引き出し、真人へと迫る。

 そこまでなら、何度やっても変わらない光景に見えた筈だ。何度やっても同じく、寸前の所で触れないで終わる。だから悪かったのだと気付いたからこそ、その先まで読む様になっただけではなく、相手を陥れる為の策を張ったのだ。

 自分が動き、寸前の所までは真人は動かない。つまり、近づくまでは止まり、視覚と聴覚を全力で使えばどちらに行ったかは分かる。その方向に向かい、真人よりも速い神速で動けば捕まえられる事が出来るのだ。だからこそ、一心不乱になり、ただ捕まえると言う考えしか頭になかったのだろう。それだけの為に思考を一色に染め上げ身体の能力を限界以上に引き出せたのもその為だ。

 そして漸く、手には真人の身体の感触があった。

「やりゃぁ出来るじゃねぇかよ」

「へっ・・・・あたし、だって・・・忍びの端くれ・・よ」

「端くれどころか「にんじゃますたー」にでもなれるさ、その速さがありゃぁな」

 そして真人は笑顔で雅美の頭をくしゃくしゃと撫で、言った。

「さ、行こうか」

「・・・・何処へ。少し休ませて欲しいんだけど」

「んな必要ないだろ? 身体のどっか痛いか?」

「え・・・?」

 言われなければ気付かなかったのかもしれない。

 何時の間にか、まるでこの三日間が嘘だった様に雅美の身体からは疲れが取れていた。

「な、なんで・・・・」

「その説明も兼ねてぬいぐるみを買ってやると言ってるんだよ」

「だからぬいぐるみなんて要らないって」

「食事付きでもか?」

「行かせて頂きます」

 そして不思議と疲れていない身体ではあった物の、空腹には我慢できず真人に付いて三日ぶりの外へと出る。

 そして食事に行く途中玩具店の前を通り過ぎたのは、真人なりの冗談だったのだろう。だが真剣に「欲しくないのか?」と聞いている顔を見た時、冗談を冗談として言っていないのではないかと、少し心配にはなったが。





 そのきっちり四日後、雅美は真人と共に国防省ペンタゴンに行た。進入は思ったよりも簡単で、センサーなどに引っかかる前に神速で動ききってしまえば誤作動だとでも勘違いされるのか。思ったよりも兵隊を殺さずに来れたのは雅美に取って初めての経験である。しかしサングラスを掛けたまま暗がり等で行動する真人を見て、何か仕掛けでもある様な疑問すら抱ける程の余裕だ。そして司令室だろうか会議室だろうか。いかにもお偉方が揃っていると言う雰囲気の部屋の中に入った時、二人は漸く神速の速さから姿を現す。

 だが無論、全くではないが早口で捲し立てられる英語を理解出来ない雅美は何を言われているのか分からず、最初に真人の言った通り、何を言われても無視しただ行動に関して目を光らせて居るだけ。

 真人も英語で喋っている最中、邪魔も出来ないので黙っては居たが、そのお偉方の殆どは最初驚いた時よりも更に顔を蒼くしているのだけは分かった。声色も風格とは違い怯えきった物にすら感じられ、真人がその元凶である事は間違いない。しかし理由の分からない雅美に取っては、耳障りな声にしか聞こえない言葉。

 そして口論、と言うより、一方的な要求だろうか。真人の言葉を怯えながらも聞いていたお偉方達の何人かは立ち上がり、仲間割れでもし出したのか。隣や自分の向こう側に居る仲間に銃を抜き放ち、それで威嚇する様に叫んでいる。それには流石に雅美も驚いた故に、口から言葉が出て来てしまう。

