「で、あれは結局、何者だったんだ? なんか凄い偉そうな面しやがって。それにサリアちゃんも居なくなったし」

「何気弱な事言ってんのよ。サリアは仕事が出来て別行動取ってるだけって言ったじゃないの」

「じゃあ、あれが誰だったか位説明して欲しいもんだがな」

「聞きたい? ホントに」

「ああ」

 夜の内に行動を開始出来る訳でもなく、結局あの後眠ってしまって、今はもう一日経過した夜の事だ。戦力低下は分かっているが、策士としてではなく紋章士として出来うる限りの事をするなら、サリア一人分くらいの戦力は肩代わり出来る。夜明けになる寸前、空がぼんやりと澄んだ青くで染まる時間に、荒野を走っている最中。馬上は酷く寒さを感じるが、朝になり、昼になれば嫌でも熱くなるだろう。

「氷魔剣よ。魔剣の存在くらいは知ってるでしょう?」

「・・・・・・・・・・炎魔剣だけで十分だと思ってたがな。まだ他に居たのか、物騒な名前もった奴」

 漆黒の山脈近くに住んでいると言われる炎魔剣ビシャスと呼ばれる男。グレースと同じく魔剣と言われるだけその強さは自分たちには計り知れない強さを持っている。特にシグマは昔見た光景を思い出し、寒さではなく違うモノで震える身体を感情で押さえているのだろう。何せ一個大隊どころか、その国の兵士の半数以上をたった一人に殺されたのだから。それがなければシグマの国もダルト連合国に吸収されず、今も残っているのだろうが、戦争とはそう言うモノ。捕虜でなく国を取り返す為に、彼はダルト連合国の中でも戦争を最前線でのし上がっていた過去がある。

「あんなバケモノと取引してたのかあんた」

「まぁ、私は紋章士だからね。氷魔剣とだけは少なからず縁があるのよ」

「縁だぁ? ・・・まぁ、いいさ。しかし盗賊とはね。あの格好から察するに、ろくな奴じゃないとは思ってたが」

「くだんない正義感なんて捨ててしまいなさい。これからやる事には役に立っちゃくれないわよ」

「へぇへぇ、若造で悪ぅござんしたよ」

 拗ねては居るが、緊張はほぐれたらしい。化け物と相対した過去があるのなら、人間如き相手にするのは造作もない事だ。

 戦争をする為に兵士を育成する際、人を殺す事に対する感情を痲痺させる、等と言う訓練もあるにはある。だが、当初蹂躪戦で住民を殺しまくる、と言う半ば意味もない殺戮でそれを完遂させるのではなく、彼の場合はたった一人の魔族に負けた過去があるからこそ、人を殺す時も躊躇いはしないだろう。

 何だかんだいって、殺人鬼である事には違いないのだが。それ以外に方法がないと割り切れるのは、自分より寧ろ彼の方が上手いだろう。

「で、そのキャラバンが襲われるって情報は確かなんだろうな」

「ええ、今まで襲われたキャリバンの特徴から言って間違いないわ。盗賊が襲うには大きすぎるけど、素人が手っ取り早く襲うには格好の餌食でしょうよ」

「たまにあんたのそれ、怖くなるんだがな」

「頭が切れるってのは良いわよ? 何しても食べてけるから」

「自分で言ってりゃ世話ねぇぜ」

 もうすぐ、キャリバンを襲う絶好の場所にたどり着く。待ち伏せしている連中の影が見え、隣にいるシグマの気配と目つきが変わるのが分かる。

 ただ、最後まで言えなかったのは失敗だったのかもしれない。

 自分が、今迄直接人を殺めたことはないと。




































アナザー・ナイン・ファンタジー■ACT:VIOLET CARD





































 葛藤。

 躊躇い。

 怒りと憎しみ、そして殺意。

 正直、これを続けて生きてきた連中はどういう神経をしているのか。隣で笑いこそしていなかったが、慣れていると言った顔をしているシグマの反応も理解出来る物ではなかった。

