いじめに負けない(その3)

参観授業について、早速みなさんからご意見・ご感想を頂きました。ありがとうございます。

「いじめ」の問題を考える時、いじめの原因を探そうとする。はたして、「いじめ」に原因はあるのだろうか。最近、「いじめ」は人の本能のなせる業なのではないかと思うことがある。
人は、集団を形成し、その中で自分の居場所を確保し安心する。そして、自分より下にある者をみつけ攻撃することで、その安心を確実なものにする。それが、えた非人であったりカースト制度であったりしたのではないか。時の為政者は、その人の本能をうまく利用し人を支配してきたのではないか。
全ての人が平等であり平等の権利を持つ現代において、これら、人が持つ本能のいびつな現れが「いじめ」なのではないか。だからこそ、最近では、子供だけではなく、大人社会の中で「いじめ」が問題視されてきている。
現代社会とは、人が「いじめ」という問題に一生向き合っていかなければならない、そんな時代なのかもしれない。
今日の「いじめ」をテーマとした授業を拝見して、少し安心したことがある。それは、多くの子供たちが、正人の行動に共感を示したことである。「いじめられたらやり返す。」理想から言えばそれは正しい行動ではないかもしれない。しかし、いじめられる側から行動しなければ何も変わらない。何故ならば、「いじめ」が人の本能によるものであれば、いじめている側には、いじめているという意識は希薄であるからだ。
「いじめ」を自覚し自制することは、人が人として当然求められることではあるが、自分が「いじめられる」立場になったとき、自分から何らかの行動をおこせる。それが、今求められている「生きる力」の一つなのかもしれない。(澄佳さんのお父さん)

実話を元にした「いじめ」についての授業は、とても考えさせられました。
いじめられた時「がまんする」と「やり返す」のどちらを選ぶか。「道子」はがまんしすぎて、ひきこもりになってしまいましたが、がまんする事は時には大事なことだけれど、自分の気持ちをはっきりと相手に伝える勇気が必要なんだと思いました。
自分がされてイヤな事を人にしないこと(これは自分の子供にもよく言って聞かせています)がいじめをなくすために大切な事ではないでしょうか。
「正人」をいじめていた友達は、自分がたたき返された事で相手がどんな気持ちだったのかがわかったのでしょうね。(明里さんのお母さん)

道子の話を聞いていて、自分の小学校のころを思い出してしまいました。友達ができなくて、バカにされてよくだまっていたようです。だから和希がどっちをとるかとても気になりました。洋介さんの言った「中学までがまんする」。私の学校は小学校、中学校、同じメンバーです。ですから、自分で努力しなくてはなりません。がんばった事といえば、もっと積極的に人と話をするようにしました。それからは、なぜか、明るくなったような気がします。今の私からは考えられないようですが・・・!!
友達と話をするという事は、いいことですよね。和希にこんな話をした事はありませんでした。今のいじめってちょっとつらい所がありますよね。昔はもっと単純でしたから、今のいじめだったら、私もがんばれなかったかもしれません。(和希さんのお母さん)

もともと悪口を言う人が悪い。悪口を言われた人は、心が傷つくので、いじめはいけないとおもいます。むしろやめた方が世の中が平和になっていいと思います。最後に、いじめなどあってもいいのでしょうか。どう思いますか。(あずささんのおばあちゃん)

とても良い授業だったと思います。子供たちもきちんと自分の意見を発表していてよかったです。
人によって、いじめに対する考え方がいろいろあるんだと思いました。少しびっくりした考えもあったし、大人みたいな発言もあって楽しかったです。
「自分だったらどうするか?」を聞いてみたいです。(裕太さんのお母さん)

今夜、我が家の夕食のおかずは「6年1組道徳の授業参観」でした。それは、こんな・・・
父:「今日の授業の態度は前回見た時と全然段ち。感動、感心したヨ。飛夢、いつもああなのか?」
飛:「いや、まさか。まったく授業参観モードだからネ、特別ダネ!!」
父:「そっか、やっぱりそんな甘くないか・・・。」
こんな会話から始まりました。
父:「でさぁ、最後の渋先の実話モデル正人は徹ちゃんダヨ発言はインパクト強かったねぇ。本当かね?」
飛:「ど〜かね〜?」
まるで、ボケとつっこみ!吉本のお笑いみたいな楽しいディナーでした。(飛夢さんのお父さん)

授業をディナーのおかずにしていただけるとは、授業者冥利に尽きます。「正人=小学校時代の渋谷」の話は事実です。小学生時代の私は肥満傾向(今、また戻りつつあります)。それをタネによくいじめられていました。気も弱かったので(今もそうです)。