「ねぇ・・・・危ないんじゃないの? あの子」

「あー、そう言われればそうかもな」

「呑気に言ってる場合? このまま取り込まれたら」

「わいが殺すだけや。心配せんでええって」

「・・・・・そう言う事を言ってるんじゃないわ」

「なんや、今更あっち側に戻れる思てんのか?」

 そう言われ、アイリーンは苦い顔をした。

 確かにルドルフの言う通り、自分は既に違う側の人間なのだ。それは図星であり、希望でもある。 そしてその裏返しが甘さなのだ。それで苦い顔をするしないのだろう。分かっている故に。

 だが、ルドルフは先ほどから口ではなく心で真言を唱え集中している心を更に収束させて続けた。

「世の中は表裏一体、表と裏なんて実はないんや。ま、多少外れとるかもしれんな。わいらは」

 そして悪戯を楽しそうにする子供の様な笑みを浮かべ、真言に集中した。最も、アイリーンにその言葉の真意が伝わったかどうかは分からないままであるが。




































FILE004 [ S i D E S : E X P R E S S i O N ]



































 見えるモノは無数の表情だった。

 知り合い、家族、出逢ったばかりの人や、全く見知らぬ道行く人々まで居る。

 そして鳴海は自分が街の中に居るのだと、初めて気付く。

 だが、それが見知らぬ土地であり、生まれた地であり、そして馴染みの街なのだ。そしてその全てに誰かの表情があった。

 全員が鳴海の方を見、そして笑っているのだ。

 ただし、優しい笑みではなく、嘲笑う為の表情だが。

『それがお前が見られてる時の目だぜ。気付かなかったのか? お前は忌み嫌われた存在だったって』

 そしてもう反面の『鳴海』は鳴海の耳元でそう呟いた。苦痛に耐える今、その言葉は何よりの安らぎでありそちらに傾いてしまいそうになる要因。 その上、だんだんと鳴海は苦痛に耐えられなくなってきているのかもしれない。それが外側の肉体に現れるのも時間の問題とばかりに、内面の姿が変貌し始めていた。 だがそれがまた、目の前に映る人々の表情を変えて行く理由だと言う事を鳴海は知らない。

『化け物・・・』

『うわ・・・・何あれ〜』

『ち、近づかないでよ!!』

『警察に連絡だ!』

『いや、捕まえてTVに出せば儲かるかもしれん!』

 そしてそれら全ての人は鳴海を心の中で追いかけ始めた。その迫ってくる人の群に、鳴海はどうしようもなく殺意を抱くが、まだ僅かな心が残っているだろう。 必死になりそれから逃げ始める。そして理解されないと言う恐怖を、徐々に鳴海は味わい始めた。

 社会の爪弾きにされる、と言う事はそれだけで生きて行けぬ様な事なのだと、鳴海は初めて知った。

 形が違うと言うだけで忌み嫌い、それが人でなければ幾らでも残忍になれるのだ。例え言葉を発しようとも鳴海を追う事を止めない人の群を見、鳴海はそう理解した。 だが、頭の何処かで良い奴らも居る筈だ、と考えもするのだが、姿形も見えないすがる対象よりも、目の前にある恐怖の方が恐怖を増大させるに決まっているのだ。 そしてまた、頭の片隅で声が聞こえる。

『良い奴は居るだろうなぁ。だが世の中。殆ど悪い奴らばっかりだぜ? 何処に逃げる気だ?』

 笑う様に、そして嘲る様に言ったその言葉は先ほどとは違い、逃げる鳴海を止める苦痛以外の何者でもなかった。 それ故、鳴海は固まった脚を引きずりながら逃げ、やがて周りを取り囲んだ人たちの群は知った顔ばかりだった。

『やらなければ君は犯罪者になってしまうんだからね』

 その内の一人の顔は、達也のモノだった。背格好、雰囲気、何に至るまで、あの時と同じく冷たく突き放す表情をしている。 だが、言葉はそれで終わらない。

『でも、君はやっぱり犯罪者だ。罪を償って死ぬしかないようだ』

 そしてさらりと言って退けられる間、鳴海は何も言えずただ、その言葉を聞くしかない。痛みが増大し、だんだんと耐えられなくなって居るのだ。 その上苦痛の声さえ漏らさず、表情一つ変えない今、相手にこの心境など分かって貰えないのだ、と理解した所で別の声が聞こえる。それは 両親の居ない今、唯一の家族である麗だった。