「さて、と。結局ギア・ワイズマンは高みの見物しかしてなかったって事ね。一応仕事完了かぁ?」

 血で汚れた服装。剣、手、腕。

 返り血を気にしながら戦える余裕がなかった、と言うのも事実だ。そして自分の腕にもやはり、返り血と自らの血が張り付いている。

「・・・・うした。おい?」

「え?」

「仕事、終わったなって言ったんだよ。聞いてんのか?」

「え、ええ・・・ちゃんと聞いてるわよ」

 呆れられていた事も無視し、頭の中はただ空白が支配する。

 廃人になってしまう、と、何処かで声がした様な気がしたが、頭を降って下らない考えを捨て去る。

「かー・・・・胸くそ悪い仕事だったな。さっさと酒飲んで忘れたいぜ」

 彼はきっと、正常なのだろうと思う。確かに胸くそ悪い仕事だったから。

 だが自分はどうだろうか。そんな感情を抱いて、こんな心境に今あるのか。

「じゃ、皇都に帰還、だね」

 正直、全く違う言葉を連想し、納得出来たからこそ、やはり自分は最前線に出て戦うべきじゃないとも思う。皇都への帰路の間、ずっとそんな事を考えていた気がする。

 記憶が抜け落ちた様な、何か失ったような喪失感を抱いたまま、自分の部屋に帰るまで心ここにあらずと言った風だったのだろう。

 ギルドでヤヨイに報告を済ませ、何日かぶりの近所の知り合いと久しぶりの挨拶をして、部屋の中に入る。

 そしてドアを閉めた途端、それはやってきた。

「は、はは・・・・震えてやがんの、私」

 脳裏に刻みつけられた記憶など、無い。どうやって自分が人を殺していたのか。あの場に居た自分以外生き残りはシグマしか居ない。彼しか、その顔は知らないだろう。

 相手がどんな表情をして逝ったかを憶えてない。

 ただ、腕に残る感触。紋章を使わなかった故に、ナイフと相手の落とした歪な形の武器で人を刺した、あの重々しい感触だけが残っている。

「はァ・・・」

 震える体を抱えながらベットに倒れ込み、そのまま寝てしまえればどれだけ良かったか。

 頭はまるで熱を持った様に覚めず、人を殺した感覚だけを永続的に思い出させてくれる。

 そんなだから、久しぶりにやってしまった。

「ごほっ・・・・ま、っだぐ・・・」

 喉の奥に絡みつく血の味。難儀なと思いながら、重い身体を動かして台所まで歩いて行く。

 水道をひねり、水が流れ落ち排水溝の中に吸い込まれて行くのを見ながら何度か吐血し、そのままへたり込んでしまう。体力的にも、精神的にも疲れ切っているからだろう。分かっては居た。

 不幸中の幸いか、シグマと行動を共にしている時にこれがなくてつくづく良かったと思う。サリアならいざ知らず、他の連中にこの状況を説明し、何でもないと理解して貰えるとは思えないからだ。

 昔からの疑問。自分は何故、こんな血を吐く様になったのか。

 鬱になった時に必ずわき上がるそれは、今も例外なく考えたくない思考を無理矢理動かしている。

 記憶を辿れば、いつ頃から吐血する様になっているかは分かる。紋章士として竜紋章の符を作った後だったろう。ただ、日数も経ち、紋章士として成る為の契約がこんな自体を招いた訳ではない事も分かっている事だ。丁度半年後くらいから、不意に吐血するようになってしまったのだから。

 初めは無論、驚いた。致死量に十分な血を吐き、鉄の匂いと呼吸がまるで出来なくなるような錯覚が混乱を運んできてくれた。だが誰も居ない自室で、父親と仲が悪く成りきった後の事だったからか。深夜と言う時間もあり、医者に行くにも身体はだるくなる一方。そして頭に浮かんだのは、このまま死んでも良いと言う一言だった。

