NO.53[2001/6/23]

野口芳宏先生の戒め

もはや「日記」とは呼べないコンテンツとなってしまっている。前回更新が3月22日だから、1/4年ぶりだ。このペースでは年間4回しか書かない「日記」になってしまう・・・。
言い訳にしかならないが、体がもう一つほしいくらい忙しいのだ。校内外の仕事がこれでもかというほど押し寄せてくる。
「学級通信」や「教育実践」など、仕事をほぼそのままアップできるコンテンツについては多忙でも更新ができる。しかし、この「知的生産日記」のように、新たに書き下ろさなければならないコンテンツをつくっている暇がないのだ。まぁ、メインコンテンツでもないし、誰も期待などしていないだろうから、時間のあるとき、気の向くときに更新していくことにしようと思う。お許しを。

さて、久しぶりに更新したのは、今月号の『国語教育』(NO.609 明治図書)野口芳宏先生の連載を読んだからである。
私は野口先生を尊敬し、新採用以来、数え切れないほど多くのことを学ばせてもらってきている。野口先生の著書はほとんど購入してきたし、実際に授業を参観したり模擬授業を受けたりしたことも一度や二度ではない。私の授業スタイルに大きな影響を与えてくれている先生である。

連載の中で、野口先生は言う。

日々の実践を研究的に進めるという姿勢がやがて大きな実りを見せてくれることになるだろう。しかし、それを甘く見てぼんやりしていると忽ちの内に時が流れてしまう。別の所でも書いていることだが、経験をいくら積んでも、それがそのまま実力になるという訳ではない。私の先輩は

経験は意図的に積み、それに整理を加えなくてはいけない。

と教えてくれた。これは名言であり、至言である。経験に「整理」を加え、「まとめ」ることが非常に大切である。どんなに日々の授業を研究的に試みたにしても、時々それらをきちんと文章にまとめておかないと、結局はそれらもいつか消えてしまう。多くの人はそうして折角の財産を失ってしまっているのではないだろうか。

野口先生のこのような考えは、初めて目にしたわけではない。先生は著書や講演の中で何度もこのことを主張されてきた。私も深く共感し、できる限りの実践を文章化するようにしてきた。その一つの方法が15年間書き続けてきた学級通信なのである。
・授業の様子を保護者に伝えることができる
・私自身の財産にもなる
一石二鳥であると思ってきた。
しかしである。野口先生は次のように続けているのである。

授業の内容を親に知って貰うということは大切なことであるが、授業の経過をそのまま学級通信に載せることには私は反対である。それは、基本的に教師仲間の研究資料としては重要な意味を持つだろうが、それがそのまま家庭に配られたところでほとんど役には立たない。私のところにもそういう学級通信が送られてきたことがあるが私は不賛成の返信をした。家庭に届けるべきは授業の簡潔な様子やポイントであるべきで、そのままの「記録」ではない。

厳しい言葉である。
確かに、現在も更新を続けている10年前の学級通信を改めて読み返してみると、保護者に対する配慮に欠ける部分もまま見られる。もっと読み手のことを考えろ!と反省することしきりである。これは今に至ってもそうかもしれない。
しかし、15年も続けてきたこのスタイルはなかなか変えられそうにはない。子供たちの学校生活のほとんどは授業で占められているのであり、保護者には授業の事実を知ってほしいと思うのだ。
野口先生の戒めを頭に置きながら、読み手である保護者を忘れない通信にしようと自戒している。