『受かれば助かってHUNTERにならなきゃならないし、落ちれば死ぬ。ただ、それだけよ・・・って言ったじゃない。でもあ〜あ、残念だったわね。 あんたには結局資格なんて無いのよ。死ぬべきだわ』

 発言すら出来ない鳴海に取って、そして家族と思っていたモノの言葉の凶器を浴びせられるのは何よりも耐え難い苦痛と言えただろう。 身体が痛むのは当たり前だが、心が痛む、と言うのは鳴海が生きてきた中で初めての事だったかもしれない。 そしてその痛みは、致死量に相当する程のモノだったのだろう。 発狂しそうになる程、何を考えているのか、誰が何を言っているのか、ここが誰なのか分からなくなってしまった。

 そして外では、ルドルフとアイリーンがその変貌した鳴海を見ながらそれぞれの心境を言い合っていた。

「はんっ、流石はHAZARD HUNTERになる資格持っとるわ。気配だけでも段違いやな」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょう? どうなの? 鳴海は大丈夫なの?」

「初めてHAZARD HUNTERの適正試験管やっとんねん。分かる訳ないやろ」

「そんな呑気な事!」

「分かっとる・・・。でも、用意だけはしといてや。真言だけでどうにかする自信無くなって来よったわ」

 それが正直な所だと、アイリーンは直ぐに分かった。何せ冷や汗を掻いているルドルフなど今まで一度も見たことが無かったからだ。

 例えどんな時だろうと、ルドルフは諦める言葉も吐かずどんな強敵だろうと祓って来た。 それはこのHUNTERとしての仕事を一番長くやっているのは何を隠そうルドルフだからであろう。 生まれた時から親と不毛の大地に全てを教えられ、幼少期など一人で生きてきたと言っても過言ではないと、本人は言っている。 そしてそれが間違いではないと思えるのは、彼の何よりの力が証明しているのだ。 それ故、HUNTER適正試験管等と言う、普通ならば百年掛かろうと出来ない役職を出来る資格を持っている、達也と並ぶ天才と言えるだろう。

 その上、事実上NYのHUNTERの中ではルドルフが最強なのだ。 でなければ結界と言う、アイリーンが知る限りでは反則技を使用出来る事もなく、HUNTER本部から支給される気休めにしかならない弾を 更に協力にさせた弾薬を作る事など出来なかっただろう。それだけの知識を持ち、そしてそれを扱えるのだ。

 そしてルドルフの性格上、どうしても普段はそれを忘れてしまいがちなのだが、今、やっとそのことを思い出しアイリーンは家の中に駆け込み、 ルドルフ専用の錫杖と、自分用の銃を用意する。

「躊躇う事なく撃てや。迷ったらそこでおだぶつやで」

「分かって・・・るわよ」

 錫杖をもう一本渡してから、ルドルフの表情は更に険しいモノへと変わる。 アイリーンもそれと同じだったが、集中力が違うと、本人が言っている事がその場に起こる。

 風を纏う、と彼は表現していたが、アイリーンに取ってそれはただの風ではなく瞳の色と同じ蒼碧(そうへき)の雷風なのだ。 味方でなければ何人たりとも雷が薙ぎ払い灰と変え、風が全てを流してしまう雷風。 ルドルフが言うのは、これがネイティブアメリカンの秘技だと言うのだ。初めて聞いた時は自分の知らない世界の事を考えてしまった。

 だが、慣れてしまった今ではその力その物に対する印象しかなく、それを表すならば恐怖としか言いようがないだろう。 それ故、彼、ルドルフは一人で行動できる異例のHUNTERなのだ。出なければわざわざ逃げ場の無いビルの屋上にある隠れ家を管理など出来る筈もない。

 今考えてみれば、先代のHAZARD HUNTERである鉄也はルドルフを特別視していたのかもしれない、とアイリーンは考えられる。 殆どの仕事を一人でこなさせ部下虐めの様に思っていたのだが、この時の為を思ってもしかしたら強くなって貰いたかったのかもしれないと。 そしてそれを理解した所で、目の前の鳴海は「それ」へと変貌した。

