『やまなし』評論文(その3)

昨日に引き続き、『やまなし』評論文の紹介。今回は澄佳さんの文章です。

澄佳
1 序
私は、この「やまなし」という物語を読んで、クラムボンやイサドなどという意味のよく分からない言葉があって、おもしろいと思った。これから「やまなし」に対する私の意見を書く。

2 物語の舞台
「やまなし」の舞台である谷川。この谷川の深さは、いったい、どれくらいなのだろうか。
私は、20cmから30cm位だと考える。理由は次の通りだ。
まず、木から落ちたやまなしの香りが、川底にいるかにの親子にまで届くということだ。底まで香りが来るということは、そんなに深くない。せいぜい1mくらいだろう。また、この谷川は、あくまでも「小さな」だ。深さが1mもあったら、小さな谷川とは言わないだろう。それに、かわせみの大きさは15cmぐらい。そんなかわせみを兄さんのかにがはっきり見たのだから、深さは20cmから30cmだと言えるだろう。

3 二枚の幻灯の対比
「やまなし」に出てくる二枚の幻灯の対比とはどのようなものだろうか。
私は、次のようなものだと考える。
「五月」←→「十二月」
さかな←→やまなし
日光の黄金←→月光のにじ
まっすぐなかげ←→円いかげ
かばの花←→やまなし
そこに他人の意見もつけくわえる。
クラムボン←→イサド
初夏←→初冬
かわせみ←→やまなし
仲良し←→けんか
かげの棒←→かげ法師
白い岩←→金雲母
というような感じである。

4 最も重要な対比
3で書いた対比の中で、最も重要な対比はなんだろうか。
私は「かわせみ」と「やまなし」だと考える。初めは、日光の黄金と月光のにじが重要だと考えていた。五月は日光の、十二月は月光の様子がたくさん書かれているからだ。では、なぜ「かわせみ」と「やまなし」に変えたのか。
それは、どちらもいきなり入ってきたということだ。かわせみは、鉄砲玉のように、やまなしはトブンと、とにかくいきなりだ。
なぜ、いきなりとびこんできたものを選んだか。これは、このあとでも書くが、かわせみは死の恐怖、やまなしは妹の笑顔や幸せだと考える。死というものも、幸せというものもいきなりやってくるものだ。
だから、私は「かわせみ」と「やまなし」の対比が最も重要だと考える。

5 二枚の幻灯の対比
二枚の幻灯は、いったいどのような世界を描いているのだろうか。
私は、五月は「恐怖の世界」、十二月は「恵みの世界」だと考える。理由は次の通りだ。
五月には、かわせみが鉄砲玉のようにとびこんできて、かにの子供らに恐怖を与えた。お父さんがなぐさめるくらいだから、よほど怖かったのだろう。しかし、十二月には、トブンとやまなしが落ちてきて、恵み、つまりにおいやお酒を与えた。もう安心してもいいということだ。
だから、私は、五月は「恐怖の世界」、十二月は「恵みの世界」だと考えた。

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