「子供だった、って事ね」

 押しつぶされそうになる程の、息苦しさ。紋章士として、ガーランド家の一員として生き続けるならばずっとその中に居なければならない。

 父親の体裁を繕う為に、名誉を運ぶために、自分の都合を一切排除し、自分を道具として使おうとしていた父親。愛故に、あえてそうしているのだと聞いた時は、本気で殺そうとも思った。簡単に見抜けてしまう嘘で、父親としての立場を振りかざして欲しくなかったから。

「マッタク、嫌な思い出ばっか思い浮かぶじゃないのさ・・・」

 凍顔の知将と呼ばれていた頃の記憶も、父親と仲違いしていた頃の記憶も、全て十代。二十代の頃はどんなだったろうと思い返し、口元だけで笑う。

 がむしゃらに生きていただけで、記憶など曖昧にしか憶えていなかったのだ。何人かつき合った男も居たが、今は顔も思い出せない、どうでも良い存在。学業に一番勤しんでいた頃の恩師も、気になる存在ではなく、過去の人だ。

 30数年しか生きていないが、もっと長く自分は生きているのではないかと、馬鹿馬鹿しい錯覚に陥るのも久しぶりの事。こんな時決まって思い出すのは、二つ名時代の相棒。

 あの時は、馬鹿な子供なりに幸せだったと思う。

 ゼルス・ユリフォンと言う名前の男。ダルト大学時代の自分の恋人であり、同時に、自分の知将としての才能を見抜き、磨き上げたあの国の将軍。

 あの時期だけはこの持病もなく、自分の驚くほど明快になってゆく思考は何よりも楽しかった。

 彼は尊敬出来る、唯一の人。あの頃の自分に取って全てだった事も憶えている。

 机の上でだけ起こる戦争。平和で、晴れた昼下がりの大学の講堂の中。同じ空のしたで、机の上と同じ戦場があった等と想像など出来なかった筈だ。

 戦況はまるで現実のように思え、日に一度しか出来ないゲーム。それも、ゲームを練る為だと言って同じ戦場は二度と触らせて貰えず、それが自分の好奇心に火を灯し、何度も失敗した難攻不落の城を落とせた時はゲームであれ、喜んでいた。

 身体を開き、相手の全てを受け止め、受け入れて貰えたと言う幸福感を噛みしめていた時代。

「はん・・・・」

 ひどく自分が惨めな気がして、寝ていたいと不満を漏らす身体を動かし外に出る。

 酒場ならまだ空いている筈だと、暗がりの中青い顔をしながら空の闇とは違い騒がしい場所にたどり着き、カウンターに座わる。アルコール度数の高い酒を一瓶頼み、外へと出て人気のない町はずれまで歩いて行く。

 ふと、来た事のない場所だと思い脚を止めるが、それもその筈。たどり着いた場所は、共同墓地だった。

 こんな時間に好きこのんで立ち入るような場所でもなし、逆に独りになるなら良い場所だとも思え、そのまま中を進んで行く。

 少し熱が出ているからか。自分がどれほど歩いたか分からなくなっていた様だ。重い足取りだが、小高い丘になっているここは、皇都が見渡せる半ば特等席。

 何をする訳でもない。ただ、ここで酒を飲むだけだ。

 自分にそう言い聞かせる様にして酒を煽り、ほてった体をさらに熱くする。だがそんな状況だが、何も動かぬこの墓場で、動く物の気配を察知するのは容易な事だった。最も、気配と言うよりも下手な竪琴と、それとは反しちゃんと奏でられている歌声を聞いたからだが。

