NO.54[2001/8/7]

他律による自律

夏休みに入っても多忙が続いている。次のようにである。

7月25日 陸上部練習、サッカー部練習
7月26日 市陸上競技記録会(役員)
7月27日 サッカー部練習試合
7月28,29日 大森塾講座準備
7月30日 サッカー大会前日準備
7月31日〜8月2日 サッカー大会(役員)
8月3日 水泳部練習
8月4日 大森塾講座資料印刷
8月5日 大森塾本番
8月6日 水泳部練習
8月7日 市水泳記録会(役員)

土、日を含めて休んだ日が一日もないのである。この間、最も大きなプレッシャーとなったのが、「大森塾」の講座である。
「大森塾」とは新潟県を代表する実践家であり、全国的にも著名な大森修先生(現村松東小学校長)から学ぼうという会である。
私は昨年に引き続き、その会で模擬授業を中心とした講座を担当させてもらうことになったのである。そこらへんでやる実践発表とは訳が違う。何しろ、8000円という身銭を切って全国から集まってくる猛者たちの前でやる講座だ。腹の据わっていない小心者の私は胃が痛くなる思いであった(本当に胃が痛くなった)。
その大森塾も無事終わり、今日は水泳記録会も終了した。

しかし、夏休みの仕事はこれで終わりではない。次のように続く。

8月19日 ある学会で小学校英語の実践発表
8月20日 算数研究会でパネラー
8月21日 市教育センターで小学校英語実践発表
8月22,23日 市教育センターで小学校英語講座受講
8月28日 国語年間指導計画作成会議(この日までに6年生国語の年間指導計画を作成していかなければならない)

教師になって「時間がたっぷりあった」という夏休みはただの一度もなかったが、これほどの忙しさも初めての経験である。これは嘆くべき事か。

前回も名前を出させていただいた野口芳宏先生に次の言葉がある。

他律による自律

野口先生は言う。

多忙ということは、多くの場合人から何かを命じられることによって生ずる。その命を受け入れれば当然暇がなくなり忙しくなる。こういう状態は「他律」的である。
反対に、他人の指図や命を受けることなく自分自身の考え通りに生きていくことを「自律」という。「自律」によって、価値ある人生を送っていける人は立派である。
(『鍛える国語教室』NO.14 P.61 明治図書)

私はかつて次の文章を書いている。

夏休みももう中盤、「あれもしよう、これもしよう。」という私をあざ笑うかのように日々は過ぎて行きます。
私は、小学校入学以来、21回目の夏休みを迎えているわけですが、子供の頃から考えても、夏休みが計画通りいったためしがありません。こんなこと、堂々と言うようなことではないのですが、事実そうなのですから仕方ありません。振り返ってみると、こんな感じです。

小学校時代・・・「今年こそは7月中に夏休み帳を終わらせるぞ!」という、勇ましいめあてを6年間持ち続け、その実、めあてが達成されたためしはない。8月31日のねじりはちまきは年中行事だった。
中学時代・・・・1、2年生のときは部活に明け暮れた。3年生のときは担任の先生に「受験生は一日5時間は勉強しなさい。」と言われたにもかかわらず、3日で5時間。スローペースの一月半だった。
高校時代・・・・中学時代の反省から、計画だけはばっちり立てた。1時間きざみのタイムテーブルを作り、気合いを入れた。しかし、夏休み初日は計画作りだけで満足してしまったため、初日から計画倒れになってしまった。
大学時代・・・・1〜3年生の夏休み、一体何をしていたのだろう。ほとんど記憶がない。4年の夏休みは、教員採用試験、卒業論文と、今だかつてないほど勉学に励んだ。
教師になって・・子供達は休みでも、教師は休みではないことを初めて知り、大きなショックを受けた。しかも、宿題まである。こんなはずでは・・・
そして今年・・・夏休みの課題を山ほどかかえ、すでに半分が過ぎようとしている。
(学級通信『RAINBOW』NO.69)

この通信を書いてから10年。今もって、この状態は変わっていない。自分の意志の弱さにあきれるばかりである。
しかしである。野口先生は書いている。

私は自分の弱さを知っている。私に「自由気儘」な時間が与えられたら、私は一体どうなるだろう。そうそう立派な生活は送れないような気がする。「自律」に自信がないのである。自律に自信のない私が少しはまともに生きようとするならば、せめて私を怠惰に導くことのない他からの指示や命令を素直に受け入れることがよさそうに思う。
私は、他の方からの命令や指示を有り難く受けさせていただくことによって、辛うじて私の生活をふしだらから守っているように思う。このような私の生き方を、私は名づけて「他律による自律」と呼んでいる。
(前掲書)

そう、私にとって今年の夏休みは、まさに野口先生の言う「他律による自律」なのだ。もしかしたら、私は生まれて初めて、充実した夏休みが過ごせるのかもしれないと人ごとのように期待している。