「くっはぁー・・・もうダメ。もー堪忍して」
「後二百ページ。もうちょっとでしょ?」
「約700ページ中、残り200って言ったら三分の一近くじゃん。もうご飯にしようよぉ」
「そう言う計算は出来るのか。ふむふむ」
「・・・一体どういう風に私を見てんの? コレでもユウショ正しき魔族の端くれなんだよ?」
「端くれじゃ〜ねぇ・・・」
「あによぉ」
そう言い、今日中に封印書の翻訳を終わらせようと思っていたのだが、サリアがこの様子では無理だと判断しバイアは本を閉じた。
こうなってしまってはだだをこねる子供の如く、否、それよりもタチが悪いのが彼女。そこまで意固地になれるエネルギーを他の部分に役立てれば少しは生活も改善できるだろうにと思いもするが、それは最初から無理な話しであろう。誰しもそうである様に。
「じゃ、残りは今度、都合付く時にしてご飯にしよっか」
「やったっ!」
そしてこういう部分も、子供そのままであり、姿見と全く同じ反応はどう見ても18には見えない所だ。だがその反面で、専門的知識を要する業魔文字と呼ばれる魔族の中でも特殊な種族しか読めず、尚かつ今は廃れてしまった言語を解読出来る様な能力すら持っているのは子供の姿には見合わない技術だろう。
しかし、溜息を吐きながら台所へと行き、料理の支度を始めた所で鼻歌交じりの「ハラへった〜」と言う、一フレーズだけの歌が聞こえて来る所を見れば、精神年齢は低いに違いない。
「今日って何〜?」
「野菜炒めとハムとパンよ」
「え〜。そんなバイアにあわせた料理じゃ私の成長止まっちゃうよぉ」
「ほう? そんな事を言うのかね君は」
「・・・え?」
何より、都合の悪い事を直ぐに忘れるのはそれを決定付けるモノ。最も、できの悪い大人であれば誰でもそう言う癖は持っているものだが。
「あんたが私の仕事の邪魔さえしなきゃ、美味しいご馳走も出してあげられたのにねぇ。残念だわ」
「あ、あはははは・・・」
渇いた笑い声を上げるしかない様子だが、それ以外の反応をした瞬間、皿でも投げてやろうと思ったが以前、実戦した事があるので覚えているのだろう。そして何かひっかかる、と頭の何処かで考えながら、調理は終わり部屋に良い匂いが漂う。
「じゃ、いっただきまーすっ」
「はいよ、どうぞ召し上がれ」
礼儀作法云々は、目の前でまさに食い散らかしながら、と言う表現が適切な彼女の事だ。殆ど知らないのだろう。
だが、ご満悦の笑顔で食べて居る事があるから、その程度の事は気にならないのだ。
「ほら、こぼしちゃ駄目って前にも言わなかったっけ?」
「いーじゃん。どーせこの後お酒飲んだら散らかるんだしさー」
「いけしゃあしゃあと良くも言えたもんねェ?」
「今日の酒代は私の奢りなんだからそれくらいいーじゃない。最も、これですっからかんだけどさ」
だから、と言う訳でもないのだが、汚く唾を飛ばしながら笑うサリア。しかし途端に自分の顔が青ざめるのが分かり、食事の手が止まる。
「どったの?」
「いま、何て・・・」
「いや、お財布んなかすっからかんって言ったんだけど?」
「一応聞くけど・・・少しは蓄えあるわよね?」
「ムダなお金なんてあるわけないじゃん。宵越しの金は持たねぇ主義なのさっ」
そして笑う彼女を、自分はどんな顔で眺めているのだろうか。
呆然と。
唖然と。
釈然と、いや、その三つ全てか。
その上でこれから起こる未来の事を想いながらさめざめと泣いているのかもしれない。
「何悲しげな顔してんの。もっと明るく行こうよ〜」
それで目の前にこんな奴が居れば、怒りたくもなるだろう。ただ、あまり力むと身体には良くないと分かっている。持病と言う奴ではあるが、別段発祥したからと言って生活にはさして問題のないそれは吐血と言う名の、部屋を汚すだけの行為。この場で吐血すれば、せっかくの料理も台無しになってしまう。
だから、決めた。
「サリア、そのお酒って何処?」
「なんだ。乗り気じゃん。はいドーゾ」
何処から取りだしたのか等この際問題ではない。テーブルの前にどんと置かれた酒瓶をたぐり寄せる様にして取り、封を切って、そのままラッパ飲みにしてやる。