 今朝とはまた違う姿。力の均衡が破れ、もう魔物その物になってしまったのだろうか。

 黒い獣ではなく、そこに平然と立っていたのは朱い獣だった。

「よりにもよって炎一色たぁ、冗談キツイでホンマ・・・」

 先代の鉄也は姿の変貌で力を誇示していたのではなく、力その物、不可視の力とでも言うモノを操る事でHAZARD HUMANを狩って居た。 それ故、若いアイリーン達は鉄也の若い頃の姿を見た事もなく、HAZARD HUNTERの適性試験なるモノを見るのは初めての事。 その上こんな風に獣へと変わる等と言う事は一言も聞いていなかったのだ。少なくとも、ルドルフ以外は。

 そしてルドルフでさえ驚いていると言う事は、予想に反して力が大きいと言う事なのだろう。 五行と言う、火、水、雷、風、地の属性の基礎知識はアイリーンには無いにしろ、ルドルフの台詞からして相当危ないと言う事は理解に難しくない事。 何よりも、目で見るその朱い獣はその身体に炎を纏っていたのだ。まさに、地獄の劫火と言う言葉がしっくりくる様な炎を。

「勝率は?」

「率もくそもあるかい・・・。やらなやられるんや!!」

 そしてその声と共に、ルドルフは持っていた二本の錫杖をコンクリートの大地の上に突き立てる。 自分の纏っている雷の力を集める為に媒体が必要なのであり、そして風はルドルフ自身が媒体なのだ。 それが呼び寄せるのは雨雲。科学者が居たら度肝を抜かす程の事が辺りで起ころうとしている。 そしてアイリーンはその為の時間稼ぎをすれば良い。勝ち負けを気にする前に、頭の中を殺一文字で埋め尽くし銃を構え撃ち放つ。 だが、撃った所でアイリーンは気付いた。目の前に、目標である朱い獣の姿が無い事を。

「・・・!?」

 気付いた時、彼女の目に映ったのは劫火その物。自分を抱えていてくれるルドルフが居なければ熔解されてしまったコンクリートの様になっていただろう。

「しっかり頼むで・・・・・」

「ごめん・・・」

 そして次に彼女の目に映ったのは苦汁を噛み潰した様なルドルフの顔と背中の火傷。いや、それは火傷と言うレベルではなく肉が溶け骨まで見えているのだ。 致命傷ではなく、十二分に致死量に足る傷。だが、構っている余裕など無いと判断したアイリーンは銃弾を再度朱い獣に撃ち込む。

「Shit・・・・」

 だが、乾いた音が聞こえただけであり、後にあったのは何ら変哲もなくそこに居る朱い獣。 そしてアイリーンはハッキリと見ていた。銃弾が蒸発する様を。

 死を覚悟する、等と言う事は何度も体験した筈だった。孤児だった頃、ギャングに襲われそうになった時もそうだった。 HAZARD HUMANと初めて相対した時も三年ほど前に出逢った例外とも言える程の力を持ったHAZARD HUMAN時もそして今朝、鳴海が黒い獣になった時、 あの嘲笑う表情を残して消えた影にもそれは抱いた筈だった。

 だが、それら全てが吹き飛ぶ程、今の彼女の心の中にはある言葉が湧き起こりひたすら駆けめぐっていた。

『あれは何・・・?』

 人でも、HAZARD HUMANでもないそれは、アイリーンに取っては理解を超えた存在だったのだ。 それがやっと実感出来ただけであり、初めて目で確認した時は気配に圧倒されすぎて神経が麻痺していたとしか言いようがない。 今はひしひしと感じる、まるでそこに存在しているだけで圧迫される様なプレッシャーは今まで感じた事のない恐怖なのだ。 だが、不幸中の幸いだろうか。もはやモノ狂い寸前のアイリーンにとってその恐怖は自らを気絶させるに十二分な材料だった。

 一方、無論ルドルフはそれを感じ、正直逃げ出したい程恐怖していると言えるだろう。そして逆に言えばそれが強いと言う証拠であり、ルドルフに取って屈辱的 な事でもあった。

