気遣ってくれたからこその言葉は、少しだけ自分の考える頭を軽くしてくれる。最も、変わりにこの場所と言う奴は嫌な気分にしかならない場所だったが。

 紋章術で空間を無理矢理繋げたのだろう。本来なら、あり得ない程の術なのだから、何かしら通り抜ける際に副作用があってもオカシクはない。だからと言って心配しているのではなく、まるで嫌がらせの様なこの頭痛は多分、制作者がわざとやった事だと分かったのは入り口と出口の境を抜けてたどり着いた先で、思いの他、身体までが軽かったから。

 どういう構造なのか、大学にでも帰って研究してみればハッキリする事だろうが、治癒をもしてしまう扉だったのだろう。ちらりと見えた、先に来ていたグレースの斬った筈の手の平には既に傷も血の跡すらない。

 まぁ、こちら側へ来た際の痛みまで。放り投げ込まれる事など想定していなかったのだろうから、後頭部か、顔面でこちらの床に落ちた物はその辺をのたうち回っていたが。

「しっかし・・・何だいここは?」

 そんな連中を後目に、驚いた声をあげるグレースだったが、当たり前だろう。自分も視線をあげた瞬間、目の前に広げる光景には開いた口が塞がらなかった。

 神殿。そう呼ぶに相応しい、何処か冷たく、同時にぴりぴりと肌に来る緊張感は現実味がある裏側で、ここに立っている感覚すら淡れさせる程の物。ただ只管に伸びる磨き上げられた廊下の先は、全く終着点が見えぬ程の場所だ。灯りすら無いにも関らず、空間全てが見えるのは、何か魔術的な物が構造物その物に仕掛けられているのだろう。

 その上だ。

 おびただしい程に書き込まれた、紋章。

 ついで違うと分かったのは、こんな行かれた大きさの紋章など一人の力で存在させる事など不可能だと分かったから。同時に、壁に描かれ何処までも続く廊下と同じくするそれは、間違いなく紋章(クレスト)ではなく、古代紋章(ルーン)。

「これもあんたのご先祖様が作ったなんて言わないよね」

「人間にゃ・・・こんな真似絶対出来ないわよ」

 そして思い出したのは、自分たちの本来の仕事。

 大地にすら書けるとすれば、地平の果てまで続く廊下の壁に刻み込む事など造作もないと言う事だろう。

「それこそ、神様でもなけりゃね」

 それに付け加えたかった皮肉すら飲み込む程、この光景は巨大過ぎる物。

 だが流石一番事情に精通しているだけあって、代わりに言ってくれた彼女の顔はただ、笑っていた。

「それもとびきりトチ狂った馬鹿野郎だ」




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:VIOLET CARD





































「ほら、いつまでんな所で遊んでんだい。さっさと仕事にとりかかるよ」

 グレースの声で起きた四人の顔は心底嫌そうな顔をしていたが、瞬時に張りつめたそれになるのは、訓練のたまものか。この場合は多分、血の成せる業と言った方が良いのかもしれないが。

 隊列、一番前にグレースと共にいた二人を行かせ、ついで自分とグレース、後方には自分に付いてきた三人が居る。

 最初はそれに、馬鹿げていると言う感想を抱いた。何せ隠れる所など何処にも無いのだ。障害物など全く無く、ただただ、だだっ広い廊下が先まで延びているだけ。

 最も、あくまでそれは最初だけだ。今はそんな感想を抱くつもりも、気を抜けばどうなるかも薄々感づいている。

「昔、これと似たような場所を見たことあるよ。けどまさかこんな場所にもあるとは思わなかった」

「でしょうね。けど・・・多分、ここだけじゃないと思う」

「こんなのが三つも四つもあるっての? やっぱりイかれてるわよ奴らは」

 賞するべきだろう、技術の集大成。

 間違いなく、自分が通っている道はそれを実感させる物だ。

 ただ、まるで水面の波紋の様に描かれているそれは、見ている者を発狂させてしまうだけの美しさがある。

 多分、それも目的とされてこの道は造られたのだろうが、何となく分かってしまう。この道を作り上げた人物は、さぞかし清々しい気分でここを歩いて行くのだと。

 狂気その物に酔いしれ、歓喜すらしてしまうであろう、意図。それが現れすぎているのだ。

 多分、一度見たと言うグレースはそれでも、少々は耐性が付いていたのだろうが他の全員。ただ歩いているだけで神経をすり減らされる、まるで全力疾走した後のようになっている。

 歩いているだけで、辛い。前に行くにしろ、後方に退くにしろ、その苦しみは変わりないだろう。

「休憩、って訳にもいかない、か」

「冗談言わんでくださいよ。こんなトコさっさとおさらばしたい気分なのに」

「ちゃちゃっとひとっ飛びできりゃまだマシなんだろうけどさ」

 暗がりで見えなかったから分からなかったのだが、前の名前も知らない二人には翼人の証である、空を飛べるそれがある。最も、一番身体の中で敏感な箇所でもあるそこは、今は震え痙攣するのがやっと。なまじ感覚が発達しているとこの空間は更に辛くなるらしい。

