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第3学年 道徳指導案

平成10年9月25日(金)5校時

1 主題名 いじめに負けない勇気をもとう
(勇気)(信頼・友情)(思いやり、親切)

2 資料名 『道子の話』『正人の話』(自作)自作資料はこちら
絵本『わたしのいもうと』(偕成社)

3 主題設定の理由
(1) 児童の実態(略)
(2) ねらいとする価値
学習指導要領に示されている「内容」のうち、本主題に大きくかかわるものは、次の4つである。

1 主として自分自身に関すること。
(4) 正しいと思うことは、勇気をもって行う。
2 主として他の人とのかかわりに関すること。
(2) 相手のことを思いやり、親切にする。
(3) 友達と互いに理解し、信頼し、助け合う。
3 主として集団や社会とのかかわりに関すること。
(4) 先生や学校の人々を敬愛し、明るく楽しい学級をつくるように努める。

本時では1(4)を中心価値とし、それに付随するかたちで2(2)を扱う。2(3)、3(4)はその周辺価値として考えている。
いじめは、あらゆる意味での差別意識によって生まれる忌むべきものである。したがって、当然いじめをしてはいけないという方向での指導は行っていかなければならない。しかし、今回はあえていじめ被害者に焦点を当て「いじめにあってもそれに負けない勇気をもとう」という点をねらいとして授業を行いたい。
いじめとは、その定義の中にもあるように、強者による弱者への一方的な行為である。それ故、弱者であるいじめ被害者がそれに抗うことは難しい。しかし、為す術なく甘んじていじめを受けていれば、いじめる側は益々跋扈し、その跳梁を楽しむこととなる。
次の主張がある。

そもそも「いじめ」の根絶は可能であろうか。私は、それは不可能であると考えている。それは善悪の問題ではなく、人間の避けがたい「業」であり人間が存在する限りついて回るものなのだ。無論「いじめ」を極力減らす努力はしていかなければならない。しかし、それだけに頼って解決を望むことでは甘すぎるのではないか。
この世に遂に「悪」がなくならないように、「いじめ」もまたなくならない。残念なことだがそれが現実である。そうであるならば、そういう現実の中でどのように「生きる力」を育てて行くべきなのか、そこのところの「強い」教育も必要なのだ。
(野口芳宏 「現代教育科学NO.488」明治図書)

賛成である。どの子供もいじめの被害に遭う可能性をもっているのである。だとするならば、勇気をもってそれに立ち向かえる強さをもたせなければならない。
野口氏は上の考えに基づき、下村湖人の『次郎物語』を資料とした実践を報告しているが、本時では事実に基づいた二つの自作資料を中心に「いじめに負けない勇気」について考えさせていきたい。

(3) 資料
中心資料は以下のアイである。ウは終末段階の読み聞かせで使用する。
資料アと資料イは、どちらも同級生のいじめに遭う四年生の子供の話である。しかし、いじめに遭った主人公の態度・行動は対照的である。資料アの主人公「道子」はひたすらがまんするという態度をとり続ける。一方、資料イの主人公「正人」は反撃を試みるのである。
この二人の態度・行動を比較検討させることにより、いじめに遭ったときにとるべき態度・行動について考えさせたい。

ア 『道子の話』(自作)
ウに挙げた、絵本『わたしのいもうと』をもとにつくった自作資料である。
転校生である道子は同級生のいじめに遭う。「いつかみんな分かってくれる」とがまんする道子であるが、いじめは増長するばかり。やがて誰も口をきいてくれなくなる。そして、とうとう道子は不登校に陥ってしまう。

イ 『正人の話』(自作)
授業者の体験をもとにつくった自作資料である。アの『道子の話』と対で使用する。中心人物である正人は資料アの道子同様、いじめに遭う。がまんを続けていた正人であったが、ある日とうとうがまんができなくなり、殴ってきた典夫を殴り返してしまう。正人の予想外の抵抗にあった典夫は謝ってその場を去っていく。

ウ 絵本『わたしのいもうと』(偕成社)
松谷みよ子作の絵本である。読者から寄せられた手紙をもとに書かれた実話であり、一読しただけでも、いじめの悲惨さが強烈な印象として残る作品である。本時では終末段階で読み聞かせる。この絵本を読み聞かせることによって子供たちは、
「絶対にいじめをしてはいけない」
「いじめられたら無抵抗でいてはいけない」
という2点を十分に感じることができるであろう。

