『やまなし』(その9)

和人
はじめに
「クラムボンは、どういう意味の言葉なのだろう。」
これは、ぼくが初めて「やまなし」という作品を読んだときの感想だ。イサドという言葉も分からなかったが、特にクラムボンという言葉の方が分からなかった。
しかし、学習を進めていくに連れて、さっぱり分からなかったことがだんだん見えてきた。以下、「やまなし」という作品について、ぼくの考えを述べる。

1 物語の舞台
「やまなし」の舞台である谷川の深さは、どのくらいなのか。
ぼくは30cmくらいだと思う。
なぜか。ぼくは、はじめ5mくらいだと思っていた。それは、「青く暗く鋼のように見える」と教科書に書いてあるからだ。しかし、やはり最後はちがうということが分かった。
それでは、30cmくらいだと思う理由を述べる。
5mもあると、水の中に日光の光は入ってこない。それに、「弟のかにがまぶしそうに目を動かしながら」と教科書にある。5mもあると、かわせみのくちばしは見えるはずがない。
このような理由で、30cmくらいだとぼくは考える。

2 二枚の幻灯の対比
この物語には、「五月」と「十二月」の二枚の幻灯がある。その二枚の幻灯には、対比というものがある。いろいろと出てきたが、この対比で意見が分かれた。
・かばの花とやまなし
・かわせみとやまなし
ぼくは、かわせみとやまなしが合っていると思う。なぜか。
ぼくもはじめは、かばの花とやまなしだと思っていた。しかし、学習をするに連れて、だんだんとかばの花とやまなしがちがっているということが分かってきた。
それでは、かわせみとやまなしが合っているという理由を述べる。
かわせみも上から落ちてきているし、やまなしも上から落ちてきている。このような理由で、ぼくはかわせみとやまなしが合っていると考える。

3 象徴性
この物語には、クラムボン、イサド、かわせみ、やまなしというものが出てくる。その四つには象徴性というものがある。ぼくはその四つの象徴性はこうだと思う。
クラムボン・・・妹トシ
イサド・・・・・林
かわせみ・・・・かなしさ
やまなし・・・・安心
ぼくは、そう思う。なぜか。教科書には「クラムボンは死んだよ」と書いてある。そして、賢治の妹も死んでいた。死んだ人は、妹しかいない。だから、クラムボンは、妹トシだとぼくは考える。
次にイサドだ。
賢治の妹トシは、林に行きたがっていた。だが、行くことができなかった。だからこの「やまなし」で、林をイサドヘ変えて妹を行かせてやりたかったんだとぼくは考える。
次にかわせみ。妹トシは、クラムボン。ようするに、死んでいる。賢治は妹が死んだ悲しさをかわせみにこめたんだとぼくは考える。
そして、最後にやまなしだ。妹トシは苦しんでいた。それで、賢治は早く楽になってほしいと思ったにちがいない。妹トシが死んでしまうのは悲しいが、早く楽になってもらいたいと思っていた。ぼくはそう思う。また、どこかで会えると思っていたとぼくは考える。妹トシが死んだ。妹が楽になった。安心したのだとぼくは思っている。だから、やまなしは安心というものを象徴しているとぼくは考える。

4 宮沢賢治は「やまなし」で何を描こうとしたのか。
この「やまなし」という作品で賢治は何を描こうとしたのか。
ぼくが思うには、妹トシが死ぬまでを描こうとしたのだと考える。なぜか。
賢治が作った四編の詩「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」「白い鳥」にも妹トシが死ぬまでを書いている。だから、「やまなし」という作品もトシが死ぬまでを書いたのだとぼくは考える。
「やまなし」という作品には、クラムボンという言葉が出てくる。象徴性で書いたとおり、クラムボンは妹トシ。トシは死んだ。話の筋が合っているとぼくは思う。
イサドは林。妹トシは林へ行きたいと言っていた。どうだ、筋が合っているとは思わないか。
こういう理由で、ぼくは「やまなし」という作品は、トシが死ぬまでを書いているのだと考える。

おわりに
この「やまなし」という作品。それは、賢治が死んでしまったトシのことを思って書いた作品だと思う。クラムボンは妹。やまなしは妹が楽になったという安心。かわせみは、妹が死んでしまった悲しさ。イサドは妹が行くことのできなかった林。
賢治が本当に妹のことを思い、書いた作品だ。そうであれば、賢治は優しいということまでも分かってしまう。
この作品は、子供たちに人のことを思う気持ち、やさしさをもってほしいと思って書いた作品なのかもしれない。