NO.50

次の文章をお読みください。

この「資料」のお話はとてもよくできていると思います。たかし君は、とてもすてきな子どもで魅力的です。その理由は前に書きましたのでくり返しません。
そして、たかし君以上に大きな魅力のあるのが、たかし君のお母さんです。こういうすてきなお母さんだからこそ、こういう子どもが育つんだなあ、と思いました。
たかし君の「せいきゅう書」の思いつきに対する、この母親の対応は絶妙だと思うのです。

お母さんははじめ、少しふしぎそうな顔をしましたが、すぐもとのやさしい顔にもどって、それをくり返して読みました。

ここだけでも、このお母さんはすてきです。しかし、ほかのお母さん方も、あるいは大体こういう対応をするかも知れません。
問題はそれからです。たかし君の請求書に対する母親の対処の仕方は、格別すてきです。
まず、お母さんは請求書に従って100円玉をたかし君のお皿の脇に置いています。たかし君のにっこりした顔も、それをみてにっこりするお母さんの顔も思い浮かびます。
すんなりとたかし君の要求に応じているところに、このお母さんのゆとりがあります。受けとめ方が、「受容的」で「共感的」です。「教訓的」「指示的」ではありません。そこに何とも言えない「優しさ」が漂っています。
ここに「会話」がないこともいいですね。きっと黙って、笑顔で100円をおいたと思います。「無言」ですが、そこには言葉以上の優しさがあふれているように思います。
そして、今度は反対に、お母さんからたかし君への請求書をわたすのです。ここがまたとてもいいですね。「敵もさる者!」というわけです。
しかも!です。その請求書には、「0円」と明記されているというのです。ここにいたって私はこの母親に脱帽します。「あっぱれ」です。
きっと、たかし君は子ども心にもはっとしたことでしょう。そういう感じ方のできる子どもに違いありません。そして、まさに無言のうちに、お母さんの大きな愛を感じとったことだろうと思います。

何やかやと雑事がいっぱいで、ともすると私たちはただただあくせくと暮らしに追われがちです。あくせくとした暮らし方というのは、一つ一つのことにこだわってなどいられない、心忙しい「処理的」な生活態度のことです。
そこで身につくのは、手なれた処理技術だけです。少しは手早く片付けていける技術は身についていくかもしれませんが、それは何とも表面的で、浅く、薄っぺらなものではないでしょうか。そして、それはこと子育てに関する限り、最も警戒しなければならない態度ではないかと私は考えるのです。
私たちは、もう少し自分たちの生活の一つ一つに「こだわり」を持ってみることが必要なのではないか、と思います。先のお話の中に出てくるお母さんに最も惹かれた点は、あの知性的な「こだわり」方にあります。
「おかあさんへのせいきゅう書」に対しては、さまざまな対応の仕方が考えられます。

・ばかなことするもんじゃないわよ!
・お断りだわ!
・何を考えてんのよ、欲ばりだわねえ。
・それじゃお母さんも請求書を出すわよ。払えると思ってんの。
・こんなことしたら、お父さんに言いつけてやるから!
・お金のことなんか言うもんじゃないの。

これらのいずれもが、まあまあ常識的な対応ではないでしょうか。そして、いずれもが子どもの夢をこわし、反発を買い、不機嫌な関係を生むという点で共通しています。
さて、どうしてこれに対処すべきか?
と、あれこれ考えをめぐらしてみると、それが「こだわる」ということです。そういう「こだわり」を持ち始めたときから、この世の中はぐんと面白みを増してきます。
たかし君のお母さんも「こだわり」を持ったからこそすばらしいドラマを生むことができたのでしょう。美しいドラマが生まれているではありませんか。そして、その気になりさえすれば、どの家庭にも、子育てをめぐるすてきなドラマがいっぱい生まれること請合いです。

消費的連帯・生産的連帯の際にも引用した野口芳宏氏の文章です。参観授業の時に使った資料について述べられていましたので、長い文章ですが、紹介させていただきました。