 暗がりの中を歩き、その音の主を探り当てる。酷く、薄汚れた女だと思うのが第一印象だった。

「・・・あら、聞かれちゃいましたか?」

 こちらを向かずにそう言って、笑っている。琴が下手だと言う自覚はある様で、照れているのだろう。さしずめ聞かれぬ様にこんな場所で練習していた、と言う所。

「邪魔しちゃって悪いわね」

「いえいえ、どうせなら聞いて貰えると練習になりますよ」

 皮肉に拘えも出来る言葉。そして漸く此方に向けた顔。星明かりだけでよく分からなかったが、何か違和感があった。そんな表情を察知したのか。女は笑顔のまま言う。

「ああ、私、目が見えないんですよ。だからあまり見詰めないでくださいな。恥ずかしいです」

「そっか。そりゃごめん」

暗がりで顔をハッキリと見た訳ではないが、確かに彼女は首を、視線を何処かに向ける、と言う事をしていない。

 盲目の吟遊詩人。それも、空気で分かるが彼女は美人だ。そして若いと感じるのなら、酒場にでも行って謡えば人気者になれる。

 ただ、悔まれるのはその楽器を奏でる手の不器用さ。だから分かった。

 彼女が持っている竪琴は、まるで似合っていない事に。

「それさ」

「?」

「あんたにゃ似合わないよ。もっと他のにしたらどうだい?」

「あー・・・やっぱりそう思います? 一応、自覚はあるんですけどね」

 えへへと、まるで童女の様に笑う様は自分が酔っているからか。本当は何か別のことを感じている筈なのに、可愛く思えてしまう。それが魅力と言う事だろう。

 場所を除き、自分が男なら一夜の相手として誘っていたに違いない。

「でも、なんだか手放せない物なんですよ。私がずっと持っている物ですし」

「そうか」

 何処か抜けている様な印象がある。盲目故に、頭の方も何処かおかしくなっているのかもしれない。

 突き詰めてしまえば全て酔っている自分もおかしいのだが。だから何か会話をしよう、と言う前にずずいと酒瓶を彼女に突き出す。

「・・・なんです?」

「酒だ。今日は少し飲みたい気分だったのよ。だからあんたも飲みなさい」

「は、はぁ・・・」

 自分でも訳の分からない事を言っていると分かっている。分かっては居るが、酔っている時と言うのは判断力が鈍り、そう言った事に対する認識も、どうでもよくなる物なのだ。冷静になれば、サリアの代わりを彼女にして貰おうと思っているのだが、偏屈になった思考がその答えにたどり着く筈もなく、ただ、声が不満を漏らすだけ。

「どうしたの。私の酒、飲めないっての?」

「いえいえ、そんな事ないですよ。ありがたく頂戴いたします」

 目が見えない割に。いや、長年見えない世界とつき合ってきたからか。

 動作としては一般人のそれとは少々ぎこちなく、乱暴。酒瓶を探すまではさ迷っていた手にそれが触れた途端、落とさない為だろう。奪う様にして中の酒を味わう。

 否、ただ、飲み込む、と言った方が良かったのかもしれない。

「・・・・これ、結構強いお酒ですね」

「そりゃあ、水で薄めたような安物と一緒にして貰ってもね。久しぶりの上物さ」

 味に不満はないが、アルコール自体があまり好みでなかったらしい。あまり自分の周りには居なかった味覚の持ち主だ。サリアなら、と、頭の中で特徴を重ね、違うと思う度に、思考が酔ってゆくのが分かる。

 そうして無言のまま、何度か交わし飲みを。無言のお茶会ならず二人の飲み会をしていた訳だが。

 不意に彼女が口を開いた。

「えっと、どうしてこんな場所に来たんですか?」

 それはもっともな疑問だろう。自分とて、こんな身体が目茶苦茶な状態でなければ脚を踏み入れる事の無かった、それこそ一生関らなかったかもしれない場所だ。知人が眠っている訳でもなし、また知り合いが眠っていると聞いた事もない。何の関係もない場所。