「カシムでも連れてくりゃよかったかねこりゃ」

「あー、確かにそれ言えてますな。アニキならこんな所の壁なんぞ、物の見事に打ち砕いてくれるでしょうに」

「はん、アイツまだ生きてやがんのか。顔と一緒で図太いね全く」

「まだ根に持ってんのかい? あんたも女々しいねぇ」

「私は女だ。女々しくて何処が悪い」

 会話の中身は、まるで分からない事だらけだったが、笑っている炎斬りや他の面子の表情を見ても、少しは気分が和らいだらしい。あいにくと、自分は取り残された様な気分で不安になったが、遠回しに言ったのだと、ため息を吐く。

「これは、壊せる物なの?」

「どんな強固な壁だろうが、作れたのなら破壊出来ない道理は無かろう?」

「いや、理屈ではそうだけどね」

「理屈じゃなく、それが全てさ」

 得意げに話すグレースと炎斬りは、笑っている一方でやはり苛だっているのだろう。憎々しげに自分の向こう側の続く壁を見ている。

「だけど、触れもしない物をどうやって壊すの。第一、ここ魔術も何もかも封じられちゃってるじゃないの」

 自分の述べた、それが現状だ。出なければこんな廊下をただ、歩いているだけなどと言う時間の浪費は無駄でしかない。

 頭痛のする中、見てきた壁のそれの公式は理解出来ない訳ではない。結界と似たような物をひたすら張り巡らせ、絡ませ、十重二十重と織りなしてある。そしてそれによって「結果的に」描かれる事になった紋様は、自分たちの魔術も何もかもを、封じてしまっているのだ。よりにもよって術体系その物が違うクレストすら封じられているのには驚いたが、それも納得出来る。

 ここは外ではなく、中だと言う事。

 もっと言えば、狭間だと言う事だろうか。結界その物を絶つにしろ、外か中のどちら側からか外的要因を加えれば可能ではある。ただ、ここにはその中も外も。その全てが存在している代わりに、複数あるのだ。気分が悪くなるのは、まるで自分の身体が物を透き通る部分とそうでない部分が勝手に出来上った、とでも言えば良いだろう。掴める筈の物が掴めずすり抜け、気が抜けた瞬間に一部分だけが引っかかる。そんな感覚。

 ただ、自分はまだマシな方だろうと分かったのは、周りの皆を見れば一目瞭然。

 戦いの中で培ってきた経験ではなく勘の部分。その中で危機回避と言う鋭敏なそれが、絶えず刺激されているのだ。

 生憎と、自分は確かにそれを持っていたとしても、引き際と言う奴を実際に多く体験し出したのは最近。悪く言えば、鈍い。故に、多少気が楽なのだと、皮肉な結果すら見て取れる。

「封じられているのなら、開封してしまえば良いだけの事だ。残念ながら無学な俺の頭じゃあ、そこまで考えるのが精一杯だがな」

「その方法がさっき話に出てたカシムって人な訳?」

「あれはちょっとした比喩だよバイア。まぁ、結界殺しとか言う異名は確かにあるけどね」

「カシムのアニキはありとあらゆる結界を殺す事の出来る魔眼の持ち主なんでさ。確か、ウギョー封じの魔眼とか言われてる奴だな」

「それを言うなら「五行封じの魔眼」だろ。何がウギョーだ。その辺で叫んでろ」

「へへ、そいつは失敬」

 話に出た魔眼と言う物の存在の事は少なからず知っている。視線と言う媒介を使い、特殊な能力を発揮すると言う物だ。

 保有者数があまりにも希少な為、実際に見たことも会った事も無く、ただの知識ではあったが。

「それで、その五行封じは何が出来るっての」

「あー、あれは何というか、アイツにしかその感覚はわからんからなぁ。魔族でも魔眼を持ってる奴はあまり居ないんだ」

「特殊な奴で言えば符殺(ふさつ)の魔眼とか、術に近い物なら魅惑の魔眼とかがあるな。ああ云う手合いとはあまりやり合いたくはない」

「とか言いつつ、アンタもその魔眼の持ち主でしょうが」

「え?」

 ファーラが何気なく言った言葉で、まじまじと炎斬りの顔を見てしまうが、ばつの悪そうな顔で視線を背けられる。さしずめ、人間達で言うならば奇異の中の奇異とでも言った奴だろう。彼なりに、苦労してきたと言う事なのかもしれない。

 そして種類は違うが、同じ魔眼と言う概念を持っているからか。話を逸らす様にして彼は話し始めた。

「俺たち魔眼の保有者は、簡単に言えばお前達が色眼鏡をかけた世界が見えているとでも言えば分かり易いだろうな。まぁ、俺の場合は赤と言う色が強く見えるだけだが」

「フレイの魔眼は確か、凪の魔眼だったっけ」

「その中の赤の位と呼ばれるのに位置する。師匠が言う話では他に蒼、黒、白の三色があるらしいが、会ったことはない」

「凪って、あの海の上で風がなくなるって、あれ?」

「まぁ、似たような物だとでも思えば良い。俺は赤いと言う色その物に、力を感じ取れると同時にその構造が理解出来る。だから炎斬りなんて二つ名が付いた」

「確かに炎は赤いけど、構造って言っても・・・」

「何も火を起こす時の順序を考える必要など無い。俺にはそれが分かる。ただそれだけの事だ」

「それって何処まで」

 その時、炎斬りの顔が歪んだのは、しつこいと感じているのがイヤほど分かったが、頭の何処かで引っかかった疑問は何か凝が残るのだ。多分、本人の周りには自分の様にしつこく聞いてくる人物が居なかった故の反応だろうが、今は相手の感情よりも自分の疑問を氷解させたいと言う思いが強い。よくよく考えてみれば、周りに居なかったのではなく、居ても殺せば良い、と言う自分のやっているのは彼にしてみれば殺す理由に十分だったのかもしれないが。