 一般人とは違い、ルドルフは不毛の大地で生まれ、ただHAZARD HUMANを狩る為だけに師に育てられた。 未だに原住民族の名残を色濃くしているルドルフの故郷はルドルフに取って一番嫌な場所でもある。 だが、そこで強くなったのも事実。それは周りにいた同世代が過酷な修行に次々と倒れ死んでゆくまさに戦場を生き抜こうと思ったからこそ、出来た事なのだ。 でなければ大地の糧となっていたのは自分であり、あの周辺に居たHAZARD HUMANは未だに殺戮を続けていただろう。

 ルドルフにとって、過去は絶対語りたくない封じ込めた記憶であり、それを思い出さない為にバイカーになり、マフィアなどと遊んでいるのだ。 悪人と称される犯罪者達をからかい、HAZARD HUMANと言う人類の敵を祓う事で自分の存在価値を見いだしているのだと言っても過言ではない。 それだけに、今のルドルフに取ってその行為は必要な物なのだ。

 だが、目の前に居るそれ。元は何ら変哲のない生活をしてきたただの一般人。それが今目の前で自分の思い出したくない恐怖を思い出させるのだ。

 アイリーン、いや、それ以外のHUNTERの仲間はルドルフの事を天才だと言っている事は本人も知っていた。調子にも乗り、多少悪ふざけが過ぎる所もあるだろう。 だが、過去を話していないルドルフに取ってそれは偽物の自分であり、本来ルドルフは努力家なだけなのだ。 死にものぐるいで生き延び勝つ事だけを覚え、それを言い表すならば非現実と言われている地獄を体験したと言えるべき事。 それでやっと、ルドルフは今の力を手に入れたのだ。だからこそ、多少遊んでいてもHAZARD HUMANが狩れるEXCEPTIONAL HUNTER(例外の狩人)と言えるのだ。

 だが、目の前に居るそれは何の努力もせずに、魔物へと変貌するだけでそんな自分を越えてしまった本物の天才。

 だからこそ、ルドルフはその目にあるものを宿すのだろう。生まれた時、薬によって苦痛と共に変えられた色違いの目に。

「負けへん・・・貴様なんぞには絶対負けたらへんねん!!」

 母国語が出なかったのは彼の中にまだ、故郷を恨む気持ちが残っているからだろう。 そして関西弁が出たのは、彼が世界中を放浪し破壊僧やKILLING PRIEST等と呼ばれていた頃に立ち寄った、大阪と言う第二の故郷が心にあったからこそなのだ。

 例え瞳の色が違えど、暖かい心で迎えてくれた人々。そしてその人の温もりを知った時に鉄也と出会い、HUNTERになる決意をした。

 絶対に守ろうと決めた、男と男の約束と共に。

 それがルドルフを心のままに、まさに魂をも奮い立たし最後の力を振り絞る。

『舞い上がり吼えるは天空』

 言葉に同調したのは天空。雨雲が呼び起こした雷鳴は空を覆い尽くし一撃を突き立てられた錫杖へと落とし

『静寂を撃ち破り震えるは大気』

 自らの体躯に刻み込まれた拭い去れぬ過去の証である刺青がルドルフの身体を纏いそれは風から竜巻へと姿を変える。

『我が血と魂を糧とし凶(まが)なる炎を封じろ!』

 そして彼は自分と錫杖を結ぶ点となっている朱い獣に向かい手を掲げ叫んだ。

『鷹よ!!』

【!?】

 それが生み出した力の形は二つの鷹と姿を変え朱い獣へと迫り激突する。そして辺りは都会とは全く別物の声に支配される。

 だが、それすらも人間の造り出した魔都と言うのには届かずかき消されてしまうのか。まるで虚しき遠吠えの様に風となり打ち消える。

 そして全力を、言葉通り魂すらも力へと変換してしまったルドルフは倒れ意識を失ってしまう。 その表情は勝利を確信し晴れ渡った笑顔だった。

 だが、それでも尚、その朱い獣を殺す程のモノには届かなかったのだろう。身体に纏った炎をいっそう燃え上がらせ、うなり声も上げずにルドルフの方を見やる。

 それは敵として認識したからであって、その瞳には何の感情も浮かんではいない。 だが、屋上へと唯一の道である場所、鳴海であった時にはが確認できなかったそのドアが開かれた時、朱い獣は初めてその瞳に感情を宿し、 それと同時にドアを開いた人物は言葉を放った。