「さぁ、なんでだろ」

「夢遊病じゃないんですから」

「もしかしたらそうかもよ?」

 何か話したいのか。それとも単に無言の間が苦手な娘なのか。

 どちらにしろ、自分に取って取り留めのない会話だと思う。だからそれにつき合ってやろうと、少し自分の身の上を話してやった。

「私さ」

「はい?」

「ちょっと前まで西側に住んでたんだけど、こっちに引っ越してきたんだよ。嫌なことがあって逃げてきた、とも言うかもしれないけどね。名目上は一応、交換留学生って事になってるんだ」

「学生さんですか。なんか、少しイメージ出来ないです」

「あはは。別に若い学生だけが居るってもんじゃないさ。私はこれでも三十路過ぎてるからね」

「はー」

「それでさ、こっちに来て、片手間にハンターやりながら学生やってたけど。やっぱ現実ってのは何処もかしこも甘くはないね」

「そう、ですか?」

「西側は貧しいけど、生きる意思があれば何だって正当化出来ちゃうような場所だったし。こっちは皇都が布いた法律があるけど、生きてるだけなら楽。けど、それだけで生きてけるほど、人生って奴は簡単じゃない。そのたった二つしか世界を私は知らないけど、頭でっかちだからかな」

「?」

「知識として知っているのと、実際に体験するのじゃ、天と地ほど違うって、改めて分かったよ」

「そうかもしれませんね」

 何を話したいのか等、今の思考で纏まる筈もない。

 ただ、身の上話をしているだけだ。相手の何かを聞きたいとも考えない、愚痴。

「ある事があってさ。それで、こんな風に自棄酒してるけど・・・・。やっぱり気分、晴れる訳ないね」

「・・・・」

 何のことを言っているか等、分かる訳もない。本当の愚痴だ。酒場で酔った相手に、まともでない思考で聞き流して貰った方がよほど良かったと、今さらながらに後悔してしまうが、もう遅い。だから相手の言葉は渡りに船だった。話を逸らせれば、何でも良かったのだから。

「私は、生れた時から目が見えない訳じゃなかったんです。けど、事故だったのか、他人の手によるものなのか。何故光を失ったかが、分からないんです」

「・・・・は?」

「簡単に言えば、記憶がある時期を境に、失くなっちゃってるんです。後遺症かどうかも分かりませんけど、私自身、なんでこんな場所に居るのかも分かってません」

「記憶喪失、ね」

「はい。初めは不安でした。記憶が無くて、世界も見えなくて、歩く事だって困難でしたから。何で生きてるんだろうって、思いもしましたよ。だって、光もなくて、記憶もなくて、生きてく意味なんてないですから」

「・・・・」

 何処か壊れた笑顔に見える、彼女の横顔。ずっと、空の向こうを見ている様な印象を受けるが、確かに本質は脆いのだろう。どんな人生か容易に想像出来る。だからこそ、自分に理解出来ない世界だと思う。安易な同情や情けが、嫌いだと主張しているようで。

