淺野 勇 プロフィール

講演する 淺野 勇
昭和50年(1975年)

大正3年(1914年)3月27日 生まれ
大正10年 東京市根津尋常小學校入学
大正15年 京城南大門公立尋常小學校を経て
      東京府豊多摩郡桃園尋常小學校 卒業
      東京府立第6中學校に進む
昭和12年 法政大學法學部を卒業 日本銀行に勤務
昭和14年 陸軍豫備士官學校卒業
      血筋を見込まれてか父の睦(ちかし)と同じ陸軍中野學校への
      入学を勧められたがかたくなに辞退。
      (※ 睦は戸籍を抹消して大正8年 蒙古方面に消えた)
      近衛連隊にあって通信学校を指導して廻っていたが大東亞戰争
      勃発により、通信隊の将校として中国中部某方面に転戦
      部下の伊達純さん(ピアニスト 後の芸大教授)の為にピアノを調達。
      豪邸を接収して思う存分みんなで音楽に浸っていたのは有名な話

皇軍(あちらでは“日冦”という)通信隊指揮官して馬上にあったところ撃たれ、
上海に後送されたお陰で昭和21年に無事復員。
「と・・云ふことは、よ~く考えてみれば、中国軍は恩人ということになる・・」
と言っていた。
腰に背骨をわずかに外れた弾の痕が残っていた・・・・
日銀に復職したが「下にいた奴が、俺がイクサに行っている間に上司になってやがっ
たから面白くな」くなって 円の切り替え 作業満了を潮に退行。
昭和23年5月18日 岡本克子と結婚
昭和27年 小林理研に勤務していたが軍人仲間で プリモ という会社を作り
      生涯在籍した

真空管の生き字引、テープレコーダーの神様(“ヒモ屋のマワシ者”と呼ばれることを
大変喜んでいた)といわれた。
オーディオ協会の理事長に就任しオーディオ・フェアを空前の盛況にもっていった。

昭和50年 工業標準化事業への貢献が認められ通産大臣の表彰を受ける
昭和56年(1981年)1月26日未明 東京都国分寺市の自宅で急性心不全により逝去
                 享年66  法名「大響院祥岳勇善信士」



虎年生まれのオヤジはおっかなかった・・・・
俗に“地震、雷、火事、親父”と云ふが、私にとっては親父が筆頭だった。
質実剛健(ある意味で蛮カラ)の軍人精神をガンコに貫いていた。
私が、始めて作ったラジオは鉱石ラジオでコイルを自分で巻いた。
親父が最初に買ってくれた「電気もの」は、このコイルに巻く「絹巻き線」だった。

また、オヤジがモールス符号を教えてくれなければ無線をやっていなかっただらう。

自転車に乗れないことが自慢で(?)「偉い人は馬やサイド・カーには乗るが自転車
には乗らんのだ」といっていた。
「陸軍でオレくらい泳げる将校はおるまい」・・・水泳(背泳)が堪能で昭和7年に
6中の游泳教士の嘱託となって以来生涯「五陽会」の会合に出席していた。

いまになって「あのとき、訊いておけばよかったなあ・・」ということ沢山

  古人曰く “親孝行 したいときには 親は亡し”

                        (淺野 正@愚父の愚息)

淺野 勇 が入り浸った「太平洋」



淺野勇の著書



初版(上巻)
昭和47年7月30日
の表紙


(上巻)第2版
昭和50年
 の表紙


続巻(下巻)

初版表紙


無線と實驗 別冊
昭和43年10月15日
定価700円


テープ百科(非売品)
の表紙
マクセルの促販品


上記「魅惑の真空管アンプ」上下巻の復刻本が
誠文堂新光社から出ています

淺野 勇 直筆原稿     「魅惑の真空管アンプ」上巻 241ページの自筆原稿です。
  真空管 WE-300B に関する注意事項 のオリジナルです。


淺野勇の遺品

スピーカーの吸音材に包まれてビス箱にあった
尉官隊長章大尉襟章

“隊長章”は、昭和18年(1943年)10月12日に制定されたもの
隊長の職にある者は、裏の留め具を軍服
右胸の糸ループに通して佩用したそうだ。


ナット回し
魅惑の真空管アンプ を作り出した工具
ハンドドリル


淺野勇古寫眞集

撮影年・場所・一緒に写っている方のお名前など判らないものがあります。
お判りの方が居られましたら 淺野 正@愚息 までお教えくだされば幸いです。

No.1

  昭和30年頃 本郷西片町の自宅にて
  自宅の居間にいながら正装しているのは
  雜誌社の写真撮影があった証拠
  

No.2

    昭和30年頃= 「ラジオ技術」昭和31年1月号64ページの記事
    “第4回オーディオ・フェア出品作品”
    20年前のアンプを再現しその特性を検討する
 に掲載された写真
     アンプは 45PP
     測定されている方は 金井繁治氏(山水電気技術部長)
      (写真の情報提供:東京都の中村様)

No.3

千代田テレビ音響(現“テレオン”)にて
店を手伝う(じゃまする?)淺野 勇
となりは社長の鈴木七之丞さん

No.4

  冬の千代田テレビ音響店にて
  手火鉢で暖をとる
  冷暖房なんてーのが巷に普及したのは、ついこないだの話でぃ



黎明期のオーディオフェア
 
No.5
  これは、いつごろの事だらう??
  「オーヂオ フエヤ一」ときた・・・誰か取り締まってくれぃ

  一番左前向きが 淺野 勇

No.6
  音響漫談を演じる“プリモKK”の淺野 勇
  (と、タレ幕に書いてある)
  くつろいだ姿は宴会の余興を連想させるが
  周囲の雰囲気からして真面目な催しかも・・
  
No.7
  前向き左から二番目が淺野 勇
No.8
  旅館か料亭の一室を借りてのレコードコンサート
  ナガオカのダイヤモンド針はマニア垂涎の的か?
  畳の上の灰皿が古き良き時代 そこはかとない幽玄の世界を現出している。
 

No.9
  事務局で中島健蔵先生たちと
中島先生とは1971年北京でお会いした。
(国交回復前 あちらは文化大革命の真最中)
「オーディオの淺野の息子です」「おお!」
おとうさんが中国侵略軍、息子さんが日中友好をやって
アイコだね

No.10  長野縣松本市にて

  看板によると東京からその業界では權威のある人が
  16人も押し寄せ第一生命ビルを占拠した模樣

No.11

  Westrex主催の 45-45ステレオディスクシステムの
  デモンストレーションで解説する淺野勇
  
  

No.12

  西片町の家の縁側にて 愚父と愚息

  窓の格子状のものは和紙を貼ったもの。
  爆風によるガラス飛散防止のため。
  “鬼畜米英”による空襲に備えたもので、
  当時どこの家でもしていた。
  この頃は未だ取り去っていないばかりか、
  張り直しをしていた記憶が・・
  本郷は空襲を免れた

No.13

小石川原町(現:白山)の自宅にて
手にあるラヂオは現在愚息が復元作業中




EIFLのページ
 淺野 勇 の自作アンプ約70台が EIFL で保管展示されています。
 試聴も出来ます。「魅惑の真空管アンプ」などに掲載された本物をお聴き下さい。
  一部真空管の無い物があります。その場合、球を御持参ください。


7m2mzt@jarl.com


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