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忘れてしまった想い出の中の時。
大切な約束をした筈なのに、時と言うのは残酷な物。 様々な事を経験して歩み行く先は、忘却の時と何時決まったのだろうか。 そして彼もまた、それを忘れている一人。 しかし少し違うのは、彼が夢の中でそれを思い出していると言う事。 最も、彼は夢から覚めれば何もかもを忘れてしまうのだが。 その夢の中で、彼の姿はいつも子供の頃だった。 まだ両親も生きていた頃。姉と共に暮らし、愛犬のハスキー犬とは生まれた時からの付き合い。 そしていつも、何処かに遊びに行く時は愛犬と一緒だった。気弱い少年の頃はよく他人に虐められていたのだ。 それ故、姉が居ない時は愛犬と一緒に遊び、姉が居る時は三人一緒で遊んだ。だから夢の中でもそれは同じ。 だが、平凡な毎日を暮らしていた筈なのに、彼は夢の中の出来事の様な現実を覚えては居ない。 「お姉ちゃん、どうして泣いてるの?」 夕暮れの赤い時の中。家の近くにあった河原で彼は一人の女性と出会う。とは言っても、姉とさほど歳も変わらぬ様な容貌故に、 そして哀しそうに肩を揺らし啜り泣く姿がいたたまれなかったのだろう。そしてそれは子供故の純真さから出た、優しさではなく興味心だったのかもしれない。 だが、姉と歳も変わらぬと見える少女は、泣きやむ事がなかった。 「ノブナガ、なんでお姉ちゃんは泣いてるの?」 男の子は不思議そうに、愛犬に訪ねる。だが、無論言葉など返ってくる筈も無い。しかし、その時の彼には確かに、愛犬の表情が哀しげな物に映っていたのだ。 そして男の子はまた、少女に尋ねる。 「泣いてちゃ、何にも良い事無いって、お母さん言ってたよ? だから泣いちゃ駄目だよ」 男の子は少女の顔を覗き込み、そう言う。 その言葉に反応する様、少女が顔を上げた時、男の子は屈託のない笑顔でそれに答える。だが、少女に取っては、それが不思議で堪らなかったらしい。 「私の目、変じゃないの?」 そう言われ、男の子は少女の目を見た。そしてそこにあったのは、冬に冷たく輝く様な二つの月だった。 「綺麗だよ。お姉ちゃんの目」 何の知識もない、子供だから、そう言えたのかもしれない。 少なくとも、少女はそう思った。 今まで幾度と無く、この目が理由で迫害され、忌み嫌われ、誰にも相手されなくなったのだ。 誰一人として、少女の目を「綺麗」と言ったモノなど居ない。だからこそ、少女の心は素直にその言葉を受け止められなかった。 「綺麗じゃない・・・・・。悪魔の目だよ、これは。だから虐められるの」 そして歪んだ笑みを浮かべた所で、また、涙が溢れてくる。 何もかもを、否定せざるを得なかったのだ。そして哀しみはそれでも絶えず、涙となって現れる。 例え、どんなに心を冷たくしたとしても。 例え、どんなに優しい心で触れられても。 だが、男の子は諦めが悪いのか。少女にまた言った。 「僕が結婚してあげるから、泣いちゃダメだよ」 「え・・・・?」 その言葉と共に少女は驚いたが、言葉の意味を理解していないと、少女は直ぐに理解出来た。 純粋と無知は違い、今、目の前で優しく言葉を掛けてくれる男の子は後者なのだ。 そして無知な少年は、屈託のない笑みを浮かべながら続ける。 「僕が守ってあげる。だから泣いちゃだめだよ」 「・・・・・・」 誰にも言われた事のない言葉。 ただ、慰み者にされるだけの身体と、それに耐える為に歪む心。 そんな少女には、自分に不似合いな言葉だとばかり思っていた。 長くを生きると言う事は辛い事。それを知り、頑なに開かなくなった心はいつも冷たかった。 そして何もかもを否定する事で、少女は自分が生きていて良いのだと、僅かに思えるのだ。 だが、本当にそう言われた事など無い少女に取って、それは想像も付かぬ程の嬉しさがこみ上げるモノだった。 「ほんとうに・・・・守ってくれる?」 「うん! 約束だよ!」 そしてたわいもない、子供の遊び。そう分かりつつも、差し出された小指を少女は重ねる。 その時は何故か、目の前に居た少年を信じたい気持ちだったのだ。 誰にもないそれが、目の前にある男の子にはあると、思えたからかもしれない。そしてまた、いや、今度は悲しさではなく、嬉しさから涙がこみ上げる。 「あ、ダメだよ。泣いちゃだめ」 そして男の子は少し頬を膨らませながら、少女の涙を取り出したハンカチで拭う。それだけの行動が、今の少女には一番辛く、そして嬉しかった。 「うん、もう泣かない」 「じゃ、約束。もう泣かないって。絶対泣かないって」 そして約束を交わし、男の子は言った。 「僕はね、ナルミって言うの。お姉ちゃんは?」 その時の事を、少女は今でも覚えている。 初めて、それも自分よりも遙かに時を重ねていない、ただの少年に恋をしたのだから。 今ではそれが愛へと変わり、少年に会える日をただ、ひたすらに待っている。 一番最初に、信じた相手と交わした約束だから。 だが、少年は青年へと変わるに連れて、彼はそれを忘却の彼方へと投じてしまったのかもしれない。 たった一度、一日だけ、夕日の見える河原で交わした約束など、所詮青年となった彼にとって想い出でしかないのだから。 そして最後の言葉が聞こえる。 「私は・・・・・」 そしていつもそこで目が覚めてしまうと言う事を、彼は自覚出来ない。 そして鳴り止まぬインターホンの音に睡眠を邪魔された為か、仕方なく起きた彼の頭にはその想い出は所詮、心地よい、覚えても居ない夢として片付けられてしまう。 だが、それは今までの事。 「はいはい・・・・今出ますってば・・・」 寝ぼけ眼を擦りながら玄関へと行き、ドアを開けた所で、それは現れた。 「田上鳴海さんですか?」 「は、い・・・・。そうですが?」 そして不機嫌な声を上げながら、ろくに相手の顔も見ないで言った彼の平凡は、ここから崩れてゆく事になる。 だが、それを彼が知らないのは当たり前の事。 偶然が幾つも重なり、そして有り得ない出来事をやって退けた時だからこそ、それは必然に起こったと思える、運命になるのだから。 [NEXT] |