「持っている物も、この竪琴と服だけでしたから。働くにも何が出来るか分からなくて。けど、ふと気付くと生きてるんです、まだ」

「断片しか、憶えられないって事かい」

「逃げてるだけかもしれませんけどね。記憶障害ってのは、癖に成りやすいなんて言う人も居た気がします」

「医学にゃ詳しくないけど、違うと思う・・・。多分」

「心を閉ざしているから」

「・・・・・」

 言いたい事を、まるで見透かされた様な気がする。盲目だからだと、初めは思った。

 だが、徐々にだが、彼女の雰囲気が出会った頃の物と違う事は、酔い覚ましには丁度良い冷たい風が吹いてきた所で感づいている。

「私も、そう思ってます。たまに、身体に触って分かる程の痣があるんですよ。誰かに抱かれた様な。それで手元にお金があるんなら、何をしていたか何て分かっちゃいます」

「・・・・・」

「けど、それが辛いと思った事が不思議と無いんです。本当に辛いのは、憶えられない事ですから。歯がゆいって言うより、悔しい、のかな」

 笑い事でもないだろうに。不気味にすら思える彼女は、人でないと漸く分かった。

 昼も朝も夜も、関係なくただ時間の外で生きている。

 流れ着いた先で、何をしているのか分からない内に、ただ生かされている様な道。

 それだけで人間でないと判断したのではなく、彼女の肌の色だ。暗闇に目が慣れていなかったのではなく、珍しく悪酔いしていたからだろう。

 その白すぎる肌は人間とは異質の、まるで青いベールのかかった様な美しさだった。

 古代種と呼ばれる彼女達は、魔族とも人間とも違う、お伽話に出てくる様な精霊と言った類いに分類されるらしい。その上、らしいとしか言えないのは存在その物があまり確認されていないのだ。されたとしても、その発見場所故に、あまり表に出てこないまま、歴史の中へと埋もれてゆく。

 西側で何度か小耳に挟んだ事がある。彼女たちは、飼われる為に生きている奴隷なのだと。

 馬鹿馬鹿しいと思った事もある。同時に、関わりがない故に他人事として聞いていた彼女たちに対する仕打ち。

 力が無い。そして人間ではない、と言うだけで、彼女達は闇ルートで高値で販売される商品なのだ。嘔吐が出るような人間と言うのは何処にでも居ると言う事だろう。

 人との間で、言語自体が全く異なる故に、会話が成立しない。それに目を付けたのは、何時も人間だ。

 西側に居た頃何度か違法な魔導実験を取り締まる為の場所。偶然居合わせただけだったが。

 捉まった人は、確か何処かの大学の教授。名前も忘れてしまったその人物がしていた実験は、魔族に対する対抗手段としての魔導を研究する事だったと思う。何時も通る屋敷の中で、拷問。何か情報を聞き出す訳でもなく、ただ殺す手段を編み出すためだけに実験台となっている彼女たちの死体を見た時、吐き気がした。

 思えば、その時感じたのが何に対する怒りだったのか。それすらも忘れてしまえる自分は、同類なのかもしれないと錯覚したが、簡単に忘れてしまう部分だけは、酷い人間なのだろう。

「でも、誰かに対して怒ってる訳でもないですから。自分を傷つける趣味なんて持ち合わせていませんし、結局憤りが残るだけなんです」

 自分の心境を気付きもしない。ただ、客観的に見れば酷く寂しく、辛い現実に向き合っている筈なのに、記憶が無い故に笑っている女。

 酷く、物悲しげに見えるのは、自分が当たり前の感性を持った、人だから。特別な人間であるつもりもなし、魔剣と言う、魔族の中で特殊な存在の事を知って居たとしても、結局知り得、出会ったと言うだけの話なのだ。

 何も変わっていない。学生時代から。

「気分・・・悪くされちゃったみたいですね。すみません」

「いや・・・」

「でも、一つだけ決めてる事があるんですよ」

 自分には、分からない彼女が生きている理由だろうか。

 ただ、そう言っただけだった。

「私には、世界が見えません。多分二度と、見る事も出来ないと思います。だから決めてるんです。絶対前を見て生きて行こうって」

「・・・・」

「はは、やっぱり変ですよね。方向も関係なくて、見えない私が、前だなんて。けど、それ以外、やる事も、生きる事さえ分かりませんから」

 彼女は自分が言っている言葉の意味を多分、理解していないと思った。

 いや、理解はしている。だからこそ、凄いと言いたかったのかもしれない。

 彼女自身が言った記憶喪失。考えてみれば、古代種であるならばこうして会話が成立する事自体がおかしい事なのだ。

 魔族の言語も、世の中にはある。だが人間の言葉と同じで、ある一定の法則性があり、同時に解読出来ない事はないそれと違い、古代種の言葉は酷く、感性に左右されているらしい。サリアとつき合っているからこそ分かる魔族のセンス。何処か、人間のルーツと関わりがあるようなそれは、彼女には全く当てはまらない。ならば、彼女はどうして自分と対等に会話出来るのだろうか。

