NO.68 [2002/1/4]

『コンピュータが子供たちをダメにする』

『コンピュータが子供たちをダメにする』(クリフォード・ストール著 草思社)を読んだ。前著『カッコウはコンピュータに卵を産む』『インターネットはからっぽの洞窟』はベストセラーになったが、それらにつぐ三冊目の著作である。
ストール氏は教育のIT化に警鐘を鳴らしている。氏はコンピュータについてもエキスパートである。それだけに説得力がある。
今、日本は教育の情報化を進めようとしている。学校のネットワーク環境は急速に整えられ、教師のコンピュータ研修も義務づけられている。私は教育の情報化に反対ではないし、必要であるとも思う。実際に情報教育のカリキュラムも作成したし、コンピュータを使った授業も行っている。しかしである。現在行われている多くの実践を見ながら(自分自身の実践も含め)、ある種の疑問をもっていたこともまた事実なのである。例えば、次のような疑問である。

・低学年の子供に、マウスを操作する技能がなぜ必要なのか。
(彼らの多くは鉛筆を正しく持つことすらできないのである)
・動植物の観察日記をお絵かきソフトで作る理由は何か。
(ノートや画用紙にクレヨンや色鉛筆でかかせた方がずっとよい)
・調べ学習には本当にインターネットが必要なのか。
(国語辞典や百科事典も使えない、月に一冊の本も読まない子供に必要なのはインターネットではない)

もちろん、インターネットでなければ具現できない授業もある。しかし、上のような疑問をもつことなしに、情報教育を推進していくことは危険である。私たち日本の教師は、ストール氏の鳴らす警鐘に耳を傾けなければならない。
氏は言う。

本書は、教育現場でのコンピュータの使用について多くのページを割いている。僕は、企業が有用かどうか疑わしい見かけ倒しの代物に大金を注ぎこむのを見ると、首をかしげたくなる。しかし、学校がハイテク化の波に呑みこまれ、だまされるのを見ると、首をかしげるどころではない。怒りがこみあげてきて、心底、腹が立つのだ。いま、大勢の教育関係者が学校のネットワーク化を推進しようとしている。子どもをもつ親は、にこにこ笑って子どもにコンピュータを買い与え、これでわが子がコンピュータ社会で順調なスタートを切れると思っている。学校の成績がいっきに向上すると思っている。その一方で国語の教師は、子どもにコンピュータ・リテラシー(コンピュータを道具として使える能力)をつけさせろ、と要求する声への対応に迫られながら、本もろくに読めないのにコンピュータで遊びたがる子どもたちの相手をしなければならない。
情報にアクセスできること。情報を解釈できる実際的知識があること。この二つはまったく別物だ。自分の頭で考え批評する能力に欠ける子どもは、モニタを眺めていてもなにもわからず、形式を内容と混同している。感覚を感性ととりちがえている。もったいぶった言葉を深遠な思想と勘違いしている。(p.15)

最近では、サラリーマンのほとんどがワープロソフトの使い方を知っている。しかも、そのほとんどが、十八をとうに過ぎた年齢になってから使い方を習った人たちだ。
(中略)
子どもの頃に、楽器や外国語を習っておけばよかったとくやんでいる大人はたくさんいる。しかし僕は、子どもの頃にコンピュータやテレビに充分ふれなかったので自分の可能性の芽が摘まれてしまった、と不満をもらす大人にお目にかかったことはない。(p.22)

オーストラリア生まれの教育者ルドルフ・シュタイナーは、八十年前、次のように書いている。
「子どもが遊ぶように勉強できる教育があってしかるべきだという意見をしばしば耳にする---つまり、学校は、子どもたちの笑い声であふれ、子どもたちが勉強を遊びとする、楽しい場所であるべきだ、という考え方だ。そしてこれは、子どもたちがまったくなにも学ばないことを保証する最良の教育方針である」(p.31)

〜次号へ続く〜