「何? どうなったの?」

「さぁ。見ての通り仲間割れだな。こっちの手が汚れなくて済むだけの事だ」

 しれっと言う辺り、ここに揃っている連中の命などそこらにあるゴミと大差はないと考えているのだろう。言葉の節々が分からないだけに、それが良い事なのか悪い事なのか判断仕切れない。その時、自分たちの入ってきたドアがいきなり開き、金髪女性が入ってくる。格好から考えて軍人だろう。年齢は真人とさして変わらないと言った所。が、今の雅美に取っては少々邪魔になるのは分かり切った事であり、直ぐさま後ろへと回り込み羽交い締めにしてしまう。ちなみに多少動こう物なら腕の一本や二本は覚悟して貰う為に、耳元で囁いた言葉は日本語ながら、迫力のある声であったのだろう。女性はそれっきり大人しくなり、部屋の中の同行を探っている様だった。

「そいつ通信員だろ?」

「え?」

「日本語喋れるか?」

 雅美の意見を待たず、勝手に判断する真人。何か知っての事だろうが、金髪女性は喋ろうとせず、雅美には一見彼女が英語を話せない様に思える。

「雅美、離してやれ」

「え? 良いの?」

 判断を仰ぐ立場であり、意見する立場でないのは心得ている。だが、真人は螢の最初の評価通り、何を考えているのか分からない。そしてその次の言葉を思い出し、彼女を解放する。

 だがその瞬間、雅美は何かを感じ取り真人の横へと並び身構える。

『な、何よ今の・・・』

 そしてもう一度様子を見るが、なんら変哲のない軍人女性に見える。

 しかし雅美の予想は当たっていたらしい。その手に握られて居たのはこのアメリカにはあまりにも不似合いにぎらつく小太刀だった。

「そっちの男とは違って、あんたはやっぱり良い判断力してる様だね。相川雅美」

「な、なんで私の名前を?」

「おや、見忘れたのかい? この不知火様を」

「!!」

 そう言い、にたりと笑う軍人女性の顔に雅美は見覚えがあった。

 何せその女性こそ、雅美を殺した女性なのだから。

「まさか生きてるとは思わなかったよ。あの場で確かに仕留めた筈なんだからねぇ。そっちの男に乗り換えたのかい? あんたの弟もそいつに劣らずイイ男だからねぇ」

 だが、その次に言い返そうと雅美は声を絞り出そうとしたがそれを遮る様に真人が口を挟む。

「そう言うあんたもなかなかのもんだぜ。俺の知ってる女の中じゃ一、二を争う程だ」

「あら、嬉しい事言ってくれるねぇ。そんなガキじゃなくて私の方に付けばイイ思いさせてあげるわよ」

 お互いにたにたしながら、腹のさぐり合いでもしてるのか。それとも本気で交渉をしているのかは雅美には分からない。何せそんな事をやるような余裕はないのだから。

 不知火と言う女性と戦い、負けた理由は簡単。歴然と実力の差を見せつけられたからだ。

 どんな攻撃も彼女には通じず、どの攻撃をも防げなかったと言うのを目の当たりにすればそれを感じるのは当たり前だろう。気が付けば脚が震え、それを隠すので精一杯なのだ。

 心の中が恐怖で塗りつぶされそうで。

 そして彼女から視線を逸らし、あの時と同じ光景を見る。

 いつの間にか会議室は静かになっていた。聞こえるのは真人と不知火の遣り取りだけであり、その他で雅美の耳に聞こえるのは計器類やこの部屋の外の音ばかりだ。だが、その理由は会議室の中に居た軍人達の口論が終わったからではなく、誰一人として人間ではなくなったから。

 不知火の、何らかの仕掛けによる傀儡術(かいらいじゅつ)と言い、要は人を人形の様に扱ってしまう方法。それ故、個人の意識レベルでの葛藤を完全に排除し、術者の思い通りに人形が動くのだ。それ故のチームワークは嫌になる程正確であり、本来ならば出来ない、360度全方位攻撃などと言う芸当まで全くタイミングをずらさず同時に出来るのだ。

『だけど・・・・』

 そう、だが、雅美は一週間前の雅美ではない。神速と、オリハルコンの防具まであるのだ。恐怖に塗りつぶされそうになった心をそれに勝る何かで染め直し自分を保とうとする、の、だが、どうやら雅美を除いた二人の話は勝手に進み、終わりに近づこうとしていた。