 どのくらいの時間を、盲目と記憶喪失との両方ともを持って生きて来たのか。人間の言葉を最初理解出来なかったであろう、初期の頃は、誰かの実験台にされていたのかもしれない。

 生きてここに居ると言う事は、死ななかったと言う事だろうが、だからと言ってただ生きている事と生き抜く事は違う。

 彼女は、生きる事が分からないと言ったが、難しい方。生き抜く事だけは止めないと言っているのだ。

「まぁ、それで誰かに抱かれた事も分からないし、だからと言ってあんまり良い気分じゃないから、これで食べてこうかな、と」

「ふぅん・・・」

 完璧に酔いは醒めた。

 完全に伝説と化した程の古代種を目の前に、如何でも良いと酒に酔っていられるほど、一般人でないのが自分らしい。

 根ほり葉ほり聞くのは嫌いだが、忠告するだけは惰りたくはない。こう云う時、自分が紋章士で良かったと思うのは、その紋章の本来の使い方を出来るからだ。発端は知ることの出来ない程の昔。皇都の大学の中にあった資料。今回の仕事を終える前に人語に置き換えたあの資料に書かれていた事で知った事だが。

 紋章術は元々何らかの記憶を刻み、伝える為に作られたらしい。資料によれば紋章術の用途は元来、扉に対する鍵である、と言う事。何の扉があるのか等は、まだ解読出来ていなかったが、自分が彼女にやってあげられる事があるとすれば、術式に習ってオリジナルの物を造り、記憶のタンスを作ってやる事くらい。

 もし他の紋章士にこんな話を持ちかければ乗り気で手伝ってくれるか、逆に絶対に止めろと反対されるかのどちらかだ。

 オリジナルの紋章、と言うのは左程珍しくはない。が、絶対数が限られている理由は簡単。

 紋章士自身の命を削る。それ以外の答えは無い。

 眉唾物だと思い、無茶苦茶な術式で作成を試みた事がある。無論結果は失敗したが。

 死の恐怖を味わったのは確かにあれが最初だった。

 命を吸い取られると言うか、生きようとする意思その物が失くなってゆく感覚と言うか。

 痛みではなく、これが死なのだな、と、諦めてしまう自分を見た時、二度とオリジナルの紋章は作らないと誓ったのだ。

 故に、世の中にある術式の改ざんされたオリジナルの紋章は少ない。命を軽んじて作られた物、狂人故に恐ろしい程の数を排出した人物、文字通り命を賭けて作成された物など、様々な種類はある。

 どれもが、紋章士の中では一度は話の種になる、紋章士の後輩としては尊敬に足る物だ。当たり前であろう、理由はどうあれ、術式を改竄もしくはオリジナルな物と置き換える、と言うのは命を削る以外に方法が無いのだから。

 紋章符が存在、効力が半永続的に続く理由。それが出会った魔剣。グレース・タングラムのお陰と言うのは、紋章士の中では当たり前の話。ただ、オリジナルを作る際に何故命を削るのかと言う理由は、ここまで考えられる紋章士なら簡単に出せるだろう。基本術式で作られる紋章は、その物が全て魔剣に直結している故に、永続的に効力があるのだと。

 彼女が死んでもその効力は残るだろう、と言うのは資料の中で、初代から以降作られた改竄紋章符が未だに存在し、効力を発揮している事を見れば明らか。

 事故か、殺し合いでもしない限り、自分より遥かに生きるであろう目の前の盲目の女に渡すなら、お誂え向きの紋章符だと思う。

「どうか、なされましたか?」

「いや、なんでもないさ」

 誰かを殺した後で、誰かを助けたいと思うのは自分のエゴだ。懺悔にもならない、下らない事。

 手の平に術式を組み上げ、本来なら光が宿り何だろうと疑問に思われるのだが、相手が盲目ならその心配もない。基本的な術式は頭に叩き込まれている故に、自分の都合の良い符を作る為に描く紋章がどんな物かは分かっている。中空の中を指でなぞるようにして紋章を描き、思念によってそれを物質化する。

