NO.72 [2002/2/26]

小学校英語活動研修講座(その2)

二日目。最初のコマは10時からである。朝はかなりゆったりと時間を過ごせる。8時頃に遅めの朝食をとり、9時にホテルを出発。会場に着いたのは9時45分くらいだっただろうか。今日は自由席だ。どこに座ろうかと会場に入ると、もうほとんどの参加者が席に着いており、かなりの座席が埋まっている。ど真ん中、最前列の席が空いていたので、そこに着席。今日一日、この実に積極的な席で講座を受講することとなる。

【年間活動計画の構想 10:00】
昨日に引き続き、一コマ目は影浦攻氏の講義だ。当サイトでも私の勤務校の「年間指導計画」を公開しているが、影浦氏の講義名で使われている語は「指導計画」ではなく「活動計画」である。これは昨日話があったとおり、従来の教え込みから脱却した遊びの要素を入れたいという願いがあったからだという(私は「指導計画」でよいと思っている)。
さて、講義の内容である。

今、多くの先生方が欲しがっているのは「他校の年間計画」だ。自分の学校でも14年度から英語活動を始めなければならない。他校の情報が欲しいのだ。しかし、他校のプランをそのまま流用すると、失敗することが多い。それは、自校の子供の実態を考慮していないからだ。自校の子供のニーズとは違うプランで実践してしまうことになる。子供が見えていないのだ。共通に使える部分もあるが、違う部分もある。それを見極めなければならない。

影浦氏は上のように言う。しかしである。見方を逆にすれば、共通に使える部分もまたあるということである。それを共有財産としていく過程が研究ではないのか。何がどのように共通に使えるのかを明らかにしていくことが大切なのだ。

年間計画作成は柔軟にせよ。活動の結果をメモし、その反省を次年度に生かす。つまり修正する。数年かけた長いスパンで年間計画を作っていくことが大切である。

これはその通りだ。最初から、完全な計画など作成できるはずもない。それどころか、何年かけたって完全な計画など作り得ない。教育実践は常によりよりものに修正されるべきものだからだ。これは英語に限らずそうである。

教師自身が楽しまないと、学習の楽しさは子供たちに伝わらない。教師が楽しめ!

これもその通りだ。かつて担当した実習生に「渋谷先生は楽しそうに授業をしている」と言われたことがある。この感想は嬉しかった。事実、私は楽しんでいたからだ。教師がつまらなそうに授業していたら、子供たちが楽しく学習できるはずがない。自明のことだ。

毎時間、テーマを変えて、授業を組んでいくのは難しい。例えば、4月は「家族」と大きなテーマを決め、そこから広げていくのがよい。

一つの識見である。しかし、このようなカリキュラムの組み方が本当によいのかどうかは分からない。当校はこのようにはしていない。今は、日本中の教師がいろいろとやってみればよいのだ。多くの実践が蓄積された段階で考えればよいことだ。

最初から、体系や系統を考える必要はない。数年後に考えていけばよい。

とにかく今は始まったばかり。まして、英語に関しては素人の小学校教師が体系や系統まで考えてシラバスを作るのは難しい。

他にも応用がきく「広がりのある表現」を扱え。基礎・基本は広がっていくから大切なのだ。中学校の教科書で扱っている表現は基礎・基本である。これを避けて小学校英語活動を考えることはできない。「中学校の前倒しにしない」というのは扱い方の問題を言っているのだ。方法論の問題だ。

ナルホド、やはりそうか。方法論の問題を言っていたのだ。昨日書いた「単語を教え込まない」というのもやはり方法論のことだったのだ。機械的なドリル学習で単語指導をしたのでは、ダメに決まっている。

子供たちを一つのコップに例える。そのコップがあふれるまでListeningをするのだ。たっぷりと聞かせるのだ。コップからあふれたものがSpeakingである。

これは非常に分かりやすい。大いにうなずける説である。(私自身の英語学習もうこうありたいと願っているのだけれど、なかなかコップがあふれない。私のコップが大きいのではない。コップが割れて水が漏れているのだ。)

【英語活動の方法・内容・活動案の構想 12:40〜】
【授業の観察(VTR) 14:30〜】

国立教育政策研究所総括研究官、渡邉寛治氏の講義である。氏の話は一貫して次を問題にしていた。

小学校の英語活動は何のために行うのか

最初、氏の話はなかなか理解できなかった。あとで質問して分かったことだが、立っている場所が違っていたからである。
例えば、氏は次のようなことを繰り返し述べた。

・研究開発校では「子供たちが明るくなった」「日本語でコミュニケーションするときにも積極的になった」「意欲が高まった」という成果が報告されている。
・普段沈んでいるのに、英語活動ではイキイキする子供がいる。
・不登校児が英語の授業になると登校するようになった。
・つまり、英語活動で「生きる力」を具現した子供の姿が見られるのである。

「英語活動」は上のような姿を具現するために行うのか。私は懐疑的である。「英語活動は英語によるコミュニケーション能力」を高めるために行うものであると考えているからだ。
「明るくなった」「積極的になった」「意欲が高まった」という報告は実に主観的なものである。何とでも言える。「英語によるコミュニケーション能力」はどうなったのか。成果はあったのか。私はそこが知りたかった。
そこで、講義終了前に設けられた質問タイムで、挙手をして質問した。

先ほど見せていただいたVTRの中で、担任の先生はNHKの「子供たちの英語能力は高まりましたか」という問いに対して、「英語能力が高まったとは言えませんが、学校においでになる外国の方やALTに対して物怖じしなくなりました」と答えていました。また、先生の講義の中でも、研究開発校の成果として「明るくなった」「積極的になった」「意欲が高まった」という内容が紹介されました。では、研究開発校で「英語能力が高まった」という研究結果はあるのでしょうか。あるのでしたら教えていただけないでしょうか。実は、今年度、私は市で実践発表をしまして、そこで、指導の大学の先生に「小学校英語活動では英語能力は高まらない」というネガティブな論考を紹介されたのです。

渡邉氏は答えた。

これは二つの面から答えなければなりません。
まず、一つ目。研究開発校での「英語能力の高まり」これはリスニングにおいては明らかにあるでしょう。近畿教育大学の清水先生の研究で発表されております。
ただ、やはり一般校で行っている月に数回の授業では英語は身に付くはずはありませんよ。大学の先生はそれを分かっている上で、敢えておっしゃったのでしょう。しかし、今は教科ではないのです。総合なのです。だから、先ほどお話ししたような成果が見られればよいのではないですか。

「総合」の中で、子供たちがイキイキと英語を学習する姿を具現してくれ。それが「英語活動」を教科にしていくための布石なのだ。渡邉氏の答えを私はそう受け取った。