『やまなし』評論文

元気に登校してくれた20名の子供たち。教室に20名がそろうのは終業式以来のこと。久しぶりに学校は活気にあふれました。
子供たちが下校したあと、再び寂しくなった教室で子供たちが提出していった「生活表」「日記」「自学帳」等を読んでいきます。子供たちの作品から、一人一人の夏の思い出をたっぷりと感じ取ることができました。一日も休まずに日記や自学帳を継続した何名もの子供たちに心から敬意を表します。小学生だった私には、とてもできなかったことです。終業式に配布したFUTUREのNO.40で使ったイラスト、あれが小学生の私です・・・。

さて、夏休み作品で圧巻だったのが「やまなし評論文」でした。一学期に学習した宮沢賢治の作品『やまなし』について、学習内容を踏まえて評論文を書くわけです。これは、かなりハイレベルの課題です。一学期中にとちゅうまで書いたとは言え、暑い夏休み中に仕上げるのは大変だったと思います。それでも、提出された「評論文」は原稿用紙10枚ほどにも及ぶ大作でした。
本号では、サマースクール最終日に提出された飛夢さんの評論文を紹介いたします。

飛夢

1 序
ぼくは、はじめ「やまなし」を読んだとき、なんか変な物語だなあと思った。なぜなら、クラムボンやイサドなど、よく分からない言葉が出てくるからだ。
これからぼくの考えを書く。

2 物語の舞台
物語の舞台の小さな谷川の底。この谷川の底まではどのくらい深いのか。
ぼくの考えでは、谷川の底までは30cm以下だ。
教科書の67ページの1行目に「かにの子供らが青白い水の底で話していました」と書いてある。「青白い水の底」と書いてあるから、太陽の光が届くくらい浅いところだと考える。
第二に、「にわかにぱっと明るくなり」と69ページの5行目に書いてあるからだ。「ぱっと明るくなり」と書いてあるのだから、光がすぐ差してきたはずだ。30cm以上だとすぐ光が差してこないはずだ。このことから、30cm以下だと考える。

3 二枚の幻灯の対比
二枚の幻灯。この二枚はどのように違うのか。
まず一枚目の五月の幻灯。これは自然の掟、弱肉強食を表しているのだろう。五月のかわせみはかにたちに恐怖を与えている。
次に、二枚目の十二月の幻灯。こっちは五月とは反対だ。なぜなら、やまなしがかにたちに「えさ=恵み」を与えているからだ。このことから、かにたちは自然の恵みを受けていることが分かる。だから、十二月は恵みの世界を表していると考えられる。

4 最も重要な対比
では、最も重要な対比とはなんなのだろうか。
ぼくは、前に述べたのと同じように「かわせみ」と「やまなし」の対比が最も重要だと考えている。
理由は、一度、かにの子供がやまなしをかわせみと間違えているからである。
第二に、かわせみが魚をつかまえたときの印象が強くて、かにたちがよく覚えているからだ。どうでもよいことなら、忘れているはずだからだ。

5 二枚の幻灯の世界
これまでのことをふまえると、どのような世界になってくるだろうか。
ぼくは、3で書いたことから考えると五月は「恐怖の世界」、十二月は「恵みの世界」だと考える。なぜなら、かわせみは「コンパスのように黒くとがっている」くちばしでかにたちに恐怖を与えているからだ。
第二に、ただかわせみが飛び込んできただけなら、怖くない。だが、目の前で魚が殺されたことで、とても怖くなる。このことから五月は「恐怖の世界」だと考える。
次に十二月は「恵みの世界」だと考える理由だ。それは、「やまなし」が落ちてきたからだ。これが偶然でも自然の恵みであることは間違いないだろうと考える。

(次号へ続く)