「それを殺せる場所、作れる場所、後は変化させる場所、か」

「じゃあ、たえず動いて形を変えている物は炎だけとか、そう言う制約はない訳?」

「そこまでは知らん。魔眼を使って戦うのは好きじゃないんでな」

「・・・・・」

 一瞬、サリアとの関係の様にひっぱたきそうになったのを堪えたが、これほどまでに本人が気付いていないのは、彼自身が言っていた、無学と言う事に原因があるのだろうとイヤほど分かった。

 多分、ある程度の制約は間違いなく存在しているのだろうが、色と言う条件さえ満たせば、炎以外ですら断ち切れてしまうだろう。それこそ使い方次第で、人の身体で言えば外皮を傷つけずに赤いと言う血液のみを「殺してしまう」事すら可能な筈だ。

 それを知らないの一言で斬って捨てたと言う事は、師匠とやらに教えて貰わなかった、と言う事ではなく、さしずめ鬱陶しいので放って置いた、とでも表せば良いか。若かった故に、学ぶべき事を学ばなかった、と言う事だ。考えてみればシグマのライバル的存在だったと言う事を失念していた。

 どんな形であれ、類は友を呼ぶ、なのである。

 そんな感想を、彼の鬱陶しげな視線の中で結論付けた一方、彼の言う「殺す」と言うのがどういう事なのか今一分からなかったからだろう。よほど顔にそれが出ていたらしい疑問を解いてくれたのは、グレースの声だった。

「どうせなら気晴らしにやっちまえば良いじゃないのさ。ここなら加減なんぞ必要ないだろう?」

「俺は見せ物じゃない・・・」

 ある種、最もな反論だ。グレースならばなら仕方無いと、へそを曲げた彼の代わりに説明してくれるかもしれない。ただ、彼も、周りの皆も気付いていなかっただけで。

「見せ物でも何でも言いから」

「あ、姐さん? それは幾等何でも酷い言・・・・」

「私はねフェース。これでも落ち着いてお願いしてるの」

「ひっ」

「この絡みつくみたいな視線がずっとずっと私の方を見て、いい加減頭に来てるのよ。分かる?」

 分かる訳がない。

 誰もがそう思ったろう。要約すれば苛ついているだけだ、と言う事なのだろうが、氷魔剣と言うこの中で最も熟練し長けているからこそ、要らない物まで感じていたらしい。考えてみれば当たり前の話だ。経験と、それに伴う実力は、間違いなく彼女が一番なのだから。

「フレイ。良いからやりな」

「わ、分かったよ・・・」

 表情が一変し、満足げに笑うグレースだったが、代わりに炎斬りの顔は青い。どういう経緯にせよ、脅された事に代わりはないのだ。それもとびきりの柔らかい表情を顔に張り付かせ、視線だけで貴方を殺そうかしら等とほのめかしながら。

 そして、こちらに怨めしげな視線を一度だけ浴びせ、進む方向へと一番前へ出る。

 お前の所為だからなと、抗議した視線なのだと頭の中で考えた瞬間。

「!?」

 彼の強い視線を感じた。

「さ、どの程度まで出来るようになったか拝見しようじゃないか」

 だが、彼は相変わらず前を、つまり視線は自分と同じ方向で彼は自分たちの姿は視界に入っていない筈なのに。

 言葉が出ずに居るだけで、彼の行動は止まりはしない。

 左手を腰に当て、右手を添える様にゆっくりと動く。何も持っては居ないのに、まるでそこに鞘から剣を抜き放つ彼が居る様で、錯覚しているのではないかと思うほど、徐々に大きく剣を振りかぶる彼の手に、赤い揺らめきが見て取れる。

