NO.69 [2002/1/5]

『コンピュータが子供たちをダメにする』(その2)

前号に引き続き、『コンピュータが子供たちをダメにする』からの引用を続ける。

たとえば、発明王トーマス・アルヴァ・エジソンは1922年に次のように予言している。
「映画はわれわれの教育制度を大きく変革することになるにちがいない・・・・・・これから数年のうちに映画は、完全にとはいわないまでも、かなりの部分、教科書の使用に取ってかわるだろう」。エジソンがこう語った十年後、(中略)ベンジャミン・ダローが、「ラジオ放送による教育の中心的かつ主要な目的は、世界の人びとを教室から感化を受けられるようにすることであり・・・・・・ラジオを介して世界の出来事を伝えることは、刺激的で励みになる教科書を電波に乗せて届けることになるかもしれない」と述べている。
そして1945年には、(中略)ウィリアム・レヴェンソンが『ラジオによる学習指導法』の中でこう書いている。「ポータブル・ラジオが黒板と同じように、教室で普通に使用される日がやがてくるだろう。教育放送は、一般に認められた教育手段として、学校生活の中に溶けこんでいくだろう」
(中略)
そして1998年には、当時下院議長だったニュート・ギングリッチが、(中略)「子どもたちは教科書のかわりにコンピュータを使うようになるでしょう。あと5年のうちに、教科書は全廃されるものと期待しています」と発言している。(p.56)

エジソンの予言、ベンジャミン・ダローの予言、ウィリアム・レヴェンソンの予言がいずれも当たらなかったことを私たちは知っている。3年前のニュート・ギングリッチの期待も裏切られることになるに違いない。
著者ストール氏は言う。

教育関係者は、よくあんなに文句をいうことがあるものだと思われるほど、やたらと教科書にケチをつける。しかし、教科書は、その内容や妥当性、学年レベル、正確さ、バランスなどに少なくとも批判的吟味(レビュー)を加えられている。ウェブサイトの99パーセントは、その種のレビューを絶対に受けていない。最新情報を生徒に与えることと、彼らに良質な情報を与え、まとまった授業を受けさせることはほとんど無関係だ。(p.60)

次のような授業場面が想像できるだろうか。

先生は、「さあみんな、ノートと鉛筆を出して」と言って授業をはじめるわけではない。先生は、「さあみんな、キャリングケースからコンピュータを出して机の上に置いたら、電源プラグを差しこんで、コンピュータを起動させて」と言い、子どもがコンピュータから目を上げるまで一分ほど待ってから、「それでは、先週やったファイルを開いて」と言うのだ。
かつては30秒で授業を始めることができた。それが、いまでは5分待たないと始められない。それも、すべてが順調にいったとしての話だ。生徒のコンピュータがウイルスにやられ、マイクロソフト・ウィンドウズが立ち上がらなくなったときなど、先生がその子のコンピュータをなんとか動かそうと悪戦苦闘したので、授業の開始時間はさらに十分遅れた。(p.70)

上のような事態を夢見る教師は誰もいない。しかし、上はワシントンハイツ218公立学区で実際に見られる授業風景なのだ。
教育の情報化が目指すものは一体何なのだろうか。

〜次号へ続く〜