『教師は忘れる』

 昨日お伝えしたとおり、ここのところ、毎日運動会練習で子供たちも疲れています。本番まで後二日。私もついつい余裕を失い、子供たちに厳しい言葉を投げかけてしまいます。
「ほら、よそ見しちゃいけないって言ってるだろ!」
「砂いじりはやめなさい!」
そんなとき、ふと以前読んだ一つの文章が頭の中によみがえってきました。アメリカジャーナリズムの古典の一つと言われている『父は忘れる』という文章です。
 少々長くなってしまいますが、引用いたします。

父は忘れる
リビングストン・ラーネッド

 坊や、聞いておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。お父さんは、一人でこっそりお前の部屋にやってきた。今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に息苦しい悔恨の念に迫られた。罪の意識に苛まれてお前のそばへやってきたのだ。
 お父さんは考えた。これまで私はお前にずいぶんつらくあたっていたのだ。お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっと撫でただけだといって、叱った。靴を磨かないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床の上に放り投げたといっては怒鳴りつけた。
 今朝も食事中に小言をいった。食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは停車場へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、お前はふりかえって手をふりながら「お父さん、いってらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。
 同じようなことがまた夕方に繰り返された。私が帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。お父さんはお前を家へ追い返し、友達の前で恥をかかせた。「靴下は高いのだ。お前が自分で金を儲けて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」これがお父さんの口からでた言葉だから、我ながら情けない!
 それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、お前は悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。うるさそうに私が目を上げると、お前は、入り口のところでためらった。「何の用だ」と私が怒鳴ると、お前は何も言わずに、さっと私のそばへ駆け寄ってきた。両の手を私の首に巻きつけて、私に接吻した。お前の小さな両腕には、神様がうえつけてくださった愛情がこもっていた。どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。やがて、お前はばたばたと足音を立てて二階の部屋へ行ってしまった。
 ところが、坊や、そのすぐあとで、お父さんは突然何とも言えない不安に襲われ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう!叱ってばかりいる習慣・・・まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう!決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。
 お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。お前のやさしい心根は、ちょうど、山の向こうから広がってくるあけぼのを見るようだ。お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をしたとき、そのことが、お父さんにはっきりわかった。他のことは問題ではない。お父さんはお前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。
 お父さんとしては、これが、お前に対するせめてもの償いだ。昼間こういうことをはなしても、お前にはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。お前と仲良しになって、いっしょに喜んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌を噛もう。そして、お前がまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。
 お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。昨日も、お母さんにだっこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。

 主語さえ入れ替えればそのまま私のこととして通じそうです。私もまた、子供たちがまだ生まれてから6年目の一年生だということを忘れかけていたのです。精一杯の自戒の念で、長い引用をしてしまいました。

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