 後は、手の中に出来上った符を離しせば完成。夜風に乗せる様にして手の平を広げ、瞬間、後頭部を撲られた様な鈍痛を感じた。

『昔と違うじゃないのさ・・・』

 痛みがあるとは思っていなかった。要するに、昔は失敗していたからこれを味わっていなかったのだと納得する反面、恨めしくも思う。だが酔っていた意識を完璧に引き戻すには丁度良いのかもしれない。覚悟を決める暇も無く、と言う訳ではなく、少なからず喪失感に対して構える事だけは出来た故に、左腕の感覚が失くなって行くと言うのには恐れはなかった。

「あのさ」

「なんでしょう?」

 ただ、全身から生きている実感全てが失われると感じた時、策士としての自分。

 凍顔の知将など、そこには欠片も存在出来なかった。

 夢心地と、悪夢とを一緒くたにしたそれは、確かに狂人でもなければ一生の内に一度しか出来ないだろうとも感じた。

 死と痛みを直結させて考える故の恐怖は案外簡単に克服出来る。慣れても居ない自分がそう思うのもおかしいと笑ってしまいそうにもなったが、痛みは生きている間に感じられる物なのだ。死と切り離して考える事は出来ないかもしれないが、少なくとも「まだ」生きている証ではある。

 だが今感じているのは、目を閉じれば死ねると言う確信さえ抱ける喪失感だ。

 自分自身を壊せば、精神を病んでしまえば、等と言う表現があるのだろうが、まだそこには何かがある様に思える程、絶望すらも塗りつぶされて行く感覚。

「一応私も紋章士の端くれだし、愚痴聞いてくれた礼。受け取ってくんない」

「はぁ」

 よくそんな物を感じながら、自分は平然とした顔でこんな事が言える物だと感心さえしてしまう。

 目を瞑れば確実に死ねるとさえ言える感覚の中でさえ、自分は顔を凍てつかせたまま喋る事の出来る者なのだと。

 相手の冷たい手を握り、符を握らせてやる。それが何か分かっては居ないだろう。念じなくとも、ただ、覚え記憶し、引き出す事が出来る、当たり前の符にしてやったのだから、お守りにしてくれとでも言えば良い。

「紋章士が持ってる、まぁ、お守りみたいなもんさ」

「いいんですか? 別に私は」

「御代とか、あんまり難しい事考えなくて良いよ。楽器は下手だったけど、声は良いと思ったからね」

「・・・・。あまり賞められた気がしないのですが」

「あはは。ま、また何処かで会ったら旅先での話しようじゃないか。じゃあね」

「はい」

 立ち上がり、簡単に立てる事すら笑ってしまいそうになる。

 感覚が一切無く、蜃気楼の中にある幻その物になった気分だ。手に持った酒を煽り、気分を少しでも紛らわそうとする。

「あ・・・、やバ。さっさと帰って寝たいわこれは・・・」

 気負っている何かが少しは晴れた故の、疲れだろう。別に治安の悪い街でもないのだから、誰も来ないここで寝ていても良いが、墓場で寝る等と言うのは今、洒落になりそうな気がしない。寝床に入ってからも、安心して眠りにつくには暫く掛かりそうだったが、少なくとも泥のように眠る事は出来る事も確か。

「はー・・・酔っても居ないのに千鳥足たぁ、情けないね全く」

 命を賭けたと言う気分にはならない。軽んじているつもりはなかったが、意識を保たせる為に飲む酒がいけなかったらしく結局、部屋についた途端、玄関先で寝てしまった。

 起きた時、身体の節々が痛かったのは言うまでもなかろう。

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