4 指導の構想
(1) 本時のねらい
道子と正人の態度・行動を対比的に検討することにより、いじめに負けず勇気をもって立ち向かうことの大切さを知る。
(2) 展開の構想
ア 二つのノンフィクション資料とその分割提示〈心の居場所のある授業ア〉
資料アと資料イはどちらも実話をもとにしたものであり、ノンフィクションである。このことは授業の中で子供たちにも知らせる。作り話ではなく現実にあった話だということは、子供たちにより強い印象を与え、その後の思考活動を真剣なものとするだろう。
二つの資料は双方とも分割して提示する。最初の段階で提示するのは次の場面までである。

資料ア 同級生のいじめに対し、道子がじっとがまんを続ける場面
資料イ 同級生のいじめに対し、正人が反撃をする場面

がまんを続けた道子がその後どうなったのか、反撃をした正人がその後どうなったのか。子供たちは気になってしかたがないであろう。あえて結果を示さず、二人の異なる態度・行動の是非を検討させる。そうすることにより、子供たちはそれぞれの態度・行動の違いによって結果がどう変わってくるのかを予想しながら、その是非を考えることができるはずである。そして、その後に結果が示された資料後半を提示することにより、自分自身の判断を振り返り、自己評価することができるはずである。

イ 二人の態度・行動の是非を選択させる発問〈心の居場所のある授業アイウエ〉

道子と正人、どちらのようにするのがよいと思いますか。

これが中心発問である。資料前半を提示した後と、資料後半を提示した後の二度にわたってこの問いを繰り返す。
資料前半を提示した後は、おそらく道子派が多数となるであろう。「暴力はいかなる場合でも許されない」という考えが根強いだろうからである。
しかし、資料後半を提示することによってその考えは揺さぶられるはずである。そこには、「がまんした道子へのいじめの増長」「反撃した正人に対する友達の謝罪」が描かれているからである。
ここで「道子の態度」を支持していた子供は当惑するであろうし、「正人の行動」を支持していた子供は安定するであろう。ただ、正人の反撃は危機的な場面における実力行使である。子供たちが安易に暴力を是とするような考えにならないよう配慮したい。また、ここでは「道子の態度」を支持し続ける子供を無理に引っ張ることはしないようにする。終末段階での読み聞かせと教師の説話により、再度揺さぶりがかけられるからである。
さらに、第三の考えとして「先生や家の人に相談する」という判断が出てくる可能性もある。これも一種の「いじめに対する勇気ある抵抗」として認め、位置づけていきたい。
今年度の本校の研究で中学年部が焦点を当てているのは、『一人一人の子供たちの思いや考えが認められている』である。本時における中心的な話し合いの場面は、資料前半部を提示した後である。ここで子供たちは自分の考えを表現することとなる。当然、ここは意見の分かれる場面である。したがって、全員の考えが一致することはない。しかし、『認められる』ことと『賛同される』こととは違う。自分の考えとは異なる考えにも耳を傾け、「なるほど、○○さんはそう考えているのか」という『認め合い』が生まれるような話し合いを具現していきたい。

ウ ワークシートの活用〈心の居場所のある授業アイ〉
中心発問を巡っての話し合いに入る前に、ワークシートを活用して自分自身の考えを明記させる。「児童の実態」の項でも述べたように、静かでおとなしく自分を表現することを苦手としている子供が多いからである。また、友達の意見に左右されることなく、自己と対面し、自分自身の考えをまずつくってほしいからである。

エ 絵本の読み聞かせと教師の説話〈心の居場所のある授業オ〉
絵本『わたしのいもうと』をもとにつくった資料アでは、あえてその悲惨さを抑えてあるが、実際の『わたしのいもうと』ではいじめによる悲劇が重く描かれている。この絵本の読み聞かせよって、「道子の態度」を支持し続けていた子供は揺さぶられ、また、すべての子供に「勇気をもっていじめと闘う大切さ」を知らせることができると考えている。
人間の脳は「脳幹(ヘビの脳)」「旧皮質(犬猫の脳)」「新皮質(人間の脳)」の三層構造から成っている。脳幹は「生命の座」とも呼ばれ、呼吸など生命の維持に不可欠な要素を司っている。また、旧皮質は「情動の座」と呼ばれ、人間にしかない新皮質は「知能の座」と呼ばれている。
いじめは脳幹に対する攻撃だそうである。だからこそ、『わたしのいもうと』の妹は口も利けなくなり、ものも食べられなくなり、そして命を落としたのである。過度のがまんは生命をも奪うことになりかねない。このようなことを『わたしのいもうと』の話を例に引きながら平易な言葉で説き話したいと考えている。いじめに対し「がまんし続けるか」「抵抗するか」という問題は、子供たちの判断に任せてよい問題ではないからである。命にかかわるのである。

(3) 展開(別紙)

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