闘技場の中の歓声がなり止む事は無く、ついで彼女の番が回ってくる。長い回廊を通る際、すれ違ったのは勝者である者。

 そしてその人物が、彼女が好きで居る相手。

 ただ、その思いは届く事は当分の間無いのだろう。すれ違い様、何か言葉を掛けようとしたが、彼の瞳に映っているのは長い回廊の先の出口だけ。それ故、出かけた言葉は飲み込み、闘技場の中へと進む。

 その途端、歓声の色が変わり自分に向かう罵倒の言葉も耳の端に届いてくるのと同時に、目の前の闘技場の土に広がっている赤色が見える。

 それはすれ違った彼の所業。この闘技場で「異色の仮面」と呼ばれる彼は、北方最強の傭兵と言っても良いだろう。多対一の戦いを得意とし、相手が魔術士だろうが剣術士だろうが関係ないらしく、その速さに着いてこれる傭兵は居ない。

 もしかしたら、伝説として語り継がれている三剣師と同じ位強いのかもしれないと何度か考えた事があるが、それは今考える事では無いのだろう。

 胸焼けがしそうな光景。死体処理の為に闘技場で飼っている何匹もの番犬が死体を貪り初め、それは直ぐにボロ切れとなり番犬たち専用の出入り口へと運んで行く。そして自分と、相手とが闘技場の中心へと進み出た所で彼女はげんなりした。

「へへへっ・・・漸くだなぁマディン。あんたのその身体をぐちゃぐちゃに切り刻むのもよぉ」

 大剣を持つ相手の顔はよく覚えている顔だった。ただ、知り合いと言うよりも鬱陶しくて無理矢理覚えさせられた顔と言うしか他にない。

 出逢ったのは多分、自分がこのアルフェイザと言う街に来てからだろう。犯罪大国の名に恥じぬ程治安が悪いこの街らしく、街に脚を踏み込んで早々襲われたのだ。

 無論、この街の事は知っていたので彼女もそれなりの腕を持っているが故に襲われたら殺し返すと言う主義通り、目の前の男が居た一団を一掃したのだのだが、この男だけは逃げられ追う気も無く、そのままにして置いたら、何度か同じ様な目に遭ったと覚えている。

 よくもそれだけの人数を集められたものだ、と思う程、通算で数えればこの男の連れてくる連中の数は多かった。ただ、その誰もが傭兵とは名ばかりのごろつきばかりで、結局彼女の手打ちにあっているのだが。

「あんたも懲りないわね」

 溜息を吐きながら、腰にあるロングソードを抜き放つ。

 ここが戦場なら、殺気の一つでも纏い弱い敵ならそれだけで怖じ気づくのだが、目の前の男には殺気を感じる等と言う繊細な神経は無いらしい。それ故殺気の無い彼女は、街娘と同じ様にしか見えない男に取って下卑た笑みを浮かべるだけで、それが彼女には鬱陶しい事この上無い。

「今まで手加減してやったのが分からないのかぁ? お前の命運も此処で尽きたな」

「言ってろゴミ・・・」

 いちいち怒るのも面倒だと今までは思っていたが、闘技場でならどんな殺し方をしようとも文句はどこからも出ない。それ故、相手を怖じけさせるのではなく、自分の身体を高揚させる為に彼女は殺気を纏い闘技場全体に神経を張り巡らせた。

 普通の相手なら、相手だけに神経を研ぎ澄ましていれば良いのだが、この男の事だ。彼女自身を賭の報償としてでもして闘技場に潜ませた別の刺客に何かさせるのかもしれない。要するに、そう言う卑屈な男なのだ。それ故、戦いの始まりの合図を待ちながらも警戒だけは怠らない。

「ゴミ野郎? 慰み者にされてゴミになるのはてめぇだろ?」

「その減らず口もそこまでだね。今回ばかりはあんたを逃すつもりは無いんだ。死んで貰うよ」

 そして男の言葉が出る前に戦いのドラムが闘技場の中に轟き、彼女は一瞬で決める為に前へと駆け出す。

 だがその時、自分の首筋辺りに突き刺さる視線がある事を見抜いていた彼女はわざとスピードを上げ、男の前で直角に逸れる。それだけで自分の首筋の殺気は男の身体へと吸い込まれ、そして彼女は自分のロングソードを相手の横腹へと突き刺し、そのまま薙ぎ払う。

 それだけで男の腹は裂け、臓物が血と共にぐしゃりと出てくる。

 無論、それで男の顔は苦痛に歪む筈。だが、そこまで見る気の無かった彼女は直ぐさま剣を抜き払い、極力溜める為に脚に籠めた力を解き放ち、男の背を横に通りクビを跳ね飛ばす。それを一連動作でやって退けた故に、観客には彼女が何をしたかよく分からなかっただろう。