 それを見た時の第一印象は、まるでそこにあるのが非現実であり、そして自分はやっとそこに帰ってきた様な気がしていた。

 自分自身を表す言葉。ANCIENT REMAIN CREATUREであり、通称ARCと称される古代人の生き残り。

 世界にたった独りと言う自分の境遇を呪い、何度死のうとした事か。そして自分の奥のもう一人の自分がそれを留めている事を分かった時、 彼女は自分からは死さえも奪われた、何の力もない存在だと過信していた。

 それを変える事になったのは一つの、そう、たった一つの約束。たわいもない、子供の戯れ言であったのだろう。 だが、彼女に取ってはそれが全てであり、それが現れた今こそ現実なのだ。 例えどんな蔑みや陵辱を受けようとも、その言葉さえあれはどれだけでも強くなれた。

 そして彼女は強くなり、HUNTERとしての自分の居場所を見つけ、そこで待った。

 自分と約束を交わした相手がその素質を持っていると分かったのは後になってからの事。 約束を交わした傍らで、唯一それを見守っていた人物と再会したときに初めて知ったのだ。 そして彼女は更なる高みへと自分をやった。ある副産物と共に。

 それは本来、人間の域では考えられぬ事なのかもしれない。

 存在してはならない力。確かに、彼女はそう聞いた。

 だからこそ、かもしれない。存在していなかった、証明もされず、ただ、非現実と言われた自分と言う存在には似合う力だと思った。 そしてそれによって自分の側に居る好きな人達。自分を認め、そしてそこに居る事を許してくれた人たちを傷つけない為に彼女はそれを操った。

 今だからこそ、それは言える台詞なのかもしれない。

 力には、善も悪もない、と。

 そしてそれを決めるのは自分自身だと。

「ですけど・・・・」

 それは紛れもない真実の思い。なれど、やはり歴然とした力の差を見せつけられれば誰だって恐れるのも真実であり、彼女、リリアとて例外ではない。 だからこそ、今、過ごした時は短いながら、相棒とも言える存在が大きいのだろう。

「リリア、怖いのは分かるがルドルフが危ない。血が足りないどころか既に致死量に達してやがる」

 ハッキリとした声。それは本来の姿から言えば、常軌を逸している事なのだろう。本来ならば声を掛けてくれた同姓も、自分と同じく忌み嫌われる存在なのだ。 だが、逆にリリアだからこそ、その相棒の存在が常識であり普通なのである。だからこそ、リリアは銀狼の姿をし、同姓である信長に敬意さえ表するのだ。

「分かりました。では、そちらの方をお願いします」

「がってん承知」

 そして銀嶺となったそれは凄まじい速さでルドルフやアイリーンとの距離を縮めそこへと至る。 無論、それはある意味自殺行為な事でもあるだろう。何せ目の前に居るのは朱い獣。 古来から、そしてリリア自身の体の中にある遺伝子でさえ、朱いと言う色には何らかの恐怖を抱いているのだ。

 それは炎、と、言う姿がその色をしているからかもしれない。彼女が知る限り、生と死の両方を司れる唯一の力なのだから。

 だが、動いてしまった場を止める事などリリアには出来ない。 案の定、目標を決めかねていた朱い獣は、自分と同じ獣である信長を先に仕留める事に決めたのだろう。 それが唯一のチャンスであり、それを逃せばリリアとて勝てるとは思わない一瞬の時。そして彼女は自分の持てる力の全てを「それ」へとぶつけた。

【!!】

 無論、朱い獣はそれへと抗う行為を見せ、自分の身を纏う炎を盾とし両腕でそれを防ぐ様子を見せる。 だが、リリアの放ったそれは物質的な力ではなく、ルドルフの行っていた真言と似た様な物。 違う点と言えば、真言が攻撃法であるならばリリアの名も無い「それ」は補助系のモノ。そして朱い獣の意に反し、リリアは己の精神を朱い獣の心へと沈ませた。