「ぷふぅ・・・」
「全部飲んじゃだめだよ〜。私の分もあるんだからさぁ」
「・・・・・」
「・・・・・」
情けない声で自分を見ていたのだろうが、きっと気付いたに違いない。目が据わり、やる気であると言う事を。
そしてしばしの沈黙の後、先の声を出したのはバイア。
「これ、家賃分として貰って置くから」
「駄目だよ。私のお金で買ったんだもん。二、三週間くらい居させてくれたっていーじゃん」
それにすかさず反撃し、バイアの手の中にある酒を奪い返そうとにじり寄る姿は猫を思わせる。だが何かを思いついた様にニンマリとした笑みを浮かべ、自分からゆっくりと離れて行くかと思えば戸棚に手を掛け、一気に開け放つ。
「じゃ、かわりにこれ貰っちゃうよぉ?」
「あ、あんたって娘は・・・」
その中に入っているのはバイアのお気に入りだ。この辺りでは、いや、大陸の何処に行っても希少品なそれは、煌瞬(こうしゅん)と言う銘打たれた酒。
その上値段を言えば、目が飛び出そうな程高いのだ。それこそ、自分の手の中にある安酒とは比べモノにならない程の。
「えへへ〜。バイア〜? やっぱ、お酒はみんなで飲むもんだよね?」
人質ならぬ、モノ質とでも言うのだろうか。だが余裕綽々と言う立場が変わるのは当たり前の事。先ほどの自分の笑みは、フェイク。
「あ、あれ? か、から?」
「いっただっきま〜す」
そして一気に酒を煽り空にしてしまうのはバイアの得意技。無論サリアは泣きながら取り返そうとするが、既にからになってしまった酒瓶を眺めるだけで、何か出来る訳ではない。だが気付いていなかったと言うか、考えていなかったと言うか。
毎回、こうやって羽目を外した後に来る後悔は、本来形となって現れるモノではない。それこそ、二日酔いだの焦燥感だのと言った、虚しさや憤りを感じるだけで、形にはならないのだ。
しかし、バイアの場合はそれが違う。
「うっっぷ・・・」
「あ・・・」
口の中から、汚いのだがエレエレと流れ出すのは酒ではなくヘモグロビンの赤。
「全くそうやって何度も私に苦労かけさせちゃダメだよバイア〜」
「五月蠅い・・・」
もし、慣れていない物が見たならば心配し狼狽えるのだろう。手際の良いモノなら直ぐにバイアを寝かせ、原因を調べようと奔走するか、医者を呼びに行くかのどちらかだろうが、付き合いの長い、サリアは違う。
「はいこれ。あんまし部屋汚しちゃダメだよぉ〜?」
「・・・・」
正直な所、洗面器でも持って来てくれると、そんなに気にせずに後も使えるのだが、流石に目の前に出された鍋は頂けない。
明日もその鍋で料理をしないといけないのだ。血の味を気にしないのは、サリアだけ。
「な、鍋は勘弁・・・」
「フライパンの方が良いのぉ?」
「あ、あんたって娘は・・・うっ・・・」
だが所詮、一度吐血してしまうとなかなか止まらないのがこの持病。別段内蔵が傷ついている訳でもなく、ひとしきり吐いてしまえば後は普通で居られるのだから不思議で仕方がない。
「あ、あとでこれ食べて良い?」
そして恒例の、この科白だ。
他人の血を啜り飲むのは誰でも嫌なのだろうが、サリアから言わせると美味しそうであり、事実彼女は美味しく感じている、らしい。事細かに聞いた話では、どうやら酒に似た味がするらしいのだ。自分で吐き出すそれを、バイアはそう言う風に無論感じた事はないが。
「・・・・ちゃんと洗ってよ。私の料理もそれで作るんだからさ」
「あいあいさー。じゃ、どんどん吐いちゃおー!」
黒い微笑、とまでは言い過ぎだが、笑顔なのだが目が獲物を狩る時の色へと変色しているのは魔族の証。その上、耳元で「うえぇ〜」だの「ごぼごぼ」だの擬音を呟かれてしまうと、まるで急かされる様に口の中から出る血が止まらなくなるのだ。
そして今日の夜も、多分、平和な時が過ぎて行くだけである。

アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:VIOLET CARD