「それは残念ね。貴方見たいなイイ男なら、アッチの方も凄そうなのに」

「勘弁してくれよ。それにあんた勘違いしてるぜ」

「何をかしら?」

「俺の知ってる女の中じゃ、一、二を争う程魅力の無い女だと言ったんだよ」

「ほほほほほほっ!!」

 高らかに笑っている物の、明らかに怒っている事など一目瞭然。だがその最中で真人は小声で雅美に提案した。

「雅美、この馬鹿俺に譲れ」

「え?」

「報酬上乗せしてやるからよ。それに今のお前じゃ勝てない相手だ」

「何で」

「あいつも俺達と同じく、オリハルコン製の服を着てるからだよ」

「・・・・・・」

 とてもそうは見えないが、真人個人で所有出来る物ならば国と言う、それも軍が所有していても可笑しく無いだろう。そして個人的に考えれば正直、屈辱戦で勝ちたい気持ちもある。だが、その時雅美は真人の表情を見て、頷いてしまう。

「サンキュ。帰ったら俺のお気に入りの銃やるよ」

「え、ええ・・・・」

「あら、相談なんかしてどうしたのかしら? 逃げる算段でもしてらしたのかしら?」

「お前は攻撃避けてるだけで良いさ。面白いもん見せてやるから見て驚け」

「無視とは良い度胸ですわね」

 その時の真人の表情は、明らかに笑っている筈なのに、何処か怒っている様にも見えたのだ。冷笑と言う言葉があるが、そんな冷たい感情ではなく、熱く燃える感情と言った方が正しいのかもしれない。そして怒る理由は分からなくとも、それだけの自信が有り断言出来るのならば、笑っている理由は不知火をどう倒そうかと考えている故。

 いや、どうやって遊ぶかと言った方が正しいのかもしれない。

「いや、すまんね。雅美にゃ手を出さない様に言っただけだ。あんたとサシで勝負して見たくなってよ」

「やっぱり、私も勘違いしていましたわ」

「へぇ」

「貴方は自分の実力も分からぬ愚か者ですわ。だからもう興味が失せましたの、私」

「後一つ良いか?」

「なんですの? 私は貴方と話す事なんて」

「アンタを壊して良いかい?」

「ふふっ。出来るものならやってごらんなさい」

 その声が合図なのだろう。傀儡になった軍人達が、人間味の全く失せた動きで真人と雅美の方に近づいてくる。わざわざこう言った趣向を凝らすのも不知火と言う女の趣味だ。それだけに、恐怖を増させる為の。

「行け」

 そして一斉にただ、殺戮する為だけの軍人達が二人に殺到し、雅美は真人の言われた通り、避け様と身体を動かす。

 が、それは半端な所で止まり、その部屋一帯が一瞬凍り付いた様に冷えたのを感じた。

「雑魚だけで俺が倒せる訳なかろう? なぁ、「MEDIATOR」の不知火よぉ」

「へぇ。知ってらしたの? 馬鹿の割になかなか博識でいらっしゃるのね」

 雅美が行動を止めた理由は、軍人達が一瞬にして動きを止めたから。そしてまた一瞬の間を置き、血飛沫が舞い生きた人形は全員が倒れる。

 そして不知火の声も心なしか、恐怖を帯びている様な気がするのは気のせいではないだろう。

 何せ雅美も真人が何をしたか、全く検討が付かないで居たのだから。

「こいつらよ、面白い操り方するんだな」

 そんな最中。唯一冷静で、どう考えても楽しんでいる口調にしか聞こえない声で真人が言う。

「オリハルコン製の勲章かなんかで、お前の持ってるその勲章が送信機役で、自分の思念を飛ばすんだろ? なかなか裏技的な使い方だな」

「あら。ロストテクノロジーの事まで知ってらっしゃるとは・・・」

「ロストテクノロジーじゃないさ」

「・・・何ですって?」

「何時何処で消失したのか知らんが、開発した奴はずっと使ってるぜ。公表したつもりも無いって言ってるし、俺達側から言わせればそれは半端なテクノロジーさ」

 自信がある、と言う言い方ではなく、ごく当然と言った感じで真人の言葉は紡がれている。だが、会話の内容は雅美には今一分からないが、不知火が更に焦っている事は確かだった。

