NO.73 [2002/2/27]

小学校英語活動研修講座(その3)

この研修も今日が中日である。今日の講師はお二人。文化女子大非常勤講師、久埜百合氏と日本外国語専門学校講師、トム・マーナー氏である。

【歌、チャンツ、クイズ、ゲームなどの実際 10:00】
【教材・教具の作成の実際 12:40〜】

久埜百合氏の講義が二つ続く。穏やかで柔らかい口調の語り口、そしてジョークを交えての講義で聞くものを飽きさせない。

小学校の英語活動では、「英語に慣れる・親しむ」という経験をさせることが大切です。英語圏の子供たちは幼少の頃からそのような経験を積みながら言語を獲得していきますが、日本の子供たちはそのような経験なしに、いきなり小学校で英語に触れるわけです。そのような経験を通して英語に対する開放感が得られます。ですから、「慣れる・親しむ」という経験を大いに積ませなければなりません。

なるほど。しかし、一日中英語に囲まれている英語圏の子供たちに匹敵するような経験を積ませることは不可能である。どのような手だてで、どのような経験を積ませるかが教師に問われることになる。難しい。

ゲームは、間違うからおもしろいのです。教師も間違え、子供も間違う。そして、笑いが生まれる。教師と子供たちの間に赤裸々な人間関係が形成されます。こうした中で子供たちを開放していくのです。

自分の間違いを自分で笑える子供たちを育てていきたいものだ。自己否定することのできる人間は強い。英語活動だけでなく、担任の学級経営全体が問われることになる。

4年生以上くらいになると、英語の発音に抵抗を示し始めるようになります。英語っぽい発音を恥ずかしがってしなくなってしまうのです。でも、それは発達段階ですから、無理に矯正しようとすると失敗します。ところが、様子を見ていると、ゲームの中で子供たちが使う英語は英語っぽい発音になっているのです。心が開放されているからでしょう。それが大切なのです。

これは思い当たるところ大である。我がクラスにも、わざとカタカナ英語の発音をしてしまう子供がいる。そう言えば、私はそれを矯正しようとしていた。無理に直そうとするのではなく、子供たちの心が開放されるような手だてが必要であったのだ。

Do/you/have/a/pencil/?
のように、単語を区切って練習させては絶対にダメです。Do you have a pencil?とつながりをもったフレーズとして与えることが大切です。
カタカナで英語の発音を示すことには私は反対です。子供自身が聞こえた音をカタカナで書く程度はなんとか許容できますが。
例えば、2年生の子供がrunningをカタカナでどう表記するかを考えた末、「ワニ」と書きました。大人や高学年であれば間違いなく「ランニング」と書きます。どちらの発音がよりrunningに近いでしょうか。
ヒハザヘアマ
これは何をカタカナにしたものか分かりますか。
He has a hammer.
です。大人なら、こう書くはずです。
ヒーハズアハンマー
カタカナで英語を与えてはいけないのです。

この話も大いに納得である。

【教室英語の実際 14:30】
トム・マーナー氏の講義である。

小学校英語活動でさせる体験とはどんな体験ですか。それは実際にコミュニケーションをしてみる体験です。意味のあるコミュニケーションをすることが重要なのです。ドリル学習で、コミュニケーション能力は身に付きません。
社会人であれば、英語学習へのモチベーションをもつことができるでしょうが、子供たちにそんなものはありません。だから、興味・関心をもたせるような活動が重要なのです。
英語嫌いを作るには、どうすればよいでしょう。単調な繰り返し・機械的な練習。これを繰り返せば、間違いなく英語嫌いの子供をつくることができます。なぜ、嫌いになるのか。それは自分の意志を伝えているわけではないからです。意味のあるコミュニケーションになっていないからです。子供たちがなにをしたがっているのかを考えることが大切です。私はいつも次のように言っています。
「子供たちが学びたいことを教えよ。教師が教えたいことを教えるのではない。」
英語活動で身に付ける「態度」とはopen mindnessのことである。

確かにその通りだ。しかし、ことはそれほど簡単ではない。生きたコミュニケーション、意味のあるコミュニケーションが成立するためには教師にもまたコミュニケーション能力が要求されるからである。
open mindnessの話は久埜氏の話とも通じる。心を開放せよ。

先生方は、子供たちに発話させようとしすぎます。もっとインプットの重要性を考えなければなりません。特に小学校ではあまり発話を求めず、英語をたくさんインプットすることです。
私の教室でも小学校の子供たちには発話よりもインプットを重視しています。ですから、親は「先生、うちの子はちっとも英語を話すことができません」と言います。しかし、その子が中1になると1時間くらい簡単な会話と続けることができるようになるのです。
短いスパンで成果を期待しすぎないことです。最初から文で話せるはずがないのです。
私はよく子供をスポンジに例えます。無理にスポンジを絞る必要はないのです。インプットを続け、発話はスポンジからしみ出してきたもの程度で十分なのです。

この話も大いに納得。影浦氏のコップの話とまったく同じことを言っている。まずは聞くことだ。シャワーのように生きた英語をインプットすることだ。