読書感想文(その4)

『洋介とヨースケ』
洋介

五年前のことだ。ぼくは、ぜん息でとても苦しんだことがある。かけこんだ病院には、小児科の医者が不在で、医者に
「今夜がやまです。」
と言われた。夜、自分の葬式はどうなるのだろうと考えた。お経が聞こえ、家族が泣いている・・・。
「たとえば、自分のお葬式なんか、見てみたいものだ。五年一組の子どもたちも、たぶん、みんな、くるだろう。おわかれのことばは、学級委員の北村くんが、よむのではないだろうか。」
これは、この物語の主人公のヨースケくんが、ただのかぜで自分のお葬式を考えたシーンだ。ぼくは、この物語の主人公ヨースケくんがただのかぜで、ここまで想像できるのはすごいと考えた。このヨースケくんの想像とぼくの一年生の時の想像は似ている。だから、ぼくは読んでいるときにこの場面が印象に残ったのだろう。名前だけではなく、ぼくとヨースケくんは似ているのだ。
毎年のことだが、マラソン大会がある。ぼくはマラソンがきらいだ。学校のマラソン大会でも、あまりよい記録を残した覚えがない。学校の授業でも、あまり走りたいとも思わない。サッカーは好きだが、野球やバスケットボールはやりたくない。リレーはできればパスしたいと思っている。
「さむいのも苦手だが、もうひとつ苦手なのが、二月におこなわれる持久走大会だ。ヨースケくんたちのかよう桂町小学校では、一月になると、持久走の練習がはじまる。毎朝グラウンドを全員で二周するのだ。これは、持久走大会の当日までつづけられる。いったいヨースケくんは、ほとんどのスポーツが苦手だし、興味もない。」
このページを読んでいると、ここでもまた自分とヨースケくんが重なってしまう。そんな気がする。
今年の夏休みにゴロゴロねそべっていると、こう思ってしまう。「ゴロゴロしていられるのも今のうちだなあ」と。中学生になると部活がある。そこから忙しい人生を送ることになるだろうと思ってしまう。やることがあるのはうれしいが、忙しいのはいやだ。夏休みはきらいだが、休みがないのはいやだ。こんな感じで、いつもせいいっぱい。一応、中学一年生まではゴロゴロしているつもりだ。
「考えてみれば、平日のこの時間帯にのんびりとわが家の庭をながめられるのは、小学校のあいだだけじゃないだろうか。」
これはヨースケくんが夏休みのこの時間を過ごすのは、小学生の間だけじゃないかと深く考えたシーンだ。夏休みはいつまでもゴロゴロしたがるぼくとどこか同じ感じがする。もう二度とめぐってこない小学生としての時間を大切にしたいものだ。
右にあげた三つのシーンが、ぼくがこの本を読んで印象に残った。どうもぼくはナマケモノらしい。だからこそ、この三つのシーンが心に残ったのだろう。直さなくてはという気持ちと、ナマケモノでいたいという気持ち。ぼくの中では今、二つの気持ちが戦っている。

『ヨースケくん 〜小学生はいかに生きるべきか〜』。ズッコケシリーズでも子供たちに人気を博している那須正幹さんの作品です。ただでさえ、おもしろい作品なのに、その主人公が自分と同じ名前だったら、いっそう引き込まれてしまいます。ヨースケくんと洋介くんが似ているのは、どうも名前だけではなさそうですね。