『やまなし』(その8)

しおり
はじめに
「クラムボン、イサド・・・。これらは何だろう。『やまなし』という作品はどういう意味があるのだろう。」
これは、私が『やまなし』を読んだときの感想だ。つまりよく意味が分からなかったということだ。
しかし、学習を進めていくと、少しずつ分かってきた。以下、『やまなし』という作品について、私の考えを述べる。

1 物語の舞台
『やまなし』の舞台である谷川の深さはどのくらいか。
私は20cm〜30cmくらいだと考える。なぜか。
まず、かわせみだ。かわせみという言葉を辞書で調べてみた。『すずめぐらいの大きさで、くちばしが大きく、はねの色が美しい鳥。水辺に住み、魚をとって食べる。』と書いてある。すずめは15cmくらいだ。だから、くちばしは8cmくらいだろう。
次に魚だ。かにの子供らの上に魚がいるのだから、かにと魚の間はせいぜい15cmくらいだろう。
そして、やまなしだ。やまなしの大きさは2、3cmだ。トブンと落ちて見えるくらいだから、そんなに深くないと思う。
教科書の71ページに、『兄さんのかには、はっきりとその青いものの先が・・・』と書いてある。はっきり見えたのだから、浅い川だと思う。
だから、谷川の深さは20〜30cmだと考える。

2 二枚の幻灯の対比
五月と十二月の対比をノートにいくつか書いた。例えば『夏と冬』『かばの花とやまなし』『かわせみとやまなし』『青白い水の底と冷たい水の底』などだ。
「やまなし」という作品の中でいちばん重要な対比は何か。ほとんどの人が『かばの花』または『かわせみとやまなし』にした。
私は、はじめ『かばの花とやまなし』にした。なぜか。かばの花もやまなしも流れてきた。それに、かわせみはただ水に飛び込んできただけだと思ったからだ。
かわせみ派は、「五月で場面が変わったのはかわせみが出てきたところだ。かばの花のところじゃない。」と言った。私もそうだと思った。ここで、私は『かばの花』から『かわせみ』に変えた。
『かわせみ』と『やまなし』は具体的にどのように対比されているのか。
・やまなしは植物。かわせみは動物。
・やまなしは落ちてきた。かわせみは飛び込んできた。
五月と十二月の二枚の幻灯を一言でまとめるとどのような世界なのか。
私は、五月→怖い世界、十二月→穏やかな世界だと考えた。十二月は安心でもいいと思う。
みんなの意見では、「怖いと安心」が多かった。私もそれがいいと思った。なぜなら、かわせみはかにたちにとって、怖いイメージだし、やまなしがきたことによって、怖くなくなり安心になったと思うからだ。
宮沢賢治は、この二枚の幻灯で何を言いたかったのか。それはこの文にカギがある。
『私の幻灯は、これでおしまいであります。』

3 象徴性
『私の幻灯は、これでおしまいであります。』
この文でいちばん大事な言葉は何か。私は『幻灯』だと思った。でも、正解はなんと『の』だった。この文の『の』は次のうちのどれか。
A 〜さんのランドセル
B 犬のポチ
C 電車の本
これはCなのだ。Aは所有物という意味だ。また、Bは同格ということだ。つまり、犬=ポチだ。そして、Cは関連だ。だから、私について書いてある幻灯ということになる。この幻灯は、宮沢賢治の心象スケッチ(心の様子・心のイメージ)なのだ。
かわせみとやまなしが象徴しているものは何か。わたしは、かわせみ→恐怖、やまなし→悲しさだと考えた。でも、ほかの人はこう考えていた。
かわせみ→不安、悲しみ、さみしさ、トシの死
やまなし→元気、勇気、平和、安心、落ち着き、悲しさ、賢治の涙
かわせみは恐怖や不安でいい。だが、問題はやまなしだ。元気などの明るい系と不安などの暗い系がある。どっちなのか。いろいろな意見が出された。私は、かわせみ→恐怖、やまなし→安心に変えた。
クラムボンやイサドが象徴しているものは何か。
クラムボン→妹トシ、トシに対する賢治の気持ち
イサド→林、天国
どちらもいいと思う。

4 宮沢賢治は『やまなし』で何を描こうとしたのか。
私は「宮沢賢治詩集『心象スケッチ春と修羅』より」を読んでみた。
すると、妹トシのことがたくさん書いてある。
『永訣の朝』では、トシが「あめゆじゆとてちてけんじや(あめゆきとってきてください)」と何回か繰り返して言っている。また、『松の針』では「ああいい さっぱりした まるで林のながさ来たよだ」とせりふが書いてある。
だから、『やまなし』で宮沢賢治は死んだ妹トシのことを描こうとしたのだと思う。

おわりに
宮沢賢治の描こうとしたことが、分かったような気がする。この『やまなし』という作品をきっかけに宮沢賢治などの作品をたくさん読んでみたい。