 そして、隣に居たファーラが「久しぶりに見るな」と言うと同時に、彼はその剣を力の限り振り切る。

 本来なら、実体の伴わない訓練のようなその素振りだったのだろうが、ごう、と言う音と共に視界を爆ぜ、進むべき道一杯に広がったり見せた赤。

 耳障りな、まるで床を切っ先で切り裂いていく様な音と共に遠くへ行ってしまう。

 後に残ったのは、その斬った、と言う名残りの爪痕だろう。炎は直に消えたが、まるで油を直線に流し、火を付けた様な跡と、炎が巻き起こった後の熱くなった身体だけ。

「おー、なかなか鍛錬してるじゃないか。昔みたいなへなちょこじゃなくて良かったナ」

 皮肉めいた、少なくとも彼にとってそう聞こえたであろうグレースの声。本人は全くそのつもりは無いらしく、眼を煌々と輝かせている。

 何処か危なげな雰囲気。

 嫌な予感がすると、耳元で何かがバチっと弾けた音を聞いた気がする。

 何の事はない。ただ、ファーラの気配が戦う時のそれに変貌しただけ。

「グレースさんよ。一つ訪ねて良いかい?」

 それなのに、だ。

 自分の知っている碧眼の魔獣らしからぬ、躊躇いが見て取れる。

 それが何なのか分からなくて、頭の上に疑問符を浮かべた表情を自分はしているのに。

「ああ、どうせなら一つと言わず、言いたい事全部にしたほうが良いんじゃないかい。その方がお前らもすっきりするだろうよ」

 周りの雰囲気は明らかにおかしい。

 そんな物、この場所と言う時点で当たり前の話だったが、それを差し引いてもおかしいと言える。

 笑っているのがグレース一人だけで、あんな炎の円舞を創り出した炎斬りでさえ、もはや文句も出ない緊張した面もちをしているのだから。

 何となく、これが何なのか。分かっていた気もする。

 だから聞き取れた、まるで絞り出すように呟いたファーラの声は、真実だけを告げたのだろう。

「やらなきゃ、止める事は出来ないのか」

「そうしたいのは山々だけど、頭のどっかでさ。望んでたんじゃないかな、もう、止まらない」

 屈託のない顔で笑う彼女。

 氷魔剣と言う女が纏っていたそれは、歓喜と、殺意その物。

 だから分からないと言うよりも、彼女の呟いたそれは理解出来なかった。

「さぁ、殺しあいを始めましょうか」







 何がどう、と。頭の中で思考が動く前に、グレースの剣が狙ったのは間違いなく自分。

 手近に居たからではなく、彼女の性格がそうさせるのだろう。最初に殺すのは、雑魚と言う訳だ。

 例外なく、全ての魔術体系その物を封じられているこの空間でさえ、だ。

 魔剣と言うからには、身体その物がその封じられる対象に当てはまるにも関らず、彼女の切っ先からは殺気とは違う冷気が漂ってくる。

 目の前に、寸前の所でそれを止めてくれたのは、その場に居た、グレースと自分違いの全員。

「どうにか・・・、止められないのかよ」

「言ったでしょ。心の何処かで私はそれを望んでた。だから、無理よ」

「俺はアンタとはやり合いたくない」

「まだ甘っちょろい事言ってんの? 仕方無いなぁ」

 緊迫した状況に間違いない。

 どういう経緯かは分からないが、自分は今さっき、殺されかけた。

 その現実がどういう事を意味するのかが分からなくて、代わりにそれをやった本人は、そこにある殺意など揺らぎもしないらしい。

 視線が、炎斬り一点に集中し、声を。危ないと言いかけた刹那、彼の身体は壁に向かって吹き飛ばされる。

 視覚で、拘えられる筈もないその動きは、まるで先日やり合った神様とやらと同質。

 頭の何処かで無駄だと分かっているにも関らず、見てしまう。

「あんたのそう言う所、嫌いじゃあないわよ。けど、今はそんなもの捨ててしまいなさい」

 諭す様、柔らかくほほ笑む彼女のそれは、炎斬りの顔を歪ませる。

 ついで時間は、自分の真横を吹っ飛ばされる形となった彼とファーラ。二人が反対側の壁へと叩き付けられた音で動き出す。

「あ、姐さん?」

「どうしたって言うのさ。姐さんは、わたしらを・・・・」

「殺す、と、言葉にしなきゃ分からない?」

 何を言っているのと、彼女の連れの二人は震えているのだろう。

 目の前の絶対的な、敵に。

「抵抗しないのなら、ただ、死ぬだけ。口を酸っぱくして教えたわよね。相手がその気なら、躊躇うなって」

 瞬間、二人は彼女へと疾走し、拳と、手刀とを彼女へと叩き付け、突き刺す。

 多分それは、自分よりも遥かに強く、人間の身体など簡単に破壊し切り裂くだけの力と鋭さを持っているのだろうが、彼女の身体に届いたそれは、止められていた。

 避ける事も、防ぐ事もせずに、ただ、己の肉体のみでそれを受け止めているのだ。

「それともまだ一抹の希望なんて物に賭けてるのかしら」

「あ、・・・・」

 瞬間、両者の身体は金縛りに会ったように動かなかったのだろう。睨め付けられ、動けなかった二人の首をグレースはつかみ、天井へと掲げ挙げる。

 そんな事をすれば、二人がどうなるのか等、分かっている筈だ。

 だから漸く自分の頭の中で、彼女が何を言ったのかを理解した。

 理由など、分かる訳もなかったが。

「グレース・・・どういうつもり」

 擦れた声。

 自分が絞り出したやっとの声は、自覚など無かった。

 何時の間にか握り閉めていた手は汗ばみ、背筋は凍る様に冷たい。

 怖いと、分かり切ったような事を今更認識した様で、笑ってしまいたくなる一方。何が出来るか分からないからか。

 それとも未知に対する恐怖故か、手にはあの黒い符が握られている。

「どういうつもり、ですって?」

 視線が、此方に移る。

 それだけで、何十回と殺された様な気分で立っている事さえ辛くなる。

 倒れ、この場で気を失った方が良いに決まっていると。分かっているのに自分は何をするつもりだろうと、呟いた言葉は力などこもる筈も無かった。

「ええ。どうせなら、教えてくれないかしら」

「大体の検討は付いているんじゃない? 貴方は仮にも、紋章士。それもとびきりの次文士でもある訳だから」

 掴んでいた二人に興味が失せたのか。そのまま片方ずつ、まるでボールでも投げる様にこちらへと投げ捨てる。

 当たりはしない。

 そう思った原因が何か分からなかったのだが、両脇を後方の壁とご対面した二人と同じく、通り過ぎた気を失ったであろう二人の身体は通り抜ける。

 それが痛く、気に入ったらしい。

「まぁ、教えてあげるわ。なに、簡単な話よ。この場所が私を、こうさせた」