 何せ、自分と戦った時は汗も掻かず終止嫌な笑顔だった顔が、今は恐怖で引きつっているのだから。

「それに、だ」

「無駄口が多くてよっ!!」

 チャンスとばかりに、不知火は動き真人の言葉を遮る。その速さは神速を物にした雅美ですら捉えきれない物。そして雅美は真人も同じであると考えていた。

 だが、消えて直ぐに姿を現した不知火は真人の目の前で止まっていた。その拳に握られた小太刀は確かに真人の心臓がある胸に届いては居るのだが、服の所で止まっている様に見える。そして事実そうなのだろう。真人は平然とした顔で言う。

「お前が不知火な訳なかろう?」

「そ、そんな訳ないでしょう? 私がMEDIATORの不知火よ」

 後ろへと飛び退きながら距離を保ち、逃げようとでも考えていたのか。

 それが裏目に出た訳ではない。確かに雅美の五感では捉えきれない、先ほどと同じ位の速さで動いた筈。だが、単純に言えば動きを読んだ、そして良い風に言えばこんな時でも冷静に周りの状況を見ていると言う事か。どんとぶつかる音がして現れた不知火の前には真人が立っている。場所はドアの前。

「何故お前が不知火じゃないか言ってやろうか」

「ひっ・・・」

 そこで初めて見せた真人の威圧感は、五感を開いていた筈の雅美には全く感じられず、不知火にだけ届いているらしく、雅美以外には機械や死体にまでビリビリとした緊張の空気が伝わっているのが分かるが、やはり自分にはそれが効いていない事がよく分かる。

 そして漸く、もったい付けた様に答えを長引かせた真人はそれを言った。

「俺が本物の不知火だ。MEDIATORなんて名乗らないしな。知らなかったか?」

「!!」

 一心不乱になって逃げようとするのがよく分かるが、恐怖が先立って脚が動かないのだろう。真人はただ不知火と言う名前を使った女性の顔に手を掲げ、嘲笑うかの様に言い退けた。

「それに俺達は調停者(MEDIATOR)じゃなく、修羅だ。覚えとけ馬鹿女」

「ぎっ!! あ・・・・が・・・・・」

 そして女性はばたりと倒れしばらくの間、痙攣していた様だがそれも止まり絶命したかに見える。

「殺したと思ったか?」

「え? だってこれ・・・」

 疑問を生み出す言葉をわざわざ言い、雅美を楽しませている気分なのだろう。どちらかと言えば、相手がとまどって居ようとも、自分が楽しければそれで良いと思っている顔だったが。

「精神構造をちょっと変えてやったのさ。言っただろ? 壊すって」

「精神異常者にした訳?」

「いんや。普通に生活は出来るさ」

「? じゃ、どう壊したのよ」

「いやー・・・取りあえず、夜寝ると、虫のプールに落ちる夢を見せるって所だ」

「む、ムシのプール?」

 嫌な顔をするのは雅美だけではないだろう。真人も心なしか眉を顰め嫌な顔をしている。

「ああ。ムカデとハエとか、ウジ虫とかゴキブリがいーっぱい詰まったプール」

「じ、地味に嫌ね。それ・・・・」

「徹夜を一週間も続ける訳にゃいかんしな。出来ない事もないんだがよ」

「けどこの女なら耐えかねない様な気がするわよ?」

「別に良いさ。耐えようとするほど、人間ってーのは狂うもんさな。治す気があって、改心してもう悪事はしませーん、って泣きついて来るなら治してやるがな」

「な、何でもありね・・・あんたさ」

「これもオリハルコンの使い方だ。精神感応物質ってーのはな、何もお前の服だけじゃないんだぜ」

「どういう事?」

「人間の身体も似たようなもんさ。お前の服は密度があるから、そうだなぁ・・・・。ほら、お酒作る時のでっかい酒樽あるだろ。あれ見たいなもんだ。普通に生きてりゃその酒樽が手のひらでしかなくて濡れるだけで、この女の場合は精々お猪口って所だな。中に入ってるビールが少なすぎるんだよ」

