NO.38

・度を超えたお菓子等の買い食いをしているようだ。
・何のためらいもなくおごったりおごられたりしている。

夏休み中は、臨時収入のある子供もいるでしょう。お金の価値やつかい方について、十分に考えさせてみたいものです。休み前に学校でも指導したいと思っております。お家でも、是非話し合われてください。

下は、北海道教育大学教授の野口芳宏氏が書かれた文章です(二つ目は講演録)。お家で話し合われる際の参考になろうかと思いますので、引用し、紹介いたします。少し長いですが、是非お読みください。

小遣いの乏しい子どもほど健全?

子どもの非行の中で最も多いのが万引です。盗みは、罪をおかした小学生の84%、罪をおかした中学生の72%に及びます。その盗みの大半は万引です。
万引というのは、買物客を装って店先の品物を失敬することです。大きな罪の意識もなく、つい手を出してしまいやすい、軽い出来心から発する盗みです。
自分の子どもに万引などされると大変だから、お小遣いだけは十分与えているのに、と万引した子どもの親はほとんどが同じことを言う、とある相談員は話しています。小遣いを十分に与えていればそれで満足し、盗みなどはしないだろうということはだれしも考える図式ですが、実はこの考え方にも落とし穴がありそうです。
万引をした子どもたち100人について、その子供たちの月平均の小遣いを調べてみますと次のような結果が出たそうです。
・2000円以下の子・・15%
・5000円以下の子・・85%
(警視庁防犯部少年第一課調べ)
明らかに小遣いの豊かな子どもの方が万引を多く起こしているというわけです。小遣いの少ない子は、いつもみじめな思いをしているからつい手を出して万引などを起こしやすいように思われますがそうではないのです。
なぜこんなことが起こるのでしょうか。
答えは案外簡単だと私は思います。小遣いの乏しい子ども、十分には与えられない子どもは、例えば次のようなことを知らず知らずのうちに身につけているのではないでしょうか。
・お金の大切さを知っている。
・欲しくても我慢する心が養われている。
・自分の欲望を、自分でコントロールできる。
・贅沢をしなくても自分の楽しみを作れる。
つまり、一言で言えば、欲しくてもそれが我慢できるという自制心が養われているということなのです。
一方、小遣いを豊富に与えられている子どもには次のような態度が知らず知らずのうちに育っていきやすいそうです。
・欲しいものはいつでも、どこでも手に入れられるので我慢する必要がない。
・欲しいものを次々に手に入れていくことによって、欲望がだんだん募っていき、大型化し、派手になり、刺激的になっていく。
・いつでも自由に何でも手に入れないと気がすまないという浪費型の人間になっていきやすい。
・お金の価値や物の価値についての感覚が麻痺してしまう。大切なもの、価値ある物がわからなくなり、お金や物を粗末にする習慣が育つ。そのことによって、珍しい新しいものへの目移りがし、次々に新しい物を欲しがるようになる。
このように考えてきますと、万引などをするといけないから十分に小遣いを与えるという考え方は、むしろ逆の結果を生じやすいということがうなずけると思います。小遣いの乏しい子どもの方がむしろ健全に育つということの意味はそこにありそうです。

子供は家族とどう結ばれているか -消費的連帯・生産的連帯-

今の家庭の中の子供というのは、家族と、どうやって結ばれているのかということを考えてみましょう。
だいたい、子供に家族のことを話させますと、特に連休とか夏休みということになりますと、どこどこに連れていってくれるというのが子供にとっては、一番の楽しみなんですね。あるいは、家族で食事に行くとかさ。それも結構です。
しかし私はね、少し堅苦しい言い方で悪いんですけれど、そういうつながり方を「消費的連帯」と言っているんです。消費的連帯とはね、必ずそこに消費がともなう。消費をたくさんしてもらったことによって、愛を感ずる場合です。いっぱいごちそうをしてくれた。好きなところへ連れていってくれた。おいしい料理のあるホテルで一泊した。全部金がかかる。消費的連帯ですね。これはね、「金の切れ目が縁の切れ目」なのね。都合の悪くなると連れていってもらえないわけです。そうするとそういう消費的連帯の中で育ってきた子供というのは「ケチ」とか、「話せねえの」とかね、そういう形になっちゃうの。これは消費的連帯と言ったけれども、「連帯」でも何でもないですね。消費的同居とでもいったらいい言葉です。
私は本当に人間と人間が心を結ばせる連帯というのは、必ずそこに生産性がなくっちゃいけないと考えています。それを「生産的連帯」と私は言っています。生産的連帯というのは、子供と親とがお互いに感謝し合いつつ結ばれるという場合です。
例えば、明日お父さんが出張で遠くへ行くというとき、
「よしボクが靴を磨いてやろう」
と思う。で、靴をこっそりとピカピカに磨いてお父さんが埃っぽい靴かなと思っていたらピカピカに磨いてある。
「誰が磨いた?正夫か。ああ、ありがとう」
となる。お父さんが遅く帰ってくる。
「お父さん、お風呂沸かしてあるからどうぞ」
「お、誰が沸かしてくれた?」
「私が沸かしました」
「おお、光子が沸かしてくれたのか、ありがとう」
と、こういうふうに家族のためを思って子供があることをする。されたことに対して親が感謝する。こういうのを私は「生産的連帯」と呼んでいるわけです。
(中略)
生産的連帯には金が一銭もかかりません。ちょっとその気になればいつでも早速やれるものですね。風呂を沸かしておく。お母さんがつかれた体でもって食器の片づけをしているので、ちょっと手助けをする。そうしますと、子供が親にとってなくてはならないものになってくる。
「お前のおかげで家が明るくなる」
「あんたのおかげでお母さんが助かる」
子供に対して親が感謝するようになる。