「そう仕組んであったと?」

「そうなんじゃないかしら。まぁ、隙を見せた私も悪いんでしょうけど」

「操られていると言うより、そうなるよう、促されただけって事かしら」

「ふん、アンタには・・・・いや、この場に居る私を除く全員か。こんな感覚になるなんて事は無かったでしょうね」

 そして笑顔が消えた彼女の顔は、あまりに凄惨過ぎた。

 人間の殺人鬼だって、あそこまでの顔は出来ないと。本能的に察知したと言っても良い。

 狂っているのではなく、人間にはない、魔族としての本能。

 彼女と、自分を含める他の全員との違い。

 それは何のことはない。

 彼女自身の二つ名が、その証だったのだから。

「・・・生き残った者だけが、そうなるって訳?」

「そう、なのかしらね。まぁ、13人しか結局生き残ってなかった訳だし、流石に赤子まで殺してなかったけど、知り合いも友人も親友も、妹すら手に掛けたからね」

 13魔剣と呼ばれる内の一人の彼女は、過去を知っている。

 意味は、それをその時代に体験した物しか分からないであろう事柄。人間なら、ただ愚かだと言ってそれを止めるかもしれない。

 自分が彼女たちを称するのなら、止める事も出来ずに、病んでいたのだと。

 恐怖に駆られた訳ではなく、ただ、生き残る為だけに。

 最も強い13人を選別する為、戦ったのではなく、殺しあった。

 それが彼女の本能すら塗り替え、新しいそれを作り上げる結果になったのだとしたら。

 生き残る事に直結してしまった殺すと言う行為その物が、彼女の生きる意味になってしまったのなら。

「・・・・」

 かける言葉すら失い、ただ、そこに突っ立っているしかない。

 自分からしてみれば、彼女のやったその行為は、理解の範疇を越えている。もしも、なんて事が考えられない程、突飛な事なのだ。

 気安く、昔ならば嘘でも気持ちが分かると言ったのかもしれないが。こんな状況でそれを言える程、その時の彼女の叫びも絶望も、いい知れない未来への不安も。

 その全てなど理解出来る筈もない。

 長く生きてきた者と、まだこれからを生きてゆく者では明らかに違う。

 彼女しかこうなっていないと言う事は、彼女にその経験があったと言う、ただ、現実がそこにあるだけ。

 苛ついていたと言うのは嘘ではない。ただその原因が、抗える物だったからこそと言うのが彼女のそれの正体。

 自らの中で自問自答し、彼女自身が言ったように、殺し合ってみたいと。そう、思ってしまったのだろう。

 後はなし崩しに、影響され、支配とも少し違う。

 他者を殺すと言う事に、躊躇いがないからこそ、促されただけで、こうなってしまったと。

「裏切りとも、違うと言うの・・・」

「ああ、違うね。私には分かるさ、グレースのその気持ちは」

 答えたのは彼女ではなく、今迄気でも失っていたのか。頭を振りながら意識を保とうとする、ファーラ。

「その気持ちは俺達が、誰しも内包しているもしもに対する恐怖と希望だな」


 炎斬りも起きたのか。こちらは痛みと、多分覚悟だ。

 こんな状況下でおかしいのかもしれないが、女だから分かると言う感覚だろう。彼は、何のことはない。グレースの事が好きなのだと。

 幾等殺すことに長けているとは言え、恋愛感情に同じくあると言う訳ではない。だから、彼の場合は別の理由で迷っていたと言う事。

 最も、そんな感情すら、この自体にはあまり意味の成さない物と、斬って捨てられるだけの強さは、理解しがたい物があったが。

「ホント頭にくるわね。そう言う自体もあり得るなら、後継者でも探して傍に置いときなさいよ」

「予測出来たと思う? それに、私はまだまだやる気で居るわよ。年寄りになったつもりがない訳じゃあないけどね」

「だが、こうなってしまったのなら。仕方無い、事なんだろう?」

 まだ迷っている炎斬りと、そうでないファーラ。言い含む事に関する何かが分からないでいるが、それは自分が踏み居る事の出来ない領域。

「そうね。探しても居なかったと言う事は、私にも非があると言うことかもしれない。けど、あなた達なら分かるんじゃないかしら」

「ああ、そうだな」

「師匠殺しなんて、気にしたこともない一言だったけどね。ま、この場所にはモウ一人居るけども、ダメらしいし」

 酷く気楽な声だと思う。

 これが、これから殺し合う者達の声だなんてとてもじゃないが実感出来そうにもない。ただ漠然とそうなってしまうのだと。

 舞台の上に立たされても居ない自分を除外するとするなら、そのもう一人と言うのが、自ずとサリアを刺しているのだとは分かったが。

「まぁ、あんた達が私を止めてくれたら、私も少しは気が楽だからねぇ。流石にもう、身内に手を掛けるなんてのはごめんだわ」

「誰かの言葉だっけ? 欲しくもない物だからこそ、手に入ってしまうってのは。皮肉過ぎて笑えないわ」

 二つ名よろしく、その眼の色を完璧に碧一色へと染め抜いてゆく彼女は、もう躊躇いなど捨てている。

 身内だと言われた瞬間、サリアの身体が竦んだように見え、うつ向いていた顔を漸くあげたが、グレースとは違う凄惨で。

 この場合は単に、惨めに見えたと言うべきか。

 今迄こんな顔の彼女は見たことも無い。そう思える程、叫びだしてしまいそうな。

 泣いてしまいそうな顔だった。

「フレイも覚悟は決まったかしら?」

「笑えないのは確かだな。俺は自分の気持ちを偽るつもりもない」

「おーおー、今になっても愛の告白? 懲りないねぇアンタもさ」

「茶化すな・・・」

「嫌いじゃないけどね。けど、男としては見れないさ。私に取っちゃ、アンタはちっちゃい頃から知ってる男の子だ」

「・・・なら」

 仕方無いと笑う魔獣と、本心で笑っている氷魔剣。

 そして漸く、頭の中で考えていた事を口に出す。それで覚悟が決まると、決めた炎斬りはただ、冷たく言い放った。

「アンタを殺して、俺が氷魔剣を継いでやる」

「上、等」

 くくくと、笑いが止まらないグレースはうつ向いたまま視線をあげもしない。

 何となく、彼女はこんな事に慣れているのだろうと思ったが、今の言葉で漸く合点がいった。

 魔剣の名は何も、廃れていくだけの物ではないのだ。考えてみれば当たり前で、彼女の様に長い時を生きていれば、何時かは死が訪れる。例えどれだけ長い寿命を持っていたとしても、それだけは逃れられない現実。なのに、その13魔剣と言う称号が今迄続いてきた理由は、簡単。

