NO.88 [2003/1/29]

『渾身、これ一徹(坂田信弘・齋藤孝 角川書店)』を読む

(齋藤)
10歳から13,4歳までの年齢の子どもたちをゴールデンエイジといって、この時期に基本的な技術を身につけることが、その後の成長を大きく左右すると言われています。
この年齢に身につけた技は、生涯失われることなく、その子どもの素地となるんです。

「個性を大切にする」「自主性を育てる」
このような、もっともらしい美しいスローガンの下で、「教える」ことが軽んじられている。「教える」ことは悪いことであるかのような風潮さえある。
もちろん、この問題を一般論として語るのは乱暴である。場面によって、教えることが必要な場面もあるだろうし、教えてはいけない場面もあるからだ。「教えるべきか」「教えざるべきか」は、場面を限定して議論しなければならない。
しかしである。教えるべき場面であっても、「教えるのは悪である」という風潮が教育現場にはある。
どのような世界であれ、「基本的な技術」は正しい型を繰り返し繰り返し練習することでしか身に付かない。「個性」や「自主性」や「自ら考える」ことによって身に付くことはない。
筆者は言う。

(齋藤)
基本を反復練習するっていうのは、いまの教育ではなかなかないんです。型の反復練習を非常に軽視している。反復は子ども任せの宿題にしてしまって授業でやらない。
上手に基本を設定し、その基本を何千回、何万回と繰り返す。するとある瞬間に量質転化を起こして、一生使える技になる。量的な蓄積が質的変化を起こすということですね。

(坂田)
個性を育てる?常々思うんだが、無責任な話だね。(中略)
要するに幼少時に、何かの拍子に才能が出てきても、そのあと必ず基本的な教育というものは必要なんです。それをやらずに「個性を伸ばす」とかなんとか言って好きにさせておくと、そのうち枯れてしまう。

国語に「書くこと」という領域がある。いわゆる作文である。作文の授業では、型にはまった文章をたくさん書かせるべきである。「文章に個性がない」という批判もあろう。大歓迎である。「文章が型にはまっている」「どの子の文章もみな同じだ」などと言われるかもしれない。最高のほめ言葉である。何しろ、型にはめたのだから。「どの子の文章もみな同じ」なのは、指導が成功した証拠である。
だから、教科書には良質の型を載せるべきである。型を繰り返し学ぶ(真似ぶ)ことによって、子供たちの文章は上達する。心配しなくとも、子供たちはいつまでも型にはまった文章など書きはしない。一定量を繰り返すと、量質転化は必ず起きる。
少なくとも小学校では、「個性」とか「自主性」とか言う前に、このような教育が必要である。