 だが、そこで見たモノはリリアに取っても苦痛と言える光景だった。

「何故邪魔をする」

 そして鳴海であった頃の姿を欠片も残さない、もう一人の鳴海はそう言い辺りを凍てつかせる。だが、だからといってリリアも引く訳にはいかないのだ。

「・・・鳴海さんを、返してください」

「返してください、だと? アハハハハハハ!!!」

 だが、リリアの言葉に、鳴海であったモノは更に姿を変え、外でしていた、まさに朱い獣へと変貌した。 しかし、向こう側と決定的に違うのはその表情だろう。明らかに善意も、そして悪意さえ感じられない一色の欲望がそこにはあった。

「返してくれもくそもあるかよ。俺も鳴海なんだぜ?」

 そして何処か子供じみた笑みを浮かべながらその「鳴海」はそう言い、身体に纏わせた炎を揺らめかせる。 それは侵入者を排除する為、即ちリリアへと迫り、リリアの身体を嬲るようにして這い回る。だが、その炎に包まれながらもリリアの瞳の輝きは 薄れない。

「それでも・・・返してください」

「・・・・・」

 そのリリアの様子が気に入らなかったのだろう。朱い獣はたいそう不機嫌だ、と言わぬばかりの顔をする。 だが、面白い事でも思い浮かんだのか。その表情も一瞬で掻き消えリリアから少し視線をずらし言った。

「じゃ、好きにしな。そこに居る「それ」があんたの探してる鳴海なんだろうしさぁ」

「?・・・・・!!」

「そんな抜け殻でよけりゃくれてやっても良いしな、キャハハハハハハハハ!!」

 そして奇声を上げ笑う「鳴海」に対し、リリアはそれを目で見どうして良いのか分からなくなってしまった。

 今まで、こうして人の心に入ると言う事はリリアとて、何度もやった事がある訳ではなかった。

 初めてやった相手はHAZARD HUMANに襲われた事が原因で心を閉ざしてしまった少女を見、彼女が優しさから行った時。 その時、少女の心は恐ろしい程に凍てつき闇に閉ざされ、断続的に辺りを駆けめぐるイメージは他の殺意や欲望と言ったモノを象徴する様な映像ばかり。 そして結局、少女の心を救うことが出来ないまま、リリアは少女の中から出ていった。

 二回目は丁度最近。ある事がきっかけで、鉄也が死ぬ事になった時である。死に際の鉄也は穏やかな顔をして逝ったが、それまで拘束具で身体を縛らなければ 自らの身体を傷つけ是が非でも敵を殺す魔物へと化す寸前だったのだ。そしてそこでリリアが見たのは今、目の前に居る朱い獣と何処か似た、 鋼鉄の獣だった。そして心の中で鉄也の様々な感情とぶつかり、鉄也の歳故だろう。最後には鉄也の心が溶け、鋼鉄から人の温もりを感じる事が出来たのだ。 でなければあの時のあの笑顔は嘘と言う事になる。

 そして三度目が今。ただし、その一度目と二度目の時とは全く違う物がそこにはあった。

 一度目の少女は今も尚、神父ことランディの教会のベッドの上で安らかに眠る一方、夜になれば毎度の事ながら悪夢にうなされる日々が続いているのだろう。 そして心の中の少女の姿は何処か無性的であり、そして所どころに女性らしさ、自分が一番認めたくない部分が現れていた。 二度目の鉄也の時は、確実に傷ついた身体と同質で、心の中の姿も何処か断片的でさえあった。だからこそ、精神世界の中での戦いにリリアが勝てたのであって そうでなければ確実にリリアが取り込まれ永遠に眠ったままになっていた事だろう。だが、リリアの見てきたその二つの人物の心の中の自分の姿は 形として現れ、決して人とそうかけ離れては居なかった。

 目の前にある、鳴海もそうと言えるだろう。人とそう、かけ離れては見えない俯せになっている姿が伺える。 だが、その四肢は傷だらけで所どころは千切れているのではないかと言う程の深い傷が見え、背中には大きな火傷の後の様な物を負い骨が見えるのではないかと 言う程皮膚は焼き尽くされている。そして血溜まりの中でただ、倒れているだけだった。

「な・・・・」

 何も言えず、近寄る事が出来なかったのはリリアの恐怖があったから。だが、言葉を吐く「鳴海」に対してではなく、今なお、それだけの傷を負っているにも 関わらず生きている鳴海に対してだ。