 誰かが、殺して引き継いで来たのだ。

 以前、炎斬りと碧眼の魔獣と再会した場所で聞いた、全員が居る訳ではない理由は、まさしくそれ。

 出来なかった魔剣も居れば、そうでない魔剣も居ると言う事。

 慣れているのはその為で、だから、彼女は言ったのだろう。

「後悔するなよその言葉。後は、屍を越えて行くか自らそれになるだけだ」

 それだけで、眼中に無いと興味を捨てられた自分でさえ、その場で動けなくなった。

 それは彼女の言葉があまりにも、格の違いを見せつけるに十分なものだったからじゃなく。

 漸く、認識出来たから。

 この三人は、殺し合う理由など初めから十分だったと言う事。

 特殊な能力を一切抜きにした、単に肉体だけの殺し合い。

 例外な、炎斬りの魔眼や、どういった構造をしているのか分からない氷魔剣の触れるだけで凍てつかせてしまう手の平とか。

 自分からしてみれば、化け物同時の戦いだと。それがもしかしたら、自分の身に降りかかる事になるかもしれないと言う可能性を持っていたとしてもだ。

 自分はただそこで、呆れて居る事に気付いた。

 先ほど、誰かが言っていた。ファーラだったか。

 時と場合と選びさえすれば、別に構わないと言ったのだ。反芻して漸く意味が理解出来た時、何となく、漠然と魔族と言う奴の一部分が理解出来たからかもしれない。

 そこにあるのは確かに心の葛藤や哀しみ、逆に喜びや楽しみなんて物があるのかもしれない。いや、現にそこに間違いなく存在している。

 ただ、違うのは。今迄思ってきた事と違っていたのはだ。

 人であるならば後悔してしまう出来事を起こす前に、彼らは後悔してしまうのだ。

 器用な事をと、呻きたくもなるだろう。後悔と言うのは後にする物であって、事前にしてしまう物では決して無い筈だ。

 そこにある考えは、どうせその為に自分が後になって嘆くなんて馬鹿げているとか、割り切れる考え方があるのだろうけど。

 それが出来ないから、人間は後悔と言う感情を抱く事があるのだと。酷く何かに呆れてしまっていた。

 目の前で起こる現実、衣服だけではなく、肉体まで触れられた箇所が凍り付いて行くのが分かる、それを引き起こしているグレースもやられている二人も。

 表情こそ違えど、そこに躊躇いなどは存在していない。

 覚悟を決めたのなら。

 決められたのなら、出来るのは確かに当たり前だが。

 納得出来ない自分は、何がどうなってもここに存在しているのだ。同時に彼らとてそれは同じ事。

 世界など、違いはしないのに。心と文化のあり方が違うだけで、ここまで割り切ってしまえる物だと思えてしまったからこそ、呆れて物も言えなかった。

 彼らにとって、それは大人と言う考え方なのだろう。違うサリアは、迷っているまま動けない。

 だけどそんな物は自分に取って見れば、一言で片づく。

「我が儘なだけじゃないのさ・・・」

 そんな物は、子供と一緒で。

 何処か場違いな感情。血湧き肉躍る何て表現がぴったりな場所で、方向性の違う笑みを浮かべられたのは自分も、毒されてしまったからなのだろう。

「・・・・・・・はぁ〜」

 大きく溜息を吐いてから、ならばと分かって理解して思ったから、自分に出来る事をする。

 即ち、考える事だ。

 耳障りな音や、苦痛によるうめき声と、叫き散らすような文句。

 自分の周りで飛んで跳ねているそれは、確かに鬱陶しげに感じられて居るが、思ってしまったからにはさして気にもならない。

「サリア、一つ聞いて良いかしら」

「え・・・・」

 こんな状況下だからこそ、彼女は自分の表情に疑問を持った事だろう。

 当たり前だ。少し前の自分なら、それこそ今のサリアの様な表情をしているだけだったかもしれないし、もっと酷かったのかもしれない。

 だが、余裕が出来たからだろうか。

 いや、単に、鈍くなったからかも知れない。

 状況を打破する為なら何でもして良いと言うそれに毒されたまま、自分は彼女の表情が更に曇るのも気に止めなかった。

「貴方がラグナロクなら、何かしらの力、持ってないかしら」

 それは多分、最も触れられたくない部分だったに違いない。

 曇ったのだと、認識出来た自分の心は確かに彼女の別の部分も分かっている。

 言葉にしてしまえば、これ以上聞けなくなると思ってわざと、自分の中で誤魔化している。

 一瞬のその表情を見せた後、どうしてそんな事を聞くのと言う表情をしたままの彼女に、自分は追い打ちを掛ける様に言った。

「贅沢は言わないわ。炎斬りが持ってる様な、魔眼みたいなものが理想的なんだけど。あの三人、どうせ私の話なんて聞かないつもりでしょうしね」

 あの殺し合いの場に割って入って止める等と。そんな事をすれば間違いなく自分は死ぬと言う事は分かる。

 本当はこの場に立っている事だって十二分に危ない筈だ。何せちりちりと灼ける肌と、同時に凍りそのまま壊された服の節々などはたまたま、流れ弾のようなそれがあたっていないだけなのだ。この上にファーラの爪など貰ってしまえば、正直、死ぬと漠然に分かっているそれがあまりに現実になりすぎて冷静で居られる自信は無い。

