『やまなし』評論文(その4)

(前号より)

6 クラムボンとは何か
物語に出てくる「クラムボン」とは何か。
私は、賢治の妹のトシだと考える。
なぜか。まず、私は「クラムボン」のところを「トシ」に変えてみた。
「クラムボンは笑ったよ」→「トシは笑ったよ」
「クラムボンは死んだよ」→「トシは死んだよ」
「クラムボンは笑ったよ」→「トシは笑ったよ」
つまり、クラムボンもトシも、笑い、死に、また笑っているのだ。しかし、死んでから笑うというのは、少しおかしい。なぜ、賢治はこのようなことを書いたのか。私は、賢治の心の中でトシは笑ったのだと思う。

7 イサドとは何か
物語の中のイサドとはなんだろうか。
私はトシが行きたかった林だと考える。なぜか。75ページで、かにのお父さんが、
「もうねろねろ。おそいぞ。あしたイサドへ連れていかんぞ。」
と言っている。お父さんがこう言うぐらい、かにの子供たちが行きたいところなのだろう。また、かにのお父さんを賢治に、子供らをトシにして、『松の針』と合わせてみる。トシは林に行きたがっていた。子供たちと同じだ。賢治は、林をイサドに変えてまでもトシを行かせてやりたかったのだと思う。

8 かわせみとは何か
かわせみとは、なんだろうか。
私は、妹トシの死の恐怖や悲しみだと考える。理由は次の通りだ。
まず、かわせみが魚をとっていったこと。なんだか、これは病気がトシをさらっていった(殺した)ことと似ている。あっというまのこと。8年間も苦しめられていたトシが病気に命をさらわれていったのも賢治にとっては、あっというまのことだったのかもしれない。

9 やまなしとはなにか
物語の題名でもある「やまなし」。このやまなしとはなんだろうか。
私は妹の笑顔だと考える。理由は次の通りだ。
やまなしは、恵みや幸せを与えた。76ページで、かにのお父さんがこう言っている。
「そうじゃない。あれはやまなしだ。ながれていくぞ。ついていってみよう。ああ、いいにおいだな。」
この一言で、かにの子供らは安心した。たぶん、トシも賢治を安心させたかったのだろう。

10 結び
『永訣の朝』に「またひとにうまれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないようにうまれてきます」と書いてある。
これは、トシが賢治に病気でめいわくをかけてすまなかったと言っているのだと思う。兄思いの妹だ。また、賢治もトシのために松の枝をとってきてあげたりしている優しい兄だ。最高の兄と妹だ。でも、その妹が死んでしまい、賢治はとても悲しんだのだろう。それを表現するために、この『やまなし』を書いたのだと思う。

昨日は飛夢さん、今日は澄佳さんの文章を紹介いたしました。現在、まだ執筆の最中という子供もいます。
書くという作業は辛いものです。しかし、昨日も書いたように書くことでしか得られないものもまたあります。
洋介さんは、文章の「結び」に次のように書いています。

初めは、読んでもチンプンカンプンだった。しかし、この評論文を書いているうちに、物語にはいろいろな作者の思いが込められていると思った。あまり書きたくないと思ったが、書き終わるとすごい達成感が得られた。これが、原稿を書き終わった作家の気分なのだ。

大作を書き終えて得られた達成感。きっと、これまでに感じたことのないものだったことでしょう。

1 「問い」を書く。
2 「問い」に対する「自分の考え」を書く。
3 「自分の考え」の根拠を、短い文を積み重ねながらできるだけ詳しく書く。

上は、今回の学習だけではなく、今後も使える「書き方」であり、「学び方」です。この学習で得た力を是非2学期以降の学習に生かしてほしいと願っています。