「じゃ、私は一体どの位ビールが入ってる訳?」

「お猪口二杯分」

「くっ・・・言ってくれるじゃない・・・。じゃ、あんたはどの位なのさ」

 皮肉を籠めて雅美は言ったが、何かをしようとしているのだろう。名前も分からなくなった女性の、送信機役の勲章を外しぎゅっと握りつぶす。ただそれだけに見えた行為だったが、驚くべき事に、死体だった筈のお偉方がむくりと置きだしたのだ。ちなみに血塗れのままであるからして、少々の貧血気味なのはふらつく足並みで良く分かる。

 そして真人はお偉方に何かを言い、そのまま雅美を連れて普通に外へと出た。無論、騒ぎを聞きつけ警備員が駆けつけているのだが、それをお偉方が何かを言い止める。そして、真人は歩きながら、楽しんでるぞと分かる顔で言った。

「酒樽百杯分くらいだな。全力でやりゃ、街一つ位全く違う形に造り替えられるぞ。何せ精神感応物質って言うのは、この星の物質全てにある共通点だからな、と、螢が言っていた」

「化け物ね、貴方・・・・。けど螢がそんな技術持ってる様には見えないけどな」

「ああ。あいつこういう技術、子供の頃から作るの得意でな。お前の着てる服とかも螢の作品だぜ」

「さっきからお前お前って、あんたも同じ服着てるじゃないの」

「何言ってんだが・・・・・これは至って普通の布だ。オリハルコンと呼べる程純度は無いぞ」

「な、なんですと!?」

「ふふふ。訓練中も同じ服着てたぞ、俺は」

「・・・・・・後一つ聞いて良い?」

「今は一つだけな。後は帰ってから聞いてやる」

「別に他に聞きたい事無いわよ。聞きたい事は、修羅とか「めでぃあたー」とか言ってたけど、あんた一体何者?」

 それが今日一番、真人を楽しくさせる質問だったのかもしれない。

「お前言ってんじゃん」

「はい?」

 その時、真人は初めてサングラスを外しその暗がりに隠れた瞳を見せ言う。

「化け物だって、な。これが人間じゃない証拠さ」

 そこにあった双眸は、左側の瞳は完全な義眼であるのがよく分かる銀色一色で統一され、そして右側の瞳は緋色をした普通の目。カラーコンタクトか何かだとは思ったのだが、どうしてもそう思えない何かがあり、まるでそれは闇夜に輝く炎にすら見えた。

「・・・・充血してるだけ、とか」

「ま、それならそれで良いさ。さて、帰るぞー」

 雅美はその緋色の瞳が本物とは認められずからかったのだが、別にそれはどうでも良いらしいく、真人は笑顔のままサングラスをかけ直し歩いて行く。

「ちょ、ちょっと! こんな所に置いてかないでよ!!」

 それを急いで追いかける雅美だったが、やはり謎は解けないまま、疑問が最後まで残るのは少しだけ嫌な気分だった。

 しかしそれが元で、この後五年ほど真人達と一緒に生活する事になり、様々な技術を身につけ面倒事を解決して行くのはその時点の雅美には分からない事。

 この国防省を相手にした喧嘩と言うより、一方的な交渉も彼の娘の為だけにやった事を知った時等開いた口が塞がらなかった物である。しかしそれ以上に結婚していたと言う方が驚きだったらしく、その相手の女性と何故結婚したのかは未だに分からないで居るのが現状。だがそれから年月が流れ、名前を変えた彼と再会したときには、何となくではあったがその気持ちが分かったと言う。

 なぜなら、いつでも変わらず、彼と彼の妻は微笑んでいたのだから。

 それは彼の瞳と同じく、いつでも夕闇にある灯火(かぎろい)の色なのだろう。

 そして彼女も知らず知らずの内に同じ炎を瞳に灯す様になり、共に道を歩く人物を見つけるのだが、それはまた、別の話。

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