 言われたサリアはまるでそう。

 我が儘が聞き入れられなくて拗ねている子供の様にも見えたが。切り替わったと分かったのは彼女の雰囲気その物が違う物へと成ったからだろう。

 それが彼女の一番見せたくない、同時に認めたくない部分だと分かっていても、自分の声色は代わりもしなかった。

「私はまだ色づけされてない白紙のまま。これからもずっとそう。だけど、だから相手の唯一無二のそれだって、真似出来る」

「じゃあ、見てきた物なら何であっても出来ると。そう言う訳ね」

「許容範囲を超えない限り大丈夫。だと思う。その・・・試したことは、ないけど」

「分かったわ」

 がらんどうの人形に成りきれて等居ない。

 それが一番、彼女の恐れている事。いや、過去だから、か。

 手に取るように分かる無防備な心も多分その影響で、ある感情をぶつけている事も、分かっている。

 だけどその言葉を聞いてしまえば気付いてしまうから。

 この場に居て、こんな事を思わなくてはならないのは自分だけだと。ふと視界に入ったグレースの連れ二人に眼が行く。

 呑気に。いや、本人達に取って見れば絶対的な信頼の対象であるグレースにあんな事をされたのだ。気絶していても、分かり切れていないと言うままなのかもしれない。

 羨ましい。そう、思う。

 無い物ねだりだと。無意味なもしもだと分かっていても、そう思えてしまうのは自分も結局、我が儘なだけだ。

 今は只、役割をこなすだけの、裏方に撤しているだけで居なければならない。

「じゃあ、炎斬りの持ってた何とかの魔眼て奴。それで今から言う物を斬って」

「・・・・・分かった」

 躊躇いのあるそれは、間違ってなんか居ない。

 彼女自身言った事は嘘でもなんでもなく、本当の事。

 初めて「自分」と言う力を使うのだ。不安でない訳がない。

「く、、それで、何処を、コロセば・・・?」

「ちょっとまって。今大体の場所を教えるから」

「だい、タい?」

 それは同時に、自分にも言える事だ。

 多分その行為は、彼女自身の意識を蝕み、失くしてしまう程の苦痛なのだろう。顔も見れない。見てしまえば、止めてしまう。

 かつかつと足音だけが。周りは三人の殺し合う音でヤカマシイくらいなのに。酷くその音だけが聞こえてきたのは自分が集中しているから。

 壁の前まで。手を伸ばせば触れられるそこまで来て、大体の検討を付けられた。

 ずっと。

 見ていられないから、顔を反らす様にして大体の場所を指さし、見てしまう。

「この辺。後は、その眼で見える、ここを通る赤を斬れば良い」

 なんて、冷たい顔だろうと。

 無機物にそのまま表情を当てはめれば、今の彼女の様な顔が出来ると思ってしまう。

 感情なんて物は一切なく、覚悟を決めたから出来る顔では絶対に無い。

 それが人形と言う存在ですらなく。

「分かった」

 心の宿らない道具その物だった。

 ゆっくりと炎斬りと同じく構え、その眼が赤く。

 いや、彼女の中にあるからこそ、緋色へと染まって行く。

 ただそれを誘発させたのは自分の声で、染まって行く等と言うのはただ表現したくないと自分の本心が告げていると。

 まるで蝕まれていると言うのが、ただしい表現だったろう。炎斬りと雰囲気はまるで違う。

 逃げ出したくなるだけの。皮肉にもそれは余裕なのだ。

 まだ、グレースに睨まれた方がマシだと思ったのは自分だけではなく、熱に憂かれ様に殺し合っていた三人も同じだったらしい。

「え・・・・何」

 冷水を浴びせられた様な。そんな声でファーラが立ち止まり、二人もそれに習う。

 止まれるのなら、初めからそうしろと言いたくもなったがそんな親切な事は言ってやらない。

「あんたらの下らない茶番につき合ってる暇はないの。だから私と彼女で・・・・」

 視線その物で退かされる様に、自分は横へとずれた。

 瞬間、サリアは駆け抜けもせずにただ、その場で腕と手に握った見えない剣を振るっただけ。

 オリジナルよりもその切っ先は頼りなさげだったが、腕は確かな物。

 いや、確か所ではないだろう。自分の望んだ形としては、間違いなくオリジナルを陵駕する結果を引き起こしてくれる。