 例え精神世界と言えど、傷つけば痛みを感じ、度が過ぎれば死にもする。それは鉄也との最後を過ごした時で分かった事。 だが、鳴海は致死量の傷を負っているにも関わらず、まだ生きているのだ。呻きもせず、動きもしない身体なれど、気配でそれが分かるのである。 いや、分からされていると言った方が正しいだろう。そしてそれをしているのが朱い獣の姿をした、もう一人の「鳴海」なのだ。

「所詮俺達は表裏一体なんだよ。俺も死ななきゃそいつはただ、ずっと苦しむだけなんだな。 それに俺が負ったダメージもそのままそいつが肩代わりしてくれるって寸法だ。 さっきも目の前で小五月蠅いお経でも読み上げてた兄ちゃんの攻撃もそいつが受けたんだぜ、面白いだろ?」

 そしてその言葉を聞いた時、リリアは目の前の人物が本当に鳴海の半身かと疑いはじめもした。

 自分を表裏一体と称しながらやっている事は片一方を傷つけるだけの行為。決して終わらぬ衝動に狩られただ殺すだけの感情。 それに伴い、心の何処かが寂しい筈なのに目の前の「鳴海」は一向にそれを感じる気配も無い。 本来のどんな歪んだ心だろうと多面性をそのまま心の内まで形として表せる筈など無いにも関わらずだ。 そしてそれが分かっているのは最初に心へと無断で進入した少女が多重人格であったと言う事に他ならない。 例え幾つもの心を持っていたとしても、それは幾つもの意志であり心ではないのだ。それ故感じる場所が一つであるが故に、心がたった一つしかない故に 少女の精神世界にもまた、少女は一人だったのだ。

 そしてリリアは値踏みする様、慎重に相手の言葉に続いた。

「だからと言って、貴方が鳴海様である筈は無いわ」

「何故そう思う?」

 直ぐに嬉しそうな言葉が返ってきたのは相手が楽しんでいる証拠。何の確証もない、ただの感情論を吐いていると思っているから。

「ならなぜ、貴方は二人なの? 一つの心に住まえるのは一人しか居ないわ」

「はんっ、誰が証明したんだ? んな事をよぉ」

 そして簡単に不機嫌な声が帰ってくるのは単純に痛い所を突かれているからだろう。 それを感じさせない為に「それ」はここに居ると錯覚させる為に色々な表情で気付かせようとはしないのだ。

「貴方は・・・・何処に居るの? 正体を現しなさい!」

「ちっぃ!」

 そしてまた、リリアが形無い力である「それ」を目の前の朱い獣の姿をした別物へとぶつける。だが、リリアが「それ」の心に入るのではなく、 ここから「それ」を追い出しただけ。そしてそこに残ったのはまるで操り人形の様にぱたりと倒れた、朱い獣の抜け殻だった。

 それはなんと言う名前をしているのかリリアにも分からないが、鳴海の心にいつの間にか入り込み、力その物を操っていただけに過ぎないのだ。 でなければ心に二人同じ存在が居る等と言う事は有り得る筈もない。そして不安定で未熟な鳴海だからこそ、相手も操る事が出来たのだろう。 先ほど放った、リリアの力が抵抗なく「それ」を吹っ飛ばしたのはその為だ。そしてリリアは急ぐように、血溜まりに倒れる鳴海へと駆け寄った。

「鳴海様、しっかりしてくださ・・・・」

 だが、その言葉も鳴海を抱き起こし顔を見た所で止まってしまう。背中と同様、胸にもその火傷の痕が見受けられるのだ。 それも背中よりも酷く、触れば簡単に傷口が開きまた血が流れ出してしまう程のモノ。 それは中途半端に覚醒した為、ルドルフの「鷹」と言う力の形に抗ってしまい己の炎で身を焼いてしまった為だ。 そしてその額にはぱっくりと、頭蓋骨まで分かる程の傷口があった。

「酷い・・・」

 そしてリリアはそんな傷だらけの鳴海を癒す為に、きつく抱きしめる。

 リリアはH2ではなくARC故に人間とは別の、治癒の法さえ自然に扱えるのだ。リリアが幼少の頃、無意識でその力を扱っていた事を鉄也に指摘された時、 彼女はだから、いつもどれだけ傷つけられようとも死ななかったのだと納得した程の力である。