 そして返り血が着かない様、少し遠くに降り立ち、剣に付着した血を振り払いそのまま高く掲げて勝利した事を示す。

 それだけでまた闘技場は歓声と罵倒の声でいっぱいになり、放送で流れる自分の名前を聞きながら元来た道へと戻っていった。

 今は相手を殺した不快な気分を感じるよりも、先ほどすれ違った彼の居る場所へと行きたいのだ。そして望み薄だったが、一方的に取り付けた約束の場所になっている換金所へと急ぎ、やはりと言った顔で落胆を示す。

「一度くらい待っててくれても良いのに」

 言葉通り、彼はそこで待っては居ない。何度と無く、言った事もあるのだが、結果は今日と同じだった。

 それ故、そそくさと換金所で賞金を貰い一路家へと帰る。その次に彼が向かう場所などお見通しなのだから。

 とは言っても、彼は元々なのか、それとも育った環境の中でそうなったのかは分からないが、人との関わりを取りたがらない。むしろ好んで避けている様にも見えるのだ。それ故、行きつけのバー以外で見かけた場所と言えば精々闘技場だけ。

「さて、と・・・・。今日は決心しなきゃね」

 家に入って早々、着ていた傭兵の好む動きやすい服ではなく、この間買ったドレスに着替える。北方と言う事もあり、あまり薄手の服が売っていなかったのは不幸中の幸いと言った所か。今年で26になるのだが、南方や踊り子の着る様なひらひらし過ぎた服はどうも着るには気恥ずかしすぎるのだから。それ故、安物のドレスを選んだのだ。それしかドレスが無かったと言えばそうなのだが。

「・・・・こ、これでも私に取ってみれば大冒険なんだから」

 言い訳の様にして、鏡の前に立った自分を見て少し皺になっている部分を手で伸ばし、小綺麗に整える。そして後ろで束ねていた髪を下ろし、薄く口紅をひく。

「これで、大丈夫かな・・・」

 更に心配になったが、見栄えだけは良い。要するに問題は中身だと頭の中で考えた所で、思い浮かぶのは昔世話になっていた恩師の事。

「やな顔思い出したな・・・」

 女顔で、下手をすれば女の自分よりも綺麗かもしれないと思い始めたのは自分が独り立ちしてから暫くの事。だが彼女に取ってそれまでの認識は実の親ではない、何処かひょろっとしてて頼りない家主と言った所だ。だが剣技に置いては未だに彼女の勝てない相手の一人でもあり、魔導系に置いては勝てると思った事は一度もない。

 それもその筈で、他の街に出てから分かった事なのだが、どうやら恩師が三剣師、または剣闘師と呼ばれる輩だと言う事。その中の一人で、二つ名は「三つ色の剣舞」と言うらしいが、確かにその顔の造形や身に纏う東方独特の衣服を見れば剣を振るよりも舞っていた方が似合うのかもしれない。

 そんな事を考えていたからか。眉間にしわの寄った顔が鏡に映っていたのに気付き自分の中でのとっておきの顔に変える。だが所詮不安を拭い去れる訳でもなく、少し沈んだ表情になるのは当たり前だろう。

 物心が付いた子供の頃は恩師が人付き合いをしなくても良い森の中で住んでいた事もあり、独り立ちした時に初めて出てきた東方のレンと言う国の賑わいには呆けてしまった程だ。そして異性と言えば恩師以外逢った事はなく、子供の頃に出逢った恩師以外の他人と言えば時々訪ねてくる女性の魔族ばかり。そして初めて印象に残った異性と言うのが「異色の仮面」とこの街で呼ばれている静流・レイナードと言う男なのだ。

 それは初めて出逢った場所は戦場であり、彼女はまだ傭兵として日が浅かった頃だった。

 その時、殺し合いの場と言う物になれていなかった彼女は深手を負い、死にそうになっていた。そしてそこで助けてくれたのが静流だったと言う事だったが、もう一度逢ってその時の礼を言ったのだが、返ってきた言葉が「良かったな」と言う一言だったが、その時胸の高鳴りを感じたのだ。

 感じた事のないそれは、彼女に取って女性の本能を刺激される出来事だっただろう。見た目の雰囲気よりも若く感じる何かと、自分よりも強いと言う事に惹かれたのかもしれないと言うのは静流の行きつけであり、自分がこの街で唯一気に入っている店のマスターの台詞。

「分かってくれるかなぁ・・・・っと。こんな顔は私には似合わないね」

 そして身支度を整えた彼女は、表情とは裏腹の不安を抱えたまま店へと急ぐ。

 何が不安なのかと言えば、今まで恋をした事の無い彼女故の悩みだろう。

 自分を受け入れてくれるかどうか、確信が持てないのだ。

 だが、行動してみなければ何事も分からないもの。

 そして店のドアを開け放ち、彼女、マディン・ガロスは明るく言った。

「マスター、レイナード居るぅ〜?」

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