 剣術やそれの扱いなんてのは学校で囓った程度しか分からない自分だから、腕の動きとか、彼女の踏み込みとかがどうと分かる訳ではない。

 一介の、紋章士。同時に稀代の次文士として、見たのは個人が千年かけたとしても作り上げる事の出来ない、完璧な古代紋章。それをただ一刀のもとに斬り捨てたと言う事。

 作れない物だとしても、構造自体は理解出来る。直視するに耐えない物であったかわりに、自分の頭はこれを理解出来たのだ。

 赤い色と言うのが、何を意味していたのか何て事までは時間のない今は分からない事だったが、必要不可欠な部分の一つに代わりはなく。

「壊シタだケ」

 サリアの、何処か自ら述べた言葉と同じくして、周りにある模様は明滅し、砂が落ちる様にして消えて行く。

 この後どうなるかなんて、考えて居る余裕がなかったからか。

 辺りの景色が歪み、少し納得したように自体を見守る。

 ここは本来、あり得ない場所なのだ。空間を繋げここにやって来たは良いが、この場所自体の意味を考えなかった。それが今から起こる事態の結末を引き起こす。

 ここに来る前に見たあの転送用の紋章にある一文。

 未来に賭けて、とは、引き返す事など出来ないと言う事なのだ。

 本来ならば、死んで終わったのかもしれない出来事だが、流石のご先祖様もこんな自体まで起こされるとは思っていなかったろう。

 サリアが斬ったのはたしかに、古代紋章壁を動かす血管の様な部分。ただそれだけではなく別の物すら斬ってしまったらしい。

 一切不要な情報を与えなかった為、赤い色をした「概念」と言う奴まで殺してしまったらしいのだ。

 時と時の繋がりか、それともここと本来居るべき世界との境界か。

 何かは分からないし、そんな物に色があるなんて聞いた事はない。

 崩壊する視界の中で、喚く声と狼狽てる声も聞こえたが、自分とサリアはただただ、立って互いを見ているだけだ。

 もうすぐ、離ればなれになると。

 この数年の間にあった、彼女との縁。

「ああ、そうか・・・。運命の赤い糸って、奴か」

 笑いがこみ上げ。

 でも声が出なくて。

 ただ、さっきまではあんなにも冷たい声で彼女を不安にさせてしまったと。

 それを拭う様に、笑ってやる。

「・・・!! ・・・・! ・・・・・!!!」

 声すらもう、届かなくなってきているのは、ここと、あっちが別の場所へと繋がると言う証拠。

 自分が邪魔だと思われ退かされた瞬間、決まったのだと思う。

 既にその瞬間、さっき言った戯言は現実になったとも思い、ふと手を見る。

「全く、裏方が忘れちゃあいけないわよね」

 握られていた黒の符。

 それは、決して自分しか操れない物だが、それを使う様を彼女が見ているのなら話は別だ。

 二つ名を。

 自分が付けるのなら、気の利いた名前もつけられないのだけど。頭に浮かんだ言葉はしっくり来る様な気がする。

 投げてやったそれは明滅し、崩れ行き、別れて行くこの世界の中で様々な色を宿し、鮮やかな紫色の符に見えたが、それに負けない輝きを持つであろう彼女。

 白紙の魔剣。

 そんな二つ名が彼女に相応しい様な気がして、また笑えてしまう。

 奇麗な意味と取る物が居るかもしれないが、自分がしっくり来ると思ったのは何もその為ではないから。

 頭が悪いのではなく、何も知らない子供の様で。

 彼女が自分に。変貌していく時に言いたかった言葉。

 独りにしないでと。

 自分の思うがままにしか世界を見ていないからこそ、そんな事を言える子供だと思ってしまったのだ。

 擦れ、消えゆき、見えなくなる瞬間。

 そして、自分と彼女とは、会えなくなると分かっていても。

 呟かずにいられなかった言葉は、我ながら呑気だと思える気楽さだった。

 届きもしなかっただろうけど。言えた自分は少なくとも、満足出来たから。

 今生の別れになるかもしれない離ればなれと言う出来事の割に気楽だと、また自分は笑っていた。

 見えてくる世界は、懐かしの皇都。

 そして自分は、舞台から降りたのだと、分かった。

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