 ただ、それが精神世界のここで、これだけ傷ついた鳴海を癒せるかと問われれば、リリアは分からないと言うしかない。 現実世界ならばこれ程の傷を負って居ようとも癒す事が出来ただろうが、心の傷など、そうそう簡単に治せるモノではないのだ。

 それは経験したからこそ分かる辛さ。自分の無力さ。そして何よりも弱さがリリアの心を蝕むのだ。

 少女の時もそうだった。あの時は鉄也に諭されたからこそ、自分一人で助けられる等と自惚れるな、と言われたからこそ納得出来た事。 そして年端も行かぬ少女すら守れなかった自分に嫌気が差した事もある。あの時の自分とは違い、この少女は何の罪も他と違う所もなかったのだ。 力を持ち、心に入る事で少女を癒せると思った時、リリアは喜びの反面、自惚れていたと言えるのだ。 だからこそ、鉄也に言われた言葉は今でも覚えている。忘れる事の出来ない、自分の義理とは言え親となってくれた人物なのだから。

 だが、それでも今は「やっと逢えたのに」と言う感情に押しつぶされそうになり、涙は気付かない内に流れ出し鳴海の身体に滴り落ち、 彼女の色のない肌を赤く染めるのだ。

 自分の力の無さは分かっている。まだまだだと、自分でも自覚しているからだ。

 だが、辛さと弱さがそれを上回り、約束を破ってまで彼女の心を揺さぶり涙を流させ泣かせるのだ。

「守ってくれるって・・・・おっしゃったじゃないですか・・・私を・・・お嫁さんにしてくれるって・・・・・約束したじゃないですか・・・・・」

 鳴海と出会った時、そして別れた時、その二つに至るまでそう時間は掛からなかったとリリアは記憶している。 だが、その僅かな時の中で彼女は劇的に変化し、その約束を今の今まで破った事はなかったのだ。

 鳴海と再会した、屋敷の玄関、曇り空の下。彼女は正直泣きたい気持ちで一杯だった。だが、約束を破る事になると思い、感情をそのまま身体で表現したのだ。 しかし鳴海は忘れていると言うそれまでの考えが当たっていただけに喜びを棄て、あえてその後は無表情に徹したのだ。

 その行動は子供じみたモノ。親に構って欲しいから悪戯する子供と同じ心だったのだ。 そして今のリリアも子供と同じく、破顔して泣いているのだ。親にしかられ、後悔するのと同様に。

「う、うえ・・・うえええ」

 そして子供の様に、いや、リリアは本来の自分に戻り鳴海の頬に顔を押しつけ泣いた。 幾ら姿がオトナになろうとも、彼女の心はあの時のままだったのだ。

 即ち、鳴海と逢ったあの日のまま。

 成長していない訳ではない。心を偽る方法を身につけただけと言うのが本当。そして年月はそれが他人に分からぬ程に上手くなり、去り際に鉄也にだけ ばれた以外は仲間にすら見せていない姿だ。そして彼女に取って、子供のリリアに取っては鉄也の最後の優しさである、頭を撫でられた事で安心出来たのだ。 だが、それがまた、来るとは思いもしなかったのだろう。

「その・・・忘れてて、ごめん・・・」

「あ・・・・!!」

 鉄也のした事など、知る由も無い筈。

 自分の胸で泣かれ、どうして良いか分からなくなった故に出た行動。

 だが、今のリリアには何よりも嬉しい応えだった。

 そして鳴海の胸に顔を埋めた時、そこには既に傷もなく、辺りの景色は変わり現実へと戻っていた。 だが、鳴海の手が自分の頭の上にあり優しく髪を撫でてくれるのも現実であり、彼女は漸くその言葉を、本当の意味で口にした。

「おかえりなさいませ」

「た、ただいま・・・」

 だが、照れくさそうにする鳴海を見た時、リリアは微笑み抱きついたが、それを少し離れて見ていた信長は呆れながら呟く。

「鳴海。あたしゃ情けないよ・・・もうちょっとこう、ぐいっと抱きしめてやれないもんかねぇ」

 だが、銀狼と言う姿をして、前足で自分の身体を抱きしめる仕草をする信長はかなり滑稽に映っている事を本人は自覚していなかった。

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